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正義の在り処  作者: ゼロ
13/30

第三章 追憶のハンカチⅢ

   3 九月二十四日 月曜日



「陽子、大丈夫?」

 陽子は今日一日ほぼ何にも喋らない。その理由の正体は知っていた。そして、寡黙になった陽子を浪恵が心配していることも・・・。

 陽子と浪恵は、学校から近くのさほど広くない広場みたいな場所にいた。朝から陽子の様子が変だと察知した浪恵から誘い出されたのだ。

「何で、蓮治ってあんなこと言ったのかな」

「あんなこと?」

「警察を敵に回すようなこと。警察に、個人的な恨みでもあるのかなあ」

 蓮治のあの言葉に対する心配、疑念が込み上げてくる。足先で地面の砂をいじくる。

「何でそんなに蓮治のこと気になるの」

 陽子は浪恵を見た。隠れそうで隠れていない夕日に浪恵は黄昏れていた。

「好きだから」

 陽子は即答した。浪恵は驚いたように視線を陽子に移す。

「蓮治のこと好きなんだよ、私。だから、今朝みたいにマイナスのことはっきり言われると、妙に心配しちゃうんだよね。何か、自分が否定されてるみたいで、恐怖だって感じられるんだもん」

 陽子は途中から涙を見せていた。自分で言うように、怖いのかもしれない。でも、好きだから・・・というこのジレンマが心痛い。瞳から零れる涙を指で拭った。

「陽子・・・」

「それと、最近感じるようになったんだけど、何か、蓮治とはずっと昔に会ってる感じがするんだよね」

「え?昔に、会ってるの?」

「気のせいだと思うけど・・・何か、ごめん」

 このもどかしい空間で口を開くことは、それなりの勇気が必須だ。地に生える草木を揺らす秋風が無情で虚しい。

「もう帰ろう。遅くなったら、いろいろ面倒だし」

「面倒」というのは、先生からのありがたいご指導を受けることになることだ。そういうジョークを挿めるほど、陽子の気持ちも静まったのだ。

いつもの浪恵なら、「好きならガンガン行っちゃえ」とか言ってくるのだが、場を読んだのか、特に会話もない。駅で別れて、陽子は一人になった。

この時間帯、電車は少々混んでいる。もちろん、椅子に座れない。蓮治と一緒に座れたあの日が、ずっと昔のことのように懐かしい。過ぎる時間は光陰矢のごとく凄まじいものだが、数日経ってこうして「思い出」となると、遠い昔と化しているのだ。この儚さに思わず泣きそうになった。

その日の夜、陽子は、蓮治への想いを「好きだから」と浪恵に告白したことに、清々しさを覚えた。胸に抱え込んでいた張り裂けそうな想いを、浪恵が共鳴してくれたことで爽快感が生まれたからだろうか。もっとも、もともと浪恵は、陽子が蓮治に寄せる恋心に勘付いていたが。また、自分の感情を言葉として表せたことに安堵したから、そういう理由も含まれているのかもしれない。

――言葉は生きているんだよ。

亡くなった祖母がよく言っていた。言葉にすることで、初めて「自分がこんなことを思っているのか」と、実感できるのだ。それが愛情だとしても同じこと。愛情も言葉にすることで、自分も相手も理解できるのである。そして、共感できるかもしれない。

「言葉にして初めて分ること、か」

 それこそ「言葉にして」、陽子は繰り返した。浪恵は「女子は直球で勝負」という信念の通り、龍也に直球でいったらしい。具体的には聞いていないが、龍也が認めるほどの情熱的な豪速球だったのだろう。

「直球か・・・」

その日は心地良く、眠れた気がした。

翌日、電車を降りて、学校へと歩みを進める。三つ目の信号に引っ掛かったとき、背後から鈴の音が響いた。驚いて振り向くと、自転車に乗った蓮治が笑ってた。

「よう」と、いつになく馴れ馴れしかった。

「ああ、おはよう」と、いつになく緊張した。

 信号が緑に変わった。

「あ、そうだ」

 ちょっと先の方まで漕いだ蓮治が、振り返る。

「放課後、ちょっと話あるから」

「え?」

「近くの広場でいいよね」

「わ、わかった」

 突然の誘いに、ドキリとした。

(話って何だろう――)

 学校に着くまで、それで頭は満たされていた。昨晩の浪恵との会話が、今になって恥ずかしくなってきた。

 蓮治が自転車で学校まで行き、駐輪場所で停めて、玄関まで戻ってくる時間と、陽子が玄関まで行く時間はほぼ一緒で、下駄箱で靴を履き替える際には一緒になっていた。

無意識のうちに、蓮治の顔を見ていた。目まで伸びている前髪、理想的な輪郭を持ち、それでいて細々とした感じは一切なく、鋭く、優しい眼がクールに思える。

下駄箱を開けたとき、蓮治の目が変わったことに気付いた。どうしたのだろうと、見つめ続ける。蓮治が手にしているのは一通の手紙らしかった。

(まさか!・・・)

