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正義の在り処  作者: ゼロ
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第四章 白線の交わりⅤ

   5 九月三十日 日曜日



 美吉蓮治は瞼をゆっくりと開けた。

――ん?

 記憶がしっかりしていない。どこかの部屋らしい。一番最初に目に飛び込んできたのは天井だったから、そう思った。次に、嗅覚が臭いをキャッチした。病院特有のツンとくる臭いである。

(病院の一室か・・・)

 では、何故ここに自分は寝ていたんだ。その質問が浮かんできたが、それを考える前に、誰かの顔がぼんやりと眼に入った。一度瞬きをしてから、もう一度ゆっくりと瞳を開けると、その顔の持ち主は紛れもない陽子だった。

「あ、蓮治。気がついた」

 よかったあ、と安心したような声を出した。何故「よかった」のか蓮治には理解に苦しんだが、身体を起こしてからいろいろと訊こうと思った。

「陽子。ど、どうして。ここに・・・ってか、ここってどこだよ」

 身体を起こそうとしたが、ベッドから四十度くらい持ち上げたところで、頭部に激痛が走った。瞬間的に「痛っ!」と、再び横になった。

「まあまあ、今、お医者さん呼んでくるから、横になって待っててね」

 そう言うと、陽子は立ち上がって蓮治の「待てよ」と止める声も聞かずに、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「事情くらい話せよ」

 頭を押さえながら言った言葉は、無論誰も聞いてくれない。何もしないよりはいいと思い、どうにか記憶を辿ってみた。

――そうだ、サッカーの大会だ。一試合目後半残り五分前後で、龍也からのセンタリングにヘッドで合わせて・・・。

 扉が開き、陽子と白衣を着た医者と思われる男が入室した。

「美吉蓮治君。頭は大丈夫かな」

 包み込むような優しい男声だった。包容力に満ちたこの医者は、患者からも評判良いに違いない。蓮治は勝手に感想を持った。

「大丈夫・・・ではありませんけど」

「まだ痛みますか」

「ええ、まあ・・・」

「蓮治、覚えてる?龍也のボールに合わせてヘディングしたら、そのままゴールポストに頭ぶつけちゃって、気失っちゃったみたいで、ここに来たんだよ」

 陽子に成り行きを説明された。

「まあ、特に重く考えることはないよ。痛みは次第に挽いてくるだろうし、もう少し横になっていたら、退院していいよ。保護者の方には一報入れておいたから。大した怪我じゃないから、仕事が終わったら来るそうだよ」

 そう言い残して、医者は一礼し病室から立ち去った。

 豪兄は定刻通りに職場を出れるのならば、八時前にはここへ着くだろう。それまでは暇を持て余すことになるのか。

「大丈夫?私、このあと、用事あるからあんまりここにいられないんだけど・・・」

 用事がある・・・そうか、できればここにいてほしいんだけど・・と甘えたい気持ちが込み上げてきたが、それと同時に窓から差す木漏れ日が既に夕陽の色だと気付く。室内はオレンジに染まっていた。

「ちょっと待って、今何時?」

「今、四時半過ぎ、だけど」

「試合どうなったの?」

 そうだ、あの後試合はどうなったのか。一番気になることだ。

「蓮治の渾身のシュートはちゃんと決まったよ」

「マジ!よかったあ」

 安心した。素直に安堵の息が漏れた。胸を撫で下ろす。あのシュートが決まったということは、つまり陽子との約束が果たされたということに繋がる。しかし、陽子の笑顔が若干憐れみを帯びているように感じた。どうしたの?と訊く。

「一試合目は蓮治の得点で勝てたんだけど、その後、蓮治がいなくなっちゃったから、残りの二試合負けちゃった」

「そうか・・・」

 しばらく沈黙が続く。はっきりとは言わなかったが、つまり今大会も敗退した訳だ。頭を強打して気を失ったことは仕方ないといえば仕方ないが、自分があのときゴールポストに突っ込んでいかなかったら、残りの二試合も勝機があったかもしれない。

