25 ラグランジュ領侵攻
我が帝国軍が王都アルセリウムへと至るための最大の障害――それがラグランジュ公爵領の存在だ。
現在その領都たるラグランディアの街を、くすんだ濃緑色の制服を身に着けた兵士たちが包囲していた。
それに対し当初、領主であるオーギュストは籠城戦の構えを見せていた。
そうして時間を稼ぎ、王都からの援軍の共に我らを撃退するつもりだったようだ。
しかし思惑は外れ、王都側に全く動きは見られない。
そんな状況にしびれを切らしたのか、ラグランジュ領軍がこちらへと夜襲を仕掛けてきた。
「ふっ、見え見えだぞ、オーギュストめ。かつての名将も老いには勝てぬと見えるな」
しかしその報告を聞いた殿下の笑みに、陰りが生じることは無かった。
殿下はあちらの動きを読み切っており、我らは十全な迎撃態勢を整えていたからだ。
夜闇の中、いくつもの篝火に照らされ丸見えとなった敵軍は、数に勝るこちらの反撃によって呆気なく撃退され、逆に追撃を受けて散り散りとなっていく。
戦局的にもはや我が方の勝利は揺るがないが、一つだけまだ問題が残されていた。
この夜襲を敢行したはずのオーギュスト本人の行方が、未だ分からないのだ。
どうも敵本隊とは別方向から単独で動いていたらしく、散発的な襲撃を繰り返し、既に3個中隊程が壊滅の憂き目に遭っていた。
「……奴はまだ見つからぬのか?」
苛立ちを隠せぬ様子で、殿下がそう漏らす。
読み勝ったはずの戦で思わぬ損害を生じてしまい、忸怩たる想いを抱いていらっしゃるようだ。
「サラティガ殿も動いておりますし、遠からず見つかりましょう。どうか落ち着いて吉報をお待ちください、殿下」
「……分かっておる」
アシュリーが宥めているが、このままでは殿下が直々にその捕縛へと動きかねない。
普段は冷静さで押し隠しているが、本来は血気盛んな御方なのだ。
戦場の空気に当てられれば、逸る危険がないとは言い切れない。
もちろん直接対決へともつれ込んでも、殿下が遅れを取るなどとは思わないのだが、万が一ということも有り得る。
護衛騎士としては、護衛対象が剣を振るう事態など出来れば避けたいものだ。
「むっ?」
後方の本陣にて待機していた我々の耳に、遠くの方から騒がしい声が聞こえて来る。
「な、なんだこいつ!? ぐああぁ!?」
「つ、捕まえろ! いや、殺せぇ!!」
陣幕の向こう側で飛び交う怒号に、殿下がニヤリと笑みを浮かべられた。
しかしその眼光は肉食獣のように鋭い。
「ふんっ、どうやら我の首を直接狙う腹積もりのようだぞ?」
どこか楽し気にそう零した殿下が立ち上がり、腰から剣を引き抜く。
私とアシュリーもその左右へと寄り添うように立ち、周囲への警戒を密にする。
喧騒の音が、いよいよ至近へと迫ってくる。
「ガハハハッ! そこをどけぃ!!」
「や、奴を止めろぉ! 殿下の下へ行かせるなぁ!」
外を守る兵士たちも果敢に戦ったようだが、相手は王国屈指の猛者だ。
あっさりと蹴散らされて、ついに目の前の陣幕が勢い良く突き破られる事態へと至る。
「ふっ、良く来たな。オーギュストよ」
「貴様! 皇太子トラバントか! その首貰いうけるぞ!!」
そうして空いた穴から飛び出してきたのは、老境に差し掛からんとする巨漢の勇士だった。
殿下の姿を認めるや否や、すぐさま身の丈以上の大剣を振り回しながら、一足飛びでこちらへと迫ってくる。
「やらせはしない!」
対する私は剣を持って殿下の前へと立ち塞がり、迎撃体勢を取る。
それに構わず、老騎士は大剣を振り下ろしてくる。
剣と剣がぶつかり合う。
ガギィィィン!! と強烈な金属音が耳をつんざき、受け止めた両腕へと衝撃が迸った。
「くぅぅっ!」
これが元王国近衛騎士団長の実力か!
