◇十八 白と黒
流石に腕がだるくなってきているようだ。
正確にゴーレムの関節を狙って剣撃を打ち込み、一撃でゴーレムを行動不能にしていたテオは、疲労に寄って正確さが失われ、一体のゴーレムを倒すのに、数度の攻撃を要するようになっている。
その様子を横目で見ながら戦い続けるヘルトも、終わりの見えない戦いに次第に焦れてきている。
「大将はまだか。いい加減、雑魚の相手ばかりでは気が滅入る」
ヘルト自身はまだまだ戦えるが、テオの方はもうそろそろ限界だろう。
最初に相手にとった時より、ゴーレムの数は増えている。
全体の一割のゴーレムをテオに任せるといったが、ノルマはとうに達成している。
ヘルトも残りの九割を倒してはいるが、次々と援軍がやってきて、最初にいたゴーレム立ち寄り遥かに多い数を相手にしていた。
「こんにちは。しぶといね、君ら。ボクもいい加減、退屈になってきたよ」
岩壁の上から声が聞こえて、ヘルトとテオは顔を上げる。
ヘルトはその隙に襲いかかるゴーレムを目もくれずに叩き潰す。
テオは攻撃の回避に徹しながら距離を取る。
「軍の大将だな! ようやくお出ましか!」
土埃とシミにまみれて薄汚いマントをはためかせる岩壁の上の男は、クスクスと笑いながら名乗った。
「そうだね。ボクがこのゴーレム達の主人だよ。"淀みのフラウム"って言ったら分かるかなぁ?」
知れた名だった。
人間でありながら悪魔軍に味方する狂人。
それも、悪魔軍内で十八熾将に名を連ねる実力者だ。
フラウムの身体に染み付いた死臭だろうか、周辺の空気が重く淀む。
「十八熾将"淀みのフラウム"か。良くない噂を多く聞くぞ」
また一体のゴーレムの頭部を砕くヘルト。
「ボクは有名人みたいだね。握手でもしてあげようか?」
人を喰ったような態度にヘルトは不快感を覚える。
この狂人は大量殺戮者だ。
このまま北の戦場に向かわせては、人間の被害は甚大だろう。
奇襲を仕掛けて正解だったと、ヘルトは思った。
「握手ついでに、命を貰おうか。貴殿は野放しにしておくには危険過ぎる」
今度はゴーレムの腹を蹴り飛ばし、倒れた所に別のゴーレムを叩きつける。
砕け散った破片がヘルトの着ている白銀の鎧にぶつかって、カンカンと音を立てた。
「君、さっきからすごいね。素手でゴーレムを壊すなんて、人間じゃないよ」
八面六臂の立ち回りで、話している間も次々とゴーレムを粉砕するヘルトに、フラウムは素直に感心している。
「でもね。もう戦いは終わりだよ。ボクがどんな魔法を使うか知っているかい?」
フラウムがそう言った事で、ヘルトは気づく。
フラウムは毒によって大量殺戮を繰り返した魔法使いだ。
次々と襲いかかるゴーレムによって、戦闘開始から同じ場所に居続けているヘルト達は罠を張るには持って来いの対象に違いない。
「知ってるみたいだね。動きに動揺が出てきたよ。ほら、右からくるよ」
フラウムが指差した方向を向くと、ヘルトの後頭部に衝撃が走った。
痛みに耐えて、後ろを振り返ると腕を振りぬいたゴーレムの姿が目に映る。
すぐに、拳を叩き込んでゴーレムの身体を吹き飛ばす。
「こんなのに引っかかんないでよ。注意力散漫だよ。もっと、しっかり!」
敵に指摘されてはお終いだ。
ヘルトは自分の不甲斐なさを噛み潰すように、歯を食いしばると剣を抜く。
待ちに待った敵将がのこのこ出てきたのだ、温存しておく道理はない。
「そうだな。しっかりと、貴殿の首を貰おう」
切っ先をフラウムに合わせて一括する。
凄まじい圧力が、フラウムを襲った。
「おおっ! すごい気迫だね!」
"土石の魔人パルド"はこの剣圧だけで、命令回路に混乱が生じ、動くことが出来なくなった。
フラウムも同じく、自由を奪った所を一撃で葬ってやろう。
周囲のゴーレムを振り払い、重い鎧を物ともせずに岩壁を駆け上がる。
「わ、わ、こっちに来ないでよ!」
前後不覚に陥った様子のフラウムは、足場の悪い岩壁の上でふらついている。
絶好の機会だ、とヘルトは勝ちを確認した。
「なんちゃってね。……どっかぁ~ん!」
ほぼ垂直に岩壁を駆け登っていたヘルトの目の前が、突然爆発した。
土埃で視界を奪われ、崩れる岩に足場を失ってヘルトの身体は落下する。
「ぐっ! すでに詠唱を終えていたか!」
爆発を伴う魔法は、炎熱魔法だ。
その炎熱魔法は呪文の詠唱が必須になる。
