◆六十九 神殿遺跡脱出行③
まずは足止めだ。
「――バーンクラウド! ――エアバリケーション!」
「――バーンクラウド! ――エアバリケーション!」
俺の魔法に合わせてアンブローシアが同じ魔法を重ねる。
アルジェンティウスの周囲を爆発による黒煙が包み込み、風の障壁で覆う。
高濃度の煙幕だ。
身体のでかいアルジェンティウスの全身を包み込む事は出来ないが、頭部は完全に黒煙に覆われている。
完全に視界を奪ったはず。
それから、目的の方向――逃亡先とは真逆の方角に向けて全力で飛ぶ。
ソニックムーブに回す魔力を最大にして加速。
アンブローシアも付いて来れているようだ。
「小癪な! 目くらましか!」
バーンクラウドの爆撃が直撃したはずだというのに、アルジェンティウスは黒煙を振り払おうと抵抗をしている。
エアバリケーションによって固定された煙幕に手こずったのか、煙幕を振り払った時には俺たちは既に十分に距離をとっていた。
「逃がさんぞ。貴様の速さでは儂を振りきれぬ」
煙幕から脱したアルジェンティウスの瞳が俺を捕らえる。
詠唱が高速で組み立てられ、竜鱗が青白く発光する。
「――――トレントグレイシャル」
アルジェンティウスの正面から俺の足元に掛けて、ダイヤモンドダストの道が形成される。
生身の身体なら肌を刺す様な冷気を感じる所だが、俺の身体は既に死んでいる。
凍りつかないように注意するだけでいい。
「うぅ……さむ……」
アンブローシアは生身だったな。
炎熱魔法で冷気を軽減してもいいのだろうが、残念ながら詠唱をしている暇は無さそうだ。
ちらりとそう考えると「わかってるわよ」と言わんばかりの表情で睨まれた。
アルジェンティウスが動く。
――さて、どうなるか。
俺は頭で思い描いていた通りの行動を取る。
先に動きを想定していたため、アンブローシアも問題なく付いて来れるはずだ。
危険な賭けだが、上手くいけば逃げきれる。
氷雪魔法の道をアルジェンティウスの長い身体が滑走する。
移動の速度は恐ろしく速い。
しかも初速から最大速度で突っ込んでくる。
俺たちはその動きに合わせて再び煙幕を張る。
今度は濃密な黒煙を張る必要はない。
一瞬の目眩ましで十分だ。
「――バーンクラウド!」
「――エアバリケーション!」
俺の放った爆煙を、アンブローシアが風で補助する。
そして俺たちは煙幕を作ったと同時に少しだけ下降し、アルジェンティウスの腹をすり抜けた。
氷雪魔法トレントグレイシャルは氷雪魔法で作った道を、冷気の噴出で滑走する高速移動魔法だ。
ダイヤモンドダストで作られた道が空気抵抗を最小限に抑えているのだろう。
その理論なら、一度滑走を始めた身体を止めるのは難しい。
方向転換も困難だろう。
ましてや、猛烈な速度を殺し、逆方向に再加速するなど出来ようはずもない。
俺たちはアルジェンティウスとすれ違うと、すぐに上昇した。
「また煙幕か! 懲りずによくやるわ。すぐに振り払ってくれる!」
トレントグレイシャルによって形成された道は、アルジェンティウスが通りすぎた後も残っている。
魔法を解除するまで消えないようだ。
森の神殿に向かう時、アルジェンティウスの後ろを飛んでいた俺はそれを知っている。
今度は、この残った道を利用してやるのだ。
ダイヤモンドダストの中に潜り込むとアンブローシアはガタガタと震えていた。
寒いのだろう。
先ほど、逃亡先と真逆に逃げたのは訳がある、この道で俺たちの飛翔の初速を上げるためだ。
しかし、単純にこの道を砲台にして飛び出せば、俺たちの身が保たないだろう。
針のむしろの様な道を滑走できるのは、アルジェンティウスの頑丈で滑らかな鱗があっての事だ。
俺とアンブローシアは示し合わせていた通りに背中合わせになる。
「すぐに飛ぶぞ。――ハイパーガスト」
「えぇ!? あんた、躊躇ないわねぇ。――ハイパーガスト!」
俺は前方に向かって。
アンブローシアは後方に向かって突風を作り出す。
注ぐ魔力の量を同じ量に調節したため、まだ片方がふっ飛ばされることはない。
前方の風はこれから通る道を滑らかにするためだ。
後方の風は飛び出す為の燃料、ついでにアルジェンティウスへの牽制だ。
「思いの外上手くいった。さぁ、逃げるぞ」
俺はハイパーガストに注いでいた魔力の供給を断つ。
同時にアンブローシアは全力で突風を噴射する。
アンブローシアの膨大な魔力によって形成された突風は、俺たち一気に氷雪魔法の砲台から撃ちだした。
「ひぃぃ………!」
自分が動力になっているというのに、アンブローシアは情けない声を出す。
馬鹿め。
そっちはまだ安全な方だ。
