◆七十五 新生ミスラと元ミスラ
ミスラの本体――"神"の神体の様子はどうか、と話を振ったラータに答えたのはマンテネールだ。
「その件なのですが……。実際にミスラ様とお話になった方がよろしいかと思います」
ラータは意味深な言葉で答えたマンテネールを不思議に思うが、すぐに駆け寄ってきたミスラによって戸惑う暇を与えられなかった。
「はァ~じめまッしてッ! ミスラは、ミスラでッす! よろしくねッ!」
ペコリとお辞儀をして、初対面の挨拶をするミスラ。
ラータは状況が理解できずに動きを固める。
「……初めまして? 初めましてって、どういう――」
「初めましては初めましてだよォ。ミスラはキミと会うのは初めてだもの! 最初の挨拶は肝心でしょ?」
まくしたてるミスラは冗談を言っている様子ではない。
呆気にとられるラータに助け舟を出したのはマンテネールだ。
「戸惑っていますね。……面白いです。種明かしをしますと、あなたの前にいるこのミスラ様は今までのミスラ様とは別人です。ミスラ様の本体――神殿遺跡の中に安置してあった神体と同期したミスラ様は、今まで活動していた"神"としての意識をそちらへ移しました。……つまり、こちらのミスラ様はただの人間の娘です」
「それじゃあ、その同期ってのは無事に終わったのか? ミスラは神体に戻れたってことだろ?」
「ミスラがなァに? ナイショ話?」
小声で話すラータとマンテネールの間に、ミスラが口を挟む。
「あぁ、悪い。今、君の事を聞いてたんだ。ちょっと驚いて挨拶を返すのが遅れちまったな。俺はラータだ。よろしく」
「うん。よろしくッ!」
握手を交わすとミスラはニコリと笑顔を浮かべる。
「マンテネール。それじゃあ、"神"の方のミスラは神殿遺跡の中か? ……というか、どっちも"ミスラ"だとどっちがどっちかわからないな……」
「はい。神体は安置していた部屋にいます。……そうですね。ミスラ様の名前に関しては呼び分けの必要があるかと思いますが……元々、ミスラ様の名前はその人間の娘の名だったのですから、神体のミスラ様は元通り"神"とお呼びするのが良いかと」
「"神"って呼びづれぇよ。とにかく、神体と話してみるか……。皆はちょっと待っていてくれ。ミスラ、付いてきてくれるか?」
神体に戻った"神"と話をするには、人間体のミスラもいたほうが話しやすいだろうと思ったラータは、手招きしてミスラを呼ぶ。
「いーよッ! ついてってあげる!」
見た目の年齢通りの振る舞いになったミスラは、タタタッと軽快に駆け寄った。
「ワタシもご一緒します」
マンテネールも神体の下へ行くようだ。
ここのところ、ラータの従者の様に付き従っているので、その延長だろう。
神殿遺跡の中に入り、円卓の間の手前の部屋――ミスラの神体が安置してあった部屋まで来ると、身構えていたもののラータは二の足を踏みそうになった。
ミスラの神体は、それはもう巨大で荘厳だ。
褐色の肌も見慣れないが、四ツ腕、多数の翼に複数の耳と人間の形状として歪極まりない姿だというのに、神聖さと厳かさが溢れている。
「やぁ、ラータ。念願叶って身体を取り戻したよ。これも皆の協力のおかげかな?」
見た目とは裏腹に、軽い調子の声が部屋に響き渡る。
神体の口元は動いていない。
代わりに動いているのは、顔の左右に二対付いている尖った耳だ。
それを震わせて音を出しているのだ。
「おおぉ? 口を動かさずに喋るってのは、なんだか慣れない感覚だな。声は元のミスラにそっくりなんだな」
「この声の方が皆も慣れていると思ってね。喋り方はその人間の少女の身体で過ごした時間が長かったから、中々元通りとは行かないね」
ふるふると耳を震わせて、神体のミスラは続ける。
「この神体に戻るのは数百年振りでね。元の喋り方を忘れてしまったんだ。……ところで、ラータがここに来たと言うことは、もういろいろ聞いたんだろ? ここから出られるのかい?」
