第6話 薔薇妃の資格?クーリングオフを希望します。
薔薇妃の間に戻り、マリアは扉の前でジュリアに礼をし、1人その場を去っていった。
パタンと扉を閉める音が聞こえると、ジュリアは改めて自分付きの女官達を見回した。
「それでは自己紹介をお願いしようかしら。」
ジュリアがニッコリとほほ笑むと、未だ緊張の取れない女官達がお互いに視線を交わし、やがて一番左にいた赤毛の女官がスッと前に出た。
「お初にお目にかかります、薔薇妃様。私は薔薇妃様付き筆頭女官のカエラ・アドニスと申します。薔薇妃様の手となり、足となり、お仕えさせていただく所存いございます。」
そう言って頭を下げ、少し間をおいて顔を上げると、そこには頼りがいのあるしっかりとした茶色い瞳がジュリアを見つめていた。
「そう、よろしく頼みますわね。」
ジュリアが返事をすると、他の4人の女官達が次々に挨拶をした。
強めのパーマがかかったヘーゼルナッツ色の髪が結い上げられたお団子の髪から一筋流れ出ている1番小柄な女官がパメラ・べドモンド。
薄紫色の髪に、細めのアメジスト色の瞳の落ち着いた雰囲気の女官がユーリ・ミラージュ。
黒みがかった深い緑の髪と瞳をした、猫目の少しきつい印象のある女官がルカ・アゼルプラート。
アッシュ色の髪に温かみのあるオレンジ色の瞳をした物腰の静かな優しい印象の女官がミランダ・カーラス。
いずれも男爵家の令嬢とのことだ。
後宮の女官は貴族の令嬢が条件となる。理由は身元が確かであることと、魔力があることが求められているからだ。
だが、そうはいっても本来それなりの所に嫁ぐべき令嬢たちが、婚姻もせず、女官として勤めているのは彼女たちにも事情があるからである。彼女たちの身分はあまり裕福ではない貴族令嬢。また、本人たちも魔力はあるものの、秀でているほどの能力ではなく、結婚に優位になるほどの魔力はない。また長女ではなく次女や三女といったあまり重要視されない立場だったり、妾の子供だったり、貴族の令嬢だけれども、伝統と格式を重んじ、また魔力の大きさが左右する貴族の結婚に置いて価値がない彼女たちは後宮に女官として勤めあげざるを得ないというのがその理由に当たる。まぁ、中には道具のように結婚をさせられるのよりは後宮に勤めたほうがまし!!という強者もいるのだが。
それぞれの挨拶を終え、ユーリに入れてもらった紅茶を啜りながら、ジュリアは一息ついた。
(さて、何から始めようかしら。)
忘れがちだが、ジュリアの目的は只一つ。側室たちと仲良くすることでも、王様の寵愛を受けることでもない。そう、何とかしてこの後宮から抜け出し、冒険者になる事である。誰にもその意図を知られず、不自然ではないレベルに後宮から追い出されること、それがジュリアが冒険者になる最善の道。そのためには・・・
(まずは後宮の戦況の確認ね。)
ここは女の園。1人の男の寵愛を何人もの女で取り合う、戦場なのだ。勿論、早々に戦線離脱し、権力を握りそうな側室にその身をゆだねることも彼女たちの戦い方の1つであり、それは派閥としてこの場に存在している。
(この人たちはわたくしの求めるモノをもっているかしら。)
本人たちに気づかれない程度に視線を送る。
事、戦に置いていつの時代も優先されるのは情報収集である。情報戦に長けている方が戦に置いて数多く勝利を収めていたと言っても過言ではない程だ。それはこの後宮に置いても同じことが言える。
(他の側室たちよりも多く、圧倒的に多く情報を集める。それがわたくしの望みを叶える道具になる。だけどそれには必ずこの人たちの助けが必要だわ。)
女官達には女官達の世界があり、そしてそれは格好の情報収集の場。ジュリアにとってはのどから手が出るほど欲しいその立場にいるのはジュリアではなく、カエラやユーリ、パメラ、ルカ、ミランダたちなのだ。だが、彼女たちの協力を得るのにもそれなりの理由を伝える必要がある。そしてそれなりの理由を伝えるということはジュリアの情報を彼女たちに与えることであり、それだけの信頼を託せるほどジュリアは彼女たちの事を知らない。
