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正義の在り処  作者: ゼロ
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第五章 黒雨の禁忌Ⅰ

第五章 黒雨の禁忌



   1 十月一日 月曜日



 翌日、自宅謹慎中の鳥越は柳と近くの小規模な公園で密会していた。木造のベンチに腰を掛けながら、鳥越は必死に耳を傾けていた。現在刑事ではない身である鳥越にも一人の刑事として接してくれるのは、「本当の刑事」を気付かせたためだろうか。柳の本心がどうであれ、感謝が込み上げてくる。

 柳の話した内容は突飛なもので、一驚に値するものだった。

 午後六時頃、つまり鳥越が連絡をもらう一時間前のことである。河辺浩大が最寄りの警察署に姿を現し、自首をしたという。遠野嘉政、向田紗江香が殺害された事件について話したいことがある、と。その後、警視庁へと身柄が移されたとき、柳が隙をみて鳥越に連絡したという。昨日の電話では、これから事情聴取だと焦ってすぐ切られた。それから数時間後、柳から明日詳細を話す、と一報が入ったのである。

 河辺浩大の供述は確かに事件に沿った、納得のいくものではあった。

 九月十六日の夜、現場近くに用があって歩いていると、現場の大横川親水公園を橋の上から眺めていた。それを目撃した河辺浩大は前にも後にもこんなことはない、千載一遇のチャンスだと思い、声をかけ、自分の素性を明かすと、二人は階段を下った。十五年前の事件について腹を割るよう遠野嘉政に懇願した。一度無罪判決の下った人間を同じ事件、同じ罪で再審は不可能だということはお互い把握していた。しかし、河辺浩大はどんな形であれ、罪を認めて欲しかった。次第に遠野との対立が口論へと発展していき、ついには殺害してしまった。

 そしてその一週間後、向田紗江子の自宅を訪ね、ナイフで刺し殺した、と河辺浩大は何のためらいもなく密室部屋で語った。

 兄の河辺仁志を絶対に殺害したのにも関わらず、何の罪にも問われなかった遠野嘉政を、十五年間ずっと憎んでいたと河辺浩大はいったらしい。これまでに一度たりとも奴の名前を忘れたことはない、とも。柳と共に河辺浩大の酒屋を訪ねたときにも、同じようなことを言っていた記憶がある。動機はもちろんそれである。

向田紗江子殺害の動機も同様である。向田弁護士が遠野嘉政を無罪という扉へ導き、犯罪者を野放しにしたといっても過言ではない。それを理由に殺害したのだという。

自首しようと腹を決めたのは、罪の重さから抜け出したいという悔恨と反省の一心からだったらしい。本人は素直に罪を受け入れる様子だった。

「だが、一つ問題なのが、具体的な殺害方法、犯行時間は忘れたといって喋らないことだ」

「え?それは、不思議ですね。そこまで罪を認めているのならば、そういった詳細も赤裸々に話せると思うんですが・・・もしかしたら、何か隠しているのかもしれませんよ」

「例えばどんなことだ」

「そうですね・・・誰かをかばっているとか」

「まさかな・・・おまえ、そこで例の中学校の件と繋がらせるんじゃないだろうな」

「え?いや、その・・・」

「そんなこと有り得るわけない」

「有り得るんです」

 鳥越は遮るようにして言い放った。それから、今までのことを語った。城川中学の教師をしている恋人結衣から、ピックアップした人物。その人物は学校で正義を看板に問題騒動を起こした生徒、美吉蓮治という少年であること。その蓮治が出場するサッカー大会に昨日、鳥越も観戦しに行ったこと。そこで彼に話を振ったところ、明らかに動揺している姿が見受けられたこと。

「だからといって、直接犯人と結び付けるのはどうかと思うがな」

「しかし、浜田のり子の家宅に設置された防犯カメラには、死亡推定時刻内に河辺浩大らしき人物が被害者の自宅を訪ねた様子はありませんでした。代わりに映っていたのは、少年・・・」