そう思っていたヘルトはもろに衝撃を受けて地面に叩きつけられた。
「ヘルトさん!」
テオがゴーレムの攻撃を躱しながら叫ぶ。
ドシャッと鈍い音を立てて墜落したヘルトは、転がったまま動かない。
「あれ、死んじゃった?」
岩壁の上からフラウムが覗きこむ。
その表情が本当に心配そうな顔に見えるのが、不気味だ。
「……バカ言うな。これしきで死にはせん」
緩慢な動作で立ち上がったヘルトの鎧の背中部分が少し変形している。
テオの着ている鎧なら完全にひしゃげて身体を押しつぶしていただろう。
ヘルトは身に着けている装備も一級品のようだ。
「よかった、よかった。崖から落ちて死なれちゃ、本当につまらないからね」
ニタリと奇食の悪い笑顔を浮かべて、フラウムが大げさに胸を抑えて心配していた体を出す。
「さて、ゴーレムも大分減っちゃったけど、そろそろ効いてくるんじゃないかな?」
周囲を囲んでいたゴーレムの群れは、いつの間にか数を減らしている。
フラウムが現れてからは、延々と続いていた援軍も止まっていた。
ただ、ヘルトが大量に破壊した分を差し引いても、転がっているゴーレムが多いように見える。
「なにが……」
テオがしゃべろうとして、ガクンと膝を着いた。
膝をついた姿勢のまま何度も咳き込む。
「……ゲホッ! オエ……ケホッケホッ!」
ヘルトはテオに駆け寄り身を低くする。
「テオ殿! 大丈夫か!」
姿勢を低くすると、漂っていた死臭が強くなったのを感じた。
何かが腐ったような臭いだ。
臭いを大量に吸い込んでしまいヘルトは口元を抑えて咳込んだ。
「……毒。もう散布していたか……」
睨みつけるヘルトを眺めて、フラウムは満足そうにあざ笑う。
「ご明察。……いや、遅すぎるね。ご愁傷様」
人の神経を逆なでする態度に腹が立つ。
しかし、今は自分の勝手で巻き込んでしまったテオを毒の手から守らなければならない。
ヘルトは全力を込めて剣を握り締め、ふらつく脚を気合で奮い立たせる。
「――うおぉぉぉ!」
乾坤一擲、全身全霊を込めて刃を振り払い、勢いに任せてヘルトは一回転した。
「うわっ――――と!」
岩壁の上に立つフラウムがよろめく程の剣圧。
霧が晴れるように淀んだ空気が吹き飛ばされる。
「すごい……ですね」
テオはまだ意識があるようで、感嘆の声を漏らした。
ヘルトはテオの身体を抱えて、一目散に崖を登る。
フラウムの方向とは反対の崖上に、馬を止めてあるのだ。
一気に崖を登り切り、馬上にテオを乗せると、馬の尻を叩いて走らせる。
向かわせた先は騎士団の陣地があるはずの、最初に自分たちが向かっていた方角だ。
うまく行けば、事前に呼んでいた援軍が発見するだろう。
「あ、こら。逃がすんじゃないよ」
剣圧で巻き上がった砂埃を口から吐きながらフラウムが体勢を立て直す。
目にも砂が入ったらしく、顔を袖でこすっている。
「追わせはせんさ」
ヘルトはフラウムに向き直ると、崖から飛び降りて再び数対残ったゴーレムの群れに飛び込むと、群がるゴーレムを無視して一直線にフラウムに向かう。
「さっきの爆発、忘れたのかな。また落っこちるよ」
崖を駆け上がる途中、再び爆発がヘルトを襲う。
ヘルトの身体はまたもや崖から離れ、宙を舞って落下する。
「まだまだ!」
今度は地面に叩きつけられずに着地する。
地べたには、また毒ガスを撒いたようで、ひどい匂いが立ち込めている。
「何回でも、どうぞ。君が力尽きるまでね」
ヘルトが崖を登る度、フラウムは爆発を起こして妨害する。
落下したヘルトは地面で、毒ガスを少しずつ吸い込む。
「本当に君、しぶといね。頑丈な身体してるよ」
手こずらせているはずなのに、フラウムの口調はいつまでも余裕のままだった。
「ちょっとボクの魔法を説明してあげようか?」
何度も毒ガスを吸い込んで、体の動きが鈍い。
着地の衝撃を殺しきれなくなってきている。
「ボクは炎熱魔法で硫黄を燃焼させて、毒ガスを作っているんだ。これね、たくさん吸うと息が出来なくなってくるんだよ」
ぜぇぜぇと喉から音を鳴らしながらも、ヘルトは再び崖を駆け上がる。
「そしてね。君が山積みにしたゴーレムなんだけど、白いだろ? それ、硝石っていう石で作らせたゴーレムなんだよね」
フラウムが、腕を振るうと再び爆発がヘルトを襲う。
