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正義の在り処  作者: ゼロ
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第二章 白秋の光Ⅱ

   2 九月十八日 火曜日



 教師の仕事に就いているのは、そして長く続けてこられたのは、自分の性に合っているからだと心から思う。昔からというと抽象的だが、思い返せば小学生の時から学校の先生になりたい夢があった。時々そのことを振り返って思い出すと、まだ三十もいっていない歳でも自分は徐々に歳を取っているんだと、ババくさい思考になることがある。

 平本結衣はJR線に乗車していた。七時過ぎは通勤ラッシュで満員だ。毎日のように経験しているとはいえ、慣れないものである。この窮屈な車内にいるときから、既に仕事が始まっていると思えば、何となく心が軽くなるのかもしれない。

 駅の改札を出ると、すぐ近くのバス停に並んだ。まもなくしてバスが音を立てて停車する。電子マネーで支払いを済ませ、吊革につかまり、鞄から携帯を取り出した。

 受信メールありの表示が目に入った。鳥越からのメールが届いていた。受信時刻をみると、十二時十三分とある。

「返信遅くなってごめん。明日から大きな事件抱えちゃった。自宅にも戻れなくなりそう。事件解決したら必ずどこか行こう。約束する。ホントにごめんね。おやすみ」

 ため息をついた。その後、静かに微笑んだ。

元はといえば、結衣がわがままを言ったことに始まる。最近、二人で出掛けた記憶が無かった。鳥越の仕事柄、そういうことが容易くできないのは重々承知だ。だけど偶には甘えてみたい、そんな軽い気持ちが溢れて昨日のメールを送ってみたのだが、どうやら大きな事件をまた抱えてしまったらしい。

 学校から近いバス停に到着する。泊まったバスを降りた結衣は、ハイヒールを地面に叩きつけながら、勤め先の学校へと向かう。

 結衣が教師として勤務しているのは城川中学校。どこにでもありそうな敷地面積、校舎、制服で、良くも悪くも派手な露出が少なかった。

 正門をくぐりぬけ、玄関で靴を履き替えると、途中すれ違う生徒たちに挨拶をしながら、二階の職員室を目指す。

「おはようございます」

 職員室の扉を開けると、朝の挨拶の声を張った。既に他の先生たちは忙しそうにしていた。パソコンと向き合っている先生もいれば、資料をまとめている先生もいる。白い湯気の立つコーヒーを飲んでいる先生は・・・坂田だ。四十前の柄の良いおじさんである。担当は現代国語で三年二組の担任だった。ちなみに、結衣は英語担当で、三年四組の担任を任されている。担当しているのが同学年だからなのかは分らないが、よく話す先生だった。

「坂田先生、おはようございます」

「あら、平本先生。おはようございます」

「ずいぶんとおくつろぎの様子が見受けられますが?」

「ん?いいじゃないか、別に。朝くらいはゆっくりしていいじゃないか」

「ま、いいですけど」

 そろそろ朝学習が始まる時刻だ。一度、担任は教室を覗かなければならない。基本、学級員が仕切ってくれるが、念のためというのは何事においても大切だ。そう副校長は唱えている。

 中学生というのは、ある意味一番扱いずらい時期かもしれない。特に、中学三年生という年頃は。思春期というのは厄介なもので、意味のないことに執着し、意味のないことで笑い合え、意味のないことで傷つけ合い、意味のないことばかりをして過ごし、卒業という節目を迎える。それが青春と称するのならば、それで片付けることが可能だから、また面倒なのだ。

 教室に顔を出してから、再び職員室へと踵を返し、小規模な朝の教員会議があり、ホームルームへと移る。教員会議では学年間での打ち合わせも含まれる。そこでは、今日のスケジュール等について確認する。学年主任の三年一組の担任、木村先生によると、六時限は道徳だが、学年集会を催すという。五時限終了後、多目的室に集合するよう各組の学級委員に伝えるよう指示された。内容は他の先生たちにも内密のことだった。

「何するんでしょうね」

「さあ、僕にもさっぱりだよ」

 内容に思い当たる節が無いため結衣は訊いてみたが、坂田も知らないようだ。この時期に学年集会を臨時に開くのは、何故だろうか。生徒たちの目立つ行為があっただろうか。いじめを受けているなんて噂も特に聞いていない。暴力沙汰の噂も聞いていない。影で何かあったのだろうか。

