◆十五 魔女アンブローシア
情緒不安定に陥っていたアンブローシアの話は、断片的でわかりづらいものだった。
初め、泣き出した彼女に面を食らっていたラータだったが、話を聞きながら内容を繋ぎ合わせていくうちに、それも仕方のない事だと思った。
アンブローシアは、雪の降る村の生まれで、牧場を営む家の長女として生まれた。
寡黙だが優しい父と、おしゃべりで気立てもいいが怒ると怖い母、そしてやんちゃで危なっかしくも、アンブローシアの言うことだけは素直に聞く弟の四人で暮らしていた。
アンブローシアは美しかった。
雪のように白い肌と父譲りの紫紺の髪、紺碧の瞳は母によく似ていると言われたものだ。
日々、牧場の手伝いをしていたので、手はあかぎれやマメで荒れているが、それを差し引いても牧歌的な村には似つかわしくない、洗練された美を持った少女だった。
多くの村の男達がアンブローシアにいいよったが、彼女はそれを全て断り、村を治める領主のもとに奉公に行くことになる。
全ては、両親と弟の暮らしを良くするためだ。
領主の元で働いている間、領主は父の牧場を贔屓にしてくれる。
もし、妻になることが出来れば、父は貴族と親戚になれる。
彼女の住む村自体も安泰になるだろう。
一介の村娘の身には大きな手柄だ。
アンブローシアが領主の元で働き始めると、領主はすぐに彼女を気に入った。
見た目の美しさもあったが、仕事を覚えるのも早く、身の回りの世話だけでなく領主の仕事の管理なども任せていった。
領主はアンブローシアを妻に迎えたかったが、別の貴族との結婚が決まっていたため、彼女を養子にすることにする。
そして、別の貴族との結婚を済ませ、勢力の地盤を固めると多くの商人や学者、魔法使いなどを客人として招いて、貪欲に知識を求めた。
領主には野望があった。
それは、自らの領土を独立させて一つの国家とし、王になることだった。
その野望を何度もアンブローシアに話したこともある。
領主は、アンブローシアを自分の館に招いた客人に弟子入りさせた。
彼女はすぐに色々な知識を吸収したが、取り分け才能があったのが魔法の腕だった。
アンブローシア自身も魔法を学ぶのは面白く、自分の師からの教えだけでなく、商人たちから世界各地の書物を取り寄せて貰い、貪欲に知識を求めた。
彼女は自分が知識を蓄えて、魔法使いとしての腕を磨いて行く度に領主が、褒めてくれるのを喜んで、歯止めなく魔法を学んでいく。
アンブローシアの魔法の才は、ずば抜けたものだった。
数年で師を追い抜き、誰も解読出来なかった暗号で書かれた魔法書を読み解き、いつしか彼女は国中の魔法使い達の中で最も優秀な魔法使いとなる。
魔法使い達は彼女の美しさと魔法の腕を讃えて、彼女をこう呼ぶようになった。
魔女アンブローシア、と。
その頃、彼女はまだ二十歳を越えたばかりで、その若さで多くの知識を手に入れた彼女を、恐れるものさえいた。
それから、五年が経った冬、悪魔王ヴァビロスが人間界へ最初の大きな攻撃を仕掛けた。
悪魔軍の攻撃で、北に面した隣国が滅ぼされたと聞くと、アンブローシアは志願兵になった。
彼女の故郷の村は北の外れにあり、隣国が滅ぼされた時、危機に陥った。
彼女は自分の魔法を際限なく振るって悪魔軍を退いた。
一年に渡る攻防の中、彼女は一度も悪魔軍に国境を渡らせることは無かった。
集められた他の志願兵は、ほぼ戦力にならずに、彼女一人で戦ったと言っても過言ではない。
それでも彼女は、完全な防衛をやり遂げた。
凱旋した彼女は、悪魔軍をも退いた魔女として、名を挙げた。
魔法使いというだけでも、奇異の目で見られる立場であった上に、その魔法使い達からしても、規格外な存在となった彼女は孤立した。
アンブローシアは、そのことに傷ついたが、故郷の両親と弟、そして領主はそうではなかった。
彼らを心の支えとして、彼女は悪魔軍の次の侵攻に備えるべく、再び修練の日々に戻った。
そして、ある日の夜、創造主のお告げを聞くことになる。
創造主は夢という形で、彼女の前に現れ、《権限》を与えると言った。
そして、謝罪をした。
本来は《統治権限》を持つ創造主の下僕が、悪魔軍を打ち払うはずだったが、悪魔王ヴァビロスは、創造主が悪魔軍の中枢を攻撃している間に人間界に進行し、戦力を分断させようと画策したという。
