2. 転校初日
俺は今、ジャージ姿の男教師に続いて、とある高校の廊下を歩いている。朝日の差し込む廊下は、がやがやと騒がしい。
窓際では、数人の生徒たちが談笑していた。彼らの仕草はなんとなく落ち着いていて、品を感じる。
周りを見回してみても、制服を着崩している生徒や、大声で下品に笑う生徒なんて見当たらなかった。
ここは私立瑞蘭高校。偏差値70の有名進学校である。
実は俺、奥藤 晶は今日この学校に転入してきた。
理由はどうってことない、父親の転勤。編入試験を経て、俺はここにいる。
瑞蘭は進学校として全国的にも有名だが、かつても偏差値70近い学校に通っていた俺にとって、瑞蘭は別段特別な存在ではなかった。
……しかし、あくまで学力的な意味でだ。
初日早々、俺は瑞蘭特有の高貴な雰囲気にのまれてしまっていた。
辺りを見渡せば、どこか大人っぽいお嬢様やお坊っちゃまばかりで、学校全体の雰囲気が垢抜けているのだ。
一般家庭出身の俺が、こんな学校に馴染めるのだろうか。まず価値観から違いそうだ。
初日から学校生活に暗い思いを巡らせていると、
「お前らあ! はよ席着けえや!」
まだホームルーム開始五分前にも関わらず、俺の前を歩く教師が怒鳴った。
たったそれだけで、廊下で談笑していた生徒たちは教室へと退散していく。
俺はというと嫌だなあ朝っぱらから、と顔をしかめたというのに。
流石瑞蘭生だ。誰も嫌そうな顔をせず、しかも優雅に去っていく姿は、感無量である。
男教師も、それがさも当たり前かの様に澄まし顔をしている。
この教師の名は、山名。俺の担任となる教師。
鋭い眼光の宿った目と頑強な体は、俺が見てきた教師の中で一番怖い。
しかし先程喋ってみると人の良さそうなおっさんだった。
人は見た目じゃないんだな。
俺が呑気にそんなことを考えている間にも、山名はいくつもの教室を素通りしていく。
どの教室も俺が前を通ると、好奇に満ちた視線が教室の窓を射抜いた。
こんなに注目されたのは人生初だ。自然と背筋が伸びた。
緊張しながらも、しっかり前を向いて歩く。気を抜いてはならない。ここでの俺の動作で、俺の第一印象が決まるのだ。
所詮庶民だと舐められてはならないだろう。
俺とは対照的に、山名は視線を気にも留めずに奥へと向かった。
やはり教師という職業柄、視線には慣れているのだろう。
いや、普通にそういうの気にしない人なのかもしれない。
見た目からしてサバサバしてそうだもんな。
……いや、待てよ。
人は見た目じゃないって、さっき実感したばかりじゃねえか。何してんだ俺は。
一度学んだことは忘れない男じゃなかったのかよ。
まったく、だからお前は……うおっ、危ねえ。
俺の思考は途中で遮られた。山名が一番奥の教室の前で立ち止まったのだ。
「ここが今日からお前の通うクラス、1年6組だ」
山名がニカっと笑って言う。
1年6組、か。
俺はこれから通うこととなる教室の戸を見上げた。
校舎の端にあるクラスだからか、陰気な空気を纏っている気がする。
新しい学校生活には不安なこともある。
でも、俺の心の大部分を占めるのは、高揚感だった。
どうせなら最高のものにしてやる……!
心の中でそう宣言すると、俺は山名の目を見据え、頷く。
山名はそんな俺を見て頷きを返した。それから戸へ向き直る。
山名の手が戸にかけられると、俺の胸はますます高鳴った。
そして音もなく、滑るように戸が開かれる。
山名は、おはようございまーす、と言いながらズケズケと教室に入っていった。
戸の前に取り残された俺は、緊張しながらも戸の前に立つ。
前を見据えると深く息を吸い、俺は教室へと足を踏み入れた。
その瞬間、囁き声や話し声に満ちていた教室は、水を打った様に静まり返った。
空気はピンと張り詰め、山名と俺の足音だけがやけに響き渡る。
まるで針の様に俺に突き刺さる視線、重石の様に伸し掛る沈黙。
視線から感じられるのは好奇ではなく敵意。
視線と沈黙による圧迫感で、息をするのも苦しいほどだ。
……何かがおかしい。
俺は違和感を拭えないでいた。
確かに転校生がが珍しいのはわかるが、普通ここまで張り詰めた空気になるのか。
そこの女子は顔色が悪いし、そこの男子の目なんか殺気立っている。
俺の胸は、嫌な予感にざわめき立った。
「この前言ったと思うが、転校生だ」
山名はそんな視線に気付いていないのか、教卓の後ろに立つとゆったりと俺を紹介する。
「おい、こっち来て自己紹介しろ」
俺は素直に従って教卓へ向かった。その間も、視線の刃は俺に纏わりつく。
「父の転勤で引っ越してきました、奥藤 晶です。これからどうぞよろしくお願いします」
身体を射抜かんとする視線の中、俺はなんとか声を絞り出した。
この空気の中での自己紹介にしては上出来だったと思う。緊張しない山名のほうが異常なのだ。
しかし、些か緊張しなさ過ぎではないだろうか。
もしやこのクラスではこれが通常なのだろうか。
それで山名には耐性が付いてしまったのか……?
