第六章 正義の在り処Ⅳ
4 十月七日 日曜日
鳥越は蓮治の明らかな動揺に気付いていた。動揺している自分をみせないため、鎮静にしようと努めていることも窺えた。
「峰里大介の編集長の藤村という者の話によると、霊安室へ足を運んだのは自分だといった。何故身内じゃなかったのか、峰里には家族がいなかったのか。それは違った。彼には両親は既に他界していたものの、愛する妻がいた。その妻は遠野の事件のさなか、妊娠中でちょうど入院していた。無事子どもが生まれたものの、夫の訃報を訊いた妻は絶大な衝撃を受けた。そのショックから立ち直れず、一年後虚しくも他界した。そのとき誕生したのが美吉蓮治、いや、峰里蓮治だったんだね。両親を亡くした君を引き取ったのは、血の繋がりもない國又豪、今も君と同棲してる國又さんだった。
実の父親を殺した、そして同時に母親も殺した遠野嘉政を君は許せなかったんだね。物心ついたときはまだ理解できなかったのかもしれないけど、だんだんと父母の死について興味が湧いてきたんだろうね。真実を聞いたのは國又さんからか?」
美吉蓮治は小さく黙って肯いた。
「そうか。國又さんも辛かっただろうね。本当のことを伝えるのは・・・話を戻そう。さっきまで俺は正義のための殺人だと言ってきた。しかし、それだけではなかった。いや、むしろそれ以上に大きな動機があった。両親を殺された十五年前の復讐。
では、河辺浩大が君をかばった理由は何か。ここまでくればだいたい想像はつく。どちらが言い出しっぺかはおいといて、まあ、河辺浩大ということにしておこう。河辺浩大は君のアパートを訪ねた。そのとき、國又さんは不在だったんだろう。偶々留守番をしていた君はそこで河辺浩大と出会った。十五年前の被害者の遺族同士、意気投合したんだろうな。そして、話題は復讐の話になっていった。自分の正義からしても、遠野を到底許せなかった君たちは殺害を計画した」
依然として蓮治は黙っている。西日は刻々と傾いていく。高度が次第に下がっていっているのは蓮治の狼狽や高鳴りを抑えつけているかにも思えた。
すると、蓮治は何もかもを捨てたように語り出したのだ。刑事ドラマにはお決まりの犯人が泣き崩れ、赤裸々に経緯を明かす時間だろう。しかし、蓮治は泣きもしなければ崩れもしなかった。今みたいなタイミングでも正義の強さが根付いている証拠だろう。
「浩大さんと出会ったのは、夏休みも終わりに近づいてきた頃のことでした。アパートを訪問してきたんです。峰里大介の息子を探していたらしく、十五年前、遠野嘉政に殺された河辺仁志の弟だって自己紹介されて、近くの公園で話をしました。最初は当時のことをなぞるようにして語ってくれました。豪兄からはほんの一部しか話してくれなかったんで、興味深かったんです。浩大さんの苦渋の想いがだんだん伝わってきて、俺の方から復讐しないかって提案してみたんです。もし捕まったとき、君の人生を狂わせることになるって言って、浩大さんは賛成してくれませんでした。そのとき、俺はこう言ったんです。『俺が殺します。もしも、警察が俺の元へ来たら、そのときは自首してくれませんか』って」
「なるほどな。俺が病室を出たあと、君は河辺浩大に連絡したんだね。警察が君のことを疑っているって言ったのか」
「そうです。そしたら、本当に自首してくれて。ニュースで見ました。浩大さんが自首をしたって。事件も終わりを迎えたって・・・」
河辺浩大の美吉蓮治への献身は確かなものだったのだ。それがどんな献身であれ、蓮治は嬉しかったはずだ。
鳥越はまだ訊いておきたいことがあった。疑点はまだ全て晴れたわけではない。
「第一の事件のことだが、君はどういった経緯で遠野嘉政に会うことが出来たんだ?」
「それは・・・浩大さんと、次に遠野と会ったときに実行しようと決めたんです」
「え、どういうことだ?」
思いも寄らぬ返答に、催促して説明を急いだ。
