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正義の在り処  作者: ゼロ
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第二章 白秋の光Ⅴ

5 九月二十二日 土曜日



 河辺家を出て、鳥越と柳は再び車に戻った。中途半端な勢力の雨は止みそうにない。柳は運転席に腰をかけると、煙草の箱から新しい一本を取り出し、それに火を灯した。さすがヘビースモーカーのことだけはある、鳥越は心の中で少し笑った。

「どうですかね、河辺浩大」

「まあ、嘘は付いていないだろうな。特に疑う要素はない」

「しかし、当然の仕打ち、とか天罰とか、結構死者に対して酷いこと言ってましたけど」

「遺族はそんなもんだろう。実の兄が殺されたんだ。ああいう様子が、河辺浩大が純粋な人間だと証明してくれる」

「そうですね・・・これからどうしますか?」

「一応、河辺仁志のかつての勤務先を当たりにいこう。『染谷建設』ってとこだ。何か分るかもしれない」

「十五年経つはずですけど、潰れてないんですか?」

「ああ。そこそこ大きな墨田区にある会社だ。社長も若いときに就任したらしく、未だに変わっていない。当時の話が訊ける可能性は十分にある。スカイツリーあたりだろうな」

 さすがベテラン刑事である。そういった情報をいつ仕入れたのかは知らないが、全て頭に入っているのだろうか。

 それから二人は黙った。

 柳は基本的に必要最低限のことしか話さないため、世間話の「せ」の字も発さない。それだけ仕事に身が入っているということだから、鳥越は特に気にせずにいるが。

 この空間をただ「沈黙」で済ましては、時間の無駄だ。鳥越はこれまでのことを踏まえ、少し考えてみることにした。

 十五年前、果たして何があったのか。群馬の古びた小屋で河辺仁志と峰里大介が遺体となって発見されるまでに何があったのか。この被害者たちは、お互いのことを知らなかった。まだ峰里の関係者を訪ねていないが、当時の資料にも残っていたらしいから、それは事実なのだろう。そうすると、仮説が浮かび上がる。

 一つは、河辺仁志と遠野嘉政がお互いを知っていたケース。だが、この二人が繋がりそうな共通項はない。プライベートで関係があったのか。それもないだろう。歳も離れているし、はっきり言って暮らしが違う。

一方の、峰里大介と遠野嘉政が顔見知りだったというケースも有り得ないことはないが、可能性は低いだろう。新聞記者と国会議員が繋がるなんてこと聞いたことない。さらにこちらもプライベートでの繋がりはゼロだろう。

となると、AがBを知っていた。しかし、BはAを知らなかった。この微妙な関係が当てはまりそうだ。Aが誰であれ、遠野嘉政はBに当てはまる。テレビ越しに存在を知れるだろうからだ。しかし、直接顔を見た、という条件を加えるならば、Aは峰里大介が妥当だろう。新聞記者という仕事柄、遠野嘉政にマイクを向けたことは一度二度に限らずあるのではないか。

以上のことから、遠野嘉政と峰里大介の二人にスポットを当ててみる。峰里側からすれば、現職の国会議員の汚職事件はかなり旨い話になる。ジャーナリストは皆そうだろう。国会議員、そして新聞記者。この二つの職業を兼ねて何か想像してみて、と問われれば、汚職に辿り着く者は少なくないと思う。

つまり、峰里は遠野のダークな情報を密かに入手していた。それを餌に遠野を吊ることはできるだろう。その秘密を突きつけられた遠野は衝動的に峰里を殺めてしまった。ここで登場するのが河辺仁志だ。その光景を偶然にも目撃してしまったのだ。それに気付いた遠野は口封じのために河辺仁志も殺した。このままではさすがに危険だと、保身のため地位のため、この事実を抹消しようとしたのだ。二つの遺体を自分の車に乗せ、あてもなく北上するうちに群馬のとある森の中へと辿り着いた。五人の男女が集っていた別荘は暗闇と一体化したため、遠野の目に入らなかったということにしておこう。最初に発見した女も、電気は付けずに月明りだけで、遠野の様子を見つめていたらしいから、おそらく気付かなかったのだろう。気付いていたのなら、他の場所に遺体を投棄するはずだ。

