◆三 招待客たち
ラータの視点に戻ります。
転移魔法は膨大な魔力を消費して次元を歪め、座標と座標を無理矢理につなぐゲートを作り出す移動方法だ。
そのゲートを通るのは強い魔力の干渉を受ける。
ラータはその魔力の干渉によって強烈な目眩と吐き気に襲われていた。
早い話が転移酔いしたのだ。
「こんな風になるなら、先に言っておいて欲しかったな……」
ぐったりと椅子にもたれかかってラータはつぶやく。
此岸の果てで朝を迎え、すぐにマンテネールの転移魔法で、仲間が召集されているという神殿に移動した。
マンテネールは「まだ、他に連れてこなければならない者がいる」と、再び転移をしていった。
ラータがいるのは神殿の中で、集められた者たちのために用意した待合室らしい。
真っ白い石の床はピカピカに磨かれているような光沢を放ち、木目の美しい分厚い長テーブルには立派なあしらいの椅子が備え付けられていた。
壁にはいくつか絵画が飾られ、どれも村育ちのラータが目にしたことのない、多彩な風景が描かれている。
その待合室にラータの他に四人の先客がいた。
その誰もが椅子に座ることはなく、思い思いの場所で黙りこんでいる。
白を貴重とした重厚な全身鎧に身を包んだ大男。
真っ黒なローブを身につけ、いかにも魔法使い然とした三角帽をかぶった紫紺の長髪の女性。
薄いブルーの瞳がぼんやりと虚空を見つめるような、どこか中性的な雰囲気を持つ白髪の少年。
最後は、最も最年少であろう八~九才ほどに見える少女は、羽のついた緑の帽子をかぶり、しきりにその羽根を撫でている。
「いったいどういう面子なんだか」
《権限》を持つものを召集していると聞いていたが、いざ集められている者たちを目にすると、ラータはなんとも言えない不安が湧いてきて落ち着かなかった。
「転移酔いですか。私もここに来た時、しばらくは具合が悪かったですよ。大丈夫、すぐに良くなります」
そう言って、グラスに一杯の水を差し出したのは、白い全身鎧の大男だった。
その鎧はよく見ると、随分荘厳な模様が金の筋で掘られている。
「あぁ、悪いな。いただくよ」
ラータはグラスの水を受け取ると、一息に飲み干した。
全身鎧の男は兜も身につけたままで、素顔は見えない。
「助かった。スッキリしたよ。俺はラータっていうんだ。あんたは?」
「私はヘルトと言う。まだ、水が欲しかったら部屋の角に水差しがあるよ」
ヘルトと名乗った男の指差す方向には、小さな丸テーブルがあり、銀の水差しが置いてあった。
空のグラスも幾つかある。
「いや、もう大丈夫だ。正直、目眩で水があるのに気が付かなかった。恩に着る」
「そうか。なら良かった」
ヘルトはラータの隣の椅子を引くと、そこに腰掛けた。
鎧がカシャリと音を立てる。
「どうもずっとこんな雰囲気でね。待っている間、少し話さないか?」
重苦しい雰囲気に耐え切れないと思っていたラータは快く承諾する。
集まっている者の素性も気になるところだった。
「いいぜ。つっても俺は、なんで自分に声がかかってるのかよくわかっちゃいないんだがな。詳しい説明もまだ受けていない」
「そうなのか? 実は私も特に詳細を知っているわけではない」
ヘルトが顎に手を当てると、鈍い金属音が響く。
「《権限》っていう力を持つ者を集めてるんだろ? まず、それが俺にはさっぱり身に覚えがない。それに俺はただの村の自警団だ」
ラータはひらひらと両手を動かす。
「すでに集まっている者たちも、身分に共通点があるとは思えないな」
部屋の中を見回すようにヘルトの兜が動く。
「ヘルトはどこかの国の騎士かなんかか?」
ラータに向き直った兜が、一瞬首を傾げたようにも見える動きをする。
「……いや、私はもう剣を置いた身でね。恥ずかしながら一時は"英雄"などと持て囃されもしたが、遠い過去の話だ」
「なら、大層腕に覚えがあるんだろうな。ますます、俺がここにいる理由がわからなくなるぜ」
ハハッと笑いながら、うなだれるラータ。
「私の力など、たかが知れたものだ。卑下することはあるまい。ひっそりと隠居していたつもりなのだがね。彼女――マンテネール殿に見つかってしまったよ。しかし《権限》については、私も見に覚えがなくてね。ラータ殿はどういう経緯で、ここに?」