だってどう考えても異常だ。先程から視線に動じることが全くない。これで視線に気付いていないだけなのならば、相当な馬k……えへん、頭が鈍いお方だ。
しかし、慣れるまでこの視線地獄に居させられたのか……?
俺は山名のに哀れみの目を向ける。
「はいじゃあ奥藤に質問あるやつ〜!」
そんな失礼なことを思っていた所為か、山名が思わぬタイミングで爆弾を投下した。
ちょ待って!?
これ絶対質問する人いないよ!?
全員俺に敵意剥き出しだよね!?
俺が恥かくパターンだろ!? ねえ山名察して!?
ごめんてば! さっき哀れみの視線送ったの謝るからさ、ねえ!?
俺は焦りながらクラスメイトを見る。そこには殺気立ったたくさんの目と、誰も手を挙げていない光景が広がっているはずだった。
しかし俺は次の瞬間絶句する。
なんと、クラスメイト全員が手を挙げていたのだ。
いや、なんで!?
お前ら俺のこと嫌いじゃなかったのかよ!? 新手のイジメか!?
そんな光景を見て山名が嬉しそうに口を開く。
「やっぱりなあ〜! お前ら奥藤に興味深々って感じだったもんな!」
「どこがや!」
興味どころか殺意抱かれてた気がするのですが先生!? 鈍感すぎだろ嫌味か!?
やっぱお前、視線に慣れた訳じゃなくてただ気付いてないだけなんじゃね!?
「まあまあ、ほら奥藤お前が当ててやれ」
俺のツッコミを華麗にかわして、山名はなんと俺に当てろと言う。
やはりか、お前はただのバk……えへん頭の鈍いお方だ。
まあ今はそんなことを考察してる場合じゃない、俺に質問がある奴を当ててあげなければ。
ずっと手を挙げ続けるのは辛かろう。
「……じゃあ、そこの君」
俺は無難に、教卓の前の席の男子を当てる。
大人しそうな顔の男子だが、俺を見る目は鋭い。
「君じゃない。僕には足長 伸一と言う名がある」
「ごめん…!?」
これ絶対俺嫌われてんなあ!?
俺何かした!?
しかしこれ以上好感度を下げるわけには行かない。
素直に謝っておく。
「問題ない。ところで質問なんだけど、奥藤君はどこ出身なの?」
「あ、言い忘れてました。出身は和歌山県です」
俺がそう言った途端に教室が騒めく。
なんだなんだどうした。和歌山がそんなに珍しいか。みかんと梅干しが美味いだけだぞ。
「……もしかして、高野山出身、とか?」
足長君はゆっくりと俺に問う。
彼の声は震えているようだった。
「なぜわかった……?」
俺は驚きに胸が詰まる。
そう、俺は和歌山県高野山出身。
大昔に偉い僧がとある仏教の宗派をひらいたことで有名な場所だ。
全国的にも有名なパワースポットである。
なぜ彼にそれが分かったのか。
俺の心の騒めきと比例して教室内も騒がしくなる。
「やはりか!」
「畜生!俺らの学校生活もこれで終わりだい!」
「なんで来たんだよ!」
クラスメイトは三者三様の言葉を口にする。
なぜ出身地言っただけでそんなこと言われなきゃならないのだ……。
もう怒りを通り越して、悲しみを感じる。
「はいはーい、みんな転校生が来て嬉しいのは分かるが静かになー」
山名は呑気に微笑みながらそんなことを言う。
いや全然嬉しそうには見えないから。
お前の目は節穴どころかケツの穴だろ。
「なぜ分かったかだって……? そんなに法力を纏っていたら分かるに決まってるだろう!」
足長君が怒ったように言う。
「……は? 法力? 今、法力って言った?」
法力。俺にも馴染みのある言葉だ。
その言葉を足長君の口から聞けたことに、俺は驚きを隠せなかった。
聞き間違えではないだろう。俺は耳が良いほうだし、別に老化が進んでいる訳でもない。
「ああ、僕は確かにそう言った」
足長君は俺を睨みながらも頷く。
法力、それは住職である爺ちゃんがよく口にする仏教用語だった。
仏の道を極めた僧などが持つ神聖な力、それが法力だ。
物怪などという邪悪な存在や、人間の持つ悩みや欲などをを清め祓うことができる力である。
俺の爺ちゃんは高野山で住職をやっていて、仏を心から信仰している。
だからもちろん、法力という力のことも、仏からの恵みとして信じていた。
経を唱えれば御仏が法力を与え守ってくださる、と繰り返し聞かされたものだ。
そう言い聞かされると同時に、経もよく覚えさせられた。
しかし、それ程熱心に洗脳……げふん教育をされても、ただの一般人の俺が法力を本気で信じる訳がなかった。
仏の教えについては割と自分の生き方の参考にしているが、法力とか言う力のことは、悪いものを追い払う架空の力、程度の認識しかない。
俺が法力を纏っている?そんな訳がないだろう。法力は架空の力でしかない。
ハッ!