「あ、そうそう。炎熱魔法の詠唱は省略済みだよ。方法はもちろん内緒だけど、このくらいの爆発なら直ぐに起こせる。君は絶対ここまで来れないよ」
着地に失敗して、ヘルトは肩を強打した。鎧の肩部分が歪む。
「ボクはあと一手で、君に止めを指せるんだけど……。ボクの使いになるなら、命は助けようと思うけど、どうだい?」
足元をふらつかせながら、幾度目かの突撃を繰り返してヘルトが叫ぶ。
「――断る!」
また崖を登ろうと麓に足をかけた時、今度は爆発ではなく黒い砂の雨がヘルトに襲いかかった。
「だよね。バイバイ」
ヘルトはフラウムが黒い砂を撒き散らしているのを見た。
その直後、また爆発が起こる。
今度の爆発は先程までの、小規模な爆破ではなかった。
黒い砂を一気に燃え伝わり、業炎が巻き起こる。
「なんだ!? これは!」
崖の下は一瞬にして火の海になり、ヘルトはそこへ為す術なく落ちていく。
落下する中、もうもうと立ち込める白煙がヘルトの視界を奪い、フラウムの姿が見えなくなった。
「頑丈な人間は是非使いに迎えたかったんだけどね。残念だよ」
フラウムの声がかろうじてヘルトの耳に届く。
「でも、一番残念なのは、君の焼け死ぬ顔が見れないことかな」
本当に残念そうなフラウムの悲しい声が、段々と遠ざかっていく。
崖の下に墜落していくヘルトを炎が包み込む。
落下が随分と遅く感じられた。
炎の赤と、煙の白で自分の身体がどうなっているかわからない。
何かにぶつかる衝撃で、地面に叩きつけられた事だけがわかった。
白銀の鎧が熱せられ、中の四肢が蒸し焼きになる。
むき出しの顔が燃えて、爛れていく。
吸い込む空気が喉を焼き、呼吸すら完全に出来なくなる。
「十八熾将"淀みのフラウム"……覚えて……おくぞ」
地獄の釜から溢れだしたような火の海の中で、ヘルトが呟いた。
だが、その声はフラウムに届くことは無かった。
◆
「あそこだ! まだ煙が上がってるぞ!」
テオの小隊に所属する騎士が援軍を要請しに来たのが、昨日の夜だ。
ベラは援軍の要請を受けてから、直ぐに部隊を率いて本営を出た。
目的地に向かう途中で、馬に乗せられたテオを発見し、数人の部下をつけて本営に護送した。
それからしばらく進むと、今度は白煙が立ち上る戦場が遠目に見えた。
出せる最大の速度で馬を走らせたが、元々半日も掛かるような距離だったので、なかなかたどり着かずに焦れた。
煙が見えてからもひたすら馬を走らせて、馬が走れなくなった頃にようやく現場に到着したのだ。
「うぐっ! ひどい臭いだ……! 皆口元を隠せ」
崖に囲まれて窪みになった地形の底は、真っ黒な煤だらけで所々からブスブスと煙を上げている。
「悪魔軍はもういないのか? テオと一緒に残ったヘルトと言う男はどうした?」
ベラは周囲を騎士に捜索させたが、見つかるのは燃え残ったゴーレムばかりで、ヘルトらしき姿はない。
「完全に燃えてしまったのか……?」
今度は窪みの周辺の崖を探させることにした。
なんとか火の手から逃れているのかも知れないと思ったからだ。
「ベラ様! 馬が停めてあった形跡があります!」
崖上を探していた騎士が、ベラのもとに駆け寄る。
案内されるままに付いて行くと、確かに馬を停めた跡がある。
馬蹄の跡が地面に残り、切られた手綱が放置してあった。
残された痕跡はおそらく二頭分だ。
「テオとヘルト殿が、ここに馬を停めていたのだろう。ヘルト殿の馬もないとなると……脱出したのか? それとも悪魔軍に持ち去られたか?」
ベラが他に痕跡がないか、周囲を見渡すと、煤にまみれた鎧の破片が落ちていた。
「これはもしや、ヘルト殿のものかも知れないな」
拾い上げた破片は、鎧の肩部分のようだ、よく見ると内側に何かが彫ってある。
「――フ……ラウ……ムヲ……オウ……」
フラウムを追う。
刻まれた文字は乱雑で判読しづらいが、確かにそう読めた。
「なんということだ。ヘルト殿は生きていて、さらに敵を追いかけていった、と」
それに、フラウムとは"淀み"の名で悪名高い狂人の十八熾将のことだろう。ヘルトとテオが接触した悪魔軍は"淀みのフラウム"が率いる軍であったということか。
「本営に戻る。今から追うことは無理だ」
北の戦場には再び早馬を出し、相手が"淀みのフラウム"である事を伝えよう。
ヘルトが追い切れなかった可能性もあるので、この付近に捜索隊を出そう。
そう考えて、ベラは援軍を率いて本営に戻った。