ヘルトも突然に声がかかったようだ。
この召集の目的はやはり説明を受けなければわからないだろう、と考えたラータは自分の経緯を話した。
自分の村が魔物の襲撃にあったこと。
海に落ちて流された先でマンテネールに出会い、ここに連れて来られたこと。
また、村の者が心配で、帰りたいこと。
「なるほど……。そんなところに村があったとは……。いや、すまないな。なにせ長い間、浮世から離れていたのでね。地理には疎くなっているのだ」
ラータは答えられずに黙る。
「しかし、魔物と渡り合えるとは……なかなか出来ることではないな。特別な訓練を受けたものでさえ、遅れをとるのが魔物と言う存在だ。魔物と人間では根本的な力の差が大きい。ラータ殿も選ばれるべくして、ここに呼ばれたのだろうな」
実際はソキウス達の協力があって、ようやく相手にすがりつくことが出来たようなものだが、仲間が褒められたようで、ラータは悪い気はしなかった。
「それより、俺は早く村に戻りたいぜ……。全員集まって話が終わったら、マンテが村の場所を探して転移してくれる約束なんだ」
「ほう。それは良かったではないか。村の者の無事を祈る。私に協力ができることがあるなら言ってくれ、微力ながら力を貸そう」
「それは、ありがたい」
過去に"英雄"とまで言われたという男の助力を得られるというなら悪い話ではないな、と考えラータは快く好意を受けることにする。
それにこうして話している印象で、ヘルトが悪いやつでは無いことくらいわかっていた。
正義感のある義に厚い男なのだろう。
ラータとヘルトが話していると、一人の人物が声をかけた。
「あんたら、随分打ち解けたみたいだね。あたしも混ぜてくれない?」
艶のある紫紺の髪を揺らしながら、黒いローブの女が歩み寄った。
ラータとヘルトは彼女に目を向ける。
「あたしはアンブローシア。悪いとは思ったけど、話を聞かせてもらってたわ。二人とも《権限》の自覚が無いそうね?」
召集理由の核心であろう話題に、ラータとヘルトは食いつく。
「貴殿は、その《権限》とやらを扱えるのかね?」
ヘルトが尋ねると、アンブローシアと名乗った女は妖艶な笑みを浮かべて頷く。
「そうよ。あたしの《権限》は大層なもんじゃなくて……《知覚権限》って言って、他人の"声”を聞けるって感じね」
ヘルトが納得したように頷く。
「なるほど。それで、我々の話も聞いたわけか!」
アンブローシアは引きつったような苦笑いを浮かべる。
「あ、いや、それはあんたらの話し声が単に大きくて、聞こえてただけよ」
表情の見えないヘルトだが、なんだか恥ずかしそうに身を小さくしたような気がする。
アンブローシアはそれを意にも介さず続けた。
「ちょっとわけあって、《権限》の力を抑えているの。今は特になにか聞こえるわけじゃないわよ」
頭を掻くように三角帽を撫で付けてアンブローシアは言う。
「あんたは、その《権限》ってやつに詳しそうだな。わからないことだらけで、どうにも落ち着かないんだ。教えてくれるか?」
「かまわないわ。君はラータちゃんだっけ? 君もなかなかおもしろそうな雰囲気してるしね。それにヘルトちゃんには、借りがあるようなものだし」
ラータは馬鹿にされたような呼称に不満を覚えたが、彼女は大事な情報源だ。
機嫌を損ねないように、甘んじて呼ばれることにした。
「借り……ですか?」
「あー、ごめんね。こっちの話しよ」
詮索を禁止するように、アンブローシアはヘルトの兜を覗きこんで、口元に人差し指を当てた。
ラータの位置からは見えないが、ウインクのおまけも付いていそうだ。
「じゃあ、《権限》の話しね。簡単に説明しちゃうわよ。難しく話すのは苦手なの」
コクリと頷くラータとヘルト。
「まず、この世界は神によって創造された、って基本的な部分からなんだけど、個人的に"神"っていう呼び方が気に食わないから、"創造主"と呼ぶことにするわね」
まるで教鞭を持っているかのように、振り付けながらアンブローシアは説明を始める。
「創造主はこの世界を作るときに、数人の従者を創ったわ。世界の運営をさせるため、その従者たちに与えられたのが《権限》よ。地理を管理するもの、悪魔と戦うための統率を行うものとかに、世界に干渉できる力を与えたの」
