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正義の在り処  作者: ゼロ
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第一章 青春の影Ⅲ

   3 九月十六日 日曜日



 時計の針だけが寝室に響き渡る。十二時を軽く過ぎていた。

 陽子はベッドに入ってからも、興奮状態が続いていた。大きく深呼吸を何度もしたが、一時間もしないうちに脳裡に蘇ってくる記憶は、陽子の胸を高鳴らせた。

 瞳をつぶっても、頭には車内での情景が浮かび上がってくる。

(そういえば、何で蓮治はあんなところにいたんだろう。それも、あんな時間に・・・)

 ふと、疑問が生じた。確か、「ちょっと用があって」とか言っていた。大抵の場合、その返答をしてくるということは、何か知られたくない事情があるのではないか。

(蓮治の知られたくない事情?)

 何だろう。彼女とか?まさか・・・。いろいろな呟きが頭の中で飛び交う。自問自答している自分を惨めに思ったが、気にならずにはいられない。

(でも、蓮治に彼女いるのかな。確か、龍也と浪恵の事羨んでいたようなことあったかも。自分に彼女がいるなら、妬む必要無いし・・・)

 陽子は首を小刻みに振った。今晩は思考が「そっち」の方向へ向かいがちだ。思考を転換しようと思い、トライしてみた。

(まさか、危ない人たちと接触していたりして・・・そんなことないか。あの蓮治に限ってそんなことしないか)

 明日は通常通り学校だ。陽子は思考を張り巡らせることを諦めた。仮に自分が納得のいく答えに辿りつけたとしても、実際どうなのかなんて今は分りっこない。

「早く眠ろう」

ギュッと唇をかみしめ、ペロッと舌を出して唇を湿らせた。そして、吸って吐く動作を何度か繰り返し、精神が正常化したことを実感すると、自分の心は既に蓮治の色に染められているのだろうかと、自分でもバカバカしくなるような妄想を振り払い、眠り始めた。

 翌日、あまり好ましくない目覚めで無性にイラッとしたが、制服に着替え、朝食を済ませるなど、朝の行動を淡々とこなしていくと、スクールバッグを持って家を飛び出した。鍵をかけ、駅へ向かおうと歩き出すと、ちょうど隣の床屋の御主人とばったり会った。両手にビニール袋を持っていることから、ゴミ出しに出てきたのだろう。今までにも何十回ってあったことだ。「行ってきます」とぺこりと頭を下げて歩を続けた。

 毎日の如く、通勤ラッシュ故に満員電車だ。部活で帰りが遅くなるときも、満員電車の事が多い。最近は物騒な社会になったから、そのうち痴漢でもされたらどうしようかと、危惧してしまう。でも、今日はそんな心配は全くなく、陽子の脳内は昨日のことでいっぱいいっぱいだった。時折自分の頬に赤みを帯びていく様子に気付くと、誰も見ていないのに俯いてしまう。

 そうこうしているうちに、下車する南千住駅に到着した。陽子は、意味も無く普段よりも速度を上げて歩き出した。

教室で荷物を整理していると、遅刻せずに登校してきた蓮治が隣に座った。蓮治の顔に変化は見られない。いつもの蓮治の顔だ。視線に気付いた蓮治は、陽子と目を合わせた。何か言いたげそうだったが、口内で舌を躍らせているだけで無言だ。

 見るに見かねて、陽子は口を開いた。

「昨日は、いろいろありがとう」

「別にお礼されるほど何もやって無いけど」

「そんなこと、ないよ」

 何かぎこちない感じがする。蓮治はいつもの怒ったような口調じゃないし、陽子においても、ちょっかい出さずに大人しい。

「そうだ。どうして、あんな時間にあんな場所にいたの?」

 陽子は唐突に訊いてみた。

「え?いや、最近夜の散歩にハマっていて。昨日はちょっと遠くの方まで行こうかなって、それで気付いたら有楽町まで行ってた」

「あ、そう」

 何か説得のない解答に無愛想な対応しかできなかった。夜の散歩も、どんな目的でやっているのだろうか・・・そんなことはどうでもいいか。個人の趣味について深く詮索する必要も無いし、知ったところでどうしたって話だ。

