14 実験
俺の前には一人のガキが立っていた。チビでやせ細っているが、これでも一応成人済みらしい。
こいつが今さっき俺のご主人様となったアロンだ。
そして今居るこの薄汚れたボロ屋こそが、どうやらこいつの住居らしかった。
その癖、なんで俺を――奴隷なんて買える金を持っているのか、その理由はさっぱりだ。偶々拾った金か、あるいは何か悪事に手を染めて得た金か。
まあロクな出所じゃない事だけは確かだろう。
ただコイツのやけに鋭い目つきと妙な自信に溢れた喋り口調が、俺に興味を抱かせた。
だからか大した抵抗をすることもなく買われてやることにした。もっとも奴隷の俺に元々選択権なんて無いんだけどな。
そして現在、予想外の言葉を投げかけられ、俺は驚きの声をあげていた。
「では主として命じるぞ、バラック。これから一切の身動きを禁じる!」
「なっ!? てめぇまさ――」
まさか護衛用というのは方便で、ただ俺を嬲る気だったのか?
実際にこれまで俺を買った連中には、そんな下種どもが何人もいた。
お蔭で、俺の肉体はこんなボロボロの有様だ。
「おっと、お喋りも禁止だ」
抗議は半ばで遮られ、発声さえも禁じられてしまう。
だが開きかけた口は急には止まれない。
勢いのまま主の命を破ってしまった俺は、首輪から制裁を受ける羽目となる。
「ぐがぁっっっ!!」
全身をバラバラに引き裂くような痛みを前に悲鳴を上げる。
思わず膝を落とし床へと尻餅をついてしまう。
「っっっ……」
再度の命令違反に対し、また制裁が発動する。
再びの激痛に声が漏れそうになるも、今度はどうにか踏み留まることが出来た。
「(これ以上好き勝手されてたまるかよっ!)」
ここで痛みにまた声を漏らせば制裁が再び発動してしまう。そうなればもう無限ループだ。
意図的にそれを起こさせ、意識を失えないまま死んでいった奴を俺は何人も見てきた。
その表情は一様に苦痛で歪み切っており、とても真似したいとは思えない最後だった。
だから必死で俺は声を殺し続け、やっとで首輪からの制裁が完全に収まる。
「なぁに安心するといいさ。呼吸までは禁じていないのだから、死ぬことはない」
荒ぶった息を整え、激しく波打つ胸の鼓動をどうにか収めようと奮闘している俺に対し、邪悪な笑みを浮かべながら、そう告げて来る。
「(くそっ! こいつ楽しんでやがるな!)」
目つきの悪さ以上に、その本性は極悪だったようだ。
だがここで下手に動けば、それこそ思うつぼだろう。
だから今は静かに反撃の機会を待つべきだと決意し、俺は表情を消していく。
「ようやく静かになったな。では本番といこうか」
どこか楽しそうにそう告げたアロンが、俺の背後へと回り込んでいく。
「ふむ……これは少し邪魔だな」
ボロボロの上着が剥ぎ取られ、傷だらけの上半身を剥き出しにされた。
「(くそっ! 何をするつもりだ!?)」
続いてガサゴソと何かを取り出す音が聞こえた後、目の前が急に暗くなる。
どうも布か何かを被せられたようだ。
身動きを――発声さえも封じられ、ついには視界さえも奪われた。
今の俺に感じられるのは、背後にある気配と隙間風の吹く音だけ。
それ以上の状況は何も分からず、心が恐怖にゆっくりと浸食されていく。
◆
「(さて、これで状況は全てクリアとなった。では始めようか)」
床に座り大人しくなったバラックの姿を見て、俺は行動を開始する。
「(ステータスオープン!)」
そうして俺の右目が妖しく輝いた。
▽
名前:バラック
種族:人族
Lv:119
生命力:5228/13173
魔力:4032/4451
神聖力:0/0
力:428
体力:369
知力:286
信仰心:36
敏捷:202
器用:190
運:107
△
「(では実験させてもらうぞ)」
バラックを購入したのは、旅の護衛をさせる為などではなかった。
見る限り極悪人ではないのだろうが、やはりこいつも人族なのだ。ならば決して信の置ける相手ではない。
今のところ契約自体はちゃんと機能している様子だが、それも一体どこまで信用できるものか。
「(奴隷商の奴もそう言っていたしな)」