「確かにな、そのうえ、昨日確認したが、河辺浩大が履いていた靴は二十六センチ。遠野嘉政の腹部につけられた足跡は二十八センチ。サイズが合わないってことは・・・」

「犯人は別にいます。つまり、第一の事件も第二の事件も、自首した河辺浩大の犯行は不可能です。彼に二人は殺せない」

「ま、おまえの推理で賛同できるのは、誰かをかばっているってところまでだな」

「でも、俺は絶対美吉蓮治が怪しいと思うんです。まるで死んだ親父があいつを疑え、って言ってる感じがするんです」

 ありのままの心情を柳に訴えた。死んだ親父が・・・と言ったくだりも実のところ定かではないが、第六感まがいなものが働いたとき、親父のリードなのかもしれない、とふと感じるときがあった。

「それについてはおいておこう。今はどうすることもできない。それより、最も憂慮すべきなのはこのまま事件が終わる可能性があるということだ」

「え、どういうことですか?」

「河辺浩大が自首したことを利用して、上では早々に片付けるらしい。おそらく、動機も十五年前の事件には一切関係のないものをでっちあげて公表するんだろうな」

「そんな・・・」

 鳥越は絶句した。いわば正義の象徴である警察組織が、地位や保身のために事件を隠蔽することが許されるのか。自分もその組織のうちの一人であることに、鳥越は大いなる恥じらいと憤りを覚えた。

「いくら俺らが足掻こうと、もう事件は闇に葬られる。それを寄り戻そうとしたら、次は俺たちの足元が揺らぐからな」

 柳先輩のリアルな口調から、ただの冗談で言っているわけではないことを身に沁みて伝わってきた。警察もいわゆる縦社会だ。上位の者に背けば、下位の者は捨てられる。今の御時世、これはどこにでも通用することだ。スクールカーストや院内カーストといった風潮は代表例だろう。このバランスが絶妙な釣り合いを保てる人間こそ、「社会」という戦の場を耐え抜くことができるのだろう。

「でも、先輩の言うとおりのことが起こったとしたら、先日話したことがいよいよ現実味を帯びてきますよね。十五年前の遠野の不正疑惑に警察の人間が絡んでいた疑惑です。それに、当時の染谷建設も一枚噛んでいるかもしれないってことはつまり、遠野が何らの理由で染谷建設へ三千万の不正投資をし、その過程のどこかで警察関係者が援助をした」

「俺も、その件は気になって調べてみたんだ。お前が、自宅に引き籠っている間にな」

「・・・すみません」

 バツの悪そうな顔を露骨に見せて小さく呟く。

「ま、それのおかげで染谷建設が遠野と繋がっている可能性が高いことが分った。遠野の弟、義雄っていう奴が染谷建設の重役だった。バブル崩壊から不景気が到来していた当時、染谷建設は設立された。しかし、やはり実績に伸び悩み、金銭的にも危うい事態に立たされていたという。低迷している期間が続いていたが、あるときを境に右肩上がりの成長をみせた。それがちょうど十五年前のことだった。無論、遠野嘉政に不正投資の疑惑、そして殺人の疑いがかけられていた頃だ」

「そうだったんですか。遠野と染谷建設は繋がっていた。だとしたら、河辺仁志と遠野嘉政の二人がお互い面識があったとも考えられますよね」

 柳先輩が指を鳴らした。洒落た仕草に鳥越は珍しさを感じた。

「ビンゴだ」

「え?」

「遠野嘉政の弟、義雄が信頼していた人物がまさかの河辺仁志かもしれない情報を得た。もしかしたら、面識があったのかもしれない」

「だとしたら、こうも考えられませんか。河辺仁志は遠野義雄の掌の中だったとはいえ、不正投資という非行に反対的だった。そのため、峰里大介に情報を垂らし込み、遠野嘉政がマスコミを敵に回し、あわよくば不正投資の一件も露出してくれればと願っていた。しかし、峰里が問い質した末、遠野に殺されてしまい、偶々居合わせた河辺仁志も口封じされた。結局は、三人全員が顔見知りの間柄だった」

 柳先輩は黙っている。何か見解を言うのか、鳥越は心待ちにしていると、いきなり立ち上がった。鳥越に背中を向けたまま、咳払いを前置きにこう言った。

「鳥越、成長したな」


 その後、柳先輩とは別れた。これからも河辺浩大の取り調べの担当に付くらしい。一方、鳥越はどうしようか迷ったが、目的地を決めた。

 柳先輩の去り際の一言は、大きく響いた。成長した、というのはまだまだ認めてはくれていない、ということだが、それでも嬉しかった。

 すこぶる快調の鳥越は、蓮治のアパートに向かっていた。住所は結衣に頼んだ。案の定、初めは抵抗を見せたが、粘り強く交渉すると渋々教えてくれた。鳥越が本気で蓮治のことを疑っていることに、結衣は好ましい感情は抱いていないようだ。