 結局その日は、それっきりろくな会話も無しに帰りのホームルームを迎えた。

翌日、高月(たかつき)悠史(ゆうじ)というクラスメートが陽子たちにある話を持ちかけてきた。高月は比較的おとなしい性格で、優しい好少年というイメージが陽子の第一印象である。

「ねえ、久留嶋さあ、昨日のニュース見た?」

 「久留嶋」と名字で呼ぶことからも、高月は私たちとあまり馴染みが無い。

「何のニュース?」

「どうしたの?」と、陽子も輪の中に入る。

「一昨日、大横川親水公園っていう公園知ってるかな。その公園で死体が発見されたんだって」

「ふーん」

龍也は関心がなさそうだ。今日の小テストのため、教科書をペラペラめくって重要事項などを確認している。それに構わず高月は話を続ける。

「その近くに前住んでいたことがあって、ここから遠いってほど遠くないんだけど、ほらスカイツリーの近くなんだけど」

「スカイツリーって、あのスカイツリー?」

ビルの隙間の絶妙な位置に聳え立つ東京スカイツリーを眺めながら、浪恵は言った。

「そこで、元国会議員の・・・あれ、何て言ったかな」

遠野(とおの)(よし)(まさ)

いかにも古そうな書物を熟読しながら言ったのは、蓮治だった。

「そう。遠野嘉政って人が死んでいたらしい。警察は殺人事件として捜査しているらしいけど、その遠野っていう元国会議員。過去にいろいろあったらしいよ」

陽子は高月が結構なミステリー通だということを思い出した。世界の名高い推理小説を片っ端から読んでいっているという噂だ。片っ端って、何が発端なのだろうか。片っ端とはどういう意味か、陽子はそこから謎を解いてほしかったが、一度口が開くと満足いくまで喋り続けるようだから、あえて訊かないことにしている。

「『過去にあった』って何が?」

浪恵は意外にも興味津々のようだ。もしくは、私たち以外聞いてくれる人がいないから仕方なく聞いてやっているという、浪恵らしい「嬢様」を気取っているのか。どちらかといえば、後者の方が可能性は高かった。

「殺人の容疑で裁判にかけられたらしいんだよ。結局は無罪になったらしいけど」

「え、どうして?」

「その理由については不明らしいけど、何か臭いと思うでしょ。もしもその遠野嘉政が真犯人だったのなら、過去による怨恨が今の今になって爆発し、犯行に及んだ。そう考えられなくもないでしょ」

この対応にはさすがの浪恵も口を閉ざしたが、そこで対抗したのは依然として読書に耽っている蓮治だった。

「確かに、あり得なくもないけど、どうして今まで犯行に及ばなかったか。それは疑問だけどね」

「まあね。ま、そういうことは警察に任せればいいし、中三の俺らがあれこれ考えたところで、うんともすんともならないけどね」

痛いところを突かれ、さっきまでの積極的な姿勢から一変し、高月は強気を装ってまとめあげた。弱気になった証拠に、振り向きもせずにスタスタとどこかへ去っていった。

それを折りとして、蓮治も本を閉じた。そのとき陽子は、蓮治の右手の拳が微かに震えているところをしっかりと確認していた。無論、特に気にせずにいたが。

それから二日後の夜、陽子の携帯にメールが来た。手にとって見てみると、画面には「浪恵」とあった。珍しい名前にいささか驚いた。珍しいというのも、最後に浪恵からメールがあったのは、浪恵が龍也と付き合う前のことだから、もう半年以上前のことだ。それまでは「明日の持ち物何だっけ?」とか「宿題って○ページから○ページまでだよね」など、学校に関する確認等の内容だった。しばしば他愛もない雑談をするくらいであった。しかし、龍也と付き合い始めると、そういう事務的な事は全部その彼氏に訊くことになったのだ。もちろん、雑談の類も、である。