どうしたものかと、考え込んでいたジュリアはふと、何かに気づいたかのように口に運んでいたティーカップを持つ手を止め、薔薇妃の間の扉を見た。
(そう言えば、あれって・・・。)
徐にティーカップをテーブルの上に置き、ゆっくりと立ち上がり、不思議がるカエラ達の視線も気にも留めず扉の方へ歩いていく。
「あ、あの、薔薇妃様?どうなさいました?」
思わず声を掛けたカエラの声に、我に返り、クルリと振り返ってカエラ達の方を見るとニッコリ笑って「ちょっとだけ、外の空気を吸いたいから」と扉を開けて外に出ようとするジュリアを、カエラ達は慌てて引き留めた。
「そんな、おひとりで出歩かれては困ります!!我々も御供致しますので!」
そんなこと言われても、まだ彼女たちを信用しきれないジュリアは困ったように息を吐いた。
「少しだけ外に出る、その自由すらわたくしには与えられないというの?」
暗に1人にしてくれと伝えたかっただけなのだが、どう解釈されたのか、引き留めようとしたその手を思わず後ろに引いてしまい、その隙にジュリアは1人扉を開けて、外に出てすぐさまその扉を閉めた。
ジュリアは女官がビビっている内にと、扉に描かれた魔法陣に手を当てて、目を閉じる。
(この燃えるような赤は火ね。)
ジュリアはその手に強く、火の魔力を込めた。
するとジュリアの手が触れている箇所から赤い光が一斉に魔法陣をなぞっていき、やがてその光が魔法陣すべてを覆うと、ジュリアはいつの間にか薔薇妃の扉だけ浮いている、真っ白な空間の中に浮かんでいた。
「・・すごい仕掛けだわ。」
あたりをキョロキョロと見渡しながら、されどもジュリアと扉以外の人影も、物すら見つからないことに感心しつつ、目の前の扉を改めて見据えた。
―――――汝。薔薇妃たるや、否か。―――――
突然、頭に響いた声に、ジュリアは驚くことなく、「やっぱりか」という感想を抱いた。
「そうですわね。薔薇妃か否かと問われれば薔薇妃ですわ。・・・不本意ですけど。」
最後の一言は聞こえるか聞こえないか程度にボソリと呟いた。
―――――薔薇妃たる資格を持ちし汝に、我が恩恵を授けよう。―――――
その言葉と共に扉の魔法陣が真っ赤に光り輝くと、突然ジュリアの頭の中に色々な情報が入ってきた。そしてジュリアは理解した。この魔法陣の役割を。
やがていつのまにか元の後宮の廊下にいることに気づいたジュリアは、思案しながらもジュリアの後を追うと決めた勇敢な女官達が勢いよく開けた扉に顔面をぶつけ、痛みをこらえながら、自分を案じている女官達の中に違和感がある1人を見つけ、なるほど、と思った。
ジュリアが理解した薔薇妃の間の扉の魔法陣の役目は、薔薇妃に害意がある者を薔薇妃の間に入れない事。その害意の大きさによって効果は分かれるようだが。少しでも害意があればその場にいるのが苦痛なほど体の不調が現れる。ましてや殺意を持った者が入ろうとすれば、その殺意は見事に本人に跳ね返り、即死に至らしめる。
薔薇妃の間に戻ったジュリアはカエラに手当てを受けつつ、チラリと、1人の女官に視線を送った。
ジュリアが魔法陣を発動させる前と今とでは明らかに挙動と顔色が異なる女官が1人だけいるのだ。それは・・・。
「どうしたの、ミランダ?顔色が随分悪いようですけれども。」
ジュリアに声を掛けられたミランダはビクッと身体を震わせ、熱に浮かされ潤んだ瞳でジュリアを見た。
「あら、本当ね。どうしたの?ミランダ。さっきまでそんな素振りは見えなかったのに。体調が悪いの?」
ジュリアに言われて、同僚のカエラも彼女に声を掛ける。
