21 少女の名前
少女を同行者へと加えた俺は、帝都へと続く街道を進んでいた。
視界からは暴虐の跡地はもう消えさっており、今は夕暮れ色に赤く染まっている。
「はぁ……。一時はどうなることかと思ったが、なんとか夜までにはたどり着けそうだな」
視線の端には、目的地である宿場町の姿が映っている。
最悪野宿も覚悟していたのだが、どうやらその心配は無さそうだ。
「甘いモノばかりで少し飽きたな。何か温かいモノが食べたいぞ」
「お前な……あれだけ食べて置いて良くもまぁ……」
隣を歩く黒衣の少女へと、胡乱な視線を向ける。
大量にあったレーズンの在庫は、僅か数時間で大きく目減りしていた。
「なぁ……これだけは言っておくぞ。決してお前のことを信じた訳じゃないからな?」
「やれやれ、まったく強情な奴だな」
少女と俺の間には、一つの約定が結ばれている。
それは俺の傷が少女の傷となるというモノで、その逆は起こらないという一方通行の現象であり、ただ少女が損するだけの不平等な制約だ。
「もう実験は十分に済んだのだろう? そう不安がらずとも、お前のことはちゃんと守ってやるさ。私自身のためにもな」
「確かにこの誓約の存在により、お前は俺を傷つけることは出来ない。それは事実ではある。だがそれはお前が自らの死を望んでいない場合の話だろう?」
翻ってみれば、自分の命を斬り捨てさえすれば、俺を殺すことは十分可能だと言える。
「ははっ、どこぞの死にたがりの魔王と一緒にしてくれるなよ。それに見れば分かるだろう? 死に急ぐほど私は老いてなどいないさ」
肩を竦めながら少女がそう告げる。
少女が言っているのは、恐らくイエオネスのことだろう。
なぜその事を知っているのかと疑問は尽きないが、その辺りを尋ねてもただはぐらかすばかりで、マトモな答えなど返って来やしない。
「……まあいい。せめて名前くらいは教えてくれ。ずっとお前と呼ぶのも、その……やり辛いだろう?」
「私に名前など無いさ。それとも、その右目は節穴か?」
「……」
ステータスを見る限り、確かに少女の名前は"nameless"となっていた。
しかし魔物ならいざ知らず、人間が――それもこの年齢まで育った少女が名前を持たないなんて、有り得るのだろうか?
「ふむ……だったらそうだ。お前が私に名付けるといい」
辛辣な物言いから一転、どこか面白がった表情で、そう告げてくる。
「……なんだそれは。まったく何を考えている……?」
あまりの丸投げっぷりに呆れかえりつつも、ふと脳裏に過去の記憶が過ぎる。
「(名前、か……)」
フォルティス時代を含めても、誰かに名前を付けるなんて経験はしたことがない。
けれど全く考えたことが無いかと言えば、それは違う。
「(もし何かが違えば、生まれるはずだった俺の子が、丁度こいつと同じ年くらいなのか……)」
当時の俺は、アルテナから名付けを丸投げされて、大いに頭を悩ますこととなった。
「(そうだな……たしか男の子ならカインやアベル。もし女の子ならセレナやエルナ――)」
「ほぉ、エルナか。悪くない名前だな。うん、気に入ったぞ」
その声に俺はハッと我に返る。
「ん……今なんて言った!?」
「私はエルナと名乗る。そう言ったんだ」
「ま、待ってくれ! さっきのは違うんだ! 取り消してくれ!」
それは居たかも知れないアルテナとフォルティスの娘の名前だ。
その存在を目の前の少女と重ねているようで、とても嫌な感じがする。
「ふむ……だがもう遅いぞ。既に私の魂へと刻まれてしまったからな。その右目で確認してみるといい」
▽
名前:エルナ
△
名前の項目にあった"nameless"の表示は消え失せており、代わりにエルナという文字が刻まれていた。
「……なんてことだ! いや、まだだ!」
俺は右目に宿る力を解放し、その変更操作を行おうとする。
「無駄だ。お前に与えられた力は決して万能ではない。変えられない現実など、そこらにいくらでも転がっている事など、分からないお前ではないだろう?」
「くそっ……」
その言葉通り、どれだけ俺が力を込めようとも変化の兆しは全く見られない。
「もう諦めろ。それとも何だ? エルナという名は、お前にとってそれほど大切な相手の名前だったのか?」
「いや、そんな名前の知り合いなんて俺には居ないさ……」
「なら、別に構わないだろう? たかが名前一つにどうしてそこまでこだわる?」
少女のその指摘に対し、俺は返す言葉をもたなかった。
「ああ、それもそうだな……」
そこにいくら思い入れがあろうと、所詮は存在しなかった相手の名に過ぎない。
そうして諦めの境地へと至った俺は、なし崩し的にエルナという名前を受け入れた。
◆
「さて、今後の方針について話し合おうじゃないか、アロン」
「はぁ、着いて来るなと言っても、聞き入れちゃくれないんだろうな……」
「当然だろう? 何と言っても、お前が死ねば私も死ぬのだからな」
何故か胸を張ってそう告げるエルナ。
だったら何故、そんな一方的に損するだけの誓約を結んだのかと強く思うが、そこを突っ込んでも堂々巡りとなるだけなのは学習した。
だからそこには触れず、話を進めることにする。
「俺の目的は復讐だ」
「……相手はやはり三英雄か?」
何故知っているかなど、もう問い正すまい。
どうせマトモな回答など期待するほうがバカだというのは、この短期間で十分に学んだ。
「ああ、そうだ。奴らは俺から何もかもを奪った! だから今度は俺が奪い尽くしてやる! その地位も名誉も命も何もかも全て!」
「……意気込みは買うが、勇者ではない今のお前には難しい話だろう?」
「そうだな。だが俺にはこの右目の力がある。それにお前だって協力してくれるんだろう?」
「ふっ、ようやく腹をくくったようだな。いいだろう、手を貸してやるさ」
この結論へと至る流れが、どうも全てこの少女の思惑通りな気がしてはならないが、実際に他に良い手が無いのもまた事実だ。
このまま仲間を得られないままでは、帝都へ辿り着く前に朽ち果てる可能性もある。
もちろんエルナにだって疑わしい要素は多々あるが、それを言い出せばもはやキリはなくなる。
ならば、どこかでリスクを呑み込む覚悟を決める必要があった。
「とはいえ、それも全て帝都に辿り着いてからだ。ひとまずお前にはそこまでの護衛を頼みたい」
「了解した。とはいえ、見ての通り私自身はか弱い乙女だからな。強化を切らさないように注意してくれよ?」
「ああ。右目の訓練ついでだ。色々と試させてもらうぞ」
こうしてエルナを正式に同行者へと加えた俺は、帝都への旅路を再開する。