すぐに人間に救援を向かわせようとしたが、奮闘するアンブローシアの様子を見て、彼女になら防衛戦を任せられると判断したらしい。
他に、《権限》についての話も聞いた。
《権限》は世界を管理するものの力であり、人間に《権限》を与えるのは初めてだという。
その上で、創造主は共に世界の管理者となろうとアンブローシアを誘った。
しかし、アンブローシアはそれを断る。
世界の管理者になる事は、人間を止めて神格となり、不老不死になるということだったからだ。
彼女は自分の家族とともに生き、領主の野望を見届けて、それから老いて死にたいと思っていた。
創造主は、それを許さなかった。
どうしても、共に行こうと言う創造主の態度にアンブローシアは慄いた。
この世界を作り、人間を守って戦う者の態度には、到底思えなかった。
憤った創造主は、彼女に《知覚権限》と不老不死の力を与えると去っていった。
創造主に反対した自分は、とんでもなく恐ろしい行いをしたのだとアンブローシアは思った。
お告げを受けたことは、神官に気が付かれていた。
しかし、内容までは知れていないようだったので、彼女は内容を誤魔化して伝えた。
アンブローシアは、"神に寵愛された魔女"として、讃えられた。
悪魔軍の次の侵攻はなかなか来なかった。
世の中に平和が戻ると、戦いで活躍したアンブローシアへの称賛は次第に薄れていく。
その間も、《知覚権限》絶えず発動している。
他の者の抱く感情や考えを"声"として察知できる《知覚権限》は最初のうちは便利だった。
彼女にお告げがあった事を知った神官が、その内容までは知らないと感づいたのも"声"を聞いたからであったし、彼女を称える"声"を聞くことも悪い気はしない。
「恐ろしい……。あの魔女はいつまで、あの姿のままなんだ」
ある日、アンブローシアはそんな"声"を聞く。
不老不死の力を与えられた彼女は震え上がった。あの時、創造主が彼女に与えた力は《知覚権限》と不老不死。
これは遅効性の毒だった。
「ひょっとして、人間じゃないのではないか」
疑いの"声"は、時を重ねる毎に強くなった。
不老不死の力を無くす方法を探すため、多くの資料を集めた。
「あの魔女は、不老不死の研究をしているらしい」
そんな噂をしている"声"も聞こえた。
それでも、アンブローシアは奇異の目に耐えて、不老不死から開放される方法を探し続けた。
「この子は、私の子では無かったんだ……恐ろしい、悪魔の子に違いない」
その"声"を聞いた日、アンブローシアは自室で泣き崩れた。
花瓶を割り、その破片を喉元に突き立てても、彼女は死ぬことはなかった。
喉には激痛だけが残った。
自分の研究室で、猛毒を作った。
致死量の倍を飲んでも、彼女は死ぬことはなかった。
全身の神経が千切れるような痛みと、麻痺が残った。
魔法で、体内を燃やし尽くした。
全身の水分が沸騰し身を捩っても、彼女は死ぬことはなかった。
肉の焼ける焦げ臭さだけが残った。
「私の娘はどこに行ったの? 私はあんな悪魔を産んだ覚えは無いわ」
鋭利な風の刃で、自分の首を切り離してみた。
焼けるような痛みがして意識を失ったが、目を覚ますと首は繋がっていた。
眠っている間も、《知覚権限》は彼女に"声"を届け続けた。
気が狂いそうだった。
それでも正気を失わないのは、不老不死の力が精神の死も許さないように作用しているからなのか、自分が本当に人間ではないのか、わからなくなっていた。
領主に養子関係の解消を申し出られた。
「悪魔め、私の評判を落とすような研究ばかりをして。何を企んでいるのだ」
貴族の社会に居場所を無くしたアンブローシアは、弟が継いだ牧場に戻った。
村の者達は噂を知っていたため、歓迎をしてくれなかったが、唯一弟は快く迎えてくれた。
既に父と母は他界し、弟も孤独に暮らしていたのだ。
その責任は姉であるアンブローシアの悪い噂のせいに違いないが。
弟は年老いない姉を不可解に思っていたが、優しく接してくれた。
「姉さんはなんで、ずっと若いままなんだ。俺だって死にたくない……俺も悪魔に生まれたかった」
弟が年老いて死ぬ時に聞こえた"声"を、アンブローシアは今でも覚えている。