「でも、約束果たせたから、それは褒めてよな」

「分ってるよ。すごいと思った。さすが蓮治」

「ありがと・・・」

 称賛されたのに、あまり嬉しくなかった。やはり、どんどん勝ち進めて、願わくば優勝したかった。またしても会話は途切れ、沈黙が流れる。

「ごめんな」

 蓮治は謝ることしかできなかった。目頭が熱くなり、悔恨の涙が零れるのを必死でこらえた。陽子が蓮治の手を握る。柔らかな感触で、温もりを感じさせる優しい手だった。

「大丈夫だよ。大丈夫。蓮治はしっかりとチームに貢献できたんだから」

 陽子の言葉には魅せられた。深みのある一つの一つの言葉達が、蓮治の傷を癒してくれるような気がした。ありがとう、蓮治は何回もそう呟いた。

カーテンの隙間から少しだけ望める景色を眺めた。もう陽は暮れているようだ。

「帰らなくていいの?」

「あ、そうだった。ついつい・・・じゃあね」

 名残惜しそうに立ち上がった。

 陽子と入れ違いで、現れたのは結衣と鳥越だ。蓮治は妙な緊張感が背中を走った。

「美吉君、大丈夫。大事にならなくてよかったけど」

「ええ、お陰さまで。何とか・・・」

「でも、美吉君は幸せね」

「え?」

「だって、石井さんみたいな存在がそばにいてくれているんだよ。お互いを好きでいられる存在、支え合える存在、信じ合える存在。その存在を中学生のうちから知ることができた美吉君は幸せ者だなって意味」

「ああ、それはどうも・・・」

 蓮治は有耶無耶に礼を言ったが、今の結衣の言葉は、蓮治の心の核に響く「何か」があった。恋人という存在がどれほど大切か、蓮治にはおぼろげだが実感できた気がした。

「それじゃあ、私、ちょっと用事あるから。美吉君、お大事にね。明日も学校あるけど、無理しないように」

「はい。ありがとうございました」

 結衣はそのまま退室したが、問題のもう一人の方はまだ留まるようだ。無論、鳥越である。こうして鳥越と二人きりというシチュエーションを思い浮かべると、どこかの古い映画くさい匂いがした。

「とんだ災難だったね」

「前振りはいいですから、御用件を御話し下さい。思うより疲れているので」

 蓮治はできるだけ冷めた口調で言った。

「昨日、君が龍也君と喧嘩になったんだってね。結衣から聞いたよ。君のことをいろいろと聞いたよ。そうしたら、君は興味深い性格の持ち主らしいことが分かった。『鋼のメンタル』と巷で称されるほどの気位の高さは、時に抑えきれずに爆発し、思いも寄らぬ愚行に迸ることもある」

 蓮治は黙って聞いていたが、いきなり何を語っているんだと苛立った。しかし、覚悟はあった。これからの鳥越刑事の口から出る話が想定できる気がした。

「紺野忠嗣君。中一の時に、君の制服のボタンが引きちぎられ、それによって喧嘩が勃発した。森口洸太君。今、君と同じクラスメートらしいね。中二の時ちょっとした遊び心で足をかけて、君は転び、運悪く机の端に頭を打ったことに怒りを覚え、喧嘩になり、結果森口君は君の手によって歯が一本折れた。前端圭人君。今年に入ってのこと。君の勘違いが原因で彼を殴ってしまった。他にも、君の正義により発生した事件は、あと数件・・・」

「もう、やめろ!」

 蓮治は怒鳴った。意識的にではないが、その拍子に身体を起こしてしまった。微かに痛みが走る頭を抱えながら、ゆっくりともう一度横たわる。 

「もう思い出すだけで嫌になんだよ!変なこと思い出させるな・・・思い出させないでください」

 憤怒のあまり、ため口になってしまった。森口のことにしても、前橋のことにしても、蓮治に非があるわけではないない。しかし、不快である出来事に変わりはない。

「今も、僕が君のクラスメートだったりしたら、君の身体が万全だったとしたら、君は僕を殴っていたはずだよ」

「だからって何ですか?自分が自分を信じることって悪いことですか?自分の正義を貫くことって悪いことですか?」

「確かに、自分を信じることも正義を貫くことも、大切なことだ。でも、度を越したら途端に悪になってしまうんだよ」

 蓮治は黙った。「度を越したら」の「度」とは何を基準にしているのか。鳥越の言うように、殴ったり傷つけたりすることだろうか。それとも、人を殺めることだろうか。その謎は解かれぬまま、鳥越刑事は「そろそろ帰ろうかな」と言いだした。

