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正義の在り処  作者: ゼロ
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第四章 白線の交わりⅠ

第四章 白線の交わり



   1 九月二十七日 木曜日



仕事も終わり、結衣は校門の前で一度立ち止まった。日がどっぷり暮れ、既に深い藍色の空が広がっていた。街路樹を揺らす冷たい風を頬で感じると、秋も深まってきたことを認めた。

(どうせ、部屋散らかっているんだろうな・・・)

 結衣はため息をついた。

鳥越のマンションのことである。前に訪れたのは二週間前、いや三週間前になるかもしれない。鳥越は片付け下手というか、めんどくさがり屋なのだ。山積みにされた小説が崩れても、卓上の缶ビールが床に転がり落ちても特に気にせずに過ごせる人間なのだ。一つのゴミ屋敷に変貌を遂げているかもしれない。

「行くか」

 結衣は意を決し、いつも行く道とは反対の道を誰かに操られるようにして進み始めた。

 自己管理ができないからといって、それを執拗に責めているわけではない。もちろん、直してほしいけれど、自分の暮らしよりも仕事を優先しているシュンだから、仕方ない、と許していた。事件と向き合うまっすぐな瞳。実際にどんな表情で刑事をやっているのかは想像もつかないけど、その分イメージする度にいろいろな連想がついてくる。

 中学の頃、いじめを受けていた生徒を必死になって守った噂も、他クラスに知らぬ間に流れてきた。常日頃、淫らなこととしょうもないことばかり考えるバカな男子どもの中には、そういう真面目な生徒がいるんだ、と感心していた当時、まさかそんな人間と付き合うなんてこと夢にも思っていなかった。その後、いくらかの付き合いはあったものの、特に特別な感情を抱くようなことは一度たりともなかった。

懐かしいあの頃のシュンが刑事になって、そのシュンと付き合っている――今からすれば、奇跡とも呼べるその繋がりに、結衣は改めて感激した。

 鳥越のマンションに辿り着いたのは、学校を出てから一時間半後のことだった。彼の部屋があるのは三階である。エレベーターで昇っていった。鳥越の暮らしている部屋は1LDKの間取りで、家賃もそう高くない。一人暮らしにはもってこいの部屋だった。

結衣は合い鍵を使って中に入った。

「うわっ!・・・びっくりした」

 結衣は一番先に眼に飛び込んできたのが鳥越であったことに驚愕した。確か、大きな事件を抱えているから家にも帰れなくなるとかメールに記されてあったはずなのに、どうしてその鳥越がここで呑気にテレビなんか点けて眺めているのか・・・。

「ああ、結衣。久しぶりだな。二、三週間ぶり、かな」

 真っ黒なジャージを上下に着こなしているシュンは、力のない笑顔で頭を掻いた。

「いや、そんなことより、どうして。え、仕事は?」

「実は・・・自宅謹慎の処分くらっちゃって」

「はあ?」

「例の大きな事件が一段落するまで、自宅待機ってことになっちゃった」

「なっちゃった、じゃないでしょう。どんなことやらかしたの」

「俺はただ事件を捜査していただけなんだよ。今、話題になっているだろう。遠野嘉政っていう元国会議員が殺された事件。あと、その一週間後に起きた向田紗江子っていう弁護士が殺された事件。あの二つの事件には十五年前のある一大事件が大きく関わっていて、それでただ再捜査をしようとしただけ・・・こんなこと言っても、今更、だよな」

「言ってることは分らないけど、伝えようとしていることは分かる気がする。シュンはただ真実を追及していただけなんでしょ」

「そうだよ。それなのに、上層部は十五年前の事件と今回の事件の全ての真相を闇に葬ろうとしているんだ」

「どうして?」

「やましいことがあるからだよ」

 それから鳥越は、絶対誰にも言うなよ、と釘を刺してから、卓上のリモコンを手に取り、テレビを消すと、これまでの事件の経緯を語り始めた。鳥越の話すことは大体理解できた。結衣だってバカではない。毎日のように教壇に立って、中学生を相手に勉強を教えているのだ。一般教養はしっかりと検査されたし、いつもパソコン相手にしている並みのサラリーマンよりかは頭が鍛えられているはずだ。

 要するに、今回の二つの事件は十五年前の事件と深く密接に関係しており、その十五年前の事件を警察のお偉いさん方は保身のために隠滅した。しかし、鳥越と噂のベテラン刑事の二人は十五年前の事件こそ、今回の事件の真相を明かすには必要だと判断し、遺族や関係者にあたった。その結果、お偉いさん方に捜査陣から外されちゃった、というわけである。

「でも、すぐに処罰下すのかな。警告を一回挿んでもいいと思うんだけど・・・」

「一回忠告はあったんだ。だけど、確かめずにはいられなかった。十五年前の裁判記録を確認しただけなんだ。そうしたら、どっかからか漏れて二度目の刑事部長室行きだよ。即レッドカード退場だよ」