「あ、あの、私・・。申し訳ございません、少し眩暈が・・・。」
じっとりと汗ばんだ額を抑えながら話すミランダ。
「あらあら、それはいけないわね。」
カエラに自分の手当てを止めるように言い、ミランダに歩み寄るジュリア。
「ここはもういいから、今日は早くおやすみなさい。また体調が戻ったら、業務に努めればいいわ。」
自分的には優しい微笑みを見せたつもりだが、ミランダは何かとても恐ろしいものを見る脅えた瞳で、ジュリアの言葉に「は、はい・・。」と力なくうなずいた。
ミランダに付き添うようにユーリに指示し、ジュリアはミランダを見送った。
(これではっきりしたわね。ミランダには少なからずわたくしに害意がある。誰の思惑かはわかりませんけど、彼女はこの後宮の誰かの意志にによって送り込まれた。そしてそれと同時に残りの4人にはわたくしへの害意が一切ない。これは僥倖ね。)
すごく便利な、『敵・味方発見器』を手に入れたジュリアはいつの時代かは分からないがこの魔法陣を仕込んだ人物に感謝の意を心の中で述べた。
だが、それから1週間たってもミランダの体調は一向に良くならず、むしろ悪化する一方となり、人手が足りない薔薇妃の女官達と親交を深めることのできないジュリアは困っていた。
「あの、少し手伝いましょうか?」
せわしなく働くカエラに声を掛けるも、「大人しく座っていてください。それが1番助かります。」と諭され言われるがままに椅子にちょこんと腰かけるジュリアはこの1週間ほぼ薔薇妃の間に閉じ込められていたと言っても過言ではない程、カエラ達によって外出を阻まれていた。
本来側室に与えられる女官は4~7人程で、薔薇妃付きの女官はそれほど少ない訳ではないのだが、どこの側室も実家から何人かの侍女を伴って入宮しており、その侍女と女官が分担して仕事をしているのだから、侍女がいない薔薇妃付きの女官達は人手不足と言っても過言ではない。ましてや元々の人数が少ない上に、ミランダが病気でまともに仕事が出来ないのだから、その負荷はカエラ達にすべてかかっている。その原因を図らずに作ってしまったジュリアは彼女たちへの申し訳なさがあり、おとなしくしていたのだ。
だがそれも1週間も経てば限界というもの。もとより好奇心旺盛なジュリアは退屈という言葉が大嫌いで、こんなところに閉じ込められるのはまっぴらごめんなのだ。
何かうまい手はないものかと考えあぐねていると、薔薇妃の間の扉をノックする音が聞こえた。
『薔薇妃様、女官長マリアでございます。』
扉の奥から聞こえた声に返事をし、ルカに扉を開けるよう視線を送る。
扉の前には1週間ぶりの御局、もといマリアが立っており、後ろに見慣れない女官を連れている。
「カエラからの人手不足との申請があったため、臨時で1人女官を手配させて頂きます。」
そう言って薔薇妃の間の扉をくぐり、平然としているマリアをみて、ジュリアは少し驚いた。
(さすがは女官長。あまり良い噂のないわたくしに一切害意をもっていないなんて。公明正大な方なのかしら。それともあの魔法陣の効力が薄まっているとか?)
薔薇妃に害意がある者が薔薇妃の間に入ればそれ相応の報いを受ける。そんな呪いのような魔法陣をチラリと見たジュリアは次の瞬間、後者の考えがすぐに誤りだと理解した。
「お初にお目見えいたします。私スザンナ・リベラと申します。以後お見知りおきを。」
そう言ってマリアの後ろに控えていた女官が一歩前に出て薔薇妃の間に入った瞬間、その瞳から光が失われ、突然彼女は崩れるようにその場に倒れ込んだのだ。
あまりの突然の事に呆然としていると、スザンナの異常な事態に驚きつつもスザンナに近づき、声を掛け様子を伺ったマリアの「し、死んでいます。」という力ない声に反応したルカの悲鳴にジュリアはやっと我に返ることが出来た。
(こ、これって、まさか・・・?!)