ラータも一般常識程度には、神話について知っている。
神は大地を創った後に、自らの孤独を紛らわせるため、幾人もの従者を創ったらしい。
そんなお伽噺に《権限》が絡んで来るとは、どうも眉唾臭い印象が拭えない。
「世界の管理を行うのに必要なものを揃えた創造主は、次に自分の世界の中から力のあるものを見出して加護を与えたわ。それも、従者たちに与えたものと同じく、《権限》だったの。つまりは、創造主は誰かに《権限》を与えることで、自らが手を加えずに世界を動かしている。……というわけよ」
説明を続けるアンブローシアの瞳に険しい光が宿る。
「それで、あたしも、創造主のお眼鏡に適ったらしくてね。ある日突然、お告げのようなもので《知覚権限》を与えられたわ」
ラータには信じがたい話に聞こえた。
神のお告げなんて、神話や伝記に載っているようなものだと思っていたし、それに、ここに呼ばれたということは、ラータもお告げを聞いていることになる。
そんな覚えはもちろん無かったし、そもそも一介の村人であるラータにとって神の存在自体が疑わしい。
もともとラータは信仰心も薄い方で、自給自足の村で育った環境が、それに拍車をかけていた。
ふと、ラータがヘルトに目をやると、真剣に聞き入っている様子でピクリとも動かない。
兜で顔は見えないが、アンブローシアの話を信じているようだ。
「それは凄い! やはり神はいたということか! 私も正義を貫いたことが、こうしてこの場に呼ばれることに繋がったのだろうか! 神は信じるものの前に現れるとは、本当のことだったのだな!」
ヘルトは信仰心が強いのだろう、身振り手振りで大げさに神への感謝を表している。
「……あはは。……それでね。実際のところ《権限》を持っている者――長いから"権限保持者”って呼ぶわ。その権限保持者が今どれくらいいるのかはわからないのよ」
天井を仰ぎながら、アンブローシアは尖った顎先に人差し指を添えて、難しそうな顔を見せた。
三角帽を目深に被っていたので今までは顔がハッキリ伺えなかったが、ハッするような美人だ。
筋の通った高い鼻。
キリッとした細い眉に大きな目。
深海を思わせる紺碧の瞳を長いまつげが更に印象付ける。
表情はあどけない少女のようでいて、妖艶な大人の女の魅力も併せ持つ。
まるで魔法にかかったようにラータは釘付けになる。
相手は魔法使いのようだし、本当に魔法にかかったのかも知れない、とラータは思った。
「ラータちゃんは、あんまり信じてないみたいね?」
アンブローシアの呼びかけに、平静を取り戻すと、ラータは頭を振って答える。
「いや、まぁ……。そんなことはないです……ぞ」
雑念で、しどろもどろな語尾になった。
「うん。ラータちゃんには、ちょっと見せてあげたいものがあるわ。とりあえず、今は話を続けるわね」
見せたいものとはなんだろうか、という思考を脇に置き、ラータは説明を促した。
おかしな語尾になったことは無視してくれているようだ。
「創造主が《権限》をばら撒いたなら、何人も権限保持者がいてもおかしくないんだけど、ラータちゃんとヘルトちゃんを含めてこの場にいる五人、マンテネールちゃんと、これから連れて来られる人を足して……七人もいるのよ」
「アンブローシア殿、それは多いのか? 私にはわからぬ」
アンブローシアは質問したヘルトに指を差して答える。
「そうそう。理由を説明するのは難しいんだけど、私の見立てでは権限保持者は六人なんじゃないか。……って思ってたのよ」
ラータはドキリとした。
何かの手違いで自分が呼ばれたならば、余分な一人がいる場合、それは自分に違いないと思ったのだ。
「何者かが、《権限》を偽装して潜り込んでいる? なぁんて、考えたりもしたけど、私の知らないところで《権限》が与えられた者がいたなら、この仮説は意味のないものになるわ。まー、気にしないで頂戴」
話題が流され、アンブローシアは別の用件に移る。
「それじゃ。ラータちゃん、あたしの部屋に来てくれるかしら?」
「部屋?」
「早くに着いたあたしたちは、個室が当てられているわ。だって、今日は召集から三日目よ? マンテネールちゃんが用意してくれたのよ」