「浩大さんと問題になったのは、どうやって遠野と対面するか、でした。殺害しようにも、遠野と会わなければ実現不可能です。それで、浩大さんに持ちかけたんです。次、どちらかが遠野と会ったら、そのときに実行しようってことを言ったんです。もしかしたら、復讐をせずに終わるかもしれない。でも、そう決めました。まさか、こんな早くに起こるとは夢にも思わなかったですけど。あの日は、浩大さんが偶々遠野を見かけたんです。十五年経ったとはいえ、浩大さんの目に狂いはありませんでした。それから、俺のところに連絡が来たんです。遠野が見つかったって」
「ってことは、遠野と会ったのはホントに偶然で、遠野を殺したのはその延長線上ってことか」
美吉蓮治はそうです、と心無しに言った。
ということは、十五年前遠野が殺した日と今回遠野が殺された日が一致していたのも、単なる偶然だったということか。それを確認すると、彼は恐ろしいものですよね、と言って苦笑した。
それから、美吉蓮治は遠野と会ったときのことを語り始めた。
*
「遠野さんですよね。遠野嘉政さん」
「誰だ、君は」
「美吉蓮治、正確には、峰里蓮治ですが」
「峰里?・・・」
確実に相手の気を惹いた。「峰里」の名字で反応するということは、すなわち十五年前の事件に大きくかかわった正真正銘遠野嘉政だということだ。
「時間があれば、話をしたいんですが」
それから、二人はタクシーで大横川親水公園へと向かった。車内ではお互い無言だった。生々しい話をしてタクシードライバーに不可解に思われても困る。それに、蓮治からすればそれなりの緊張はあった。隣に座る遠野とやり合うには心を安静にする時間が必要だった。
目的地に着きましたよ、と運転手が言った。意外にも、代金は先方が払ってくれた。
「ここ、覚えていますか。遠野さん、あなたですよね。俺の父親を殺したの」
「君は峰里とかいう記者の息子かね」
「そうです。まあ、父親といっても、俺が生まれる前に死んだから、実際に顔を見たこともありませんけどね」
「そうか・・・」
「どうなんですか。本当は殺したんでしょう」
「まあ、たとえ人を殺していたとしても、私は人間っぽいような気がして、あながち非行とは思えんのだよ」
「はあ?どういうことだよ。人殺すのが人間的ってことか」
「まあ、人にはいろいろあるんだよ。それも大人にはね」
「ふざけた口きいてんじゃねえよ」
蓮治は遠野の胸倉を掴み上げた。怒りがこみ上げてくる。
「君は」遠野が苦しそうに言った。
「君は、老人を労わるということはしないのかね」
「てめえに、言われたかねえよ!」
手を離し、足で遠野の腹を蹴った。グハっという嗚咽と共に、遠野は後方へよろけていった。石に躓いたのか、後ろへと頭から転ぶ。鈍い音がしたかと思うと、遠野は動かなくなった。蓮治は自分が何をしたのか、我に返った。脈を測ると、こいつは死んでいるという事実を実感した。
「ハハ、人間って弱いんだな・・・」
*
「それから君は現場から立ち去った、ということだね」
「そうです・・・でも、それが遠野の運命だったんですよ。因果応報ってやつです。悪行をした者は、それ相応の最期が待っているんです。自分が人を殺したときと同じ日、同じ場所で、自分は人に殺されて死んでいく。十五年も人生を楽しむ時間があったんです。十分すぎる期間があったんです。遠野は満足して殺されていったんだと思いますよ」
蓮治はまだ中学三年生だ。生誕してから十五年しか経っていない。しかし、鳥越には自分よりも長く生きている人間にみえた。いや、自分との信念の強さの差にそう錯覚しているだけなのかもしれない。
そんな鳥越に構わず、蓮治の話は続く。
「一週間後、俺は向田紗江子という弁護士も殺した。自宅に行き、持参したナイフで刺して死に至らせた。遠野を殺して世間の反応は面白いものだった。ネットでは『十五年前の天罰が下った』とか『影のヒーロー』とか、殺人を肯定するような書き込みさえあった。心のどこかで心地良い気分を抱いていたんだと思います」
