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レジャンダール  作者: 鴉野来入
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◇二 籠の聖女

前回とは別の人物の物語になります。

 神がその杖を掲げると、真っ暗な闇の中にひとつの光が生まれた。

 光は闇を照らして彩り、様々な形を取って大地を作った。

 次に神は、大地に命を芽吹かせた。草木が生まれ、人が生まれ、獣が生まれ、そうして世界は創られた。

 それでもこの世界では、神は孤独であった。




「今さら、世界創世の記述を読んでもな……」


 開いていた本を閉じると、木製の机の上に山積みになった本の山に加えた。


「でも、もう……頼れるのは神話くらいなもんか……」


 本の山から別の本を取り出して、背表紙に目をやる。


「『神に寵愛された魔女』か……」


 たしか、大きな魔力を持って生まれたために魔女と呼ばれた美しい娘の話で、最後にその魔女は神に見出され、不老不死を授かったという、まぁよくあるお伽噺の一つだ。


「不老不死……。神に力を認められれば、死ななくなる……」


 そんなのどうやって、神に認められればいいんだ。

 俺はすごい力を持ってますよーって、空に向かって叫んでみたり?

 いやいや、神がいかに万物の声を聞けたとしても、無数の人間たちの中からのそんな戯言には付き合わないだろ。

 それに、俺が庇護下においてもらっている神聖騎士団は、不老不死を悪魔の所業としている。

 それは悪魔の寿命が――不老不死とは言えないにしろ――長いことに由来する。

 人間が長くても80年や90年くらいのところを、奴らは500年とか600年とか生きるらしい。

 しかしよくこんな本が残っていたな。ちゃんと検閲されてたら焚書だ、焚書。

 思考が横道にそれてるな。

 そろそろお終いにするか。


「エミリオ、まだいる~?」


 本を片付けていたところで、ちょっと鼻にかかった甘ったるい声がする。

 2つ下の妹のカリナが、迎えに来た合図だ。


「おう。いま帰るところだ」


 さっさと片付けを済ませて、帰り支度をし、入り口に立つカリナを連れて外にでる。


 すっかり日も暮れて、辺りは暗くなっていた。

 カリナの軽鎧が歩くたびに、カシャンカシャンと小さな金属音を立てる。

 短く切りそろえた金髪のおかっぱ頭が、音のするたびに揺れている。


「また、調べ物してたのね。なんか収穫はあった?」


「いや、全然だ」


 俺は神聖騎士団庇護下の図書館司書をしている。

 妹のカリナは騎士団の見習い騎士だ。


 神聖騎士団は、強力な神聖魔法の使える聖女様を崇め、その癒しの力を背景にした武力集団で、小規模な国家のような体裁をしている。

 聖女様の神聖魔法による癒しの力の効果は大きく、死なない限りは戦い続ける騎士たちは、他国の侵略を拒み、またときには聖戦と称して戦争を行い、その領地を広げてきた。


 幼くして両親を失い、身寄りを無くした俺たち兄妹を騎士団に迎えてくれたのは、今の聖女様であるアマリアだ。

 俺は今年で二十歳を迎えて、騎士団の図書館司書になり、仕事に従事することでようやく恩返しができるようになった。

 カリナはもともと身体を動かすのが好きだったので、騎士団本隊の入隊を希望し、今は見習いをしている。

