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正義の在り処  作者: ゼロ
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第二章 白秋の光Ⅰ

 第二章 白秋の光



   1 九月十七日 月曜日



 青い塔がそびえているのが、この位置にいてもひしひしと伝わってくる。流れる雲も驚くだろうほどの高さを誇るのは、無論東京スカイツリーだ。「武蔵」に擬えて六三四メートルに高さが定められている。

 鳥越俊一郎は大横川親水公園の園内にいた。北上するだけで、スカイツリーが視界に入ってくる。そのさなかでも、青い制服をまとった鑑識課の人間や、黒いスーツを着こなした刑事たちが行ったり来たりしている。

この公園はスカイツリーの南側に位置し、南北に伸びている。その距離はおよそ一八○○メートル。江戸最大の火災といわれる明暦の大火が、一六五七年という歴史に刻まれた。江戸幕府は復興の際に、河川を掘り開き、橋を架け、土地の整備に力を入れた。その際に掘られた河川の一つが大横川である。近年まで舟運、材木の貯留など産業経済の発展に貢献してきた。だが、経済環境の変化により、道路や鉄道が敷かれることになり、昭和五六年から大横川の埋め立てが進められた。後に、緑と清流を復活させ、憩いの場として公園整備が行われ、平成五年に完成したのだ。

ちなみに、横川というのは、江戸城に対して横の方向に流れていたことからきているようだ。昭和四〇年に施行された河川法により、大島川とつなげて、大横川と呼ばれることになった。

北側には船をモデルにした遊具があり、上を自動車が交差する橋を潜ると、円形状に並んだ花壇が心を和ませてくれる。少し、南へ下ると釣り堀が見え始める。今日も老人が数人、腰を掛けながらひっかかるのを待っている。ふと気がつくと、川の流れる音が耳に入ってくる。川に無作為に置かれた岩を伝い、向こうへ渡れるが、その先に橋が架かっているので、わざわざ子どものようにぴょんぴょん跳ねる必要はない。何本かの橋の下を通り、遊具で遊ぶ幼い子ども達の元気な姿を見届けると、通りに辿りつく。小規模な噴水や、花々が優雅な公園を思わせる。遊具も数ありながら、釣り場もあるという、老若男女楽しめる憩いの場だ。

この公園は五つに区分けされている。釣川原ゾーン、河童川原ゾーン、花紅葉ゾーン、パレットプラザゾーン、ブルーテラスゾーンの五つだ。また、この公園には業平橋、平川橋、横川橋、紅葉橋、法恩寺橋、清平橋、江東橋、南辻橋、菊柳橋、菊川橋と、多くの橋が架かっている。後で知ったことだが、かつては長崎橋、撞木橋があったらしいので驚きである。

まだ朝の時間帯ということもあって大抵人は少ないはずなのだが、事件の騒動を聞きつけたのか、野次馬が屯していた。

「あそこか・・・」

 向うの橋の下の方、正確にはその端の階段辺りのブルーシートが目立つ。現場はおそらくそこだろう。

先輩、と鳥越は呼んだ。すると、しゃがんでいた一人の男は振り返りながら立ちあがった。

「おう、遅かったな」

「先輩が速いだけですよ」

 とはいえ、自分が遅れたのは事実だった。まさか道に迷ったなんてこと口が裂けても・・・いや、口が裂ける前に白状するが、容易に言えるわけがない。

 鳥越が「先輩」と呼ぶのは、この顔の厳つさといったらこの上ない、必要以上のことなど喋らないような寡黙な刑事、柳憲次だ。「刑事」なのに「憲次」というよく分らない名前なのだが、一応、鳥越と同じ警視庁捜査一課刑事課に所属する。年齢は五十前後だろう。詳しく訊いたことはない。鳥越は今年で二十八になる。柳からすれば、まだまだ尻の青い小僧としか見なされていないのかもしれない。しかし、一刑事として日々勃発する事件に真っ向から立ち向かっている次第だ。

「被害者は遠野嘉政、元国会議員。階段の角に後頭部を打ちつけて死んだらしい。詳細は解剖待ちだが、死亡推定時刻は昨夜の午後九時から十時の間だ。第一発見者は今朝、散歩で犬と歩いてた御老人だ。事件には無関係だろう」

「元国会議員ですか」

「おまえは知らないか。かつて一躍有名になったんだがな」

「何か、功績を残したんですか?」

「著名人は功績を残した者を指すが、有名人は悪行で名の知れ渡った者も指す。決して良いことばかりではない」

 分るような、分らないような・・・。つまりは、かつて悪事を働いた人間ということか。

「もう十五年も前のことだ。俺もその頃は所轄勤務だったから、捜査を担当していたわけではないし、群馬で起こった事件だから、詳しいことは知らないが、今回の被害者遠野嘉政は当時、殺人の容疑で裁判にかけられたんだ」

「裁判?」

「人を二人殺した容疑だ。新年明けて間もない頃、群馬のぼろい廃屋で死んでいたところを発見されたんだ。当時の世間の反応凄まじかったよ。何せ、現役の国会議員に殺人の疑惑、だからな。しかし、状況証拠だけしか揃わず、当時警察も遠野嘉政がクロだと断言していたが、何故か遠野には無罪判決。悔いても悔いきれない、そんな思いをした人間は遺族だけではなかっただろうな」

