16 旅立ち
パルミアの街を出立した俺は、石造りの街道を一人歩いていた。
「結局、護衛は得られなかったが……。まあいい。あんなバカ、例え裏切らなくとも本当に役立つかどうかは疑問だったからな」
同じ国内といっても目的地である帝都までの道のりはそれなりに長い。今の貧相な俺の足であればそれは尚更のことだ。
結局、一人旅は危険という不安は拭えないままではあったが、別にそれで構わないとも思う。
「ふんっ。リスクを恐れてばかりでは、何かを成す事なんて出来やしないさ」
過去を振り返ってもそうだった。
フォルティスだった頃は能力にこそ恵まれていたが、万全の状況などそう無かった。
それでも勇気を振り絞って行動したことで、未来を切り開き続けることが出来たのだ。
我ながら実に勇者らしい人生を歩んでいたなと思う。
「ふっ、その末路がアレとはなんとも皮肉な話だがな……」
ついそんな自嘲が口から漏れ出てしまう。
人族を守る使命の下、魔物を殺し殺し殺し、竜をも殺し殺し殺し、時に同じ人間さえも手にかけ、挙句に敬愛する師匠へとトドメを刺した俺は、最後には何もかもを人族から奪われた。
「ああ。そういえば、何気に一人旅はこれが初めてだったな……」
過去の記憶を辿れば、まず苦い思いが湧き出て来るが、決して悲しい事ばかりではない。
瞼の下に浮かぶ情景の中では、いつも俺の隣にアルテナの――最愛の女性の姿があった。
一つ年上の彼女は、俺が道に迷った時、いつだってその手を引いて導いてくれた。
太陽のように眩しいその笑顔は、転生した今も脳裏に強く焼き付いている。
ダミア村の両親や村人たち、指導してくれたイエオネス、みんな優しい人達ばかりだった。
だがそれらは過ぎし日の残光だ。
俺の掌から零れ落ち、この世界から失われた。
「待っていろ三英雄ども! まずはお前からだ、サラティガ! その血でもって復讐の狼煙を上げてやる!」
剣聖サラティガ――いまは剣神などと大仰な称号で呼ばれている男が、帝都ガストリアにいる。
魔王を打ち取った英雄として、それはそれは丁重な扱いを受けているようだ。
精々今はその栄光の日々を謳歌するといい。
すぐに奈落へと叩き落としてやる! この手で必ず!
そんな昏い妄想に耽りながら、一人石畳の上を歩いていく。
孤独な旅路だったが、途中までは概ね順調だと言えた。
ロイたちが大容量のマジックバッグを持っていたおかげで、荷物の扱いにもそう困ってはいない。金を出しても中々手に入らない品なので、その点は感謝してやってもいい。
帝都までの街道も思ったほどは荒れてはいなかった。
決して治安が良いとは言えないが、無理をせずに夜道は避ける事、移動の際にはなるべく他の商隊に紛れる事。
そんな基本を堅守することで、危険は避けられていた。
あの時までは。
◆
「どうも空が怪しいな。雨が降らなければ良いんだが……」
上の方を仰ぎ見ると、雲によって陽の光が遮られていた。
辺りは薄暗く、街道全体の雰囲気さえも何だか昏さを孕んでいるように感じられる。
俺の視界では、大小様々な馬車が列を成し進んでいた。
その数20台を優に超えており、その周囲には馬に乗った護衛らしき姿も多数伺える。
そんな彼らから付かず離れずの位置を俺は歩いていた。
別に連中と知り合いなどではない。ただの魔物除け、盗賊除けに利用させてもらっているだけだ。
何といってもあれ程の大集団だからな。
盗賊はもちろん魔物だって襲おうとはしないだろう、普通なら。
だがこの後、尋常ならざる存在が彼らを襲うこととなる。
「なんだと……なにが起きた!?」
ズドォォンという破砕音と共に、先頭を進んでいた1台の馬車が、いきなり押し潰されるのが見えた。
それをやったのは、馬鹿みたいに巨大なドラゴンだった。
小さな馬車くらいなら軽く丸のみ出来そうなほどの巨体を持つ化け物が、突如として上空から飛来し襲撃を仕掛けてきたのだ。
商隊の護衛たちはもちろん、この俺の警戒さえも軽くすり抜けて、だ。
全身に悪寒が駆け巡る。
「な、なんだ!?」
「ひ、ひぃ! 化け物だぁ!!」
「みな、落ち着け! 持ち場へと急げ! 務めを果たすんだ!」