 どことなく違和感が含まれる仮説だが、筋は通っているのではないだろうか。被害者二人同士が面識のなかったことも納得はいく。現在向かっている河辺仁志の職場は墨田区にあるらしい。現場の大横川親水公園もそのあたりだ。もしかしたら目と鼻の先にあるのかもしれない。仕事帰りにその光景を目撃してしまったとしても何の不思議もない。

 しかし――鳥越は思った。

 十五年経った現在、鳥越のような経験の浅い刑事でも、少々頭をひねれば組み立てることが可能な仮説だ。この仮説に大きな間違いはないと感じる。簡単にいえば、この推理に自信がある、ということだが、となると一つの疑問が湧いてくる。どうして当時、物的証拠が見つからなかったのだろう。鳥越のような推理をした刑事は必ずいたはずだ。そうしたならば、どこかで物的証拠が見つかるはずだと思う。いくら調べに調べても、それらしき証拠は浮かんでこなかった、と言われれば、そうですかと仕方なく返事するしかないのだが、鳥越にはもっと大きな秘密が隠されている気がしてならなかった。

(まさか・・・)

 推理を一旦初めの方へ戻す。峰里大介が殺されたのは遠野嘉政の知ってはならない情報を仕入れたため、そして、それを遠野本人に提示したためである。その「知ってはならない情報」が、とんでもない事態が引き起こされる事が想定される秘密だとしたならば・・・。

「先輩」

 鳥越は思わず隣で運転する柳を呼ぶ。無論、返事は返ってこないが。

「当時、遠野関連の噂ってありましたか?それもかなり深刻な」

「お前も、そこまで辿り着いたか」

「え?」

「おそらく、俺もおまえと同じことを考えていた。これまでの事情から推理すると、それこそが十五年前の事件の核心だと理解できるからな」

 柳も推理をしていたのか。鳥越と同じように。ただ沈黙を貫き、ただ運転に集中しているだけではなかったのだ。さすが本庁で何年も事件と向き合ってきた刑事だ。鑑とも称せる柳に、鳥越はこれまでになく敬意を抱いた。

実は、と柳は話を切り出す。

「遠野には不正投資の疑いがかけられていた。おおよそ三千万だ」

「さ、三千万!何に使ったんですか?」

「まあ、どっかの会社に内密に金を流していたってとこだろ。検察も腕を揮って遠野を叩きつぶしに行ったが、特に何の手がかりも出てこなかった。それよりも、厄介なのは当時警察内部で話題に上った噂だ」

「警察内部で?」

「とはいっても、一部のマスコミにも流れ出たといえば流れ出たんだが、その不正投資に警察官が関わっている疑惑が浮上したんだ」

「け、警察官が?」

「ああ、警視庁上層部だけではなく、監察官をはじめ、警察庁の人間までもが震撼した。未だに誰だか分っていない。いや、もしかしたら上層部は把握しているのかもしれないが、公表はされていない。まあ、そうだろうな。警察の信用ががた落ちになるからな」

「そんな、ことが・・・」

 十五年前、様々なメディアによって大々的に報道された大事件の背景には、警察内部が酷くざわつくほどのもうひとつの事件が在ったのだ。

 再び沈黙が襲ったが、まもなくして「着いたぞ」と柳の声がした。十階近くある大規模な会社だった。十五年経った今日でも潰れずに経営されていることにも納得がいった。

 受付の女性に警察の人間だということを知らせると、「少々お待ち下さい」と言って、どこかに電話をかけた。会社上層部にコンタクトを取っているのだろう。やがて、受話器を置いた。

「失礼ですが、案内の者が来るまでお待ちいただけますでしょうか」

 二人は了解し、少し離れた柱の前で待機した。やがて、眼鏡をかけ、四十後半といったところだろうか、しかしまだ若々しさが残る顔をした男が「お待たせしました」と現れた。エレベーターで最上階まで昇り、案内されたのは使われていない会議室だった。「どうぞ」と椅子を薦められ、言われるままに二人は腰をかける。その後渡された名刺によって、この男が「西森」という男だと知った。