「何だろう」

半ば期待し半ば疑いながら、陽子はボタで操作した。


「土曜日の午後二時半に上野の喫茶店の前で待ち合わせ」と、浪恵から聞いていた陽子は、その通りに傘を持ちながら待っている。朝方からシトシトと降っている小降りの雨が、傘を叩く音を聞くのは感慨深い。街中を行き来する人の数が乏しいのは、天を仰げば一目瞭然だ。だが、雨天でも時々集団が群れていることや、洋服店や大きなデパートに出入りする人たちが少なくないことは、さすが東京、さすが上野である。

 晴れの日は、近くの上野動物園やアメヤ横町など、栄える場所の活気は凄まじい。陽子はアメ横には何度も行っているが、その度に群衆に埋もれそうなくらいの人の数を実感させられる。

 すぐ近くの信号が三、四回「青」に変わった頃、その横断歩道の向こう側から浪恵が駆けてきた。始め、傘とかぶって顔が定かじゃなかったが、服装や雰囲気、あるいは浪恵の独特の体貌というか、風情というか、伝わってくるものがあり、それに目をつけた陽子は、案の定浪恵だと認めると寄っていた。

「ごめん、待たせた?」

「ううん。大丈夫」

 浪恵は秋物の黄色のジャケットを身に纏っている。それと緑がかったジーンズとの組み合わせだ。傘は濃いグリーンで、バッグの青はバランスを保たせるのと同時に、好い印象を与える。

「雨なんだから中で待っていればよかったのに」

「喫茶店の前って約束でしょ」陽子は笑って見せた。

それから二人は店内へ入り、案内された席に着くと、二人共アイスコーヒーを注文した。

「それで、どうしたの?急に会おうなんて」

陽子は今回の意図はいかなるものか、それが一番訊きたかった。

浪恵は一口アイスコーヒーを飲んで喉を潤すと、胸の前で手を組み、陽子をじっと見た。陽子は催促し、まもなくして口を開いた。

「陽子さ、彼氏できたでしょ」

「え!・・・まさか、ねえ」

「じゃあ、好きな人はできたでしょ」

「きゅ、急にどうしたの」

「だって、最近陽子変わったもん。えっと・・・今週の月曜くらいから」

陽子は息が詰まりそうなほど当惑した。確かに、「蓮治との一件」は日曜日のことで、それから今週一週間は妙に遠慮がちな姿勢をとってきたのかもしれない。自分でも窺えなかったことを、他人に見破られてしまうとは驚嘆の何ものでもない。相田みつをの言葉に「一番分っているようで一番分らない自分」という名言がある。今の陽子の思うことこそ、まさにこれである。

「一日だけっていうのは分るけど、今週の月曜からずっと陽子の様子がおかしいなと思って、これは何かあるなと考えた。中三になって自分の在り方が変わるほどの出来事。思春期に女子中学生が悩めることで、一番初めに思いつくのって恋愛関連くらいでしょ」

陽子は唖然としていた。そういえば、蓮治も龍也に問い詰められていたが、この二人、龍也&浪恵コンビは何か秘めている気がする。

「その顔は図星ね」

放心状態にそれほど遠くない、ポカンと口の開いた陽子の顔を見ながら、浪恵は目を輝かせている。

「で、どうなの?」

浪恵は催促する。

陽子は少しの間躊躇ったが、心の許せる、信頼できる浪恵だから渋々一通り話すことにした。以前から蓮治の気を引こうと、ちょっかいを出してきたこと。先日、もう遅い時間に品川駅でばったり会って、電車の中での一時を過ごしたこと。それにより、夜も眠れず、学校生活にも支障を来すほどの影響があったこと。

「なるほどね」

陽子が話し終わると、浪恵は椅子にもたれかかった。終始赤面の陽子だったが、語り終えた後も少々萎縮しているような様子で、浪恵の口が開くのを待った。

「坂田先生も結婚したしね」

「そうそう。その後の道徳でさ、『人との付き合い』ってテーマで話したでしょ。なんか、まるで自分を見つめ直しているみたいで・・・」

 あれは今週の火曜日のことだっただろうか。六時間目の道徳で、臨時学年集会が開かれ、その場を借りて、坂田が先日結婚したという報告をしたのだ。結構影響を呼んだ話題で、陽子もある意味影響されたうちの一人だった。