 読み書きがあやしいので、雑務から逃げたと言えばそれまでだが。


 アマリアは俺と同い年で、ちょうど十年前に聖女の位についた。

 聖女は騎士の遠征に同行し、後方からの神聖魔法で、戦っている者の傷を癒す役目がある。

 アマリアが初めて同行した遠征で拾われたのが、俺達兄妹だった。

 それまで、周りに年の近い者がいなかったらしいアマリアと俺達は、すぐに仲良くなった。

 カリナなんて、本当の妹のように可愛がられている。

 俺からすれば、母親と娘くらいに精神年齢は離れているように見えるが。


「アマリアの具合はどうだ? 今日も会ってきたんだろ?」


「うん。……あんまり、元気そうじゃなかった……」


 アマリアの神聖魔法は歴代の聖女様を遥かに凌いでいた。

 聖女の位は実力主義の世襲制だ。

 聖女の家系の女児には、10歳を迎える頃に神聖魔法の才が宿る。

 家系の中で最も神聖魔法の力、つまり神聖力が強い娘が聖女の位に付くのだが、アマリアは力が宿ったその年で聖女の位になった。

 俺は単純だったから、それはとても素晴らしいことなのだと……そう思っていた。


 そのまま三人で仲良く日々を過ごし、大人になって、騎士になって、俺たち兄妹がアマリアを支える。

 そう思っていたのだ。


 アマリアが倒れるまでは。


 強すぎる神聖力はどうやって生まれていたか。

 ――それは、彼女の生命を削って生み出せれていた。

 大きな神聖力の行使は、度重なる遠征で彼女の生命を削り、今ではベッドから起き上がることも出来ない。


 それでも、騎士団の上層部は遠征を続けていた。

 隣国が騎士団に制圧された領地を取り戻すために侵攻すれば防衛のために遠征し、魔物から治安を維持するために定期遠征も行われた。

 聖女の社と呼ばれる神輿まで作って、ベッドまるごと戦場に連れ出すのだ。

 正気の沙汰じゃない。


 そんなアマリアを助ける手段を探すため、俺は図書館司書になって勤務後に治療法を探している。

 なのに未だにいい方法は見つからない。

 ふつふつと、怒りがこみ上げてくる。


「あいつも、いたのか?」


「セロね。いたわよ。彼、ずっと心配そうにして……」


 騎士団が俺たちを拾った翌年、アマリアはまた身寄りのない子供を引き取った。

 それがセロだ。


 セロは人間ではない。

 青白い肌に赤い目、指先には黒々とした鉤爪、下半身は毛に覆われた山羊のよう――あいつは、悪魔と人間の混血児だ。


 どこへ行っても迫害され、行くところもなく途方に暮れていたところを、遠征中のアマリアが通りかかり、周囲の反対を押し切って騎士団の庇護下に入れた。

 他の者の権力の及ばない、自分の側近として。


 俺は、あいつが……セロが嫌いだった。


「フンッ。あいつがいなくなれば、アマリアの具合も良くなるかもな」


「――なっ。ひどーい!セロだってすごい心配してるのに!」


「どうだかな。自分の居場所が無くなるのを心配してるだけかも知れないぞ」


「エミリオ、最低ね」


 侮蔑の眼差しを受ける。


 しかし、俺はどうも腑に落ちないのだ。

 アマリアがセロを拾ってから、すぐにアマリアは不調を訴えだした。

 遠征に同行するようになってから、およそ二年を経て疲れが出たのだろうと考えるには、あまりにタイミングが良すぎる。


 ……あいつが呪いでもかけてる? 

 はたまた、力を奪っているとか? 

 これは俺の考えすぎだろうか?