「つまり、十五年前の限りなくクロに近かった加害者が、今回の被害者、ということですか」

「まさか、過去の事件が絡んでくることはないだろうがな・・・」

 今のところは判断のつかない状況だ。まだ捜査は始まったばかりだ。真実に辿り着くべく、鳥越は進むべき道を進むだけだ。

 そんな大事件が十五年前にあったとは思いもしなかった。その頃、鳥越は中学生になったばかり、そんな年頃だろうか。鳥越が思春期で他愛もないことに確執していた頃、世を騒がせた事件が存在したとは・・・情けないばかりである。現在刑事の身であるからなおさらである。当時ニュースなんてろくに見えていなかった記憶がある。真面目な少年であったはずだが、社会には興味が無かったらしい。当時のニュースを見ていれば、少なからず記憶していると思う。

「仮に過去の事件が関わってくることになると、被害者を恨んでいた人物は遺族だけでなく、仕事関係者を含め、かなりいることになる。全く、厄介なことになりそうだな」

「そうですね。しかし、十五年も前に起きた事件ですよ。事件発生から間もない時期だったら、言葉が過ぎますけど納得いきます。でも、十五年も息をひそめて待っていていざ行動に移すって、理解に苦しみませんか?」

 今回の犯行の動機が過去の群馬の別荘の事件にあるのなら、この十五年間の空白の時間は何だったんだ、という話になる。当時、殺したいほど遠野を憎んでいたとしても、十五年経ったらその怒りも憎しみも、多かれ少なかれ薄れていくものではないだろうか。無論、鳥越はそういった経緯で悲しみに暮れる類の人たちをこれまでに少なくない数目の当りにしてきたが、そういった立場に立たされたことはないため、正直分らない。永遠に憎しみの情が滅さない被害者遺族も一定人数、いや、もしかしたら百パーセントそうなのかもしれないが。

「上の判断にも因りますけど、十五年前の事件、洗い直して見た方が良いのかもしれませんね」

「そうかもな・・・」

 佇む二人の背後では、刑事、鑑識課たちが依然として忙しなく走っていた。


 鳥越と柳は聞き込みを一通り終え、本部に戻って来た。過去に裁判にかけられた元国会議員が殺された事件、ということで上層部も緊迫の様子がみられた。

「そろそろ捜査会議が始まるな」

 二人が足を踏み入れたとき、会議室には既に大人数の刑事たちが待機していた。そこに紛れて、鳥越たちは腰をおろす。まもなくして、刑事部長や参事官など、そうそうたる面子が姿を現した。

 捜査会議が始まった。鑑識課からの報告が始まる。

「階段の状態からして、階段の上から転落したわけではありません。また、腹部に痣が残っておりました。服にはおよそ二十八センチの靴跡が残っており、着衣の乱れがあったことからも察するに、犯人は被害者と橋の下で口論になり、その末に被害者の腹部を蹴り、バランスを崩した被害者はそのまま後方に倒れ、後頭部を階段の角に叩きつけた。状況から考えて、そんなところかと・・・」

初日の段階では聞き込みの結果も好ましものではなかった。それ相応の情報しか提供されなかったのが何よりの証拠だ。遠野の自宅を捜査した刑事は、特に目ぼしい手掛かりは見つからなかったというし、現場周辺の聞き込みを担当していた鳥越たち含めた刑事たちも、収穫は悪かった。

ちなみに、遠野嘉政には一人の弟がいるらしい。それ以外、家族はいないという。特に刺激のない生活を送っていたのだろう。

 全ての報告が終わり、今後の捜査方針が指示される頃、険しい顔で、刑事部長の栗松吾朗が立ち上がった。

「おまえら、よく聞け」

 栗松刑事部長の声の張り方に、鳥越は身震いした。周りの刑事たちも同様の反応を示していた。

「分ってると思うが、被害者はかつて殺人疑惑で捜査線上に名を挙げたことのある元国会議員だ。極めて慎重に捜査することを肝に銘じて捜査をしろ。分ったな」

 はい!と揃えた声が捜査会議室に響いた。

 その後、鳥越は書類の整理を手際よく片付けると、本庁を後にした。明日からは本庁で泊まりづけになるかもしれない。体力的にも精神的にも苦しみからは逃れられない日々が待っていることだろう。もちろん今までにも同様の事件は確かにあった。しかし、歳も比較的若いせいか、未だに慣れない。


 自宅に着いたときは、既に零時を回っていた。

 鳥越の自宅は2LDKのマンションの一室だった。特に欲のない鳥越はここでの暮らしに満足している。

軽くシャワーを浴び、吸いこまれるようにベッドに転がり込んだ。携帯に手を伸ばし、電源を点けると、メールの受信履歴が残っていた。鳥越の交際相手の平本結衣からだった。受信時刻は午後十八時四十分とある。ちょうど捜査会議の時間帯だ。内容を見ると、今度どっか行こうよ、とデートの誘いのメッセージだった。

「ごめんな・・・」

 思わず呟いた。

 鳥越が刑事だってことを含め、結衣は鳥越を受け入れてくれた。それは、二人でどこか出掛けることも数少なくなることも意味する。事件を抱えているときは、会うことさえ困難だろう。それでも、結衣は「シュンのそばにいたい」と、言ってくれた。

 昔から刑事になりたい夢を追っていたことは確かだが、決め手になったのは結衣が背中を押してくれたからだ。

「私はシュンのことを絶対裏切らない。だから、シュンは自分を裏切らないで、夢、追いかけてよ。私、応援するから」

 今に至るまでの刑事生活は、この言葉が支えてくれたといっても過言ではない。結衣の心からの言葉が鳥越を奮い立たせたのだ。

それから警察学校に通うようになり、今では警視庁勤務という順調な道を歩んできているのだ。これは結衣の存在がなければ成就できなかった夢だ。

 画面には「送信完了」の文字が並んでいる。それを見届けると、鳥越は重い瞼をゆっくりと閉じた。


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