 来る途中、そこそこ大きな公園があった。まだ小学生にも満たない子どもたちの歓喜の声が、なんとなく緊張をほぐしてくれた。

 どうやら二階の部屋のようだ。ところどころ錆びている階段を上り、狙いの部屋の前に辿り着く。表札には國又、美吉と二つの名字が記されていた。インターホンを鳴らすと、まもなくしてドアが少しばかり開いた。現れたのは四十前後の顔立ちに品格のある男だった。

「どちら様ですか?」

「警視庁の鳥越という者です」

 警察、と男は顔をしかめて繰り返す。一般市民の珍しくない反応だ。突然警察の人間が訪問してきて、不愉快にならない人間はいないだろう。この男がおそらく國又豪だ。蓮治とずっと一緒に共生しているらしいが。

「ある事件の捜査をしているのですが、美吉蓮治君って、ご在宅ですか?」

「いえ、学校行ってますけど」

 怪我をしたのは昨日だ。大胆に頭を殴打したはずだが、一日で回復して、学校まで行くとはなかなかの度胸と再生力まがいなものがあるのだろう。電話で結衣は「分らない」と答えていたが、まさか登校するとは。彼が不在だからといって、改め直すのももったいない。この國又という男からも話を聞きたかったのも一つの訪問の理由である。

「そうですか・・・あの、少しお話伺えますでしょうか」

「ええ、まあ。玄関先ではあれなんで、中へどうぞ」

 お邪魔します、といって中へ入る。大人二人が横に並んだら詰まるのではないだろうか、と思わせるくらいに狭い廊下を案内され、リビングに着くと、視界がパッと広がった気がした。椅子に座るように勧められ、その通りに鳥越は動く。國又は冷たそうなお茶の注がれたコップを二つ持ってきた。

「國又豪さんですよね」

「そうです。調べてから訪ねてきているわけですか」

「ええ、まあ。幼い頃に両親を失った美吉蓮治君にあなたが手を差し伸べたというのは本当でしょうか」

「ええ、そうです。蓮治の父親が亡くなったとき、その父親と親しくしていたわたくしが蓮治を引き取ったんです。普通のサラリーマンで収入もそれほど高くはありませんが、蓮治が自立するまでは面倒を見ると自分自身に誓ったんで」

「親戚などはいなかったんですか。祖父母とかは」

「随分前に死んだらしいですよ。親戚も聞いたことありませんし、いないと思いますよ」

 どこか自棄になっている様子の國又だった。

 しかし、蓮治に両親も親戚も皆無とは少なからず魂消た。その半面、納得のいくものがあった。國又の助けは確かにあっただろうけど、ほぼ孤立した状態で生き抜いてきた美吉蓮治が、「鋼のメンタル」と称されるほどの強い心の持ち主だからって驚く要素はどこにもない。もしかしたら、両親の死を、自分自身を強くすることで立て直していたのかもしれない。

「あの、不躾な質問で気を悪くしたら謝りますが、ご両親は病死だったのでしょうか」

「は?」

「蓮治君の父母は病魔に侵されて亡くなってしまったのでしょうか」

 鳥越の目が光った。目が泳いだことを始め、そのとき、國又はもどかしさやためらいといったマイナスの情が心の端から端を走っているに違いない。ただの勘違いではない。鳥越はそこに大いなる意味があると踏んだ。

「そうです。両者、癌に冒されたようで」

「そうでしたか。お悔み申し上げます・・・ところで、この頃蓮治君に変わった様子などございませんでしたか。どんな些細なことでもいいんですが」

「それは、どういう意味ですか」

 國又の警戒の色がさらに強まる。蓮治が何かしたのか、と訴えてくるような眼差しが向けられている気がした。

「何かに怯えていたり、横暴になっていたり」

「さあ、家では特に変わりはありませんでしたけど。学校のことは知りません。彼女ができて浮かれてるぐらいじゃないですか」

「陽子さんのことですね」

「おやおや、そんなことも警察は調査するんですか」

「捜査の一環です」

「ま、悪く思わないでおきますよ。そういえば、昔に会ったことがあったみたいですよ、あの二人。何でも、小学生の頃、ほら近くに公園があったでしょう。昔からあそこ憩いの場でね。蓮治と一緒に遊んだ記憶はたくさんあります。ある時期、陽子さんがこの辺に住んでいたらしくてね」