「訓練の方はどうだ?」


 話題を変えようとして、カリナの近況を聞くことにした。

 心にもやもやが残っているが、カリナが楽しそうに話す姿を見れば、少しは気が晴れるかもしれない。


「順調だよ。私、やっぱり騎士って向いてるよ! 今日は模擬戦で一つ上の男の子をやっつけたんだ!」


「すごいな。そりゃ、相手が可哀相だ」


「なんで~? 私が頑張ったんだよ~。相手が可哀相なんじゃなくて、私がすごいの!」


「いや、一つ上ってことは、そいつは来年騎士団入団だろ? それなのに年下の女に負けてたら、自信喪失もいいとこだ」


 カリナは運動神経が抜群にいい。

 昔から俺は本の虫で引きこもりがちだったが、カリナはずっと野で駆けまわって遊んでいた。

 アマリアには「二人の性別が逆だったら、収まりがいいのにね」、なんて笑いながら言われるくらいだ。


 そんな話をしているうちに騎士団の寮に着いた。

 ここで神聖騎士団の騎士や事務員などが寝食をともにする。

 俺達の家みたいなものだ。


「夕飯食べたら、俺もアマリアの様子を見てくる。カリナは明日も早いんだろ? ちゃんと休めよ」


「わかってるよ。私はご飯すませたから、寮に帰るね」


「本当にわかってるんだろうな。女子寮にまで起こしに行くのは、もうごめんだぞ」


「わ~かってるよ~だ!」


 頬を膨らませながら走り去っていくカリナを見届けて、俺は寮の食堂へ向かう。




 食堂に入ると、閑散としたもので、部屋の端から端まである木製の長いテーブルには誰も座っていなかった。

 遅い時間になると、他の者はみな食事を終えてしまっているので、食事は一人でとることが多い。

 司書になってはじめの頃は、カリナが待っていてくれようとしていたが、それは断った。

 騎士団内には他に女の友達もいるようだし、そいつらと食べてくれたほうが、カリナの今後にとってもいいだろう。


「なにか残ってます?」


 給仕室の方に声をかけると、元気な声が返ってきた。


「あーらぁ。エミリオくんね。いつもよりちょっと遅いじゃないの。取っておいてるわよ」


「すみません」


「司書だって、なったばっかりなんだから、あんまり根を詰めすぎちゃだめよ」


 修道服を着た丸みを帯びた体つきの女性が、木のトレイに食事を盛って現れた。


「はいよ。座って座って。あんたが食べちゃったら全部片付くから」


「いつも、すみません。ベレンさん」


 ベレンさんは寮の食事を取り仕切ってくれている人で、遅くに返ってくる人のために、他の給仕係がいなくなった後も残ってくれていた。

 トレイをテーブルに置き、俺を座らせると、その隣の椅子に腰掛けた。


「あんたはいっつも一人で食べてるから、今日はあたしが話し相手になってやろうじゃない!」


 そんなことを言いながら、椅子を動かしてこちら側を向く。


「え、いや。まだ片付けとかあるんじゃないですか?」


「あんたのそれが最後の片付けだよ。あんたが一番最後さ」


 食事の盛られたトレイを指さす。

 もう冷めてしまっているが、茹でたじゃがいもにトマトを煮詰めたソースがかかったものと、玉ねぎのスープ、固い黒小麦のパンだ。


 食糧事情は年々悪くなっている。

 冬を迎える頃にはスープとパンだけになっていそうだ。

 それも騎士団の遠征が十分な成果を挙げられていない証拠だろう。


 なんだか俺の口調も丁寧になるのは、相手が年上だからっていうだけじゃなく、ベレンさんのもつ強気な雰囲気に萎縮させられているのだろう。

 べつに怖いわけじゃない。


「いただきます」


 固いパンをスープに浸してかじる。


「あんたも騎士になると思ってたんだけど。まさか司書とはね」


 テーブルに頬杖をついて口元にニヤリと笑みを浮かべる。

 ベレンさんは年増といってもいい年齢だが何処か艶かしさを感じる人だ。

 食堂に来る若い騎士の中には、ベレンさん目当ての連中も多い。

 なんでも、ちょっと肉付きがよい丸っこい体型と、給仕の際に結わえ上げた長い金髪が清楚さを醸し出しているというのに、態度は真逆、というのがいいそうだ。

 なんのことやら。


「司書ってこんなに遅くまで何やってんだい?」


 ぶっきらぼうに聞こえる口調もベレンさんの魅力のひとつだろう。


「いえ、大したことは……。駆け出しですからね。書物の貸出の管理と書庫の整理くらいですよ。遅くなっているのは業務後に、ちょっと調べ物をしてるんです」