御業で筋力を強化しても支えるのが精一杯であり、押し返すにはとても至らない。
「ほぉ。我が一撃をそのような細腕で受け止めるか! 貴様、何者か! 名を名乗れい!」
「インペリアルガード第4席、クリストファーだ! 貴殿がラグランジュ公爵オーギュストか?」
「如何にも! うーむ、このまま尋常に勝負――そう言いたいところじゃが……儂にはまだやらねばならぬことがあるのでな! そこをどけぃ!」
なるほど。
夜襲が読まれることは織り込み済みで、それでも殿下の首を狙った訳か。
援軍が来ない以上、あちらの敗北はもはや時間の問題であり、これは奴にとっても乾坤一擲の策だったのだろう。
だがその思惑は、夜露の如く散ることとなる。
そのために我らがいる。
「殿下には指一本触れさせないよ」
私がオーギュストを抑えている隙に、アシュリーがその背後へと一息で回り込んでいた。
そして彼が携えた大鎌が、勢い良く薙ぎ払われる。
「ぐぬっ……いつの間に!? そうか……貴様が噂に名高い帝国の残影騎士――エーベルト卿か!」
すんでの所で回避したオーギュスだったが、完璧とはいかず黒塗りの皮鎧が裂かれ赤に濡れる。
「悪いけれど、ここは二人がかりで確実に仕留めさせてもらうよ。やれるね、クリス?」
「ああ、問題無い」
回避のためにオーギュストが後ろに退いたことで、私も自由の身となる。
すぐさま前へと進み出て、アシュリーと隣り合わせに奴と対峙する。
「ぐぬぬっ! 後一歩のところまで来たものを……っ! 無念……っ!」
私一人では厳しかったろうが、二人がかりならば然程問題ない相手だった。
騒ぎを聞きつけた兵達に包囲され逃げ場を失ったオーギュストは、最後はアシュリーの大鎌によって呆気なくその命を刈り取られることとなった。
◆
ラグランジュ領を攻略したことで、王都アルセリウムへと至るまでの障害は、概ね取り除かれたことになる。
しかし殿下の表情は、変わらず険しいままだった。
「……思った以上に損害が大きかったな」
「申し訳ありません、殿下」
「いや我の見積もりが甘かったのだ。オーギュストめ。流石はロイヤルブレイズの団長を務めた男よ」
「ええ、本当に厄介な御仁でしたね……」
奴が好き勝手に暴れ回ってくれたせいで、我が軍には少なからぬ被害が生じていた。
「昨夜の戦闘における重軽傷者、そこに治療のための人員を含めれば、我らは千を超える将兵を失ったことになるな……」
どうもオーギュストは兵を殺すよりも、怪我人を少しでも多く増やすことを優先して動いていたようだ。
結果、死者こそ少なかったものの、戦力は思った以上に削がれる事となっていた。
「まさしく一騎当千の古強者でしたね」
「うむ。だが我らはあの男よりも強く在らねばならぬ。でなければインペリアルガードの名が泣くからな」
殿下が意図したことではないのだろうが、その言葉は私へと一番強く突き刺さる。
オーギュストは確かに強かったが、決して勝てない相手だとは思わなかった。
いくら全身に精力を漲らせていても既に老いた肉体だ。
長期戦へと持ち込めば、まだ若い私へと有利に働く。例え1対1であっても、最終的にはこちらに軍配が上がったはずだ。
だがそれだけでは足りないのだ。
全盛期などとうに過ぎた相手に対し押し負けるようでは、殿下の求める高みには届きえない。
もっと修練を積まなければ……でないと私は……
「しかし……あの者をしてまるで勝負にならぬと言わしめたほどの男――勇者フォルティスとは、一体どれほどまでに強い存在であったのだろうな?」
「殿下、その名を余りみだりに口に出してはなりませんよ。特にサラティガ殿の前では」
「……分かっておる」
アシュリーの忠言に、殿下が少し拗ねたようにして顔を背ける。
普段はカリスマに溢れる御方だが、時折今のような子供っぽい表情を覗かせることもある。
勇者フォルティス――かつてはサラティガ殿らとともに四英雄として称えられていたそうだが、現在ではその名は大罪人として広く知れ渡っている。
それというのも魔王討伐隊へと参加した折、彼が魔族側へと寝返ったせいだ。
最後にはサラティガ殿ら三英雄に倒された訳だが、殿下いわくその顛末には色々と不可解な点が多いそうだ。
まあ、どのみち私からすれば幼い頃に死んだ他国の者に過ぎない。
その死が敵である王国の弱体へと繋がったのであれば、真実がどうであれ特に挟むべき言葉を持たなかった。