 それから國又は、美吉蓮治、石井陽子の恋物語を快く語ってくれた。自宅謹慎中でろくな捜査もできないため、半ば関心はなかったが、その話に深く感動させられた。ロマンチックな言い方をすれば「赤い糸」的な運命を辿る二人が現実に存在するとは、鳥越のような薄情な職務を全うする生き方をしていても、人生捨てたもんじゃないな、と前向きな思考にさせてくれる。同時に、あの二人が最高に幸せ者なんだと、何の由縁もない鳥越でも微笑ましかった。

「では、特に変わった様子はなかったんですね」

「ええ、まあ・・・」

 曖昧で非常に如何わしい反応だったが、それ以上口を割ることはないと判断し、すぐに引き上げようとした。玄関の扉を開け、「ああ」と何かを思い出したように鳥越は言った。

「最後に一つ訊いてもよろしいでしょうか」

「何でしょう」

「近頃、蓮治君に制服のボタンの購入などは頼まれなかったでしょうか」

「は?いいえ」

「そうですか。では、失礼します」

 背を向けようとしたとき、國又が鳥越のことを呼んだ。

「鳥越さんの目的って何ですか?自分で言って何ですけど、わたくしは割と人が良い方だと思っています。だから、こうしてあなたの話を従順に聞きました。でも、こういうこと望まない、嫌う人の方が、一般社会多いものでしょう。それはともかく、あなたの目的って、追っているものって何ですか?」

 今までそのことについて触れずにいてくれたのは幸いだった。このまま何とかやり過ごそうと足早に帰ろうとしたが、帰り際になって訊かれるとは。返答に窮している鳥越に「具合が悪いことなんですか」と配慮してくれた。そして、一番無難な答えに思考が辿り着いた。

「では、蓮治君に訊いてみてください。勝手な推測ですが、多分、彼なら分るはずです」

 國又の表情も窺わないまま、逃げるように階段を駆けていった。後ろでバタンとドアの閉まる音を鼓膜が察知すると、鳥越はふりかえって今までいた部屋を一瞥した。

その後、鳥越は蓮治と陽子の思い入れのある場所でもある公園に寄り道した。自販機にコインを入れ、コーヒーを買ってふたを開けると、昨日のことを思い出した。同じように、缶コーヒーを開けていたことを。ふいに陽子の涙と嘆きが脳裡に蘇ってきた。

美吉蓮治と石井陽子。あの二人は運命によって導かれた出会いをした。先ほどの國又から聴いた話をもう一度思い返す。

國又の話によれば、小学一年生だった蓮治が走っていると、ある女の子とぶつかって、その際にひらひらと川の中へと落ちていった彼女のハンカチを取りに、厳寒の水中へも恐れずに彼は踏み入れていったそうだ。この事実を知ったのも、実のところ蓮治が最近話したからだそうだ。というのも、物置の奥の方にしまってあった通称「宝箱」を開ける機会が、近頃蓮治にあったらしく、そのときに黄色いハンカチが出てきて、その実体を知るため、國又に相談したところ、美吉蓮治の過去の記憶が蘇生したという。当時の國又は、蓮治少年の武勇伝の最後にしか直面しておらず、「ずぶ濡れになった蓮治がいたなあ」「それから、名前が刺しゅうされたハンカチを持っていたんだよなあ」というように、断じて曖昧なことを呟いただけだそうだ。それにしても、文字通り「宝」が出てきたんだから、「宝箱」という呼び名も相応しい。

 もしも自分が当時の蓮治の立場だったら、と鳥越は本気で考える。彼のような男前な振る舞いができただろうか。そう考えると、本当に自分が情けなく思えて、大声で叫んで鬱憤を晴らしたくなる。