「ミスラが本体に戻ったって事は聞いたが……。ミスラはここから出られないのか? 俺はまず、おまえの呼び名をどうするかと思って来たんだが……この子も"ミスラ"でおまえも"ミスラ"だと区別がつきづらい」
「いやぁ、出られないわけじゃないんだけど……遺跡を崩しちゃうから、いい案が浮かぶまで待ってたんだよ。呼び名については好きに呼んでくれて構わないよ。でも流石に"神"と呼ぶのは御免こうむりたいかな。あれは名前じゃなくて、人間達が作り出した代名詞に過ぎないから」
神体は膝を抱えた姿だというのに頭を天井にぶつけんばかりの巨躯だ。
無理矢理に出ようとすれば天井や壁を突き破ってしまうのは、深く考えなくても分かる。
「外への出方は……マンテネールがいるんだ。なんとかなるだろ」
「え? ワタシですか?」
急に名前を出されたマンテネールは、寝耳に水といった様子で驚いているが、ラータからすれば先に自分で気がついて欲しかったところだ。
「外に転移するだけで良いんじゃないか? マンテは自分の能力をもっと応用して使うことを覚えてくれよ……」
「あ、あぁ、そうですね。なるほど。……でも神体の大きさを転移、ですか」
「アルジェンティウスも転移できたんだ。出来ないことはないさ」
マンテネールは目から鱗を落としたような顔で「そうですね」と頷く。
「それより、名前だよッ! ミスラはミスラのままでいいんでしょ? それじゃ、おねーちゃんの名前を決めてあげなくちゃッ!」
口を挟んだのは、人間体のミスラだ。
「"おねーちゃん"? ……ミスラ、それは人間の姉妹での呼び方だろう? 残念ながらこの神体には性別がないんだ。でも、確かにミスラの影響で性格は女性の趣が強いかな。それじゃあ、女の子っぽい名前を頼むよ」
神体の耳が震える。
どうやら、人間体のミスラは神体のミスラの事を姉として見ているようだ。
「そうは言ってもな、名付けの経験なんて俺にはねぇぞ。……マンテ、頼めるか?」
「ワタシが"神"にですか!? それは、少々恐れ多い事ですよ!」
「いいじゃないか。エッセの名付け親でもあるんだ。この神体に相応しい呼び名を定めてくれるかい?」
震える耳も乗り気でマンテネールに頼む。
「……わかりました。では――ミスラ様の名に因んで、"ミトラ"と言うのはどうでしょう?」
「ミトラね。悪くない。あんまり変わらなくて助かるよ。おもいっきり別の名でも良かったけれど、そうなると慣れるのに時間がかかりそうだからね」
震える耳が上機嫌さを演出する。
ミスラの神体――改め、ミトラ自身も気に入ったようだ。
「それじゃあ、ミトラ。改めてよろしく頼む。まずは、マンテに外へ転移して貰おうか」
「こちらこそ、よろしくだ。神体を取り戻した今、以前のミトラだとは思わないでくれ。この後は逃げたナーダとアンブローシアを追うのかい? 逃亡先に心当たりがあるようには思えないが……」
「正直、上手く逃げられた。向かった先の見当もついてない。方針が決まるまで、ここで過ごすことになりそうだ」
「そうかい。ミトラは逃げた者を追跡する力は無いからね。君に任せっぱなしになってしまうが、戦いになったら今まで以上に役に立つことを誓おう」
本来なら胸でも叩いて主張するであろう台詞だが、ミトラはやはり耳を震わせるだけだ。
表情の変化がない分、声の調子で明るさを表現してくれているのだろう。
「あぁ、頼りにしてる。俺は戦闘はからっきしって言う訳じゃあないが、おまえらに比べると雑魚もいいとこだ。……そういや、おまえ、改名しても自分の事は名前で呼ぶんだな」
「自分を名前で呼ぶのも、人間の身体を使っていた時の癖だね。呼び名が決まるまでは話すのに苦労したよ」
一拍置いて、「それと……」と前置きし、ミトラは続ける。
「ラータは自分で気がついていないみたいだけど……キミ、もう人間離れしてるんだよ。それが未だ不明な《権限》の影響か、元々の才能かはわからないけどね」
意味深な声色を演出してミトラは言った。