まもなくして、浪恵は鞄からスマフォを取り出した。不思議そうな顔をしている陽子に構わず、指を器用に動かす。耳に当てたため、どこかへ電話しているのだろうか。

「ねえ、どこに電話しているの?」

「蓮治」

「えっ!・・・どうして」

ちょっと、と止めにかかったが、浪恵は唇に人差し指を押し当て、シ―ッと静かにするよう合図した。

「あ、もしもし」

どうやら相手、蓮治と繋がったらしい。諦めを意味するように、陽子は大きなため息をついた。

「今、何してた?」

典型的な開口一番である。浪恵は、陽子に内容が分るように受話音量を調節した。スピーカーによって、若干変化した蓮治の声が聞こえてくる。

――今?今、外にいたけど。

「そうなんだ。今、陽子と一緒にいるんだけど、ちょっと陽子と話してくれない?」

「ちょ、ちょっと浪恵」

陽子は唐突な浪恵の発言に、慌てふためいた。

「女子は直球で勝負でしょ」

そう言って、陽子に携帯を渡した。仕方なく受け取ったものの、なかなか話を切り出そうとはしない。

だいたい、何が「女子は直球で勝負」よ――陽子は苦い顔した。

珍しく喫茶店で落ち着いた会談ができたかと思うと、その目的と言うのは、どうやら自分が大きく、いや百%完全に自分が関わったことだった。陽子の今までとは違う一面に目をつけ、並み以上の推理力で陽子の心の内を見事当てて見せた。何をやり出すかと思うと、蓮治の番号に連絡するという「直行作戦」を企てたのだ。浪恵の掌の上で転がされている陽子側からすれば堪ったものじゃない。

なかなか言葉が出ない陽子を見るに見かねて、浪恵は励ますのと同時に催促してくる。

「も、もしもし、陽子だけど・・・」

――あ?何、どうしたの?話って何?

何をしていたのか仮の見当つかないが、蓮治は、気が立っているのか、さっさと用は済ませたいようだった。もしかして、自分のことを迷惑に思っているのかもしれない。本当のところ、蓮治は陽子を普通の同級生としか見ていないのかもしれない。全く気が無いってことも・・・と、考えれば考えるほど胸が痛むだけで、自信の消失に繋がった。

浪恵は変わらず冷淡な顔をして、残っていたアイスコーヒーを飲みほした。

「別に大した用は無いから、忙しいんならいいけど・・・」

――は?別に忙しくないけど。で、何?

聞こえ方によっては、気を使ってくれている気もしなくもない。

「いや、だから、私はね・・・」

――今、ホントに電池残量がないんだよ。外だから充電できないし話すことあるんなら早くして。

浪恵は口パクで「早く」と急かしてくる。全くこっちの立場になってみてよと言おうとしたが、やめた。

「私は」と言いかけて、電話の向こうでプツっと電波の切れた音がした。そして、ツーツーと無情な音が陽子に耳に伝わってくる。

「切れちゃった」

陽子はぎこちなく笑いながら言った。浪恵はため息と共に、右手で頭を抱えた。

「まったく・・・根性ないね、陽子は」

「だって、しょうがないじゃん」

「何がしょうがないよ。せっかくチャンスを作ってあげたのに」

「そんな簡単にできることじゃないでしょ」

「一応訊いておくけど」

浪恵はそう前置きして、真剣な眼差しで陽子の眼を見る。

「陽子は蓮治のこと好きなの?」

「え?・・・分んない」

「何それ、分んないじゃこっちも分んないじゃん。白黒はっきりしてよ」

「だって、分んないものは分んないもん。多分、好きなんだと思うけど。でも・・・」

浪恵は陽子の話の続きを遮るように、「だったら大丈夫」と言って立ち上がった。

「そのうち、想いが爆発して口に出ちゃうから」

そうアドバイスを残して、浪恵は卓上に千円札を置き、持参の鞄を肩にかけた。どうやらもう帰るらしい。

「私、これから龍也と映画見る約束してるから、じゃあね」

 浪恵は早歩きで出ていった。

(なるほどね・・・)