 そのとき、鳥越に降ってくる事実があった。

 確か、十五年前の裁判の検察官の名前は・・・。

――石井恭二郎。

 まさか、と鳥越の頭の中には新たな線が生まれた。城川中学の生徒と十五年前の事件が一本の糸で繋がれた。すぐさま、柳に連絡をする。

「柳先輩、十五年前の事件の検事、石井恭二郎のことなんですが」

「それがどうした」

「石井恭二郎の家族構成って把握してますか」

「いきなりどうしたんだよ」

「石井恭二郎の娘に陽子という名前の娘がいるはずなんですけど」

「そういえば、確かにいたな。実の娘ではなかったはずだが」

「そうなんですか」

「その陽子っていう娘の母親が一度離婚したあと、もう一度結婚したんだ。その相手が石井恭二郎だったらしい」

「・・・そういえば、まだ殺されていませんね。石井恭二郎。十六日、二十三日。どちらも日曜日でした。ってことは、昨日殺されていてもおかしくはありません」

「ま、河辺浩大が真犯人じゃなかったらの話だがな」

 鳥越は柳先を無視して、話を先に進める。

「美吉蓮治の付き合っている女子が、石井陽子って名前なんです。もしも、本当に真犯人が美吉蓮治だとしたら、彼の恋人の父親を殺せるはずがありませんよね。たとえそれが母親の再婚相手だったとしても」

 携帯画面の向こうで、柳が黙っている。柳さん、と一度呼ぶと、ふう、とわざとらしいため息が聞こえた。

「そっちの件はお前に任せた。好きにしろ」

「え?」

「俺は俺の捜査をする。なら、おまえはおまえの捜査をしろ」

「・・・はい、分りました」

 自由に「捜査」しろと言われたのか、責任は自分で持てということか、見放されたというべきか。とにかく、我が道を行けというメッセージに変わりはない。言われた通り、鳥越は自分の独断で捜査をする。

 恋人の父親を死に至らしめることなど、絶対にできるはずがない。しかし、蓮治は迷い、苦しんだはずだ。なぜならば、彼には何をおいても尊重し、優先し、信頼してきた正義が存在するからだ。今まで貫通してきた正義が、「愛の力」で崩れてしまうのだから。彼のような生い立ち、境遇、人柄でなければ、この心情は到底共感できないものだが、鳥越には納得のいくものがあった。そのわけは、彼の素性をしつこく追及しているせいかもしれない。しかし、もっと大きな根拠があった。

 それは、鳥越俊一郎と美吉蓮治、この二人の人間が類似しているからに他ならない。時期は違えど両親を亡くしていること、自分を愛し、支えてくれる恋人がいること、まっすぐに突き進むことができる俗にいう「強さ」があること。「彼のような生い立ち、境遇、人柄」の人間に鳥越も当てはまるのではないか。

 鳥越は川の方へと足を進めていった。

――ここで二人は出会ったのか。

 蓮治の武勇伝はこの川から生まれたものだ。公園に流れる川としてはそこそこ広い川だ。薄暗い青色がゆっくりと流れていく。

 蓮治と陽子はお互いがぶつかり合い出会ったわけだが、鳥越だって、中学時代に何の感情も抱かなかったような結衣に、社会人になってから好意を抱き始めたのだから、運命的といえば運命的なのではないだろうか。近頃の恋愛ドラマにでもありそうな話だ。

 「運命」といえば、今回の事件において、美吉蓮治に辿り着いたのもそれらしきものに誘われた感じだ。大横川親水公園で遠野が殺された一週間後の土曜日に現場を眺めていたのも、第二の被害者の自宅近くの防犯カメラに映っていたのも紛れもない少年。第一事件現場から発見されたのは、城川中学の制服ボタン。その城川中学の生徒で、自らの正義を大いに信仰している少年とは美吉蓮治。その美吉蓮治の恋人が第三の犠牲者になるかと思われた石井恭二郎の娘。まさに「運命」と称するに適した捜査結果だ。

「制服ボタン、か」

 それがネックな課題点だ。夜間に制服を着て人を殺そうとするだろうか。そもそも、警視庁の優秀な鑑識課の人間が重要な証拠品を見落とすわけがない。九月十七日の現場検証の際に、発見されていたはずだ。つまり――。

 鳥越は國又の住むアパートの方へ振り向いた。蓮治がこれからどうするのか、どういった道を行くのか、鳥越は一度瞳を閉じた。

 次第に明かされていく事件の謎はいつになれば全てが明かされるのか。現在の真実へ続く長い洞窟のどこの地点まで辿り着いたのだろうか。

 鳥越はゆっくりと歩み、公園を後にした。背後で揺れる巨木の葉が奏でた切ない音は、曇天の空へ静かに消えていった。


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