15 解放
目隠しをされ、これから何をされるのかと恐怖して俺だが、意外なことに悪意の刃を突き立てられることはなかった。
「(こいつ……俺の身体に何をしてやがる!?)」
ただ全身のあちこちに、こそばゆさが生じていく。
慣れない感覚ではあったが不思議と不快な感じはしない。そのうちにこそばゆさは消え、やがて全身がスッキリとした感覚に包まれていく。
「(くそっ、訳が分からねぇぞ……)」
特別何かされた様子はない。
少なくとも背後の気配に大きな動きはなく、ただ強い視線が注がれているのを感じるだけだ。
「(こいつ、何か特殊なギフト持ちなのか?)」
その辺、俺はあんまり詳しくねぇんだが、まあ十分あり得る話だと思う。
問題はどんな能力か、なんだが……。
あれこれと想像を巡らせてみるが、こうして目を塞がれてしまっては結局何も分かりはしない。
「(今のとこ、こっちをいたぶる気配はねぇが……)」
かといって安心も出来ない。
最後に見せたあの邪悪な笑みは、どう見ても好意的ではなかったからな。
暗闇の中で、ただ時間だけが流れていく。
相変わらずアロンは声を発することはなく、風の音以外はほとんど静寂であり、それがいっそうの不安を掻き立てる。
「(……ん? 何だこの感じ?)」
先程よりも強いこそばゆさが、右肩へと生じた。
「((ホント訳分からねぇぞ! くそっ、何か言えよ、根暗なガキめ!)」
心中でそう毒づくも、刻一刻とその感覚は増していく。
「(あー。もう、くそっ、どうにでもなりやがれ!)」
尋ねたくても発声禁止の命令が撤回されていない以上、声をあげることは出来ない。
ならばと俺はもう全てを無視して、内側へと意識を向けることにした。
充実していた過去の記憶へと。
「ははっ、やったぞ!」
ふとそんな喜びに満ちた声が背後から響き、俺は現実へと引き戻された。
気が付けば、むず痒さは消え失せていた。
「(ったく、なんだったってんだよ……)」
確認した限り、俺の身体には目立った異常は生じていない。
一番違和感を大きく感じた右腕の方にも、特に変化はない。
それを証明するように、こうして手を閉じたり開いたりだって、ちゃんと出来る。
「(……ん?)」
その思考にどこか引っ掛かりを覚えるが、正体に思いを巡らせるよりも先に、またしても激痛に襲われた。
「ぐぁぁぁ!?」
「やれやれ、お前は馬鹿か? はぁ……もういい、動くことを許そう。別に喋っても構わないぞ。ただし大声はあげてくれるなよ」
「ぜぇ……はぁはぁ……」
許可が出た事で、首輪の制裁が止んだ。
荒ぶった呼吸を落ち着かせながら、目隠しを外して振り返り、背後に立つガキの姿を強く睨み付ける。
「ふん、何か言いたげな表情だな?」
「てめぇ、俺に何をしやがった?」
ドスを聞かせた声でそう威圧するも、どこ吹く風だ。
成りの小ささに見合わない堂々とした態度に、逆にこっちが気圧されちまう。
「何を、か? そんなもの、自分の目で確かめればいいだろう?」
こちらへと顎をクイッと動かして、そう雑に言い放つ。
言われるままに、俺は自身の身体を見下ろしていく。
「……なんだこりゃ? 傷が全部塞がってやがるだと? てめぇ、御業を使えたのか?」
神に許された者だけに扱える癒しの技だが、ローゼム教会に所属していないと扱えないはず。
教会にとっては大事な飯の種でもあり、仮に才能があったにしろ、普通はこんな貧民街のガキに教える訳ないと思うんだが……。
「さてな。それよりも感謝の言葉はないのか?」
「ちっ、まあ助かったよ」
そのあからさまな礼の催促に対し、そう吐き捨てる。
「やれやれ、まったく足りないぞ。それともまだ気付いていないのか? 自身の右腕の――いや全身の変化に……」
「ああん、右腕だぁ……へっ?」
やや呆れたような顔で、奴がそう告げてくる。
対して俺は言い返そうとして、つい間抜けな声が漏れ出てしまう。
「ようやく気付いたのか、本当に鈍い奴だな。頭の悪さまでは流石に治してはやれないぞ?」
「う、うるせぇよ! てか、こりゃぁどういうこった!?」
部位欠損の修復は、御業の中でも秘中の秘のはずだ。
それをこんな貧相なガキが使える? 馬鹿を言え!