「帰るんですか?」

「君が言ったんじゃないか。思うより疲れているんだろう。今日はこれくらいにしておくよ」

「ってことは、また来るってことですよね」

 鳥越刑事は何も言わぬまま、退室していった。

 蓮治は瞳を閉じた。両手を首にまわし、掌を枕にした。

 どうして蓮治は、自分に白羽の矢が立ったのか謎だった。何度も何度もこの二週間の一部始終を思い出しては、どこかに手抜かりがあっただろうか、と自分なりに探りを入れてみたが、定期テストを解き終えた後見直しをしても、大概ケアレスミスに気づかないように、どこにもしくじりは見つからなかった。

 瞳をゆっくりと開ける。病室の天井の小さな模様がまず最初に眼に入る。眩しい夕陽の日差しに照らされながら、蓮治は意を固めた。

 これから真正の正義を「矛」とする警察と、自分の正義を「盾」にする殺人鬼との壮絶な戦火が繰り広げられるのだろう。フィクションのネタにっするのには面白いだろうが、現実では一大事件である。

 一時休戦を告げた鳥越刑事の去りゆく背中が消えて少ししてから、蓮治は携帯を手にした。


       *


 相手が誰であろうと、患者と長く会談をするのは精神的ダメージを与ええるだろうと憂慮し、鳥越は美吉蓮治のいる病室から去ったわけだが、出て左の方向へ歩き出そうとしたそのとき、一人の人影が視界の端で掠った気がした。その正体を求めるべく、振り返ってみると、壁に寄りかかっていた陽子と眼が合った。

「あれ、用事があるから、帰ったんじゃなかったのかい?」

 陽子は少しの間、何も言わず、やがて物寂しげな口調で口を開く。

「それは、蓮治と刑事さんが話す機会をつくるための口実です。予定なんて、最初からありません」

「想い人さえ騙すほど、俺と蓮治君を合わせたかったのかい?」

「・・・ええ、まあ」

「どういった理由で?」

「歩きながら話しましょう」

ここだと声が美吉蓮治に届くだろう、という彼女の見解を鳥越は暗黙の了解で察知した。既に、彼女がまだ帰っていなかった事実は、彼の耳には届いていたかもしれないが。

 二人は病院を出た。近くの自動販売機が眼に入り、鳥越は陽子に缶ジュースを奢ってあげた。自分は缶コーヒーを選んだ。パカッという音と共に缶コーヒーの飲み口が姿を現した。一口飲むと、さっきの話の続きだけど、と決まり悪そうに言う。

「俺と蓮治君を会わせた本当の理由って、一体何?」

「・・・何でしょうね」

 陽子は匙を投げるように呟いた。

「は?」

「いえ、私にもよく分らないんです。でも、心のどこかで何かを感じていたんだと思います。理由なんて特には・・・」

 病室の前という環境的に具合が悪かったので答えに窮したと、そう感じ取った鳥越は、期待しすぎたせいか、特に理由なんてないという解答に肩を落とした。

「どうして、刑事さんは蓮治と接触するんですか。今日、言ってましたよね。遠野嘉政の事件がどうとかこうとか。刑事さんがその事件について捜査しているってことも言いました。蓮治が何かしたんですか。蓮治がその事件に関わっているんですか。そこまで蓮治を追及するのはどうしてなんですか?」

 彼女の透き通ったような瞳が鳥越の顔をじっと見つめる。一瞬困惑したが、一度咳払いをすると、鳥越は視線の先を虚空へと向ける。

「君には全てを話した方がよさそうだな。今後どういう展開になったとしても、君のことは信じられる気がする」

 鳥越は「本当に良いのだろうか」「この先後悔などしないだろうか」と、心の中では大いに不安を抱いていたが、今更撤回できない。もしかしたら、刑事の首が飛ぶかもしれない。それでも、蓮治の恋人の彼女には全てを知ってもらうべきだと、鳥越は覚悟を決めた。

 二つの事件、いや、十五年前の事件を含めると三つの事件の概略から、今までの捜査結果、そして城川中学に辿り着いた経緯を事細かに語った。時折彼女の顔が難しい色を示したが、全体の流れは理解してくれたようだ。

「それで、平本先生から一際目立つ蓮治の存在を訊いた訳ですか」

「一際目立つ存在、か」

「だってそうでしょう。確かに悪いのは蓮治じゃなくて相手の方かもしれませんけど、だからといって正義を看板に暴力を振るうことはだめだと思います。自分の正義を心から崇拝しているように人ですから、蓮治は」