「少々お待ち下さい。社長をお呼びしますので」

 西森はすぐに一人の男を連れて戻ってきた。社長らしき人物は髪の毛にところどころ白いものが目立つが、まだ体力のあり余っている男前の体格をしていた。

 鳥越たちは一度立ち上がった。

「この会社の社長の染谷です」

「警視庁捜査一課柳です」

「同じく鳥越です」

 簡単な挨拶を済ませると、三人は静かに座った。西森は立ったままだ。

「一体、どうしたんですか。この会社に何か御用ですか?」染谷社長が訊ねる。

「十五年前、この会社に河辺仁志という人間が勤務していたと思うのですが、どうですかね?」

「十五年前ですか・・・おい、西森」

「かしこまりました」

 そう了承した西森は退室した。名簿で確認するのだろう。十五年前、という単語を柳先輩が発したとき、染谷の顔の色が微かに変わったことを、鳥越は見逃さなかった。何か隠している、そうも想像した。

「しかし、驚きましたね。今になって十五年前の事件について、ですか」

「ある事件の捜査の一環ですので、お気になさらずに」

 五分もしないうちに、再び扉が開いた。西森は片手に分厚い資料を持っている。

「この方ですね」

開かれたページの氏名欄には確かに河辺仁志とあった。鳥越は初めて河辺仁志の顔を知った。当時はまだ二十半ば、鳥越とほぼ同じくらいの年頃だ。人生これからというときに、想いよらぬ悲劇に遭ってしまったのだ。同情してあげようとも、虚しく儚いだけのような気がしてならない。遠野嘉政という愚かな人間の存在が消えたことにより、空の上から弟を見守る河辺仁志の心は少しでも晴れやかになったのではないか。

「この方がどうかしたんですか?」

「この河辺仁志と同僚で、今でもここに残っている人間はいますかね。つまり、河辺仁志のことを知っている人間、ということになりますが」

「十五年以上前から、ですか・・・。この会社でも支店含めれば総数五千人は越える人数を抱えています。一人一人を把握しているわけではありませんからね。そのうえ、十五年も昔のこととなると、お手上げですよ。名簿にもあるように、彼は当時経理部だったらしいですね。同僚が今でもここに勤めていることは、あまり望めませんが・・・」

 注意深く名簿を読んでみると、当時河辺仁志は管理本部の経理部を任されていたらしい。会社の売り上げ、支払いの記帳、請求書発行など、重大な任務であることは間違いない。河辺仁志に仕事をこなす腕があったことを意味している。

「西森、おまえはどうだ」

「そうですね、黒谷という者は昔からいますね」

「ああ、黒谷君のことか。そうだな。黒谷君なら私が会社を立ち上げたときからいるから、何か知っているかもしれないな」

社長も頷く。

「それに、現在も経理の仕事を任されています。もしかしたら、以前その河辺仁志という人間とも関わりがあったかもしれません」

「できれば、呼んできてもらいませんか」

「はい、分りました」

 多少のめんどくさいという気持ちは表情からして垣間見える。すぐに黒谷という女を連れてきた。君付けしていたため、てっきり男だと決めつけていたが、実際は女性だった。四十を過ぎていると思うが、まだ若さが漂っている顔立ちで、清楚な雰囲気が場を和ませてくれる。

 同じように軽い自己紹介をして、本題に移る。彼女は黒谷悦子という名前を持つ。

「河辺仁志、という人物を御存知ですか」

 柳はストレートに訊く。

「え・・・」

 黒谷は大きく瞳を見開き、右手を口元にあてた。微かに震えも見受けられる。知っている、と判断した鳥越は、催促を込めつつ配慮する。

「大丈夫ですか?ご存じなんですね?」

「ええ。・・・昔、付き合っていましたから」

「え、河辺仁志と、ですか?」

 黒谷は頷く。

「彼と私は同じ経理部にいたんです。歳が近かったので、話しやすくて、いつのまにかそういう関係に・・・」

「では、御存知かと思いますが、彼が亡くなったとき、あなたはどう感じましたか」

 黒谷は瞳を閉じて、胸に手を当て、そのまま固まった。

こんな不躾な質問をしている鳥越自身本当に気の毒に思っているが、真実追及のため、守るべき国民のため、痛む心を抑えて訊ねているのだ。

「連絡をいただいたとき、本当に驚きました。どうして仁志さんが殺されなければならなかったのか。どうしてこんなことになってしまったのかと・・・」

「彼を最後に見たのはいつですか?」

「あの日です」

「というと、彼が発見された日、つまり九月十六日ですか?」

「ええ。仁志さんは会社に残って残業していました。熱心に仕事に取り組む姿が、私には宝石のように輝いてみえました」

 弟をしっかりと食わせてやろうという兄弟愛が鳥越には伝わってくる。当時の河辺仁志にそんな気持ちが無かったとしても、ひたむきに努力する人の姿は美しい。次第に、鳥越の胸の奥で何かが動いたような気がしてきた。

