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正義の在り処  作者: ゼロ
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第五章 黒雨の禁忌Ⅲ

   3 十月五日 金曜日



 蜘蛛の子を散らすように、たちまち蓮治の浮気の噂は広まった。その日から蓮治、そして陽子はクラスで浮いた存在になった。席が隣同士というのも、お互い嫌なことだった。会話も皆無に等しく、二人からは恋人という雰囲気が全く窺えないだろう。

 わだかまりが残る空気で、一時限目はやってきた。このクラスの担任坂田先生の国語の授業である。風の便りで事情を把握しているのか、坂田先生もいつになく緊張、羞恥心らしき感情が顔に出ていた。口には出さないが、見様によっては面白い。

しかし――蓮治は思った。

世の中、不思議な偶然があるもんだ。全知全能の神がいるならば、その神は絶対に個々によって差別している。蓮治と希のキスシーンに陽子が居合わせていたとは、まるで浮気現場の修羅場を実体験したような気分だ。もっとも、蓮治に意思はなかった、希の一方的な好意だったが。それにしても、ぴったりタイミング良く(悪く)、鉢合わせになったもんだ。無性に人為的な遭遇に思えてくる。

(もしかしたら、本当に誰かが仕組んできたのではないか)

 蓮治はふと思った。いや、絶対に違いない、頷く度に自信が湧いてくる。その場合、つまり蓮治と陽子が破局して利益があるのは誰だろうか。一人の名前しか出てこない。口づけを交わした美濃希だ。彼女の蓮治に寄せる好意は、二度もその想いを伝えてきたことからも分るように、その蓮治がいうのも何だが、深いものなのだろう。口づけをせがむほどのものだから確かに違いない。蓮治と陽子の二人を別離させ、蓮治を自分のものにしようという魂胆だったのかもしれない。全く魔女のような女である。そう思うと、彼女の顔が牙の鋭い魔女と重なってくる。

 思案に夢中になりすぎて、気が付いたらみんなの眼がこっちを向いていた。

「美吉、聞いてるのか」

 坂田先生の声だ。もちろん、聞いていない。一度黒板に目を移したが、ノートに転記した字は一文字も無かった。これが意味することは、授業を全く聴いていないということだ。

「聴いてませんでした」

 素直に認めた。そのときのみんなの眼は冷淡なものだった。嘲笑しているかのような表情だった。坂田先生も同じような面持ちだった。

「教科書の六十三ページの三行目から読めって言ってんだ」

「ああ、教科書・・・」

 教科書さえも開いていなかったため、坂田先生はすこぶる呆れたようだ。それから一度、蓮治の辿りついた推論「希の野望」について、あれこれ模索するのは中断した。やむを得ず、音読をしたが、蓮治の声は心をそのまま表すかのように、細々とした力のないものだった。

 昼休み、いつものように窓を眺めていた。空模様だけでなく、自身の心もパッとしなかった。少ししてから龍也が話しかけてきた。話題は何となく察せた。

「おまえ、どういうつもりなんだ、蓮治」

「どういうつもりって、どういうこと?」

「美濃とかいうやつと、キスを交わして何とも思わないわけ?おまえには・・・」

「陽子がいるよ」

「そうだろ。だったら何で」

 他人事のくせに、そう言いたかった。その半面、龍也のそういう友達を想う優しさが蓮治にはありがたかった。

「だから、あれは一方的に希が」

「大事なのは経緯じゃなくて、結果だ」

「結果?」

「そうだよ。結果として、おまえは恋人を傷つけてしまった。それが、一番考慮しなければならないことだろう・・・陽子に何か声かけたのか」

「え、いや、何も・・・」

「何も?謝るとか、誤解を解くとか、そういう努力もしないで何景色なんか眺めてんだよ」

 蓮治は突然、心臓が重たくなった気がした。同時に、龍也のことが先輩のように思えた。輝いて見えたのだ。だから、浪恵と今まで良好な関係を継続できていたのかもしれない、と不謹慎にも蓮治は正直に感心した。それに対して自分は正式的にというと言葉がおかしいが、異性と付き合うということをまだ知らなかった。その蓮治には戸惑うことだらけだ。「普段通り接していればいいのだろうか」「そんなことはない」「だったら、どうすれば」と、蓮治なりにもいろいろと試行錯誤を重ねているのだ。

「龍也、一つ聞いてくれるか」

 気を取り直して、蓮治は「希の野望」について話してみた。龍也は聴き終えてから、「なるほどね」と言った。

「でも、それを証明できるのか?おまえの性格からして、そういうことは白黒はっきりしたいんだろう」

「まあね。でも、希望ならある。もしかしたらのことだけどね」

 蓮治は一層真剣な顔をして語り始めた。

「あのとき、陽子は鞄を持っていた。それに、普段帰るときに使用している東側の階段側の扉に立っていたんだ。このことから察するに、陽子は帰ろうとしたんじゃないのかな。あいつ昨日は特に用事なかったらしいし」

「そうだとしたら?」

「帰ろうとして、何故か教室に戻ってきた。つまり、その間に何かがあったと思うんだ」

「でも、忘れ物をしたということも考えられるだろう。決して有り得ないことはない。それに、おまえを待っていて、中々降りてこない蓮治を迎えにきたということもあるだろう」

「もちろん、いろいろ考えられる。でも、龍也。もう一度振り返るけど、この仮説は希が実行犯だという仮定が基盤としてあるんだ。だから、今言ったようなことは除外する必要があるんだよ」

「なるほどね」

「俺の推理だと、玄関にメモでも置いてあったんじゃないかな。希が偽って、俺になり済まし、「話があるから教室来て」でも書かれていたと思うんだ。多分、時間も指定して。それで、何の疑いもなく、踵を返したということ」