1つの考えが、しかし唯一の答えであることを理解したジュリアは1人だけ反応が違う女官に目が留まった。
「薔薇妃様、貴女様は、もしかして・・。」
マリアの、何かを知っているような、でも信じられないという瞳に戸惑いつつ、すぐにこの場を収めるようマリアに指示をだし、マリアもやがてすぐにそれに従い一旦薔薇妃の間の扉を閉めて、女官達に動揺を鎮めるように諭した。
女官達が落ち着くと、ジュリアに「話があると」厳しい顔つきで申し出たマリアにジュリアもこくりと頷き、カエラにお茶をついで少し休むように伝え、寝室にマリアを連れて入った。
パタンと扉が閉まるのを確認すると、マリアはジュリアを見て、震える唇をどうにか抑え、絞るように声を出した。
「ば、薔薇妃様。貴女様はもしかして、『資格』を得たのではございませんか?」
マリアの、質問にしては確信めいた口ぶりにジュリアは驚いた。
「『資格』、とはどういう意味でしょう?」
少し首を傾げるジュリアに、マリアは深呼吸をし、再び口を開いた。
「言い方を変えましょう。薔薇妃様は薔薇妃の間の扉に認められ、薔薇妃としての資格を得たのではございませんか?先ほどのスザンナの様子はおそらく薔薇妃の間により罰を与えられたのでしょう?」
「!!」
(この方は、知っているのね?)
緊張を緩めずジュリアに尋ねるマリアに軽く息を吐いてからこくりと頷いた。
「マリア様、貴女は知っていたのですね。薔薇妃の間の扉の仕組みを。」
ジュリアの肯定を意味する言葉に、マリアは「はい。」と返事をした。
「私達後宮の女官長には代々受け継がれている決まりごとがあります。それは、『女官長は誰に対しても公平であれ、さもなくば称号を与えられし部屋がその命を奪うだろう』というものです。」
マリアは厳しい表情のまま、話を続けた。
「称号付きのご側室の方たちの部屋の扉には我々には分からない仕掛けが施されており、その部屋に認められ、称号付きの側室としての資格がその部屋の主に与えられれば、その部屋はその主を守る最大の砦となる。そう、前女官長に教えられました。どういった人物が、どういった経緯で部屋に認められるかは存じておりませんが、歴代の女官長たちから引き継がれた話には、過去何人かの称号付きのご側室の方たちがその部屋に認められると、その時代の後宮においてそのご側室が権勢をふるい、ご正室にまでなられたとか。またそのご側室と敵対していたご側室とのゆかりのある女官が突然死をしたりしたこともあると。ですが、『資格』を与えられるということは滅多にないことなのです。私も歴代語り継がれてきたその効果を、先ほど初めて目にし、驚いているのです。」
その時の光景を思い出したのか、ゾッと背筋が寒くなるマリア。
そんなマリアを見て、「そう」と口を開く。
「わたくしもあの扉にそのような効力があると知らず、驚いてしまいました。命を落としてしまった、スザンナには申し訳ないのだけれど、マリア様、わたくしはまだここに来て日が浅いのです。」
突然語りだすジュリアに、マリアは「え?」と思わず疑問が口に出てしまった。
「新参者のわたくしの部屋から死人が出たとなれば、後宮にいらぬ騒ぎを起こしてしまいますわ。それはわたくしにとってとっても困る事ですの。この意味、お分かり頂けるかしら?」
その時浮かべた微笑みは、飛んでる鳥すら惚けて落ちてしまう極上のものだったが、マリアにしてみれば、後ろに魔王をしょっているような恐怖を感じるものだった。
「は、はい!薔薇妃様の御気持、しかと心に留め、スザンナの遺体は秘密裏に後宮から持ち出し、いらぬ噂が出回らぬようにいたします!」
そう言って慌てて寝室から飛び出たマリアはカエラ達に「すぐに戻る」と伝え、一旦薔薇妃の間から出ていった。
マリアに続いて寝室から出て来たジュリアは未だ脅えの色を伺わせる女官達に視線をやった後、スザンナの亡骸を見た。
(かわいそう、ではあるけれど、貴女はわたくしに殺意をもってこの部屋に入ってきた。おそらく主はミランダと一緒ね。わたくしはまだ死ぬわけにはいかないの。害意だけならまだしも殺意のある貴女に心から同情することは、できないわ。)
少し目を伏せて、すぐにスザンナから視線を外した。