「でも、そのプライドに魅力を感じ、君は淡い恋心を寄せたんだろう」

 彼女は頷いた。

「ええ、そうです。不思議ですよね」

「そんなことない。人間って不可思議の塊の様なものだ。理屈通りに動く方が、ロボットみたいに誰かに操られているんじゃないか、俺はそう思う。人間の心理に置いてはなおさらのことだね」

「鳥越さんって面白いこと言うんですね。恋も感情ですもんね。不思議であって何の問題もない」

「そういうことだ」

 鳥越は微笑ましい表情をした。その後、二人の間に沈黙が流れる。ヒュルルと鳴いている風を頬に感じると、無性に切ない気分に駆られる。人間の真意について唱えていたからなのか、無性に湧いた切なさは無情感へと変貌した。

「話を戻すけど、君の意見を訊いてもいいかい」

「私の?」

「蓮治君が一番心を許しているであろう君の考えを訊きたいんだ。君の前で言うのも勇気のいることだけど、今のところ俺は美吉蓮治、彼こそが犯人なのではないかと思ってる。さっきの彼の動揺ぶりは君も証明してくるだろう」

「蓮治が・・・だったとして、動機は何ですか。刑事さんからのお話からしたら、動機は十五年前まで遡るようですけど、もちろん私たちは生まれていても零歳ですよ」

 だんだんと涙声になって行く様子は、鳥越の心を大いに痛めた。強がっているようだけど、弱さが滲み出ている。しかし、真実へ辿り着く過程である。目を瞑って冷静を装わなければならない。

――動機。

それは一つの大問題だった。彼女の言うとおり、遠野嘉政が裁判にかけられた十五年前というと、たとえこの世に生を預かっていたとしても、蓮治は泣くのが仕事の赤ん坊だった。つまり、動機が十五年前にあるとしたならば、蓮治は何らかの事情を経て過去の事件を知った。遠野嘉政が犯人にだと断言してやまない代わりに、十五年の時を経て正義の鉄槌を下そうとした。もしかしたら、その時点では殺意はなかったのかもしれない。ただ問い詰めて、罪を認めさせようとしただけなのかもしれない。しかし、お互いの主張がやがて口論となり、揉めることになり、結果として遠野を死に至らせてしまった。

この旨を陽子に語り明かしてた。

「正義の殺人、ですか」

「まあ、そういうことになるけど。このストーリーならば、彼が適役だとは思わないか?」

「そうかもしれません。でも、正義なんて殺人という大罪の意識から逃避するための建前ですよね。殺人が正当化されるはずが無い!」

 陽子の溢れる想いと涙の嘆きは鳥越の身を振るわせた。同時に冷風が吹き、地面を叩きつけてからどこかへ流れていった。

「俺も同意見だ。ごもっともな意見だけど、それを当の本人に言って欲しかったな」

 陽子の脳裡には彼に対して言えるのだろうか、と疑念がよぎったに違いない。俯いている彼女を見て、鳥越はそう感じた。

 場の空気には似つかわしくない、明るい着信音が流れる。彼女は提げていた鞄から携帯を取り出し、耳にあてた。どうやら彼女の母親の様である。気がつけば、ついつい長話になってしまい、腕時計の針は七時になろうかとしていた。

「・・・すぐ帰る」

 そう言って、彼女は通信を切った。

「ごめんなさい。もう、帰らなきゃ」

「こちらこそ変な長話を聞かせてしまって、すまなかった。彼――蓮治君には今の話、するつもりかい?」

「私に、そんな度胸があると思いますか」

 それだけ言って、陽子は早歩きで暗くなった路を進んでいった。

――本当にこれで良かったか。

 鳥越は口をへの字に曲げた。捜査情報を一般人に勝手に漏らし、物的証拠もない推理をあからさまに披露した。現職の、それも警視庁の刑事がこんな非行をしてはならない、過ちであることは重々承知していた。

「正義のための殺人、か・・・」

 鳥越は闇の中で包まれながら、そう呟く。それが本当の動機なのだろうか、鳥越は深く考え込まされた。

――正義か・・・彼は何と唱えるのだろう。

 懐中で振動音が響く。画面を見ると「柳先輩」とある。一体何の用だろうか、思い当たる節がない鳥越は何の気なしに、「もしもし」と言った。

「事件が進展した」

「え?」

「河辺浩大が自首をした」


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