29 王都陥落
「エルネスト様が負けた……?」
「そんな……ロイヤルブレイズは最強の騎士じゃなかったのかよ!?」
エルネストの死を受けて、灰色の軍勢のあちこちから悲嘆の声が上がっていく。
それは波紋となり、王国軍全体を徐々に揺るがしていく。
そしてトラバント殿下はそんな隙を逃す程、甘い御方ではなかった。
「聞けぇ! 勇敢なる王国の将兵たちよ! この戦いにもはや意味など存在しない! 何故ならお前たちの背後にある都市に、その指示を下した王族たちはもういないからだ!」
まだ本格的な激突前とはいえ、この騒がしい戦場の真っ只中にあって殿下の声は良く響いた。
王国の将たちも「聞くな!」「耳を貸すんじゃない!」などと必死に抵抗の声をあげていたが、兵たち全ての耳目を遮ることなど不可能だ。
「そう! 愚かなる王族共は見捨てたのだ! 父祖より受け継ぎし伝統あるこの地を! そしてそれを命がけで守らんとした勇敢な兵士たちをも!」
衝撃的なその言葉を受け、動揺はドンドンと広がっていく。
波紋はうねりとなり、王国軍はゆっくりと瓦解を始める。
「うっ、嘘だ!」
「し、侵略者たちの言う事なんて、誰が信じるかよ!」
絞り出すような否定の言葉がちらほらと上がってくるが、その反応もまた殿下の想定の内に過ぎない。
「ふっ、ならばお前たちの上官にでも聞いてみるがよい。王族共は今どこで何をしているのか、とな。ついでに王城にたっぷりと蓄えられた金銀財宝の行方についても尋ねてみると良いぞ?」
その言葉がトドメとなり、首の皮一枚で保っていた均衡はついに決壊する。
「おい! 国王様たちが俺らを置いて、自分たちだけ逃げたってのは本当なのかよ!?」
「し、知らぬ。私は何も聞かされてはいない……っ!」
「じゃあ、誰が知ってるってんだよ!!」
「うぐぅ、しょ……将官の方々ならあるいは……」
末端の兵達と同様、真実を知らなかった各部隊の長たちは、部下たちに詰め寄られてもただ戸惑うばかりで、より上位の者たちへと回答を丸投げするしか出来なかった。
そして当の王国軍上層部はというと、ある者は馬鹿正直に真実を答え、兵たちから袋叩きにされた。
また別の者は、どうにかはぐらかそうとして兵たちの怒りを買ってしまい、斬り殺されてしまう。
そういった混乱があちこちで発生し伝播し、まだ辛うじて平静を保っていた兵たちも暴走を始めていく。
「なんとまあ……あっけないものですね」
その様子を眺めていた私は、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
強大な敵を前にし取り残された絶望感、責務を放棄した自分たちの主への失望感、そういった様々な負の感情が積み重なった末に破裂した結果なのだろう。
こうはなるまいと強く思わされる惨めな光景でもあった。
「もともと潜在的に軍上層部や王族共への強い不満が存在していたいのだろうな。今回はそれが爆発しただけに過ぎぬ。もっとも火種を投げつけたのはこの我だがな」
殿下がひとしきりそうお笑いになってから、表情を引き締める。
「……支配者には支配者たる責務がある。それを忘れれば我とて同じ目に遭うだろう。もし我が道を謝ったならば、お前たちが剣をもって正してくれ」
「はっ、この一命に賭しても必ずや!」
「ええ、もちろんですとも殿下。その時は、この大鎌でひっぱたいて差し上げますよ」
殿下の言葉をアシュリーがそう軽く請け負うのを見て、少しの羨望が胸のうちから這い上がる。
私とは違い、この2人――いやグレイも含めて3人か――は士官学校時代からの親友同士らしく、時折今のように立場を超えた気安いやり取りを見せることがある。
彼らと一緒にいて疎外感などを覚えたことはなかったが、それでも一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
◆
アルセリウム前の会戦における帝国側の死傷者は0だった。
対する王国側の死傷者は3桁を超える。しかもその原因のほとんどが同士討ちという何とも言えない結末であった。
「王国の馬鹿どものお蔭で、予定よりも随分早くに法国攻めへと向かえそうだな」
殿下がやや釈然としない様子でそう述べる。
望外の結果を得た我らだったが、こちらの戦略による成果ではなく、向こうの不手際のお蔭だからだろう。
「ロイヤルブレイズがまだ5人ほど健在なのは、少し気掛かりではありますが……」
「そちらは問題あるまい。もし仮に、あの者たちが我ら同様に一騎当千の猛者だとしても、駒は5つしかなく、王族共が決して傍から手離すまい。守りにしか使えぬ5千の兵など、恐るるに足りぬ」
殿下の言葉を聞き、改めて強く思う。
やはりあの時、アルセリアの王族たちの取るべき道は、堅牢な都市構造を利用した籠城戦しか無かったのだと。
もしあの都市に2万もの兵と共に引き篭もられては、生半可な兵力では落とすことは不可能だ。
無論、こちらもいくつか策を用意してはいたが必勝とは言えず、相当な覚悟と犠牲を強いられることになったに違いない。
しかし現実には圧倒的な地の利を目先の恐怖から打ち捨て、彼らは北の辺境の地へと逃げ去った。
遠方へと逃れた彼らの討伐は、それはそれで中々の難事とは言えるかもしれないが、別に急いで行う必要などない。
心臓部たるこの都市さえ抑えていれば、王国領の支配権は遠からずこちらへと転がり込んでくるだろう。
ある意味では、我らは戦わずにして勝利した訳で、最上に程近い結果を得たとも言えた。
「さて、ここからが真の正念場だ。みな、覚悟は出来ているな?」
「無論のこと」
殿下の試すような言葉に対し、サラティガ殿が眉一つ動かさぬまま鷹揚に頷く。
「ええ、僕としても早々にこの戦を終えて、のんびり過ごしたいですからね」
「すまぬな、アシュリー。争い事が嫌いなお前を巻き込んでしまった」
「いいえ、殿下。これは僕が選んだ選択なのですから、どうかお気になさらず」
アシュリーが常ならぬ覚悟を決めた真剣な表情で、そう応える。
そして最後に、殿下が私へと視線を向けて来る。
「クリス、お前はどうだ?」
「……本来ならば、私はこの騎士服さえ纏うことさえ許さなかった身ですから」
自分自身のどこか頼りない細い身体へと視線を落としてから、そう述べる。
それから顔を上げ、改めて力強く宣言する。
「そこから救いあげてくださった殿下の為ならば、例え地獄の果てでさえも御伴する所存です。であれば、この程度の修羅場、容易く潜り抜けて見せましょう!」
「その忠誠には感謝する。だがいずれは、お前が自身を誇れるよう世界の在り様そのものを変えて見せよう」
「……期待しておりますよ、殿下」
私と似たような悩みを抱える者たちは、他にも数多く存在するだろう。
始まりはただ自分の我儘を通しただけだったが、今はもう違う。
いくつもの期待を私は背負っている。
ならば、負けられない。負けたくない。
「お前たちの覚悟はよく理解した。では向かうとしようか。乱世を終わらせに。都市間転移魔法陣、起動!」
占領した王都の中心にそびえる王城、その地下にこの巨大かつ精細な魔法陣はひっそりと眠っていた。
殿下の膨大な魔力を喰らったそれは、何百年もの眠りから目覚め、我ら4人を故郷へと運んでいく。