「そりゃさすがにまずいでしょ」

「それは承知の上だよ。まさかそんなに早くばれるとは思わなかったけどね。多分、ありとあらゆる関係各所に一報入れたんじゃないかな」

 どこか楽しげな鳥越が窺えたことに、少々腹が立ったが、だからといって論点を別のところにおいてまで主張するほど、結衣に活力はなかった。

「だけど、裁判記録見れたから、向田弁護士が十五年前の裁判の被告人遠野の弁護を担当していたことの確認が取れた。つまり、この二週間で十五年前の裁判に関わった人間が二人も殺された。これを偶然では片付けられないだろう。被告人、弁護士、とくれば一般人に思いつくのは少ない」

「検事。もしくは、裁判長とか」

「裁判長は五年前に病死で亡くなっていた。殺しの疑いはないらしいから、おそらく犯人はあと一人を殺す。結衣の言った通り、検事だ。石井恭二郎、当時四十二歳。腕利き検事だ」

「ふーん」

 それを私に教えたことで何にもいいことなんて・・・と、密かに抱いていると、それを見透かしたのか、鳥越がいっそう真剣な顔つきに変わった。

「実は、結衣にこうやって事件のこと赤裸々に話したのには、列記とした理由があるんだ」

「・・・何よ」

「驚かないで聞いてくれ。俺は・・・城川中学の生徒の誰かが二つの事件の犯人じゃないかって疑ってる」

 結衣は一旦頭の中が停止したような気分を覚えた。もう一度、鳥越の今言っていたことを心中で繰り返し唱えて、ゆっくり反芻しようとした。結果、発したのは・・・。

「は?」と素っ頓狂な声が出た。理解不能を伝えるに人間の言語の中で最短の言葉だ。結衣の飲みこみを助けるため、シュンはその見識に至った経緯を詳らかに語ってくれた。

 しかし、シュンの推論は、理解はできても到底納得のいくものではなかった。それは結衣が教育者というのも一つの理由だが、その前に一人の大人としてそんな残酷な推理を鵜呑みにはできない。少なくとも、どんな職業に就こうか、どんな大人になりたいか、どんなことやりたいか、未来には数知れない出来事が待っている未成年、しかも人生を十年とそこらしか歩んでいない中学生が大罪を犯しているかもしれないなんてことを、容易く口にしては欲しくなかった。

 現場に城川中学の制服ボタンが落ちていた。防犯カメラに犯人らしき少年の走り去る姿が映っていたからといって、犯人と決め付けるのは勝手な気がする。

「それで、できたらなんだけど・・・」

「何?」

 少々ご機嫌斜めだということを露骨に表した。

「目星つけておいてくれないかな?普通の中学生がこんなことをするとは俺にも思えない。もしかしたら、人とは少し違った考え方をしている子かもしれない。できれば、生徒の保護者にも一通り目を通してもらえると嬉しいんだけど・・・」

「・・・一応覚えておく。そろそろ私帰るね。部屋もそんなに散らかってないようだし」

「え、泊まっていかないの?」

「そういう気分じゃない」

「何拗ねてんだよ」

「拗ねてないし」

 結衣は立ち上がり、水かけ論を無意味にしながら玄関へと向かった。鳥越は後からついてきて、何かを思い出したように「そうだ」と言った。

「犯人の靴のサイズ、だいたい二十八センチだから、それも参考にしておいて」

「そんな足のでかい中学生なんている?」

「いまどきの中学生は大きい人ならそれくらいだよ。じゃあ、くれぐれもよろしく頼むよ」

 鳥越が台詞を最後まで言い終える前に、結衣は扉の向こうにいた。出て右方向にエレベーターがある。早歩きでそこに着くと、密室の箱が昇ってくるのを待っていた。三階に停まり、音と共にゆっくりと扉が開く。中から現れたのは、厳つい人相のスーツ男だ。会ったことはないと思うが、何故か親近感が湧き、無意識のうちに会釈をしていた。その男はエレベーターを降りると、鳥越の部屋の方へ歩を進めていた。

 今すれ違った男が誰の正体かなんてこと気にも留めず、はあ、とため息を一つ。何か不穏なまま鳥越の部屋を抜け出してきたが、大丈夫だっただろうか。あんまりそういうことを意に介さない性格だから、結衣も結衣で心配の「し」の字の欠片もしていないのだが。

 一階に着き、出口を通り抜けると、結衣はそのまま自宅へと続く道をやおら歩き出した。


       *


――バタン。

 扉を閉められた。

不機嫌なまま部屋を出て行った結衣だが、だからといって深く考えてはいなかった。明日になれば、何事もなかったように何かしらの報告をしてくるであろう。結衣と付き合ってからもう何年も経つ。だからってわけではないが、彼女のことは何となくだが察しがつくのだ。恋人同士なんて、そんなもんではないだろうか。あれこれ模索するも、何の根拠も持たずにこうだろうと決めつけ、時に空回りしたり、時に傷つけたり・・・。

