◆七十六 混沌を前に
ナーダとアンブローシアの行く先が分からない以上、ラータ達に取れる行動は限られている。
今まで通り、世界の崩壊の原因を探す。
それだけだ。
ナーダの自白のみで信憑性は薄いが、今のところ原因として考えられるのは、世界の創造主の不在による崩壊だ。
そのことを踏まえてラータはマンテネールに一つ頼みごとをした。
◆
「これが、崩壊の現状か……」
ラータは目の前に広がる光景に息を呑んだ。
「はい。世界の端では、この場所以外でも同様の現象が起きています」
ラータが頼んだ事は、世界の崩壊がどのように進んでいるか、それを実際に目で確認することだった。
マンテネールに頼んで、世界の端に転移を使ってやってきたのだ。
今、この場所には人影は二つだけ、ラータとマンテネールのもののみだ。
ラータの足元には白い砂浜が広がっている。
その砂はある一定の場所から、落ち込んで真っ黒な空間へと吸い込まれていく。
一粒、また一粒と。
眼前に広がる空間は、完全な闇。
光の帰ってこない漆黒だ。
「世界の……端……。この黒い空間が……」
「そうです。この闇が混沌です。……手の届く場所にありますが、けっして触らないで下さい。こうなります――」
マンテネールは神殿遺跡から持ってきた石の破片――風化した遺跡の一部であろう――を黒い空間に向かって投げ込む。
綺麗な放物線を描いて投じられた石片は、空間に呑まれる瞬間に砂粒になって崩れ、消えた。
「――!?」
「今のは神殿遺跡の一部です。神殿遺跡は創造主の作り出した巨大な聖器物と言ってもいいものです。それでも世界の外側に投げ出された事による分解には耐えられません」
「今の、石はどうなったんだ?」
「混沌の一部になりました。創造主様は混沌から"光"を創り、"光"から大地を創りました。この世界に存在する全ての存在は、目の前にある混沌で出来ていると言っても過言ではありません。……この混沌の海に落ちることは、即ち元の混沌に戻るという事を示しています」
マンテネールの口調は、冷静なものだ。
彼女にとっては、この光景は見慣れたものなのだろう。
彼女は指先を砂地と混沌の境界に向けると「見てください」と前置きをして言った。
「本当に少しずつですが、砂が、地面が混沌に呑まれていっているのが分かるでしょう? これが、世界の崩壊です。非常に緩慢ですが、放っておけば世界の全てが混沌に還ります」
よく見ないと分からないくらいの速度だった。
両手で掬った砂が、端からこぼれる様な――そんな速さで砂粒が闇に消えていく。
「ナーダの言っていた創造主の不在と言うのは、案外に信じられることなのかもしれません。おそらくですが、創造主様の持つ力で消えていく世界と同じだけの世界を常に作り出していたのではないかと思います」
それを聞いたラータの頭には、穴の開いた水筒が浮かんだ。
獣の膀胱で出来た水筒に、針で極小さい穴を開ける。
点々と漏れていく水が世界だ。
水筒の水が無くなってしまわないように、水筒の持ち主は水を足す。
しかし、水を足す者がいなくなれば、どうだ。
水は小さな穴からこぼれ続け、水筒はしぼんでいく。
誰も水を足さなければ、やがて、全ての水が流れ切ってしまうのは間違いない。
「マンテ。聞いていいか?」
「なんでもお聞き下さい。ワタシに分かることなら、答えます」
「頼もしいな。……なら、遠慮無く聞くが、この崩壊に巻き込まれて、消えた人間はいるのか? いや、人間だけじゃない……動物や魔物だってそうだ。世界の崩壊が始まってから……その犠牲者は――」
世界の崩壊を止める為に集まった自分たちが、もたもたしていることで間に合わずに混沌に呑まれてしまった者がいるかどうか。
それを聞くために質問したラータだったが、言葉の途中でとんでもない事を聞こうとしていることを思い出した。
「いや、すまん。忘れてくれ。無理に答えなくてもいい」
「……お気遣いなく。世界の崩壊に巻き込まれたのは、まだワタシの主様だけです。もしかすると迷い込んだ野生の生物や、海の境界で魚などが混沌に落ちたかも知れませんが、知能のある生物が巻き込まれるようなことは無いはずです。創造主様は世界の端に近い場所に、生物の生態を配置してはいませんでしたので」