「なんだい。なんか知りたいことでもあるのかい?」


「ええ。まぁ……成果は上がっていないですけど」


 ふぅん、とため息のような相槌をうち、ベレンさんは椅子を後ろに傾けて天井を仰ぐ。

 ギシギシと椅子が軋む。


「むっ。やべ。あたし重いんだ」


 何食わぬ顔で椅子の傾きを戻すと、白い八重歯をちらつかせ、冗談めかして笑う。


「男の子はみんな騎士になりたいんだと思ってたわ」


「俺も最初はそうでしたけど……」


 言い濁すと、すかさず聞き返される。


「けど、なにさ」


「……そうですね……。騎士団を変えるのは……新しい知識かな……と。それで本をもっと読みたくて」


「なに、あんた。騎士団を変えたいのかい!」


 ベレンさんは、真ん丸い目を見開いて身を乗り出してくる。

 鼻と鼻がぶつかるんじゃないかというくらいに近づいて、俺の目を覗きこむ。


 少しの間見つめ合う形になり、お互いの呼吸がはっきりわかるほどだ。

 程なくして、ベレンさんは悲しげに目を伏せてしまった。


「騎士団の上層部に取り入って、内政を動かすって感じじゃなさそうね?」


 知識のあるものは騎士団内でも重宝され、戦う技術に乏しくても指揮官や参謀、内政を取り仕切る執政官になることもある。


「……アマリアちゃんかい?」


 ドキッとした。

 アマリアの名前が出たからだろうか。


 確かに、俺はアマリアの身体を治す方法を探している。

 そのために司書業務の後に小難しい医学書や魔法書、果ては伝記や神話まで目を通しているのだ。


 返事も出来ずに黙ったままでいると――。


「やっぱりそうね。あんたら……仲よかったものね。今はアマリアちゃんが、あんなことになっちゃってるけど」


 乗り出していた身体を椅子に納め、祈るように胸の前で手を合わせる。

 目を伏せたままのベレンさんの声は、さっきまでの元気を無くしたように小さい。


「……このままじゃ、駄目なんです。上層部に取り入るっていうのもひとつの手かも知れない。でも、アマリアがいつまで……」


 生きていられるか、と言いかけて声が出なくなる。言葉にしたらすぐにでも、アマリアの生命が消えてしまいそうで。


「あんたはいっつも、アマリアちゃんを追いかけてるわね。こりゃ心配で彼女も倒れてられないわ。おせっかいな幼なじみまで、心労で倒れちゃうものね」


 あっけらかんとした言い方に、湿っぽくなりかけた雰囲気を拭われる。


「無理はしない程度に頑張りますよ。あっ、ごちそうさまです」


 倒れてなんかいられない。

 一刻でも早く治療法を見つけないと、アマリアの苦しみは長引くばかりだ。


 食器を片付けようと、トレイに手をかけると、ベレンさんの手が重なって止められる。


「いいよ。片付けとく」


「じゃあ、お言葉に甘えて。もう行きますね。おやすみなさい」


「あいよ。おやすみ」


 トレイを片手で持ちながら、テキパキと布巾でテーブルを拭くベレンさんを背に、俺は食堂を後にした。




 聖女アマリアの部屋は、騎士団寮の隣の騎士団本部内にある。

 騎士団本部の入口を抜け、中央ホールの右側の廊下を進んだ先、二階への階段を昇ると個室が並ぶ階層だ。

 個室は騎士団内の地位が高いものに与えられ、その中でも一番広い個室が歴代の聖女に与えられている。

 今はそこがアマリアの部屋だ。


 部屋の前までやって来て、華美な装飾のされた扉をノックすると、一人の修道女が顔を出した。

 騎士団内の修道女は、騎士団の説法を民衆に説くこと以外に、騎士団の身の回りの世話もある。

 聖女アマリアの部屋の召使も、もちろん修道女だ。


「図書館司書のエミリオです。アマリア様にお目通りをしたいのですが」


「エミリオ様ですね。かしこまりました。お伝えします」


 修道女が扉を閉めて、程なく再び扉が開いた。


「どうぞ、お入り下さい」


 修道女に伴われて中に入ると、淡く甘い香の匂いが鼻をくすぐる。

 高い天井に薄暗く明かりを調整されたシャンデリアが、綺羅びやかな印象の中に何処か陰鬱さを漂わせている。

 部屋の中央に天井から吊り下げられた薄いヴェールがあり、中の大きなベッドに半身を起こしたアマリアがいた。


「いらっしゃい。エミリオ」


 弱々しいが、とても澄んだ声が通る。


「こんな時間にお尋ねして申し訳ありません。お身体の具合はいかがですか?」