突然出現した漆黒のドラゴンを前に、慌てふためく護衛たち。
だがリーダーらしき人物がそう声を張り上げた事で、すぐに態勢を立て直していく。
なんとも勇ましく冷静な判断ではあったが、しかし状況を好転させるには至らない。
「……アレはまさか?」
そのドラゴンは全身を艶めく黒い鱗で覆われていた。
その姿に俺はどこか見覚えがあった。
もし推測が正しければ、決して戦っていい相手じゃない。
すぐさま周囲を見回し、近場にあった岩陰へとその身を潜ませる。
「一斉にしかけるぞ!」
リーダーの男の合図に、護衛たちが漆黒のドラゴンへと向けて、次々と攻撃を放っていく。
幾重にも矢や魔法が放たれ、その全身へと突き刺さるが、しかし傷一つ生じさせる事なく弾かれていく。
目も眩むような堅牢さだった。
しかもそのドラゴンは、ただデカく頑丈なだけではなかった。
「グゴォァァァァッ!!」
咆哮が轟いた。
それは遠くに居るはずの俺の脳髄まで揺さぶる程の巨大な咆哮だった。
直後そのドラゴンの傍にいくつもの巨大な魔方陣が浮かび上がり、そこから炎の魔法が多数放たれた。
「なっ!? まさか逃げ道を!?」
その炎は、護衛たちの排除を目的とはしていなかった。
ただ商隊を取り囲むようにして巨大な円を描き、それが炎の壁となって屹立する。
一瞬のうちに、その場は灼熱の牢獄と化してしまった。
「なんで……こんな所に奴が……?」
一連の行動で、推測は確信へと変わった。
当時は今ほどの巨体では無かったため半信半疑だったが、まず間違いないだろう。
「魔王竜ジルニトラ……」
それは、この大陸に住まう全てのドラゴンたちを統べる王の名だった。
同時に魔王イエオネスの騎竜としても知られていた存在だ。
俺とイエオネスとの決戦に際し、奴はその姿を見せなかった。
当時はその事を訝しんだりもしたが、今となってはその理由も大体の察しはつく。
一つはジルニトラが代替わりしたばかりであり、まだ成長途上の若い個体であったこと。
自身の死を覚悟していたイエオネスは、まだ年若いドラゴンを巻き込みたくなかったのだと思う。
そしてもう一つ。
かつての俺と同じく、奴にもまた託された願いがあったのだろう。
俺は思い出す。
死闘の最中、イエオネスから託された最後の願いを。
「次代の魔王――ミーティスをどうか助けてあげて欲しい」
それが奴が俺に託した願い、それを告げる言葉だった。
魔王であるイエオネスには、多くの子供たちが存在する。
別に奴が色欲に溺れた男だったという話ではない。
単に魔王という存在が背負う役割のせいだった。
魔族男性の中で、生殖能力を持つのは魔王ただ一人だけ。それ以外の魔族男性は子孫を残すことが出来ない。
一方で魔族女性は魔王だけではなく他種族とも交われるが、その場合に生まれる子供は必ず男性側と同じ種族となる。
すなわち魔族がその数を増やすには、魔王がひたすら頑張るしかなかった。
生まれながらに魔法を扱え、身体能力にも恵まれた彼らだったが、種族としてはひどく不安定な存在でもあったと言える。
そんな魔族たちにあって、ごく稀に親と運命を共有しない個体が生まれる事があるそうだ。
それこそがイエオネスの言うところの次代の魔王――ミーティスの存在となる。
とはいえ俺自身はミーティスと直接面識を持ってはいなかった。
奴の話しぶりからしても、どうも生まれて間もない様子だったしな。
精々今の俺よりもちょっとだけ年上――多分まだ20にも満たないだろう。
強力な魔族や魔王とて幼い頃は、人間同様に脆い存在だ。
その成長過程で庇護者の存在はやはり不可欠となる。
普通は親であるイエオネスがその役目を務めるべきなのだろうが、俺がこの手で殺してしまった。
なのでその役割を、代わりにジルニトラが担っている。
俺はそう考えていたのだが……。
「まさか、あの商隊の中に魔族が――ひょっとするとミーティスがいるのか?」
推測に推測を重ねた話だが、あり得ない話だとも言い切れない。
とはいえここからでは確認する術もなく、燃え盛る牢獄の中で繰り広げられる惨状を、俺はただ眺めるしか出来ずにいた。