31 気ままな少女
「私の食事を忘れたまま作業に没頭するとは。アロンの奴め……」
ボロボロの旅人装束に身を包んだ少女が、にぎやかな喧騒の中を歩きながら、一人ぼやいていた。
「まったく……食糧事情の改善の為と言われれば、反対も出来ぬではないか。それを逆手にとってあの男は……っ!」
少女の素顔を――美貌を覆い隠すフードの隙間から、そんな罵声が漏れ出てくる。
今後は街に立ち寄った時以外でも干し肉などといった保存食だけでなく、もっと凝った料理を食べられるようになる。
そんな話をアロンから聞かされたエルナは、最初のうちこそ蒼い瞳を輝かせながら完成を待っていたのだが、すぐに飽きてしまう。
だがその頃にはアロンの集中は頂点へと達しており、呼び掛けは届かなくなっていた。
結果、エルナは食べ物を求め、一人宛てもなく街を彷徨うこととなったのだ。
「とはいえ、だ……。食べ物を手に入れるには、金貨とやらが必要なことは理解している。さて、どうしたものか……」
世間知らずなエルナが、対価もなく料理を食べて捕まる事をアロンは懸念していたが、その程度の常識はちゃんと持ち合わせていた。
だがこうして本能の赴くまま考えなしに出歩く辺り、アロンの危惧もあながち間違いとは言えない。
「焼けた肉の匂いがするな……。こっちか?」
人一倍の食い意地を持つエルナの嗅覚は、食べ物に対して脅威の察知能力を持つ。
その導きのままに向かった先の通りには、いくつもの屋台が立ち並んでいた。それぞれが種々の香ばしい匂いを放っており、大いに食欲を刺激する。
「ふむ……これは美味そうだな、だが……」
一番手前の屋台の前で立ち止まる。
鉄板の上には、ぷりぷりとした肉の刺された串たちが所狭しと並べられていた。
それをジッと愛おしそうに見つめる少女に対し、気の良さそうな屋台の店主が声を掛けてくる。
「お、坊主。何か買ってくかー? うちの焼き鳥は絶品だぜ?」
「坊主ではない。私は乙女だ」
ムッとした顔でフードをおろし、エルナがその美貌を露わにする。
「おっと、こいつは失敬。てか、すげぇぺっぴんさんだな、嬢ちゃん……。うちのバカ息子の嫁に欲しいくらいだぜ!」
その世辞なのか本気なのか良く分からない言葉に対し、少女は曖昧な笑みを一瞬だけ見せた後、悲しそうに告げる。
「その、なんだ……。旅の仲間に取り上げられてしまってな。持ち合わせがないのだ……」
「な、なんだってぇ! ったく、酷ぇ奴だなぁ、そいつぁ! こんなか弱い女の子相手に何てことしやがる!」
儚げな少女の嘆きの言葉を聞き、強い憤りの声を上げる屋台の店主。
どうやら仲間から有り金を全部盗まれた挙句に逃げられた、そう勘違いしたようだ。
「ったくよー! うっし! 嬢ちゃん、これでも食って元気だせ!」
両手で2本の肉串を掲げ、エルナの方へと差し出して来る。
「……いいのか?」
「ああ、遠慮すんなよ! 困った時はお互い様って奴だ!」
「……ではありがたく頂くとしよう」
既に日は傾き始めた時間であり、いつもならばおやつ代わりにレーズンを頬張っている頃なのだ。
なのに今日はまだ昼ご飯さえも口にしていない。
ここまでの空腹を味わうことなど久しぶりだったエルナは、肉串を受け取るや否や、勢い良くかぶりついた。
「おおっ、見かけによらず、いい食いっぷりだなぁ!」
店主の言葉を受け流し、無言のままパクパクと頬張っていく。
あっという間に2本とも平らげた少女は、名残惜しそうに目を細めながら「ほぅ……」と息を漏らした。
幼いながらも艶めいた表情に、近くを歩いていた人々の視線が釘付けとなっていく。
それに気づいた様子もなく、少女は満足気に感想を述べていく。
「ふむ……中々に上質なもも肉だったな。店主の腕もいい。外はカリっと、中はしっとりとした程よい弾力だ。火の扱いに長けてなければ、この焼き上がりは出来まい。タレも素晴らしいぞ。複雑な味わいの中にも、きちんと鶏の旨みが際立っている。火入れした肉を何度も浸して、その旨みをたっぷり吸わせてやらなければ、まず再現できない味だ」
少女の頭の中には数多くの知識が眠っており、それは食に関しても同様だ。妙な偏りは存在するが。
しかし知識とはただ持っているだけでは上手く扱うことは難しい。
実戦の中で、経験と結び付けてこそ真価を発揮出来ると言える。
そして食に対し絶大な興味を寄せるエルナは、大食らいな上に味にもうるさいという、ちょっと――いや食事の面倒を見るアロンからすれば、かなり面倒くさい少女だ。
だがその事実が、今はプラスへと働いた。
「おい……。あれ見てみろよ? なんかスッゲー美味そうじゃね?」
「あ、ああ……。なんか俺まで食いたくなってきしまった。おっちゃん! 1本くれ!」
「あっ、てめぇ! じゃあ、俺も!」
「私も!」
人が人を呼んでいく。
気が付けば、焼き鳥屋台の前には人だかりが出来ていた。
そして、その様子を見ていた他の屋台主たちも黙ってはいなかった。
「嬢ちゃん! うちのも食ってくかい? バターを塗ったホッカホカのイモは舌がとろけるぞ!」
「饅頭食べたいでしょ? ほらほら! 遠慮しなさんな!」
商魂たくましい彼らは、エルナを呼び寄せて自慢の料理を食べさせていく。
空腹の彼女には、割と何でも美味しく感じられた事もあり、称賛の言葉が次々と拡散されていく。
「ふぅ……。よく分からないが、気の良い連中ばかりだったな」
屋台が並んだ通りを抜けきる頃には、エルナの腹は概ね満たされていた。
店主たちも皆、エルナに無料提供した分など一瞬で取り返し、ウハウハとなっていた。
お互いにハッピーで、正にウィンウィンといったところか。
「さて……ここはどこだろうな?」
腹ごなしがてらにふらふらと街を散策していたエルナだが、いつの間にか日も暮れかけており視界も暗くなる。
ポツポツと街灯に橙の光が灯され始めていた。
「エルナ! こんなところにいたのか!」
背後からの声に少女が振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
少女より若干背が高く、そして目つきの悪い男だったが、その顔は安堵の色に染まっていた。
「まったく……。なぜこんな所にいる?」
「そう言われてもな、アロン。気が付けばここに居たのだから、私が知る訳ないだろう?」
エルナの反論にもなっていない言葉に対し、アロンはあきれ顔を浮かべ追及を諦める。
「はぁ……。何か問題を起こしてないだろうな?」
「失礼な、私を何だと思っている? 大体、お前が昼飯の用意を忘れたから、自分で調達する羽目になったのだぞ?」
「……んぐ。それはすまない。だが自分で調達した? お金なんて持ってないはずだろう?」
まさか、本当に食い逃げでもしたのかと、心配顔の少年に対し笑顔の少女は告げる。
今日の出来事を。