 アマリアのベッドの前まで進み、片膝をついて頭を垂れる。


「まぁ。そんなにかしこまることはないですよ」


 アマリアは少し困ったように眉を寄せると、扉の横に控えている修道女に目配せをした。


「ごめんなさい。あなた、少し外してもらえるかしら。旧来の"友人たち”と気兼ねなく話をしたいものですから」


 修道女は一礼すると静かに部屋を出て行く。

 扉の閉まる音を聞いて頭をあげ、部屋を見渡すと修道女が出て行った扉の横に椅子があり、そこに青白い肌をした痩せぎすの男が座っていた。


 セロ、やっぱりここにいたか。


 アマリアの希望で彼女の側近になったセロは、彼女が倒れた後から付きっきりだ。

 いるはずだとは思っていたが、いざ目にすると自分の中に黒い感情が生まれるのを感じた。

 捨てきれないセロへの疑いがくすぶる。


「すまないな、アマリア。人払いなんてして貰って」


「いえ、他人の目があると、あなたもかしこまらなくてはいけないでしょう? そうなってはお話もままならないですし」


 アマリアは俺やカリナ……セロのやつと話すときは幼いころのまま、ただの友人として話してくれる。

 俺もそのほうが話しやすかったし、聖女の気位を捨てて対等に扱ってくれるのは、やはり嬉しくもある。


「身体の調子は、平常ですよ。みなさん心配をしすぎです」


 長く美しい亜麻色の髪を耳にかけ、微笑んでみせるアマリア。


 嘘だな。

 以前来た時より顔色もまた少し悪くなったし、また痩せたようだ。

 頬もこけてきているし、聖女の家系特有のエメラルドグリーンの瞳の下には確かに隈もできている。


「強がるのは良くないな。俺たちの仲だ。ごまかせないぞ」


「……そうですね。もしかしたら、エミリオやセロのほうが私の身体についてはわかっているかも」


 弱々しく微笑みながら囁いた言葉は、少し震えているようにも聞こえた。


「おそらく、次の遠征が大きな山にナル」


 暗がりの椅子に座ったまま言う、セロの声が扉の方から聞こえた。


「遠征だと!? もう上層部は戦場にアマリアを連れ出すのか!!」


 憤りに思わず声を荒げてしまう。

 アマリアを連れての前回の遠征から、まだひと月も経っていない。

 今までは遠征後にふた月半程の間隔があった。

 その間に少しでもアマリアの回復を図っていたはずだ。


「声を抑エロ。アマリアの体に障ル」


 悪魔の声はキシキシと軋むような音を含む。

 それが苛立った神経を更に逆撫でる。


「落ち着いて下さい、エミリオ。私は……大丈夫です」


 アマリアは何を言ってるんだ。

 大丈夫なはずがない。


 この遠征の間隔に味をしめれば、アマリアはまたすぐに戦場に駆りだされる。

 多くの人間に神聖魔法を使い続ければ、彼女の身体は更に衰弱してしまう。

 そうなれば、冬を迎えて朽ちる木より早く、彼女の生命は枯れ落ちるだろう。

 ふざけた話だ。


 聖女を失うことは騎士団にとっても致命的のはずだ。

 上層部はどういう判断をした?

 自殺なら勝手にしろ、アマリアを巻き込むな。


 考えるほどに怒りで頭に血がのぼる。

 自殺――強引な遠征での意図的な口減らしか?

 食料事情が悪いとはいえ、そこまでの自体に陥っているのだろうか。


 でもそれなら、犠牲になるのは前線の騎士だ。

 そいつらには悪いが、救う必要のある生命が少ない分、アマリアの負担も少ない。

 もし見習い騎士まで遠征に出るような自体にまでなれば、カリナも前線に置かれるだろう。

 その時は――。


「聖女家にもうすぐ齢が十を迎える者がいるソウダ」


 セロの言葉に上層部の意図が読めた。

 最悪の、最低の所業だ。


 アマリアが使えなくなっても代わりがいる。

 差し迫っている食料不足のため、遠征を増やして他の領地を制圧し、そこに食料を納めさせようというのか。


「……パウラという子です。第六妃オフェリア様の末娘です」


 俺が察したのにアマリア気がついたのか、目を伏せたまま告げる。

 俺は固まったまま動けない。


「察しのいいエミリオならお分かりでしょう」


 なんだ。


「本来なら、お呼びしてお伝えしたかったのですが……。なかなか踏ん切りがつかず……。ごめんなさいね」


 なんなんだ。


「私の役目はもうすぐ終わります」


 なんで、当たり前のように死を受け入れている?