交わした契約書には、奴隷の行動によって生じた不利益に関し、一切の責任を負わない旨が記されていた。要するに、奴隷の反逆自体がよくある話ということなのだろう。
「(首輪による従属は飽くまで表面上だけ、命じた言葉にただ従わせるだけに過ぎない。もし命令に漏れがあれば、いくらでも抜け道はある)」
身動きを禁じても口は開けたように、相手の解釈次第によって効果は変わる。
もしこちらの意図と異なる受け取り方をされれば、思わぬ落とし穴へとハマることなど十分にあり得る話だった。
「(無用なリスクを背負うくらいなら、一人旅の方がマシだ)」
それでも高い金を支払ってまでこの男を購入したのは、一つ試したいことがあったからだ。
そのためにバラックの存在は何かと好都合だった。
「(果たしてどこまでの奇跡が、この右目には許されているのかな?)」
少しの期待感を抱きながら、バラックのステータスを見つめる。
「(まずは生命力の現在値からだな)」
失われた生命力を回復させることで、連鎖的に傷が癒える。これは既知の事実だ。
だが、既に失われてしまった腕などは、果たしてどうなるのか?
部位の再生は、御業の中でも最上位の難業とされる。
右目で、その代行が可能かどうかを検証することは、後に必ず役に立つはずだ。
「(では確かめさせてもらうぞ)」
目隠しをされ、恐怖に怯える男の背中を見つめながら、俺はステータス操作を開始する。
8125、8126、8127……
生命力の上昇と共に、全身に刻まれた無数の傷が少しずつ癒えていく。
だが失われた腕の方に、変化は見られない。
「(ふむ。これではダメか)」
顎へと手を当てながら状況を整理する。
生命力を最大値まで上昇させることで傷は全て完治したようだが、残念ながら失った腕の再生には至らなかった。
「(では、これならどうかな?)」
続いて俺は、視線を少し右へと向ける。
「(現在値を全快させても、既に失われた部位は元に戻らない。ならば最大値の方を弄ればどうなる?)」
その仮説の基づき、再び右目の力を行使する。
22356、22357、22358……
今度は、生命力の最大値が上昇していく。
「(いまのところ目立った変化は見られないが……ん?)」
僅かだが、数値の上昇が減速したように感じられた。
「(力を弱めたつもりはないが……?)」
かといって限界へと達した訳でもなく、数値の上昇は今も続いている。
そこに何かしらの引っ掛かりを覚えた俺は、バラックの肉体を改めて注視する。
「(ほぉ、これは……)」
思わず感嘆の吐息を漏らす。
見ればバラックの右肩の下の肉が、微かに震えていた。
それも恐怖による怯えではなく、もっと生命力に溢れた細やかな躍動だった。
望んでいた現実が近くにあることを俺は確信し、興奮を高めながら実験を継続していく。
「ははっ、やったぞ!」
そして、ついにそれは形となった。
思わず俺は声をあげる。
突然の大声にバラックが身体をビクッと震わせるが、今は無視だ。
▽
名前:バラック
種族:人族
Lv:119
生命力:13289/38318(+25142)
魔力:4032/4860(+405)
神聖力:0/0
力:738(+310)
体力:714(+345)
知力:286
信仰心:36
敏捷:274(+72)
器用:202(+12)
運:107
△
バラックの肉体は、失っていた右腕を完全に取り戻していた。
ステータスウインドウを一度閉じても、そこに変化はない。
いや、奴が取り戻したのはそれだけではなかった。
全身から生命力を漲らせ、かつての鍛え上げられた筋肉が存在感を強く主張していた。
「(推測は正しかった……いやそれ以上の結果だと言えるな。俺の右目は、奇跡の領域さえも土足で踏み超えていくらしい。ははっ、素晴らしい話じゃないか!)」
御業で為せるのは、しょせん欠損部位の修復が限界だ。
だが、俺の右目はそれ以上のことをあっさりと成し遂げた。しかも特別な対価を支払う事さえなくだ。
想定を超える結果を前にして、俺は両手を上げて歓喜に打ち震えた。