 陽子との時間は龍也との時間までの単なるつなぎであり、どっちが大事かと訊かれたら後者と即答するのであろう。陽子の一変した原因の真相を、話のタネにするのかもしれない。浪恵も人使いが荒くなったものだ。昔の浪恵はおしとやかで、気品が合って、それでいて可愛げな部分もあるという好印象だった。だが、その魅力が功を奏し、そこそこ人気にあった龍也と付き合い始めた。それにより、あまり目立たなかった気位の高さが際立つようになり、言うところの「お嬢様」感が、他者を渋面にさせていた。

 浪恵のことはともかくとして、陽子自身も自分のことが知りたかった。蓮治に好意を抱いているのかどうか、さっき問われたとき「分らない」と答えたが、そこに偽りは無く、自分さえもが「分らない」のだから、答えを返すのに窮するのだ。

(私は、蓮治の事が好きなのかな・・・)

 何分、今までこんな苦悩をしたことがないため、陽子は困惑している。

小五の時に、俗にいう「両想い」という仲に、一瞬私となった子がいたが、無論初体験であり、何をどうすればいいのかに戸惑い、僅か一週間で破綻した記憶がある。それが苦い思い出となり、異性を好きになるなんて、それ以降皆無のことだった。その私に現在「疑惑」がある。正直言って、自分でも驚いてしまう。第一、その「苦い記憶」の相手の子の名も、竹田か河竹か竹村か、思い出せないのだから、よほどトラウマになっているらしい。

浪恵が帰って、陽子も店を出ようかと思ったが、その気になれず、少しの間黙考していた。途中、気分転換に紅茶を頼んだ。浪恵は千円置いていってくれたので、二人分のアイスコーヒー、そして今頼んだ紅茶を合計しても、お釣りが返ってくる。

店員が運んできてくれた紅茶に、ガムシロップとミルクを入れ終わったそのとき、自分の鞄から着信音が響いてきた。

誰からだろう、と取り出した画面には「公衆電話」の四文字が記されていた。

「はい、もしもし」

恐る恐る耳に当てると、相手も「もしもし」と訊ねてきた。

――あ、さっきはごめん。電池切れちゃったから。

蓮治だ。先ほど電話が蓮治の言うように、電池残量が限界に達し、通話を遮断されてしまった。充電ができないから、公衆電話からかけてきてくれた。そういうところの配慮は、さすが蓮治の優しさと言うべきである。

「ど、どうしたの?」

数分前の緊張感が蘇ってきた。

――それはこっちのセリフだろ。わざわざ公衆電話からかけてやっているんだからさ。

「どうして電話番号分るの?」

――陽子の番号くらいソラで言えるから。記憶力は昔からいいものでね。それより、早く教えろよ。さっきの話の続き。

「だから、その・・・」

陽子は息を飲んだ。

――何だよ。ためるなよ。

「あの・・・頑張ってね」

――は?何を?

「サッカーの試合。確か、大会、近かったでしょ」

――そんなこと?じゃあ、あの間は何だったんだよ。そんなこと、すぐ言えんだろ。

「ちょっと、いろいろあって」

――何訳わかんないこと言ってんの?

「いいから、いいから。頑張ってね。大会。じゃあ、また」

不自然な陽子の対応の末、電話を切ろうとしたとき、「ちょっと、待てよ」と蓮治が慌てるように止めにかかった。

――おまえさ、頑張ってねとか言うぐらいだから、大会来いよ。

「え!」

――観客席で見とけよ。俺が渾身のシュート決めてやるから。

「・・・分った」

――よし、決まりな。絶対だからな。じゃあね。

「絶対」を強調して蓮治は切った。陽子は安堵の息を思わず漏らし、そして自然と笑みが零れた。

「サッカーの大会」という逃げ口を思い出し、何の躊躇なく逃げていったのだが、蓮治が思いもよらぬ対応を、それも、陽子の胸をキュンとさせてくれるような対応をしてくれた。それが、陽子には嬉しかったのだ。

ふと横を見ると、窓の外は、まだ小雨が絶えず降り注いでいる。

今まで曇に覆われた胸の中に、急に光が差し込み、清々しい晴れが訪れた。私の記憶が正しければ、朝の気象予報では、これから順調に雨は止んで眩しい太陽が顔を出すはずだ。


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