「カリナにはまだ伝えられていません。私から直接お伝えしたいので……まだ黙っていて貰えますか?」


「……上層部連中を……殺そう……」


 巡り巡った思考が、俺にとんでもないことを口走らせた。

 ハッとすると思わぬところから返答が来た。


「オレはそれでも構わないが、アマリアはそれを望んでいナイ」


 諭されたようで腹が立つ。


「滅多なことを言うものではありません。彼らは多くの民のことを考えているのです」


 こっちはまるで、悟っているかのようだ。

 確かに、騎士団を取りまとめる上層部連中は飾りではない。

 そいつらがいなくなれば路頭に迷う者も多い。


「……なら、パウラを――」

「エミリオ!」


 無理をして大声を上げたアマリアが咳き込む。


「大丈夫カ。無理をすルナ。……無理をさせルナ」


 後半は俺に向けてだった。

 セロはいつの間にか椅子から立ち上がり、アマリアの手を取っていた。


「それに、パウラを殺しても根本的な解決にはならナイ」


 セロを睨みつける。

 言うとおり過ぎて言葉も無いが。


「ねぇ、エミリオ。私は受け入れているわ。だから恐ろしい真似はしないで」


 聖女らしい、本当に悟りきった眼差しだ。

 頷くことも出来ずに見つめ返す。


「アマリア。君が望むならオレは……いや、よしておコウ」


 セロが何か喋ったようだが、内容に頭が回らない。


「ねぇ、セロ。やっぱりまだこの話はするべきではなかったようね。エミリオも……疲れちゃうわ。送ってあげて貰えるかしら」


 セロが頷いて俺に歩み寄る。


「おやすみなさい、エミリオ」


 にこりと、痩けた頬を強ばらせるような笑みに、散る寸前の花のような美しさと、儚さを感じた。





「このへんで少し頭を冷やしてイケ」


 俺を伴って外に出たセロは、寮の中庭にあるベンチに俺を促した。

 寮の建物は"コ”の字型に建っていて、門をから見て左側が男性用宿舎、中庭を挟んで右側が女性用宿舎、一番奥が共同施設や訓練場となっている。

 俺はベンチに向かって数歩歩いたが、座らずにセロに背を向けたまま聞いた。


「セロ、おまえは納得しているのか?」


「彼女が受け入れると言うなら、オレはそれに口を出さナイ」


 主体性のない答えだ。


「おまえはアマリアが、このまま死んでも構わないのか!」


「……オレから出来ることはナイ」


 余裕のある答え方に、神経が逆なでされる。


「まるで他人ごとみたいだな。おまえ、少しは自分がアマリアの立場にどういう影響を与えてるのか考えたことがあるか?」


 挑発するような口調になってしまう。

 俺の中でセロへの不満が形になって外に出ようとしている。


「さァナ。俺は半分悪魔の血が流れてイル。人間の考え方を理解しているとは思っていナイ」


 駄目だ。

 こいつはアマリアの側にいるべきではなかった。


「寝ぼけてんのか!? 悪魔のおまえがいるから、上層部はアマリアを切ることにしたんだろうが!」


 それだけが原因ではない、というのもわかってはいる。

 しかし実際に理由の一つであることも事実だろう。


 半分は人間とはいえ悪魔を騎士団内に入れることは、こいつがアマリアに引き取られた時から反対されていたことだ。

 今回、聖女の後継が現ることで上層部は悪魔を追い出す手段も手に入れた。

 ただアマリアを引退させるだけでは、肩書が聖女から元聖女になるだけだ。

 アマリアの発言力が地に落ちるわけでもない。

 なら、発言する口を無くしてしまえばいいのだ。


「アマリアの望むまま起こったことダ」


「……悪魔め!」


 感情に任せて、振り向きざまに右腕を振るい、指先から魔力を放つ。

 詠唱の必要のない電雷魔法。


 俺は魔導書も多く読み込んできた。

 密やかに実用的な魔法の鍛錬を重ね、騎士団の中級魔法使い程度には強力な魔法を操ることができるようになっている。

 悪魔に試したことはないが、殺傷能力は確実にある。