ラータの転移に一晩の時間がかかったように、マンテネールの転移魔法には一日の使用回数に制限があるようだった。
最初に呼ばれたものは、最後のものが到着するまでに数日をこの神殿で過ごすことになるのだ。
この待合室で待ち続けるわけにもいかないので、マンテネールが気を利かしたのだろう。
「わかった。案内してくれ」
「じゃあ、あたしについて来て。まだマンテネールちゃんが帰ってくる様子はないし、少しくらいなら外してもきっと大丈夫よね」
待合室を出てすぐの隣の部屋がアンブローシアの個室だった。
それほど広くない部屋の内装は、黒塗りの棚とテーブルに、真っ白なベッドのみと非常に簡素なものだ。
待合室の白い石畳とは違い、床は黒い大理石になっていて落ち着いた雰囲気を漂わせる。
「突然、呼び出されたから何にも持ってきていないの。質素なものでしょ? あなたも部屋を貰うと思うけど、多分、おんなじ様なものよ」
アンブローシアは部屋の中央まで進むと、振り返って手を広げてみせる。
「部屋を貰うって言ってもな……。正直、俺はさっさと村に帰りたいんだ。その辺の話も聞いていたんだろ?」
残る一人をマンテネールが連れてくれば、この召集の理由についての説明がある。
ラータはその後、村の場所を探してもらい、直ぐに帰るつもりでいた。
「そうそう、それよ! 私が気になってたのは!」
人差し指を立てて、腰をくねらせるアンブローシア。
「あたしの《権限》を教えたでしょう? ラータちゃんはさっきの話、あんまり信じてないみたいだから、実演も兼ねて《知覚権限》を披露してあげようかなって」
フフン、と自慢気に鼻を鳴らして続ける。
「いーい? あたしの《知覚権限》は主にあたしの知っている者の"声"を聞くことが出来るわ。"声"って言っても喋っている言葉とは違って、"思い"とか"感情"とか……なんていうのかな、精神の様子? みたいなものが"声"として感じられるのよ。親しい存在であればあるほど、"声"の内容はより正確に、緻密になるわ」
「それで、何をするんだ?」
「キミの村の場所を《知覚権限》で探してあげるのよ」
ラータは驚きつつも、説明との食い違いを指摘する。
「あんたの知り合いしか探せないんじゃないのか?」
「基本的には……ね! 全く面識のない者でも知覚の網には引っかかるわ。気配だけっていうか、"いる"か"いない"かがわかるのよ」
「なるほど、じゃあ頼んでいいか?」
「もっちろん!」
アンブローシアは目を閉じると、細い眉をわずかにひそめて祈るようにし始めた。
空気が重みを持ったようにピンと張り詰め、しばしの静寂が訪れる。
「いいわよ。村の方角はわかる? 大体でも構わないわ……」
「え?」
「え?」
思わず声が二人の重なる。
大きな瞳をまん丸く見開いて、ポカンと口を開けるアンブローシア。
今までの妖艶な佇まいは何処かへ行ったのか、間抜けな表情でラータを見つめる。
「あ、あぁ。これは聞いてなかったのか? 俺、ここがどこにあるか知らないんだ。転移で連れて来られたしな」
余裕のある態度が無くなったアンブローシアに、指摘するのが悪いことのように思えてくる。
「そ、そうよね! 転移で来たものね! じゃ、じゃあ……目印になりそうなものは無いかしら?」
視線を逸らして質問するアンブローシアだが、その目は泳いでいて、取り繕っているのが手に取るようにわかるほどだ。
「目印か……俺の住むオリジャの村は、ウルブスから東北の岬の先端にある。村に行くまでには港町があるくらいで、後は山道と林だな。目印になりそうなものは――」
怒ったように眉間に皺を寄せた顔が目に入り、ラータは途中で言葉を止める。
「いや、悪かった。期待してたわけじゃないんだ。後はマンテネールに聞くさ」
居心地の悪さを感じて、ラータは待合室に戻ろうと踵を返す。
「あー! もう! 待って待って!」
帰ろうとしたラータの手をアンブローシアが掴む。
ラータは、細い指のひんやりとした感触を受けて固まる。
「意地でも探してやるわ! 本気でやるわよ! じゃないとキミ、信じないでしょ!」
「別に信じないわけじゃないが……」