だが現実には、俺の右腕は見事に修復されている。
理解がまるで追いつかない。
「誰がお前になど教えるか。それよりも身体の調子に問題はないか?」
「あ、ああ……。むしろ好調過ぎるくらいだな……。てか、なんでだ……?」
奴隷として貧しい食生活を送っていたせいで、衰退しきっていたはずの俺の筋肉。
だが今は元の躍動を取り戻して、瑞々しい肉感を放っていた。それこそ全盛期の頃と同じ様にだ。
「ふむ。特に目立った不都合はない様子だが、流石に若返らせることまでは無理だったか」
俺の顔をジロジロと見つめながら、そう言う。
「うるせぇよ! てか若返りなんて別に要らねぇよ! 大体俺はまだ25なんだぞ!」
「そうだったのか……。それは……そのなんだ、失礼したな」
俺の指摘に酷く驚き、それからどこか気まずそうに顔を背けた。
くそっ、こいつ俺をいくつだと思ってやがったんだ。
まあ俺が老け顔なのは事実なんだが、年寄り扱いはやっぱムカつくぞ。
「そんなことよりもだ! てめぇ、俺の身体に一体何をしやがった!」
「だからお前に教える義理など無いと言っている。だが、まあ安心しろ、副作用などは別段ないはずだ。もっとも俺の推測が正しければだがな」
「……なんだよ、それ。全然安心出来ねぇじゃねぇか!」
喜んでいいのか、不安がっていいのか、良く分からない状況だな。
ったくよー。
「はぁ、もういい。で、ご主人様はこれから俺に何をさせるつもりなんだ?」
何にせよ、俺の肉体に驚くべき治療の技が施されたのは事実だ。
しかし奴隷相手に何の対価もなく行うとも思えない。
だからそう尋ねたのだが……。
「別に何も? もうお前は用済みだからな。かといって今すぐ奴隷から解放するのも、少し危険か……」
「解放……? てめぇ、何を言って……?」
「確かお前は故郷へ――王国へ帰りたいのだったな。ではこうしようか。主として命じるぞ、バラックよ。以後、俺に近づくことなく王国へ戻れ。そうすれば奴隷の身から解放してやろう」
「……はぁ?」
思わずそう問い返すも「理解に遅い奴だな」とただ顔を竦めるだけ。
「本気で言ってんのかよ? てか、護衛用に買ったんじゃねぇのか?」
「一応そのつもりだったが、寝首を掻くなどと堂々と宣言している男を傍に置くよりは、一人旅の方がまだマシだと判断した」
「あー……」
確かにそんな風なことを言った記憶もあった。
とはいえそれはタダの脅しだ。
こんなガキ相手に、本当にやるつもりなんか無かったんだがな……。
「なんだ、その……お前も色々あったみてぇだな……」
その無駄に鋭い目つきも、実はただの人間不信なだけ、そんな風にも思えて来る。
「なぁ。もしあれだったら……」
同情心とも共感ともつかない何かが、内側から湧き上がって来る。
衝動的に俺は「目的地まで護衛してやろうか」と口にしようと、一歩奴へと近づいた。
「って、ぐがぁぁぁ!?」
「お前……本当に馬鹿なのか? はぁ……。ともかく俺の用はもう済んだ。後は好きにするがいい」
少し可哀想なモノを見るような視線を寄せた後、アロンは本当に俺を放置したまま、このボロ屋を去っていった。
かくして俺はかつての強靭な肉体を取り戻し、自由の身となった。
好きに扱えと言わんばかりに捨て置かれた剣と僅かな金貨を手に、故郷を目指し旅立っていく。