26 孤独な騎士
王都アルセリウムの中心たる王城――その玉座の間には現在、文武問わず多くの重鎮たちが集まっていた。
今回の帝国軍侵攻への対応について協議するためだ。
しかしその陣頭に立つべき国王オレールは、高貴な役目を果たすでもなく、丸々としただらしない肉体で、ギシギシと玉座を軋ませているだけであった。
「なんと! オーギュストの奴が敗れたというのか!? マズイのではないか!?」
だがラグランジュ領陥落の報が届けられた途端、オレールは酷く取り乱した。
脂肪だらけで醜く歪んだ顔を、更に歪めてヒステリックに喚き散らす。デカい頭に似合わぬ小さな王冠が、動揺のあまりズレ落ちそうになる程に。
「くくっ、歴戦の武人たるオーギュスト殿も、老いには勝てなかったようで……」
下卑た表情を浮かべながら、傍に控えていた白髪の騎士がそう漏らす。
男の名はセレスタン。次期ルノワール侯爵であり、副団長派のトップに立つ人物だ。
セレスタンの言葉に――己の父を愚弄する言葉を聞き、団長であるエルネストは眉を顰める。
だがそれに構うことなく、セレスタンは主たる国王の方へと顔を向け、大仰に言葉を紡ぐ。
「ですが陛下、我らは違います。どうかご安心ください。帝国の田舎者如き、一気呵成に打ち払ってみせましょう」
セレスタンは三十路前の若さにして、近衛副団長に任じられる程の実力者だが、同時に黒い噂が絶えない男でもあった。
僅か10年足らずで一大派閥を築き上げた裏には、余人の想像の及ばぬ闇が揺蕩っている。
だが主であるオレールが、それに気付くことはない。
「おお、セレスタンよ。なんと頼り甲斐のある男であろうか! そなたこそ真の忠臣よ! それに比べお主ときたら……。団長の身にありながら情けないことよ……」
オレールは、ホッとしたようは表情を浮かべた後、エルネストへと失望の視線を向ける。
己の信頼の無さを改めて実感したエルネストは、ただ無表情を貫くだけで精一杯だった。
「(なぁ、俺たちはどこで間違ったんだろうな? 教えてくれよ……親父ぃ……)」
オレールの即位から既に30年近い時が立つが、その治世を支えたのは実家であるラグランジュ公爵家だ。少なくともエルネストには、そんな強い自負があった。
彼自身も王家の忠臣として近衛の団長として、ずっと尽くしてきたつもりであったし、父オーギュストとてそれは同じ事だ。
従兄弟に当たる彼は、先代の騎士団長としてずっとオレールを支え、今回の帝国侵攻においても、王都を守る盾となってその命を散らした。
エルネストは、能面のような表情のまま、視線だけをセレスタンの方へと向ける。
見れば、彼らは帝国への悪口で盛り上がっていた。
「(いや……親父を殺したのは、あいつらだろうが!)」
その内心が、猛る感情の熱に染まる。
援軍さえ送っていれば、父が死ぬことは無かった。
殺したのは援軍派遣を妨害したセレスタンたちであり、それを認めたオレールであるとも言える。
オレール個人に対する忠誠心は、もはや底が見える程に擦り減っていたが、それでも彼はアルセリウム王家の忠臣であった。
愛すべき祖国を見捨てる選択肢など頭の端にさえのぼることもなく、ただ逆転劇だけを夢見る。
しかし現実は八方塞がりの状況だ。
エルネストの視界は霧がかっており、標となる光の気配は窺えない。
今いるオレールの子供たちは、いずれも父親同様の暗愚であり、彼らを次期国王に押し立てた所で状況改善の見通しは立ちそうもない。
「(くそっ、この国は……もう終わりなのか?)」
王都アルセリウムは堅牢を誇るが、ただ守るだけでは情勢は好転しない。
仮に今回の侵攻をどうにか跳ね返せたとして、先に待つのは緩やかな滅亡だけ。
「(せめてバラックの奴が生きてさえいればっ……)」
エルネストの脳裏に浮かんだのは、歳のわりに老けた男の顔であった。
少し抜けた所はあるが、剣と魔法の才能に溢れ、明朗快活な性格をした彼自慢の弟だ。
アルセリア王族の血を色濃く引いており、彼の知る限り資格を持つ中では一番マシな人物でもある。
「(まったくバカな奴だっ! 傭兵稼業なんかに身をやつして、死んでしまうとは情けない! それでも俺の弟かよ!)」
それがただの八つ当たりであることは、エルネスト自身も理解している。
あれは弟なりに考えた末での選択――その結果の死であったことも。
それでも、考えずにはいられない。
もし弟が生きていれば、と……。
◆
王国の行く末へと思いを馳せれば、憂鬱ばかりが積もる。
だが今は間近の脅威を打ち払うことに専念すべき。
そう気を取り直したエルネストの耳に、信じられない言葉が届けられる。
「有り得ぬ! 正気の沙汰ではないぞ、この王都を捨てるなどっ! 陛下、どうか考え直しをっ!!」
礼儀さえも投げ捨てて、唾を巻き散らしながら叫ぶ。
だがそんな彼の必死な想いは、オレールを素通りし、返って来るのは冷めた視線ばかり。
「……そう大声で怒鳴るではない。まったくうるさい奴だの。これは既に決まったことよ。それとも我の命に背くつもりかえ?」
鬱陶しそうな表情を浮かべたオレールが、感情の籠らぬ声でそう告げてくる。
そのすぐ隣には、含み笑いを浮かべたセレスタンが控えていた。
「ぐぅっ! やはりお前か! お前が陛下をたぶらかしたのか、セレスタンめ!」
「くくっ……たぶらかしたとは人聞きの悪いことを言いますな。私はただ良かれと思って献策しただけに過ぎません。それをお認めになったのは他ならぬ陛下なのですよ? その判断に対し声高に異を唱えるのであれば、いくら騎士団長殿とて反逆の疑いは免れぬのでは?」
「――ッッ!!」
勝ち誇った表情でそう述べたセレスタンに対し、エルネストは怒りと憤りで顔を真っ赤に染める。
「(奴はこの国の癌だ! こいつだけは生かしておけねぇ!)」
腰に据えた剣へと彼が手をかけた瞬間、周囲から制止の声が届く。
「それ以上は見過ごせぬぞ、エルネストよ」
「そうだぜ、団長さんよー。ロイヤルブレイズ同士の争いはご法度なんだろう? なのに口酸っぱく言ってた当人がそれを破るってのは、一体どういう了見かねぇ?」
「お前ら……。ちっ、そういうことかよっ!」
エルネストに対し、4人の騎士たちが刃を向けていた。
彼と同じロイヤルレッドの騎士服を纏った、王国最強の騎士たちだ。
「ええ、状況が理解出来ましたか? 彼らは私の側につくと仰っていますよ」
王国に6人しかいない至高の騎士たち。
その内のセレスタンを含めた5名が、エルネストの敵へと回った。
この状況でセレスタンを殺すのは、いかに強い彼でも無理な相談であった。
「くそがっ!!」
戦意を収め、その場から立ち去ったエルネストは、せめてもの逆転策へと縋りつく。
王国を救うための命を賭した戦いに。
だがそこに勝算など無い事は、彼自身が一番良く理解していた。