「まじかよ・・・二年牧田、詩緒里。誰だこいつ?」

 蓮治自信、一番驚いているようだ。陽子の視線に気付くと、その手紙の形が崩れることに何のためらいもなく、あわててポケットにしまった。陽子も、動揺を隠せなかったが、何も言わずに教室に向かった。

 扉をいつもより強く開けたから、ドア付近の生徒たちは迷惑そうな顔をした。そんなのにも構わず、席に着いた。

「陽子、どうしたの?」

浪恵が訊いた。すると、陽子は龍也をはらって、浪恵の腕を引っ張った。

「ちょ、ちょっと」

 教室を出て、右を見ると俯きながらトボトボと歩いてくる蓮治が眼に入った。一瞬睨んで、浪恵を左方向へ誘導し、女子トイレの中へ連れ込んだ。

「どうしたの?いきなり」

「さっき、下駄箱で見ちゃった」

「何を?」

「手紙」

「手紙?」

「そう、蓮治あての手紙」

「え!それって、ラブレターってこと」

「二年の牧田詩緒里って人らしい。そう呟いていたから」

「ああ、その子なら知ってる。確かテニス部だった気がするけど」

「でも、誰だろうって言ってたから、蓮治は知らないんだと思う」

「つまり、見知らぬ後輩からのラブレター・・・」

 二人はうーんと唸った。

「どうするの?陽子。見知らぬ後輩でも、早くしないとヤバいんじゃない」

「分ってるけど、分ってるけど・・・分ってる」

 最後はむきになった。

「精々頑張ってね」

「ちょっと何よその偉そうな口ぶり」

「私はもう龍也がいるし」

 そう言って、浪恵はトイレを抜け出した。

 言おうかと思ったが、あえて放課後蓮治に誘われたことは黙っていた。余計な気がしたのだ。とにかく、「放課後の話」が何なのかを早く知りたかった。

 教室に戻ると、蓮治が席に座っていた。陽子も席に向かった。座るやいなや、蓮治が「なあ、陽子・・・」と呼んできた。

「何も、言わないで。全部、後で聞くから」

「・・・分った」

 普段より、授業が長く感じられる。早く終わらないか、時計の針の速度が速まらないかななんて、叶いもしないバカげた願いを、ひたすら祈っていた。昼休みを割愛してほしいと、こんなに思ったことは今日が初めてだ。浪恵は委員会の集まりがあり、蓮治たちはグラウンドでバスケをして盛り上がっていた。よって、一人で窓の外を眺めるだけの、ただの暇な時間を過ごした。

 いよいよ、担当の掃除も終わり、自由の身になれた。蓮治は既に先に行っているはずだ。陽子は久しぶりに走った。正面から吹いてくる風がちょっと冷たかった。昨日は浪恵と一緒にいた場所だ。蓮治は昨日のベンチの前で、こちらに後姿を見せている。

「蓮治!」

 陽子は思いっきり叫んだ。蓮治は振り返る。

「話って、何?」

 単刀直入に訊いた。今、陽子は胸の高鳴りを感じていた。期待、そして、一抹の不安とが混在している。蓮治がこっちに寄ってくる。十メートルはあった距離が、一メートル程度に縮まった。蓮治の足音が聞こえる度、陽子はドキッとした。

 すると、蓮治はスクールバッグに手を突っ込んで、何かを取り出した。

「これ、見覚えある?」

 蓮治の右手にあったのは、黄色いハンカチだった。ぱっと頭に浮かんでこなかったため、それを凝視したが、見覚えは無かった。

「どうしたの?こんなもの」

「ここ見て」

 蓮治は裏返しにして、刺繍されている文字を見せつけた。その字を見るなり、陽子は心臓が潰れるかと思った。反射的に右手は口を押さえていた。

「多田陽子って、おまえのことだろ」

 言葉を発さずに、首を動かして頷いてみせた。

「俺、『宝箱』っていう大事なものをしまっておく箱があってさあ、ちょっと事情があって久しぶりに開けてみて整理してたら、これが出てきて・・・。豪兄、知ってるだろ、俺と一緒に暮らしてる。その豪兄が少し覚えてくれていたみたいで、話してくれたんだよ」

 蓮治は陽子の眼をじっと見てくる。陽子はその瞳が、過去に出会った男の子の瞳と重なった。そのとき、蓮治が何故このハンカチを持っているのか、陽子の脳内では一瞬にしてその謎が紐解かれていった。


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