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正義の在り処  作者: ゼロ
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第六章 正義の在り処Ⅰ

第六章 正義の在り処



   1 十月五日 金曜日



 柳から連絡があったのは今日の午後八時を過ぎたころである。久しぶりに屋台のおでん屋に行くか、と誘いがあったのである。自宅で暇を持て余していた鳥越は、もちろん肯定したが、いきなりどうしたのだろうと逆に奇妙に思えてしまった。

 外はパラパラと雨が降っていたが、鳥越は傘を差さずに出かけた。めんどくさいからも一つだが、少し雨に濡れたいからという理由もあった。それから三十分もしないうちに、二人は懐かしの煙が立つ屋台で落ち合った。

このおでん屋は還暦少し前の恰幅の良い強面の初老が立ちあげた屋台で、柳との行きつけの店だった。しかし、ここ二ヶ月くらいは顔を出していない。もう二ヶ月経つのか、と時の移ろいに物寂しげな想いが募った。

 鳥越が着いたとき、柳は既にのれんの向こうで座っていた。ゆっくり歩み寄り、それを潜ると黙って席に着いた。

「一体、どうしたんですか。急にこんなところ」

「いいじゃねえか、今日ぐらいは」

「今日ぐらいはって、どういうことですか」

「・・・捜査本部が解散になったよ」

「え?」

 鳥越は言葉を失った。唖然して開いた口のまま、柳の次の言葉を待った。

「今回の二つの事件(ヤマ)は、河辺浩大が犯人という結論で収拾するようだ。案の定、特に十五年前のことに深く関わってはいない動機で、マスコミに公表するらしいしな。それで、世間の腹の虫が治まればいいが」

「そんな・・・」

頭を抱える鳥越の言葉は喉で詰まったまま上手く出なかった。この無常感に思わず涙が零れそうになる。しきりに、どうして、どうして、と嘆きが漏れる。あいよ、と言って店主がおでんを乗せた皿を渡した。

「辛いときは、それ食べて元気出せ。まだ若いんだから、挫けんな」

 強面だが優しさのある店主の激励と、作ったおでんの温かさが一緒になって鳥越の胸を熱くした。それこそ、瞳から雫が落ちるほど温もりを感じた。でも、やりきれない想いによってわだかまりが生じる。

「どうして、こんなことになるんですか。俺たちの今までの努力は何だったんですか。必死になって捜査して、あれこれ推理して、結局全ては水の泡。かといって、結論は矛盾だらけ。正義の欠片も感じられない。先輩、これでいいんですか!このままおめおめ引き下がれるんですか」

 柄にも無く立ち上がり息を荒くした鳥越は、柳のビールを飲む姿を一瞥すると、視点の位置が彷徨った。高揚した感情を鎮静させると、ため息と共に腰を下ろした。眼の前では美味そうな湯気がめらめらと立っている。食欲を注がれるが、今の鳥越にその気はなかった。先ほど出されたおでんも、喉を通った感覚はあったが、胃に溜まった気は全くなかった。

 依然として沈黙を貫く柳が次に口を開いたのは、そう遅くはなかった。

「おまえの言い分はもっともだ。俺だって引き下がるなんてことこれっぽっちも思っちゃあいねえよ。まだ希望はある。それを伝えるために、俺は今日おまえを呼んだんだ」

「え、希望って・・・」

「十五年前、警視庁に勤めていた人間のなかで、その翌年に退職している者がいた。いや、退職させられたと言って方が妥当だろうな」

「マスコミの興味が冷めた頃にその警察官を退職させたってことですか」

「まあ、そうだろうな。その男、枝野良夫というんだが、その人物は今、茨城に引っ込んで暮らしているらしい。その人物が何かを知っているかもしれない。いくらもいた刑事の中で、唯一正義を貫き、誰も知らぬまま去った無名のヒーロー、だからな」

 無名のヒーローという響きに、いささか感激した。十五年前も警察の在り方に疑問を抱いた人間がいたのだ。上層部に威圧され、影で職を辞した人間が確かに存在したのだ。

「明日、行かないか?」

「え?俺も、ですか」

「同じ目的を目指す者同士だろう。俺もおまえも、もうあの事件を外された刑事だ。行動を共にしようが何しようが勝手だろう」

 もう事件は終わった。一つの節目を迎えた。しかし、まだ追いかけなければならない真実がある。長い洞窟は途中で新しい道を無理矢理作られ、「虚実」という出口を出た。表向きはそれが「真実」の出口だと信じるのだろう。しかし、「真実」の出口に誰かが辿り着かなければならない。誰かが歩まなければならない。その責任を鳥越は今感じた。もしかしたら、これから先何が待っていようとも、結果が変わることはないのかもしれない。

――でも。

 無名のヒーローの称号を掴み取りたかった。本当の刑事とは何なのか追求したかった。そして、正義とは何かを知りたかった。

「先輩、ありがとうございます」

 鳥越は深々と頭を下げた。既に目頭が熱かった。何が何でも、柳にただ伝えたかった。感謝の言葉を、深い一礼と共に伝えたかった。

 すると、柳は立ち上がり、右手を差し出した。大きくて深みのある、血筋が輝いて見えた手だった。鳥越はその手を縋るようにして握った。

 それを実見した店主が、腕を組みながら色の薄い唇を動かす。

「刑事の絆、だな」


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