最後の家族にさえ、悪魔と呼ばれた彼女の精神は、本来ならとうに崩壊していてもおかしくはなかった。
弟の墓を建て終わった後、彼女は自分の心臓を抉り出して潰した。
創造主への呪詛を吐きながら、倒れたが眠りについても《知覚権限》は人々の"声"を彼女に運び続けた。
「北の村の魔女は、家族の命を吸い取って生きながらえているらしい」
「火にかけても、毒を盛っても死なないらしい」
「捕らえて生き埋めにしろ」
「そうだ、棺桶に縛り上げて埋めてしまえ」
もうどうにでもしてくれと、アンブローシアは思った。
何をしても死なない上に、眠っていても"声"が聞こえる。
気を狂わせることも許されない。
これが神の創りだした地獄なのか。
どうやって、捕らえられたか覚えていないが、いつの間にか彼女は地中に埋められていた。
どれくらいの時間が過ぎたか分からないが、地上で戦争が始まったようだ。
多くの人間の断末魔の"声"が、アンブローシアにそれを知らせてくれた。
悪魔軍の攻撃が再開したのだろう。
彼女はもう、戦う気持ちになれなかった。
親しい者は死に、多くの知る者全てに拒絶されたのだ。
戦って守るものなど何もない。
そのうち、"声"が遠くなった事に気がついて、地上の戦争が終わったことが分かった。
長い時間を掛けて地面を引っ掻き、地上に向かって掘り進んだ。
地上に出ると荒れた土地以外に何もなかった。
とぼとぼと荒野を歩いて、人の住む村を見つけた。
不老不死と言っても喉は渇く、空腹は感じないようだったので、水が欲しいと頼むと村人は驚いて、家に案内した。
若い女性がボロボロの衣服を身にまとって、水を求めてきた事で、驚かせてしまったようだった。
療養の必要はなかったが、村人が引き止めるので数日をその村で過ごした。
その村に滞在している間、アンブローシアは自分が埋められた時から、気の遠くなるほどの時間が経っていることを知った。
彼女の生まれた国は滅び、その後に出来た国も二つ滅びて、今に至っているらしい。
悪魔軍の動きも長らく平和だったが、最近になって動きが出てきたばかりだと言う。
水と衣服を分けてもらう代わりに、アンブローシアは魔法で、村人の手伝いをした。
何をしたのかはもう覚えていないが、魔法を見せると目を見開いて驚いていた。
村の子供達は特に興味があったようで、しばらく彼女の手を掴んで離さなかった。
数日後、水と衣服、そして村人がどうしてもというので持たされた食料を持って村を出た。
アンブローシアには目的が出来ていた。
それは、創造主にもう一度会う事だ。
《知覚権限》を返上し、不老不死を解いてもらう。
無限の地獄から脱出するためなら、彼女は何でもするつもりだった。
もし、会うことができて不老不死が解けたら、最初にすることは決まっていた。
自分の全ての力を注ぎ込んだ魔法で、一撃をお見舞いしてやろう。
魔力を全て燃やし尽くしての自爆だ。
ささやかな復讐と、念願の死を同時に手に入れることが出来る名案だと思った。
それから、アンブローシアは創造主がこの世界に接触した痕跡を探し続けた。
アンブローシアの腹に描かれた魔法陣に封印してある《知覚権限》の力を抑えられる剣は、その過程で見つけたものだ。
その剣を見つけたことを一区切りとして、アンブローシアは眠りについた。
《知覚権限》が抑えられることで、彼女が眠っている間にも鳴り響いていた"声"はもう聞こえない。
幾世を経て手に入れた安息は、マンテネールの迎えが来るまで、彼女を眠らせ続けた。
不死の痛みをアンブローシア以上に知るものは、いないだろう。
ラータの受けた衝撃は、彼女にだけが計り知れる。
《知覚権限》でラータの"声"を聞いた時、彼女は彼が、どれだけ故郷の仲間を大切に思い、会いたがっているかを知った。
そして、それが不可能なことであることも知った。真実を知ればラータが立ち直れないほどの衝撃を受けると察した。
不謹慎だが、ラータ以上に自分の気持ちを理解できる境遇のものはいない、と思った。
しかし同時にこう思った。
アンブローシアの持つ過去はラータ以上に凄惨だったが、彼女は自分の受けた痛みの百分の一も、彼に味わって欲しくないと。
それ故、彼女は隠し続けた。
隠し通せるはずは無いと分かっていても、そうすることしか出来なかった。