 結衣はかぶりを振った。我が城川中学の生徒がそんな問題を起こす訳が無い。結衣は胸を張って、一時限担当の教室へと向かった。

 時間の流れ、とは早いもので、一日はすぐに過ぎていく。あと五分もすれば、五時間目の終了を告げるチャイムが鳴ることだろう。チラリと時計を見た結衣は、再び持っているテキストブックに視線を移す。

「One more time,please repeat after me・・・」

 流暢な英語で「もう一度、私の後に繰り返して」と生徒に問いかける。すると、結衣の喋った英文を生徒が繰り返す。「Ok」とその行動を讃え、「Next!」と授業を展開させる。

 アメリカ留学で培った英語力を存分に活かせるこの仕事に、結衣は誇りを持っていた。グローバル化が進む現代社会において、英語力は養うべき能力だ。他国の言語、特に英語を必要最低限使いこなせることが出来れば、就職の範囲も大幅に広がる。いろいろな意味で、英語は学ぶべき教科だと強く思っていた。それを一つのモットーとして日々教壇に立っている。

 鐘が鳴る。

英語係の女子生徒に終わりの合図を送ると、それを察した彼女は号令をする。「ありがとうございました」の挨拶を声を揃えて、皆が頭を下げると、結衣は退室し、職員室へと一旦向かった。

 お待ちかねの学年集会だ。職員室で少々デスクを整理してから、多目的室へと向かった。そこでは既に三学年全クラスの生徒が整列して座っていた。まもなくして、司会の三年一組の担任、木村先生が開催の言葉を話し始めた。木村先生は一度芸人を夢見たという話術の巧みな人柄で、マイクを渡されたら饒舌な人間であることが証明されるだろう。学年主任だから、その理由もあるが、こういう場で司会を任されることは多かった。

「今日はある先生から大事な話があるという事で、こうして皆に集まってもらったんだけど、何の話だと思う?」

 木村先生は生徒に話題を振る。ちらほらと生徒は挙手して、他愛もない答えで場を和ます。もう十分だと絶妙のタイミング、というべきなのかは個人の感覚に頼るが、木村先生は本題へ戻す。

「あれ・・・」

そのとき、結衣は初めて一人の先生の存在が無いことを知った。無論、二組の担任の・・・。

「それでは、坂田先生、ご報告をお願いします」

すると、舞台袖から坂田が現れる。やけに嬉しそうな、まるで花園で宙を舞う蝶のようなオーラを醸し出しながら登場してきた。やがて固定されたマイクに顔を近づけ、「ご報告」を語り始めた。

「えー、実はわたくし、坂田は先週の日曜日、九月九日に婚姻届を提出いたしました」

 その瞬間、生徒たちがどよめきだす。「えー」とか、「嘘ー」とか、「マジでー」とか、色んな声が聞こえる。中には「やっとかよー」と失礼な発言をする者も。

 この報告には、素直に結衣も驚愕した。そういえば、まだ坂田は独り身だった。それさえ忘れてしまうほど、結衣が気にしていなかったといえば、坂田でも多少残念に思うかもしれない。

しかし、日々同じ学校に勤める先生の朗報というものは、すこぶる心地の良いものだ。

(既に四十を過ぎているらしい坂田先生も、ついに結婚へと駒を進めたのか・・・)

と、嬉しさや驚きの他に、別の感情を抱いていることに結衣自身が驚いていた。

 坂田が破竹の勢いで次々と飛んでくる質問を順番に解答している間、結衣は自分のことについて深く思案していた。

 結衣は今年で二十八になる。そろそろ結婚を考えてもいい時期だ。実家長野の父母も何とか健全に暮らしているようだが、どうかそのうちに娘として花嫁姿を披露したい。親からしてみれば、それこそが至上の嬉しさというものだろう。

結衣の頭の中に、必然的に鳥越の顔が浮かんだ。本庁に異動になってから何年か経つが、鳥越が新米刑事であることに変わりはない。でも、今も大きな事件を抱えているらしい。事件と衝突すれば、場合によってはかなりのリスクを背負うことになることは、素人の結衣でも想像はつく。でも、そんな鳥越を支え続けたい、そう心から願っている。そこには偽りもなければ、迷いもない。