「しかし、三人目に殺害しようとした相手は石井恭二郎」
「世の中って、本当に怖いものですよね。陽子の父親だったなんて。二人も殺しておいて、人を好きになって、その相手の父親が、自分が次に殺そうとしている張本人で、だけど、自分には絶対の正義がある。この葛藤は、俺を本当に苦しませたんです。
それからは、俺は地獄のような辛さを味わいました。純粋に陽子を好きでいたかった。でも、もう自分は血塗られた仮面を被っている。とんでもないことをしてしまった。罪の意識がそのときになって感じられるようになったんです。でも、その苦しみも、陽子の笑顔で吹き飛ぶように一時的に消えました。
・・・一つ訊いていいですか。十五年前の事件はあんなに世間を騒がしたのに、どうして捜査はすぐに打ち切りになったんですか。それに、今回だって嘘を真実として世間に公開しましたよね。そんなことを警察がしていいんですか?許されることなんですか?」
鳥越は十五年前の不正投資疑惑についてあからさまに説明し始めた。彼には何を話しても良い、そう思えた。
「十五年前、峰里大介、君のお父さんが殺されたのは、遠野の不正投資の疑惑のネタを掴んでいたからだ。それを直接知った遠野は君のお父さんを殺害したんだ。それを偶然にも目撃してしまった河辺仁志も口封じのために殺害された。その不正投資というのが、事実をも捻じ曲げるきっかけになった。遠野嘉政の弟、遠野義雄という人物がいた。遠野義雄は染谷建設という会社の重役を任されていた。財政的に破綻寸前だった染谷建設に遠野が政治資金から不正に投資し、回復を図ったんだ。厄介なのは、その取引に、現役の警察官が絡んでいたことだ。その警察官というのが、君も良く知っている國又豪の父親、國又教史氏だったんだ」
「え・・・そうだったんですか」
蓮治も驚きを隠せなかった。それはそうだろう。十五年前の事件が好ましくない終盤を迎えた理由に大きく関わっていた人物が、彼の最も身近にいた國又の実父なのだから。
「元々君のお父さんと親しかった訳もあるだろうが、もしかしたら、父親の罪を少しでも償うため、君を引き取ったとも考えられる。
君のお父さんの遺体を霊安室で最初に確認したのは、峰里大介と同じ新聞社の編集長だった。その編集長が言うには、自分が霊安室へ足を運んだあと、若い青年が駆けつけたらしい。その若い青年というのは、おそらく國又さんだろう。
実は昨日、君のアパートを訪ねたんだ。君は留守だったけどね。目的は、十五年前の真実を聞くためだ。そのとき、最後に國又さんから言われたんだ。『蓮治を助けて欲しい』ってね」
「え?」
「國又さんは君の異変に確かに気付いていた。君が人を殺したことも、薄々気付いていたんだと思う。
この現場に城川中学の制服のボタンが落ちていた。それも、九月二十二日土曜日に見つけた。この小さな手掛かりのおかげで、君に辿り着くことができた訳だが、よくよく考えてみると、おかしなことだった。もしも、犯人が落としたものだったとしたら、九月十七日、鑑識課が現場検証したときに発見しているはず。日本の警察において、見落としたこと可能性はゼロに等しい。だったら、いつ誰がボタンを落としたのか。これは、俺の推測だが、このボタンを落としたのは國又さんだと思う。君に正直に罪を償ってほしかった。その想いが、行動になって現れ出たんだと俺は思う」
蓮治は黙ったまま俯いている。それがどんな心境を表しているのかは、到底理解のできるものではないだろうが、一言では言い表せない感情だと鳥越は勝手に決め付けていた。
次に彼が口を開いたのは、そう遅くはなかった。
蓮治の足元からは長い影が伸びている。樹木と高いマンションに囲まれている二人のうち、一人は光に包まれ、もう一人は影に囚われていた。
「鳥越さん、正義って何だと思います?」