もしかして、足長君は、中学2年生が患いやすいあの病を患っているのか?
だとしたらここは乗ってあげたほうが仲良くなれるだろうか?
「クククッ…俺の法力が溢れ出す……」
中2のとき練習したカッコいいポーズを決めて、俺は不気味に見えるように笑う。
「とぼけるな。親戚に僧でもいるのか知らんが、君の持つ法力は強力だ」
足長君は俺を睨む。俺の渾身のボケはスルーされた。
「足長君には法力が見えるの? もしかして霊感が強いとかそういう人?」
悔しいので厨二病の足長君には話を振ってあげるとしよう。
さあて、君はどんな設定を語り出すのかなあ?
「見える訳じゃない。感じるだけ。それに君の法力を感じ取ってるのは僕だけじゃない。このクラスの全員が君の力に気付いてる。だから君に敵意を向けてるんだよ」
フッ、アホめ。引っかかったな。
クラスメイトの前で設定を公開したお前のこれからの学校生活は黒歴史となるだろう!
そんな俺に、足長君が氷の様に冷たい眼差しを向ける。
おっと危ねえ。思わずにやけてしまっていた様だ。
「君はどこまで僕らを侮辱するつもりなんだ!」
あ、足長君を本気で怒らせてしもうた。
ごめんな。ちょっと馬鹿にしすぎたな、俺。
「はい、お喋りはそこまで。続きは休憩時間にな。じゃあホームルーム始めるぞー」
俺が足長君に謝ろうとすると、山名が会話を中断させてしまった。
足長君の公開処刑を止めてあげるなんて、ほんと良いおっさんだよな。
見かけによらず。
すると、クラスメイトの1人が立ち上がる。
切れ長吊り目のひょろりとした男子だ。先程から殺気を放っている男子である。
それにしてもどうしたのだろう。足長君の公開処刑でも続行するつもりだろうか。
「クラスで話し合うべきことがある。全員放課後残れ」
彼はクラス全体に向けて発言した。彼の放課後に残れという命令に、異議を唱える者は誰も居ない。きっとクラスの中心的人物なのだろう。
しかし、放課後何をするつもりだ。
彼は相変わらず俺に冷ややかな眼差しを向けている。
もしかして、俺が公開処刑し返されるのか……?
むむむ、やばいな、クラスの中心的人物に目をつけられてしまった。
緊急事態だろう。
しかし、ピンチはチャンスと言うではないか。
ここは俺の眠れる力、法力を発動するチャンス!
放課後、ポキポキと指を鳴らし俺に近づいてくる吊り目。
そして下賤な笑みを浮かべるその取り巻き達。
俺は壁際に追い詰められる。
ここまでか……、俺がそう思ったその時!
俺の体から金色の光が溢れ出し、今まで感じたことのない程の膨大な力がみなぎった。
俺の内なる力が目覚めた瞬間だ。
気付けば吊り目達は床にひれ伏していた。
勝利の女神が微笑んだのは、俺のほうだった……!
ふふふ……これは神が与えてくださったチャンス!
神に祈りを!
あ、俺が信仰するの仏だったわ。
「お、早速かあ。先生はいないほうが良いか?」
全く危機感のない声で山名が吊り目に聞く。
可愛い教え子が危機に瀕しているというのに。こいつ、よく今まで教師やってこれたな。
「先生はご退室願います」
切れ長吊り目は言う。
山名は了解、と短く頷いた。
俺としては山名がいてくれたほうが安心できたのだが、仕方がない。
今までだって沢山のピンチを切り抜けてきた。今回だって大丈夫さ。気楽に逝こ…行こう!
その後、切れ長吊り目が着席すると、山名がホームルームを始める。
俺は一番後ろの席に座らされた。
左隣は結構可愛い女子だったが、目を合わせてもくれなかった。
ちなみに右隣は席が無い。
何もしていないのに、どうやら登校初日からクラスメイトを敵に回してしまったようだ。
俺の学校生活は溜息から始まった。