俺は削りきれなかった氷晶に身体を切り刻まれる上、着地時には衝撃の緩衝役にもなるのだ。
せいぜい悲鳴を上げていろ。
◆
べしゃり、と落下した後、一度意識を手放したようだ。
目を覚ますと建物の中だった。
少し広めの物置の様な空間だ。
出入り口から薄暗い外が見える。
想定していた目的地には辿りつけたようだ。
身体を起こそうとすると違和感を覚えた。
両の足が砕け、細かい切り傷で全身がズタズタになっている。
これでまともに動くのは右腕だけだ。
"リッチ"でなければ死んでいた。
いや、死んでいるから何とかなったと思うべきなのだろうか。
「……あ、あ~」
声帯は潰れていないようだ。
「――エア・センシズ」
旋風魔法で微風を発生させ、周囲の様子を探る。
魔力もまだ残っている。
ふむ、行動に支障はない。
「――"行動に支障はない"ってなによ!? 馬鹿じゃないの!? 今、感知魔法であたしの状態見たわよね!!?」
建物の隅の床にアンブローシアが座っている。
足を骨折しているようだ。
右足が不自然に折れ曲がって、腫れている。
こいつは不死で、再生もできる。
大丈夫だ。
「大丈夫じゃないわよ! 痛みはあるんだからね! 安全に逃げられる手立てがあるって言うから手を貸したのに詐欺じゃない!」
詐欺ではない。
安全に逃げられるかもしれないとは言ったが、無事にとは言っていないのだ。
「怠慢してないでちゃんと喋りなさいよ。怒るわよ。あたしの《知覚権限》に頼ってサボってるでしょ」
今はまだ怒っていないとでも言うつもりか。
「あんたねぇ。落下地点から屋根のあるところまで、誰が運んでやったと思ってるのよ」
そうか。
アンブローシアは落下の衝撃でも意識を失わなかったのだな。
元気なわけだ。
「恩知らずにも程があるわね。礼の一つくらい言えばいいのに」
ありがとう、ありがとう。
こんな感じか。
「リッチは一応死体だから、燃やせば消滅するのかしら……」
障壁くらいは張れるだろう。
問題ない。
「それより、アンブローシア。本は落としてないだろうな?」
「それよりじゃないわよ。猫かぶってる時よりはマシだけど、腹立つわね……。本はあるわよ」
アンブローシアはローブの隙間からチラリと本の角を覗かせる。
「そうか、なによりだ。ならば後はカルディナールと連絡を取るだけだ」
ここはカルディナールの棲家に近い場所だ。
かつて栄えた人間の国の廃都。
今いる建物はその廃都の端だろう。
カルディナールは廃城を根城にしているはずなので、少し移動しなければならない。
「ところで、あんた。なんであんな言葉遣いだったの? "ボク"とか言ったり、やたら不自然な敬語だったり」
面白いことを聞く。
《知覚権限》でそんなこと、分かりそうなものだが。
「《知覚権限》はそこまで便利じゃないわ。きちんと思い浮かべたり、考えて貰わないと"声"になって聞こえないのよ。そのうえ、あんたは特殊みたいだし。……"声"がいくつも同居しているのはあんたが初めてよ」
「…………あの喋り方は十八熾将"うつろうナーダ"の物だ。訳あってナーダの人格はほぼ消滅しかけている。今の俺はこの身体の持ち主の意識が多くの割合を占めている。そういうことだ」
「へぇ。じゃあ、あんたはナーダじゃないんだ? なるほどね。リッチは死体を渡り歩いて生き永らえると言うけど、逆にリッチの方が薄まっちゃうこともあるのね?」
「きちんと死体に乗り移ればそうはならない。この身体になった時、まだこの身体の持ち主は生きていたのだ。……なんにせよ、今は身体の生命活動自体は止まってしまっているが、な」
この身体の持ち主とリッチであるナーダが融合した時の事を思い出す。
今の俺は、何故かそういう過去の帰国を第三者の視点でしか見れない。
身体の持ち主とナーダが合わさった時、双方の記憶が同時に納まった。
記憶は意識を形作るための核となっている。
身体の持ち主が"水"だとすると、ナーダは"土"だ。
"水"と"泥"が合わされば"泥水"――即ち、俺になる。
おそらく今の俺は、元の身体の持ち主でも、ナーダでもないのだろう。
だが、"泥水"は"水"でもあり"土"でもある。
俺の明確な意識は合わさった二人を確実に継いでいる。
最近は"土"は沈みきってしまったようで、ほとんどが澄んだ"水"になって来ているが、"泥水"の意志で掻き回せばすぐにでも"土"が表面化するだろう。
「ナーダじゃないなら、あんたのことはなんて呼んだらいいかしら?」
そうか、俺は"土"ではなく"泥水"なのだ。
では泥水にも呼称が必要だ。
「そうだな…………。俺のことは、"セロ"と呼んでくれ」




