27 愚か者たち
ラグランジュ領を抜けた我ら帝国軍は、王都アルセリウムの目前へと迫っていた。
そして現在、王国軍の本隊と対峙している。
目の前にはおよそ2万近い灰色の軍勢が立ち並んでいる。こちらよりもやや少ないが、都市内に籠り戦うならば十分過ぎる数だ。
にもかかわらず、何故か彼らは城壁の外に布陣し、我らの到来を待ち受けていた。
「これは……彼奴め、何を考えておる?」
トラバント殿下が訝しむ声を漏らす。
声にこそ出さなかったものの、心境としては私だって似たようなモノだ。
王都アルセリウムは、大陸最大最古の城塞都市として名高い。
都市の全周に高くそびえ立つ城壁は、それ自体が古代遺産であり、並大抵の武器や魔法では傷一つ付けることさえ出来ない頑強さを誇る。
更には現代では再現不能な高威力の魔導砲が多数設置されており、下手に力攻めをしようとすれば、無駄死にばかりが出る結果となるだろう。正に難攻不落の城塞であると言える。
そういった堅牢な拠点を落とす際のセオリーの一つとして兵糧攻めが存在するが、あの都市の内側には農地や水源などといった生活に必要な要素が一通り揃っており、外部からの補給が無くとも1年程なら都市機能を維持できるだけの備えが存在した。
そのため王国側は籠城戦をしながら、周囲からの援軍を待つものだとばかり考えていたが……
「アシュリーよ、こちらの策が読まれた可能性は?」
「まず無いかと。それに……もし仮にそうであったとして、わざわざあちらが討って出る意味はやはり薄いかと存じます」
「……我の見立ても同じだな。ふんっ、あちらの意図が読めぬというのは、どうにも気に食わぬ話だな……」
殿下が悩ましげな声を発し、目を伏せる。
私もあれこれと思案してみるが、これといった考えは浮かんでは来ない。
「ふむ……某も一つ発言よろしいかな?」
場の沈黙を切り裂いたのは、渋みを湛えた男の声だった。
「遠慮など不要だ。……それで何だ、サラティガ?」
「然るに連中は、ただ時間稼ぎをしているだけではないのかな?」
短く整えられたあごひげへと手を添えながら、サラティガ殿がそう述べる。
「時間稼ぎ? ならば尚のこと籠城すべきであろうが?」
何を馬鹿なことを、そう言わんばかりの鋭い視線を向ける。
しかしサラティガ殿は臆することなく言葉を続けていく。
「連中が稼いでいるのは……あの都市が包囲されるまでの時間ではなかろうかな?」
「包囲されるまでの……? なるほど……ふははっ! そうか、そういうことかっ……!」
その言葉をゆっくりと咀嚼し、やがて理解へと達した様子の殿下が嗤い声をあげた。
「その……殿下。よろしければ、我らにもご教授願えませんか?」
アシュリーの問い掛けに、殿下が笑うのを止め、真顔となって告げてくる。
「ふんっ、あの国の王族共の愚かしさに思い至れば簡単なことよ。あの都市はな、見捨てられたのだ。今頃、連中は金銀財宝を両手に抱えながら、尻尾を巻いて逃げようとしているのではないか?」
「なんとっ……」
「そのようなこと……果たして本当にあり得るのですか?」
あちこちから驚愕と疑念の入り混じった声が上がる。
私としても、おしそれとは信じ難い言葉だ。
アルセリウムは王国の中枢だ。それは単に国家の首都という意味だけに留まらない。
四方へと伸びる街道は、王国各地へと繋がっており経済活動の生命線だ。加えて現存する最古の都市でもあり、その歴史的背景からも王国人たちの拠り所となっていた。
まさに物理的にも精神的にも王国の心臓と呼ぶべき都市なのだ。
そこを抑えさえすれば王国の命運を握ったも同然であり、だからこそ殿下はリスクを負ってまで、その占領に全力を尽くさんと動いていたのだが、まさか当の王国側がその重要性を理解していなかったとは……。
もしそれが真実だとすれば、なんとも馬鹿げた話であった。
「……思い返せば15年前もそうであったな。4大国決議にてダミア村の殲滅が決定した時も、あの者たちは中々それを実行に移そうとはせなんだ。だがその事に焦れた先帝陛下が少し脅しをかけた途端、あっさりと動きおった。要するに連中はな、ギリギリにならぬと何も出来ぬ、何もしようとはせぬ愚か者なのだ」
「では……あの者たちは……?」
遠くで陣を張る王国の将兵たちへと視線を向けながら、恐る恐るそう尋ねる。
「……ただの捨て石であろうな。王族共が逃げ切った後ならば、早々に降伏してくるのではないか?」
どこか憐れむような表情を浮かべて殿下が吐き捨てる。
「やれやれ。2万もの兵を使い捨てるとは、なんとも豪気なことですね」
アシュリーが侮蔑を隠さない表情でそう漏らす。
彼が他人を悪し様に言う姿など、初めて見た気がする。それ程の愚行であるという証左だ。
「そうだな。まったく、あの臆病共がやりそうなことだというのに、サラティガに言われるまで思い至れなんだとは……。我もまだまだ思慮が足りぬな」
「まったくですな」
「これだから、恥を知らぬ者は恐ろしい……」
自嘲交じりの皮肉に対し、あちこちから賛同の失笑が漏れ出る。
それからしばしの時を経て、サラティガ殿の推測が正しかったことが確認される。
「北門側にて脱出の動きがあり、か。彼らは本当にあの都市を見捨てるつもりなのだな」
その報告を聞いて尚、私の心中には信じられないという想いが強く横たわっていた。
「どうやら馬車に大量の荷物を積み込んでいるみたいだね。自分たちの財産だけは何が何でも手放したくないと見える。まったく強欲なことだよね」
「殿下。某が始末致しましょうか?」
サラティガ殿が腰の刀へと手を添えながら、そう進言する。
眼前では王国軍が防衛線を展開しており、そちらへの通行は封鎖されているが、しかし全く穴が無い訳ではない。あちらが鈍重な荷馬車を用いている以上、精鋭を選りすぐれば襲撃自体は容易いだろう。
そしてサラティガ殿の実力ならば、ロイヤルブレイズの守りを突破し、国王暗殺を成し遂げられても不思議ではない。
しかし殿下は敢えてその選択をしなかった。
「それには及ばぬ。むしろこの事実を喧伝した方が、後の統治の助けとなろうさ」
「……それもそうですな」
ここで下手に連中を殺し未然にその逃亡を阻止してしまえば、ただの流言として扱われる可能性も高い。死人に口なしだからこその、嘘八百であると思われるからだ。
それよりかは生かしておいた方が、帝国にとって都合が良いとの判断である。
まったく「真に恐れるべきは有能な敵ではなく、無能な味方である」とは一体誰の言葉だったか。
その事をこうして肌で実感した私は、身震いせずにはいられなかった。