 小さい咳払いをして、気を立て直してから黒谷に訊いた。

「つまり、あなたが帰るタイミングでは河辺仁志はまだ仕事をしていた、ということですね?」

「はい」

「そうですか。では、河辺仁志の帰り道ってご存知ですか?」

「確か、いつもすぐ近くの公園まで行って、その公園を北上して駅まで歩いていた記憶がありますけど」

「それって、大横川親水公園ですか?」

「ああ、そうです」

 鳥越と柳は眼を合わせた。これで仮説の信憑性がいくらか強まった。十五年前の九月十六日、河辺仁志は残業を終えた後、いつものように大横川親水公園を歩いて帰っていた。そこで、遠野嘉政と峰里大介の口論、そして峰里の死を目の当りにした。河辺仁志の存在に気付いた遠野は彼の口封じにかかり・・・といった流れだ。

 鳥越と柳は染谷社長を含め、三人に礼を言って、染谷建設を後にした。鳥越の提案で、もう一度現場を調査しておくことにした。現場こそ事件の原点であり、どこかしらに何かしらの手掛かりが・・・とはいっても、正直期待はしていなかった。鑑識課が細部に渡る細部にまで捜査の手が及んでいるであろう。新しい糸口が見つかる可能性は低いと決めつけていた。一応、先日起きた事件、そして十五年前の事件の現場を再度確認しておきたかった。

「ここで遠野嘉政は殺されたんですよね」

 上を車が行き交う橋の下で片手傘を持ちながら言った。近くのコンビニで買った安いビニール傘だ。柳も同じものを買って持っている。

夜になると、特に日が短くなってきたこの時期、この辺一帯は暗闇に包まれるのだろう。街灯があるにしろ、歩いて通ろうとは進んで思わないと思う。

「そして、あの階段に・・・」

 鳥越は一連の動作をイメージした。

「衝動的な犯行だろうな。口論の末、蹴り倒した。もし、そうじゃないなら、凶器を持っていたはずだしな」

「そうですよね。そういえば、犯人の足のサイズって二十八センチですよね」

「結構でかい足の持ち主だな。俺だって二十七だぞ。まあ、いまどきの中学生、高校生でも大きい人ならそれくらいはあるらしいな」

「そうですか・・・」

 辺りを見渡す。濡れた地面を舐めまわすように観察眼を光らせた。期待薄と分っていても、その少ない希望に懸けてしまう。それは刑事として、というよりも人間としてといった方が適正なのかもしれない。「ダメ元」でチャレンジしてみる。その後ついてきた結果が望んだもの、あるいはそれいじょうのものだったったとしたら、その「ダメ元」の精神とそれによって生まれた結果にはすばらしい価値が与えられる。その信念がときに幸運をもたらすこともあるのだ。

やがて、鳥越の眼は小さな何かを捉えた。橋の端の柱と石の階段との狭間にそれはあった。

(ん・・・?)

 近寄って見てみる。そしてポケットからグレーのハンカチを取り出し、しゃがみこんでそれを掬う。見てみると、それはボタンであった。真ん中に模様が刻まれている。現段階でその模様の正体は判断つかない。しかし、その小さな手掛かりからは、哀願や切願といったような大きな想いが伝わってくるような気がした。それは真実という出口へと続く、長い洞窟の途中で差した一筋の光とほぼ等しく感じられた。

 ハンカチの上に乗った一つのボタンを黙視している鳥越の前髪を、冷たい秋風が静かに揺らした。

雨はまだ止んでいない。しかし、向こうの空が少しばかり晴れているのは、何かを象徴しているのかもしれない。


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