「探してやるって言っちゃったんだし、これはあたしのプライドでもあるの!」
アンブローシアは頬を真っ赤に染めて腹を立てている。
透き通るような白い肌は、顔が赤くなるのを隠すには不向きのようだ。
「ちょっと、こっち見ないでね。準備するわ」
「は?」
ラータが後ろを振り向くより早く、アンブローシアは黒いローブをはだけさせ、中に着ていたビスチェもたくし上げてしまう。
「……魔法陣……?」
あらわになったアンブローシアの肌には、いくつもの魔法陣が描き込んであった。
「キミ……見てるじゃない……」
ジットリとした横目で避難されて、ラータは慌てて後ろを向こうとする。
「いいわよ。別に見ていても。目が潰れるようなものじゃないし、構わないわ。……こいつを解放するのよ」
そう言うと、お腹にある一番大きくて複雑な魔法陣を指さした。
「眩しくなるから、気をつけて」
シュワっとあぶくのように魔法陣から光が漏れだす。
「うお!」
まばゆい光を放つ魔法陣から、青い宝石の嵌めこまれた剣の柄が顔を出し、スルリスルリと伸びて剣先まで姿を現す。
「くぁっ――――ハァ!」
苦しそうな吐息混じりの声。
アンブローシアの身体から垂直に生えた剣は、そのまま空中で動きを止めている。
「……結構しんどいのよね、これ」
じんわりと顔に汗を浮かべながら、アンブローシアは両手で剣を受け止める。
すると、部屋中を照らしていた光は収まっていた。
「なんなんだ!? これは!?」
「この剣は……ちょっといわくつきの物なのよ。これの力でいつもは《知覚権限》の能力を抑えてるの」
まだつらそうな表情を浮かべながら、アンブローシアは剣をテーブルに横たわらせた。
白銀に煌めく刀身はスラリと長い両刃の造りで、刃と同じく白銀のナックルガードには細かい装飾が彫られている。
ラータの視界は、光をまともに受けてチカチカしている。
「さて……。これで本気を出せるわ」
アンブローシアはラータの手をとると、そのまま胸元に持って行きギュッと抱きしめる。
「な、なんだ!?」
「――村の情景を思い浮かべて!」
柔らかな感触と共に、生き物の鼓動のような脈動がラータに伝わる。
アンブローシアの鼓動の音ではない、ドクンという衝撃が走る。
「わ、わかった!」
ラータは余計なことは考えまいと目を閉じて、生まれ育ったオリジャの村を思い浮かべる。
中央広場の粉ひき風車。
すぐ隣がエルマノの家だった。
村の東には家畜を飼っていて、ドルクが羊を追う。
北に進むと岬の先端に続く道。その途中にソキウスの家がある。
村の外れに近い場所にあるから、夜にはみんなで集まって騒ぐことも、何度もあった。
岬から見る夕日は鮮やかな朱で、ラータにとってはオリジャの村の誇りだった。
村のみんなが無事でいると信じてはいるものの、言いようのない不安がラータにはある。
閉じた目の端に雫が浮かぶ。
「いいわよ。伝わってきてる――世界中を知覚するわ――――」
ラータを抱きしめる腕にグッと力がこもる。
そのまま、時間にして数分だろうか、しんと静まり返った時をアンブローシアが破った。
「……もういいわよ」
抱き込んでいた手を解くと、俯きながらつぶやく。
「あ、あぁ。……それで、どうだった?」
三角帽のつばで、アンブローシアの表情はラータからは見えない。
「…………」
黙りこむアンブローシア。
再び声をかけようとラータが口を開く。
「おい? アンブ――――」
顔を上げたアンブローシアの瞳には涙が浮かんでいた。
「え?」
自分の涙に気がついて、アンブローシアは慌てたように素早く目尻を拭う。
「あ、あはは! なんでもない! なんでもない!」
両手を手のひらをブンブンと振って否定を表す。
「ほら、あれだよ! …………ラータちゃんが、あたしのおっぱい揉みしだくから……よ?」
わざとらしい上目遣いで身をくねらせながら、ふくよかな胸を更に強調するように持ち上げて、抜け抜けと言い放つアンブローシア。
「そんなことしてねーだろ!」
してないよな? と少し不安になりつつ、苦笑いのラータは声を荒らげた。
「ごめんなさい」
謝られるとは思っていなかったラータは、身を固める。
「ラータちゃんの村……見つけられなかったわ……」