「でも、今話したことって、全部陽子に確認すれば分ることじゃないの」

「そうだよ。もっといえば、希本人を問い質せば済むことだ。でも、俺は自分の手で確かめたいんだ。おおよそ把握できたら、陽子にも・・・」

 そう言って、蓮治は教室を抜け出し、階段を駆け下り、下駄箱へ着いた。龍也も後についてくる。

「自分の目で確かめたいわけか」

 蓮治は陽子の靴入れを観察した。陽子のローファーをどかすと、セロテープの跡があった。まだべとべとしているから新しいものだ。ここにメモが貼ってあったのかもしれない。風や、何かの拍子に飛ばされてしまわないように、セロテープで留めるようなところは、希の用意周到さが認められる。

「これ以上は調査実行が困難だな。今思えば、俺が教室に忘れた財布も希が盗んでおいたものかもしれない」

 学校に来たら、いつも鞄の内ポケットにいつもしまっておくのだ。それを忘れるとはどういったことか。今になってはバカバカしく思えてくるが、誰かが知らぬうちに盗んでいたなんて、それこそバカバカしい発想には至らないだろう。

「そいつはおまえら二人を操っていたということか。これからどうするんだ?直接訊くのか」

「謝ることも含めてね」

 それからすぐに、昼休みの終わりをチャイムが知らせた。教室に戻ると、蓮治は紙片にペンを走らせると、隣にいる陽子に強調するようにバンと、机に叩きつけた。少々驚いたようだが、その紙片に視線を落とした。

――放課後 話あるから絶対に教室に来いよ

 その文字、一つ一つの力強さが蓮治の想いそのものだった。

 相変わらず、その後も会話は無だったが、会話無くしても繋がっているようで、先方はどう思っているかは知ったことじゃないが、蓮治は微笑ましかった。

 そして迎えた放課後。掃除担当の生徒も仕事が終わると速やかに帰っていき、昨日のような無人の教室が生まれた。昨日同様天気は雨である。陽子ではなく希が現れたら、まるで恐ろしい夢が繰り返されているかのような錯覚を起こすに違いないが、陽子は予告通り現れたから幸いである。

「話って何?」

 久しぶりに陽子の声を聞いた気がして、いささか感動を覚えた。

「・・・あれ、昨日のやつ、誤解だから」

「分ってるよ」

 即答した。その返答が来るとは想定外だったから、一瞬びくっとした。

「希が蓮治のこと好きだった。それが溢れて行動に出ただけでしょう」

 まるでその言葉を前もって準備していたかのように、陽子は淡々と言った。

「だったら、どうして逃げたりなんか」

「分ってよ!」

 その声は始めて聞く叫び声で、人がいない教室には非常に響いたが、それ以上に蓮治の心の核を震わせた。天を厚く覆っている灰色の雲も吹き飛ばすのではないか、蓮治は窓に近寄った。

「分ってよ。私の気持ち。私じゃない女の子とキスするなんて、私どう思ってると思う?ねえ、蓮治、答えてよ」

「ごめん、ホントに傷つけたと思う。でも・・・」

「蓮治のせいじゃない。そうだよ、蓮治のせいじゃないよ。全部あの女のせい。私、希が許せないの。蓮治、希をさあ、懲らしめてあげてよ。罰を下してよ。蓮治の正義なら絶対に許せないでしょう」

「陽子・・・」

 涙で嘆く陽子が、初めて陽子らしく見えない瞬間だった。笑顔を絶やさない温もり溢れる陽子ではなく、何か悪いものにでも憑依されたのではないか、少し恐ろしくも思えた。

「俺には、できない。罰を下せない」

「どうして?前の蓮治なら、絶対に・・・」

「俺はお前がいるから、自分の正義よりも愛を優先することを学んだ。だから、これからは『正義』を看板に懲らしめるなんてことしない」

「そんな・・・」

 陽子はうなだれた。そして、口元を押さえながら崩れた。そのとき蓮治は気付いたのだ。既に、前の自分がいないことを。自らの正義を神聖なものだと崇める「美吉蓮治」ではなく、物の善し悪しを理性的に判別できる一人の人間「美吉蓮治」だったのだ。ぼんやりと意識していたのかもしれないが、言葉として認識したためか、痛いほど実感できた。

 陽子から驚愕の言葉が漏れたのは、「もういい」と諦めにも、別れのサインにも捉えられる発言の後だった。

「人、殺してるくせに」

 蓮治は全身が凍結したように、ピクリと動けなくなった。「どういう、ことだよ」と、恐る恐る振り返ると、陽子は教室から去っていた。

近くの机に腰を乗せ、しきりに振り続ける雨の色が黒く見えたのは、幻覚が見えるほど動揺していたことに他ならないのである。


陽子の激昂の末、厳粛とした歩みで家に帰ってから、食も進まず、床に就いてからも蓮治は寝付けなかった。

――人、殺してるくせに。

 陽子の言葉が、脳の中で幾度となくグルグルと繰り返されていた。反芻できないから、瞼が閉じないのである。もう既に熟知しているということか。蓮治の何もかもを。まず、それ以外考えられない。どうして陽子がそれを知っているのか。頭が働かなかった。ただただ陽子の言葉が、生まれては消えをリピートしているのだ。

「くっそお!」

 蓮治は枕を投げつけた。それは怒りではなく、後悔の爆発だった。何故人を殺してしまったのか。正義なんて、後になれば自分を惨めにする材料でしかない。

――正義のせいで、人を殺した。

――正義のせいで、陽子を傷つけた。

――正義のせいで、自分は苦しんだ。

――正義のせいで、俺の人生は・・・。

 今まで信じてきた正義がこれほどまで「負」の力に働くとは、悔しいほどに裏切られたような気がして、蓮治は拳を床に叩きつけた。


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