鳥越は首を左右に激しく振った。どこぞのラブソングの歌詞の一節じゃああるまいし、イタい妄想するロマンチストのアイドルじゃああるまいし、変、とは一概にいえないが、刑事に似合わないことをむやみに掘り下げることはやめた。自宅謹慎中でも、刑事という職業を辞したわけではない。

と、自分が今でも刑事だということを再認識させられるのは結衣が出て行ってから三十秒も経たない頃だった。

呼び鈴が鳴った。結衣が忘れ物でもしたかな、と一度思った。もしかしてやっぱり泊まる、とか甘えに戻ったのかとも思った。そんなことない、と思いつつも心のどこかで期待しながら扉を開けると、思いも寄らぬ人物が待っていた。

「せ、先輩。ど、どうして」

 そこに立っていたのは紛れもなく、顔の厳つさを競い合ったら全国の警察官のトップクラスに君臨するだろう柳だった。勤務中のはずだが、わざわざ鳥越のマンションまで一体何事だろうか。

「上がっていいか?」

「え、ええ。いいですけど」

 柳をリビングに誘導し、お茶でも入れますね、と言ったが、すぐ本庁に戻るからという理由で制された。

「一体、どうしたんですか。こんな夜分に」

「一応、これまでの捜査の報告とお前への注意をな」

「報告と、注意、ですか」

 それから柳はリビングに突っ立ったまま、その報告と注意を話し始めた。

 先日遺体となって発見された向田紗江子弁護士だが、鈴木という秘書によれば、遠野嘉政殺害事件に酷く動揺していたらしい。どうしたんですか、と鈴木が訊ねると、向田は曖昧にその場を濁したらしい。その後の職務も普段とは若干違う、仕事をしていても違うところに気が散っているような、そんな感触を向田弁護士のそばにいて受けたらしい。それから、向田弁護士のデスクの一番下の鍵のかかった引き出しを、被害者の家宅から探しだした鍵で開けてみると、十五年前の事件について記されてあるファイルが発見された。

これらの事実から推測するに、遠野が殺された一報を耳にしたときから、少なからず嫌な予感を抱いていたのではないか。遠野を殺した思い当たる人物を可能な範囲で詮索していたのではないか。そして、もしかしたら犯人は十五年前の裁判で遠野を無罪に導いた自分の存在も抹殺しにくるかもしれないと、大いに恐れ戦いていたのではないか。少なくとも、柳はそう踏んでいるという。

途中、気付いたことだが、柳は向田紗江子が十五年前の裁判の弁護士を務めていたことを把握していた。鳥越が自宅謹慎を命じられることをも恐れずに捕まえた情報だというのに。

 それから、十五年前の被害者のうちの一人、峰里大介の勤めていた新聞社にも立ち寄ったらしい。当時彼の遺体を最初に拝んだという編集長の藤村慎司に話を訊いたという。当時の警察からもいろいろと訊かれたらしい。当時の状況に着いて訊いたが、今までの情報と大して変りのないもので、つまりは収穫が無かったということである。「峰里さんの親類は何故遺体確認に伺えなかったのか」という柳の質問に、藤村は「両親はいませんでしたが、妻がいたんです」と答えた。どうやら、峰里の妻は妊娠中で入院しており、峰里の死体に立ち会えることができなかったらしい。子どもが生まれる前に夫を亡くして、そのショックからか妻も死んでしまったという。全く悲劇なもんだ。遠野は河辺浩大、峰里大介だけではなく、峰里の妻も殺したといっても過言ではない。藤村によれば、数時間後、若い青年が霊安室に駆けつけたらしいという情報までしか得ることができなかった。

 刑事部長直々の忠告を受けてから、柳は慎重に捜査しているらしい。峰里の新聞社を訪問した際に、他社の人間だと偽って話を聞いたことからも察するに、かなり慎重になっているらしい。刑事としてあるまじき行為だが、ひたむきに事件を追う熱血な点は感心すべきかもしれない。それでいて、十五年前の事件も掠めながら慎重に捜査しているとは、さすが柳先輩と敬意を表するべきだ。感情的になったら、猪突猛進する鳥越との違いである。そう感じたとき、柳先輩から「おまえは刑事じゃない」と吐きられたことにもおぼろげにだが納得がいった。そういうことなのだろうか、とも一瞬疑ったが、もっと深いメッセージが込められているはずだと、それについて追及するのは一旦中断した。

 これからは慎重に慎重を重ねて、上の顔色を窺いながら捜査することを心掛けるように命じられた。

 用が済むと、柳先輩は風のように去って行った。鳥越はテレビを点けたが、大して面白そうな番組がやっていなかったため、すぐに消して床に就くことにした。

 刑事ではない、無職同然のここ二日、三日のせいで、刑事としての腕も人間としての本能も怠けているような気がした。

何も考えることもできず、消灯して暗闇と化した部屋で独り、鳥越は瞳を閉じた。


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