それが理由で泣いていたのだろうか、そう思ってラータは真剣な表情になった。
俯いて哀しげな表情をしていたアンブローシアは、一呼吸置いて困ったような笑顔を浮かべて続ける。
「……久しぶりに本気でやったせいかしらね。上手に扱えなかったみたい」
「気にしないでくれ。ダメ元で頼んだんだ。それにまだマンテとの約束もある」
「でも、さっきの話は信じてくれるかしら?」
「あぁ、ヘルトと聞いた話だよな。正直、今までの俺だったら信じ難かっただろうが……昨日からいろいろと規格外の事を見てきているからな。信じるさ」
アンブローシアはニコリと笑顔を見せる。
「そう、よかった。せっかくあたしが説明してあげたのに、信じてもらえないのは癪なのよね!」
「そーかい、そーかい」
「……ところで、"マンテ"ってマンテネールちゃんのこと?」
「ああ、そうだが?」
意外そうに目を開くアンブローシアを見て、よく表情の変わるやつだ、とラータは心中で苦笑する。
「へぇ。さっすが仲間思いのラータちゃんは、もうマンテネールちゃんとそんなに仲良くなったんだぁ」
口元にいやらしい笑みを浮かべる。
「あの娘って、何しても反応薄いし、人形みたいだと思ってたけど……ラータちゃんが好みなのかなぁ?」
「呼び方は短いほうがいいだろうって、マンテが提案したんだよ! 勘ぐっているようなことはないぞ!?」
「あら、そう? あたしはそんな提案されてないわよ?」
単にからかうのを楽しみ始めたアンブローシアに、これ以上付き合うこともない。
ラータはハァッと溜息を吐く。
「俺はもう戻るぞ」
ラータは扉に向き直り、づかづかと歩き出す。
「あはは! 怒った? ごめんごめん! 私のことはアニーって呼んでよ! 平等平等!」
後ろから組み付くように、ラータに食い下がるアンブローシア。
はだけたローブは床に落ち、たくし上げたビスチェももうほとんど脱げかけている。
「わぁかった! わかったからくっつくな!」
なんて格好でくっつきやがる! とラータは内心で非常に慌てた。
ラータは、胸中に生まれた雑念を、必死に隅に追いやりながら抵抗する。
引き離そうとアンブローシアの手を取って力を込めた時、突然に目の前の扉が開いた。
「戻りましたので、お迎えに参りました。お二人がこちらにいらっしゃると、ヘルトから聞きましたので――」
部屋の前で立ち尽くすマンテネールが、そこにいた。
その目には、上半身がほぼ裸のアンブローシアと、その手を押さえつけているラータが密着している姿が映っているだろう。
「……お楽しみのところ申し訳ありませんが、待合室にお越しくださいますか?」
そう言って、マンテネールはスタスタと廊下を歩いて行く。
ラータは動くことも出来ずに固まった。
「……ごめん。もしかしてラータちゃん、マンテネールちゃん狙いだった? 誤解されちゃうわよね……これは」
「誰狙いとか……無いんだが……。誤解はされたな」
ゆっくりと、密着していたお互いの身体を離して、ラータはアンブローシアと目を合わせないように床に落ちたローブを見る。
「それじゃあ、俺は先に戻るぞ。アニー、おまえは……支度してから来い……」
「早速、呼んでくれるのね。ラータちゃんって意外と女心わかる感じ? 剣とか片付けたら直ぐ行くわ。またお腹にしまわなきゃ」
剣をしまう時もやはり苦しいのだろうか、舌を出して嫌そうな顔をしている。
まず、そのお腹をしまえ。
「愛称で呼んでやるから、おまえもちゃん付けはやめろよな」
呆れながらラータは、部屋を出て待合室に向かった。
一人になった部屋で、剣を魔法陣にしまう。
可愛いやつね。仲間思いのラータちゃん……か。
あたしの《知覚権限》は、知っている者の感情なら"声"としてハッキリ感じ取れる。
一緒に村で育った仲間への大きな信頼と、また同じくらい大きな心配の"声"。
やるせない気持ちや、すぐに戻れないという焦燥感。
そして、もし仲間が無事ではなかったら、死んでしまっていたらという絶望感。
飲み込まれそうになるほどの、激しい感情の渦。
久しぶりに本気で《権限》を行使したとは言え、あたしが知覚に失敗することはないわ。
つまり、キミの村は――。