結衣は目の前でワーワー盛り上がっている生徒たちに目を配ると、虚空を見つめ、過去の記憶を呼び覚ました。

鳥越との出会いというのも、遡れば中学時代だ。同じ部活でもなければ、同じクラスにもなったことはなかった。しかし、お互いの友達経由で知り合い、度々会話していた、そんな程度である。卒業後、二人はバラバラの高校に進学し、いつしかお互いの存在は記憶から忘れかけつつあった。しかし、二十歳のときの同窓会で訳もなく意気投合して、その後も何度か食事したりと、親交を深めていき、いつしか交際に至った、というわけである。

結衣はあのとき――同窓会で再会したとき、尋常ではない、そして今まで感じたことが無い、言葉では言い表しようのない不思議な感触を受けたことを未だに覚えていた。今思えば、何かしらの因縁によって生まれた情だったのかもしれない。いわゆる「運命の赤い糸」的な・・・。

しかし、人生何が起きるか分らないものである。中学生のときは特に何の感情も抱かなかった相手と数年後再会したら、交際に発展し、今もこうして付き合っているのだから。まだまだ長い人生捨てたもんじゃないなと、人生捨てようなんてこと思ったことないが、心の中でそう呟いた。

(あちゃー・・・)

 またババくさい思考回路が組まれてしまった。いや、「ババくさい思考回路」ではなく、「大人な女性の思考回路」と合理化しておこう。

「・・・というわけで、わたくしからの報告は以上とさせていただけます」

 いつの間にか「ご報告」は終わりを迎えていた。八割がた、いや、最初のさわりしか聞いていなかったが、まあ、ろくなことは喋っていないだろう。そうやって都合よく勝手に決め付け、水に流した。結衣の悪い癖、かもしれない。

 生徒たちが退場していく。この後からは、「ご報告」の件と重ね合わせ、「人との付き合い」について検討するように指示された。

「坂田先生」

結衣は気取った口調で呼んだ。

「ああ、平本先生」

「ご結婚おめでとうございます」

「どうもどうも」

「知ってたじゃないですか、学年集会の内容」

「え?」

「今朝、『僕にもさっぱりだよ』とか何とか言って、はぐらかしましたよね」

「あー、そんなこともあったけなあ」

 素直に認めろ!と心の中で毒づく。

「まあ、僕の意向でサプライズにしておきたかったんだよ。あの時点で知っていたのは学年主任の木村先生だけだね」

「そうだったんですか。まあ、とにかくよかったですね。結婚できて」

「ああ、人生これからだって強く思えるようになった」

「どんな方なんですか?」

「ん?それはさっき言ったでしょう。まさか、聞いてませんでした?」

「え?あ、いや、ちょ、ちょっと考え事を」

 しまった・・・と、墓穴を掘ったことに今更のことながら後悔する。

「そういや、平本先生はまだ、でしたよね。もしかして、自分の結婚について深く悩んじゃいましたか?」

 坂田は時々鋭いことを口にする。何も分ってなさそうな風にして、何でも分っているのかもしれない。

「ええ、まあ・・・」

「早いうちに結婚しておいた方が良いですよ。特に女性は。結婚して仲が悪くなるとか、倦怠期とか言うけれど、幸せな人生になると思いますよ」

「参考にしておきます」

 その後、二人はそれぞれの教室へと向かった。

 新婚ほやほやの当事者から言われると、何だか信憑性に満ち満ちているように聞こえる。経験者は語る、ってやつだろうか。無論、間違っていることは言っていない。結衣だって同感だ。けれども、鳥越はどう思っているのだろう。結婚よりも、仕事を優先してるのかな・・・と不安になる。もしかしたら、どこかのタイミングで結婚を申し込んでくれるのかな・・・と、授業中の教師らしかぬ妄想にしばし溺れていた。

 ふう、と一息つくと、一旦結婚のことは棚にあげ、教師の顔で三年四組の扉を開けた。教室内では先ほどの話題が絶えない。「静かに」と声を張っても、なかなか静まらなかった。

 ふと窓の外に視線を向けると、枝の先に小鳥が止まっていた。すぐにどこかへ飛んで行ってしまったが、その刹那に結衣は幸福を覚えた気がした。


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