 ほとばしる雷が閃光とともに放たれ、雷音が夜の闇をつんざく。

 サンダークラップという名の魔法だったはずだ。


 セロは鉤爪を払い、襲いかかる雷を――かき消した。


「ホウ。魔法が使えるとは、知らなかっタナ。なかなかの威力だっタゾ」


 振り払った鉤爪には、虚空を感じさせる真っ黒な渦がまとわれている。


 悪魔は魔法を使う。

 ただの魔物でも知性のある個体の中には、魔法を操ることができる者もいるのだ。

 知能の高い悪魔――ましてや、人間との混血では使えない道理はない。


「初めて見たぜ。おまえが魔法を使うところは」


「オレもソウダ。ただ図書館司書に甘んじていたわけでは無さそうダナ」


 魔法は引き起こされる現象や特性で、いくつかの属性に分けられている。

 炎や熱量を操る炎熱魔法、水や氷の発生や冷気を操る氷雪魔法、電撃や閃光を伴う電雷魔法、風を司る旋風魔法、加護や癒やしを扱う神聖魔法。


 そして取り分け異質なのが古代魔法だ。

 古代魔法は現代の魔法学とは根本が違うらしく、扱える人間は少ないため研究も進んでいない。

 出自不明の不可解な魔法は全て古代魔法という括りにしているのだろう。


 悪魔の使う魔法は古代魔法に分類されている。

 悪魔の寿命は長く、人間の魔法技術が発達する前の時代の魔法が伝えられているのだ。

 そんな古代魔法には、精神の操作を可能とする魔法もある。


「アマリアは不自然なくらいに、自分の死を受け入れている」


 セロを睨みつけると、それがどうかしたか、と言わんばかりに片眉を上げるのが見えた。


「セロ、おまえ。彼女に何かしたんじゃないのか?」


 目の前の悪魔に侮蔑の視線を注ぐ。

 セロは目を閉じ、ため息をついた。


「さて、どうだろウナ」


 カッと目が熱くなり、視界が真っ赤に染まるのを感じた。

 話は終わりだ。焼きつくしてやる。

 俺の知る中で最も威力の高い炎熱魔法の詠唱を始める。


「エミリオ! セロ! なにやってるの!」


 突然、聞き慣れた声が耳に入った。

 カリナが寮から、こっちに走り寄って来る。

 驚いて詠唱を中断してしまった。


「さっき、すごい雷の音が聞こえたよ! もうすぐ雨でも降るんじゃない? 早く寮に戻ろうよ!」


 俺とセロの間に入ったカリナが、的はずれなことを言って空気を変えた。


「ごめんね、セロ? なんかエミリオがおっきい声出してたから、また突っかかってたんでしょ?」


「……いや、問題ナイ。彼も疲れが出ているよウダ。今日はもう休むとイイ」


 カリナを巻き込んで争うのは気が引けた。

 彼女の乱入で少し頭も冷えた。

 こんな場所での魔法戦は周囲を危険に晒す。

 ここは話を合わせておこう。


「こっちこそ、すまんな。確かに疲れでどうにかしてたみたいだ。もう戻るよ」


 不意打ちのサンダークラップが無力化されたんだ。

 俺の魔法はまだセロに劣っている。

 今本気で戦うのは得策じゃない。


 俺が矛を収めたのが意外だったのか、セロは少し目を見開いた。


「では、オレは戻ルゾ。二人とも、いい夜ヲ」


 セロが踵を返して帰る背を見送る。


「ああ、またな。セロ」


 次は――殺す。

 必ずだ。


 あいつにアマリアの側にいさせてはいけない。

 彼女を助けるのは俺だ。


 魔法の力も向上させなければ。

 確か、まだ閲覧していない魔法書に魔力向上関連の物もあったはずだ。

 神話や伝記には古代魔法についての情報も少なからずあるだろう。

 いざとなれば、焚書された文書の写しも存在するという噂のある、閲覧禁止書庫への侵入も考えなければならない。

 残されている時間は少ない。


 爪が食い込むほど固く握った拳がズキズキと痛む。


「"また”次の機会に――」


 独り言が聞こえていたのかいないのか、カリナが不思議そうに首を傾げている姿が、目の端に見えた。


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