「そう、か……悪いな。それじゃあ、悪いついでにもう一つ。このまま崩壊が進めば……どれくらいの早さで大陸が呑まれる?」
ラータの問いにマンテネールはじっと黙りこむ。
「…………」
沈黙の理由を察してラータは再び口を開いた。
「いや、何も時間制限までサボろうってわけじゃない。崩壊が致命的なものになるまでの時間を知っておくことは大切だろ? 今は手がかりを失った状況なんだ。闇雲に崩壊の原因を探すにしても、どこを探すのにどれだけの時間を掛けるかを決める判断材料になる」
ラータの言った事が見当違いだった様子で、マンテネールは目を伏せた。
「……違います。……ラータ、一つ確認したいのですが……アナタの言う"致命的なもの"というのは、人間の住む大陸が崩壊する、ということでしょうか?」
「…………」
今度はラータが黙りこんだ。
「ハーフェンでも言いましたが、人間は既に絶滅しています。人間の住む大陸というのは、この世界のどこにも存在しません」
「じゃあ、なんだ? 俺たちは空っぽの世界を救うために集められたのか? 正直なところ、俺は最初は村に帰りたいだけだった。でももう帰る村もない! 村の皆もとっくの昔に死んじまってる! その上、世界の崩壊を止めても残るのは誰もいない場所。なんで俺はそんな場所を救わなきゃならない!!」
後半は叫び声に近かった。
語気を荒くしてしまったラータは、言い終えてから冷静になって謝る。
「……すまん。当たるような真似をした……」
「いえ――」
マンテネールは哀れむような目でラータを見つめる。
「…………期待しないで聞いて下さい」
「……?」
前置きをして、マンテネールは再び口を開く。
「世界の崩壊を止めた後、ワタシは創造主様を探すつもりでした。……今は、創造主様を探すこと自体が崩壊を止めることに繋がるので、目的が一緒になってしまいましたが。……それは、世界の崩壊を止めた後に、創造主様によって世界を再構築して貰おうと……そう考えていました」
「そんな事が可能なのか!?」
ラータは唯一の希望を見つけ、飛びかかるようにマンテネールに詰め寄った。
「確信があるわけではありません。しかし、創造主様の力はそれが可能ではないかと思えるほどに強大です。既に、亡くなった命を戻すことは難しいでしょうが、新たな文明を築けるようには、出来ると……そう、ワタシは考えています」
「元の世界では無い……か。確かにそこまで都合よくなんでも創れるってわけじゃないだろうな。……失われたものは戻らない。でも、世界を、崩壊から救う意味はある……」
「ええ。自棄になるのはまだ早いです。ワタシ達は出来るだけのことを、しなければなりません。その為には、再構築される世界のためには、少しでも崩壊の進んでいない世界の土台を創造主様に捧げる必要があるとは思いませんか?」
「だから、一刻も早く崩壊を止めたい、と思っていたわけか。それは否定しないさ。でもまぁ、最低限の予定は立てたい。これ以上世界が狭くなったらマズイってマンテが思う範囲に届くまでの時間くらいは教えてくれよ」
話を戻す。
結局は世界の崩壊は止めなくてならないのだ。
それからの事はその後で考えるしか無い。
マンテネールはラータの言い分を飲み込んだ。
「そうですね。このままの速度で崩壊が進んだ場合、ですが。およそニ年後には世界の全てが失われます。一年でも半分は失われてしまうので……100日以内に事を済ませれば、海が狭くなるだけで済むかもしれません」
「思ったよりは時間があるが……100日全部使い切るわけにはいかねぇな。……よし、50日以内に世界の崩壊を止める」
「はい」
その為にはどうすればいいか。
名案も思いつかないうちに時間制限だけが定まった。
ラータは、今すぐに世界が崩壊し尽くすわけでもないという安堵と、打つ手の無い現状からの焦燥感の二つを抱えた事に、内心で舌打ちした。
どこまでも深い穴の様に真っ黒な混沌は、夕暮れを経ずに夜が迫るような不安を漂わせていた。




