◆十四 神殿正面入口、階段前
世界の崩壊を防ぐため、七人が集まった神殿は森に囲まれている。
マンテネールが言うには、この神殿は創造主がこの世界を構築する際に留まっていたという、いわゆる神の住まいだったらしい。
ラータは正面口からの階段に座り、ただ時間を潰していた。
鬱蒼と茂る森は、ひんやりとしていているがラータの故郷であるオリジャの村を囲む林と違って、じっとりとした湿り気もある。
「ラータさん、どうしたんですか?」
何をするということでもなく、森を眺めているラータに声をかけたのは、中性的な顔立ちの長い白髪の少年だった。
彼は神殿に七人の中で最年少で、記憶を無くしている。
普通に人と接するのに問題は無いようだが、自分の出身や名前も思い出せないらしい。
"エッセ"という名は、マンテネールが便宜上決めた名前だ。
神殿に集まった七人には、《権限》という特別な能力があると言うことだったが、記憶を失っているエッセは、もちろんその能力を行使することは出来ない。
どのような能力があるかもわからないのだ。
《権限》の能力についての無知は、ラータも同じであったため、彼は自分より幼いその少年に親近感を持っていた。
「いや、ちょっと考え事だ……エッセは、俺たちの《権限》についてどう思う?」
ヘルトがラータの部屋を訪れた時に教えた『権限を持つものは不死身になる』という情報は、エッセにも教えておいたほうが良いだろう。
そう考えたラータは、考え事を止めてエッセと話をすることにした。
「どう……と言われても、僕には使えないみたいなので、なんとも……でも、《権限》があるから僕はここで皆さんに会えたんですよね。それは嬉しいことだと思ってます」
ニコニコと微笑むエッセを見て、ラータは以外な返事に驚く。
ラータは否定的な答えが返ってくると予想していた自分を恥じた。
「そうか、そういう面も確かにあるな……」
「僕、友達や家族がいたっていう記憶も無いんです。だから、知り合いはここにいる皆さんだけなので、ここに連れて来てくれたマンテネールさんには、とっても感謝してるんですよ」
「……ここに来る前は、どこにいたんだ?」
ラータが聞くと、エッセは唇に指を当てて、う~んと考えこむ。
「どこ……だったんでしょう。誰もいない、白い砂だけの小さい島で……ずっと、砂のお城とか人形とかを作って遊んでいました」
「砂だけの島? そこにずっといたのか?」
「本当に小さい島なんですよ。砂以外になんにもなくて、端っこにいても島の反対側が見えるんです。いつから、どうやってそこにいたのかは分からないんですけど……」
口ぶりからして、何日も砂だけの島にいたのだろう。
おそらく、その間、飲まず食わずでいたに違いない。
やはりエッセには間違いなく《権限》の力があるのだと、ラータは確信した。
「なぁ。おまえは、なんで戦おうと思った?」
エッセに問いかけながらも、ラータは自分が戦いに参加すると決めた理由を思い出す。
それは、故郷であるオリジャの村、その村人の無事を確かめることである。
戦いと言っても、魔物の活性化の調査だったが、結果的に十八熾将という悪魔軍の将と戦った。
調査に行った結果、わかったことはオリジャの村に人は残っていなく、さらに魔物の襲撃を受けた日から多くの時が過ぎてしまっているということだった。
その事に衝撃を受けて、一時茫然自失としてしまった。
つまるところラータは、元の生活に戻りたかったのだ。
しかし、今となってはそれは不可能だ。
では、自分はこれからどうするのか。帰る場所も無ければ、戦う理由も失った。
ラータは、エッセの返事を待ちながら、自分には何も残っていないと思って暗然とする。
「……そうですねぇ。僕はマンテネールさんやミスラさんのみたいに使命を持っているわけでも、ヘルトさんみたいに、絶対に世界を救うんだって正義感に燃えているわけでもないんです」
ヘルトはそんなに燃えていたのか、とラータは思う。
別行動をしていた時になにか話し合ったのだろうと考えるが、ヘルトの様子はラータから見ても確かにそうだった。
アンブローシアを交えて初めて話した時には、神に対する熱心な信仰もあるようだし、"神"即ち創造主の作ったこの世界の崩壊を止めなければと息巻いているのだろう。
「アンブローシアさんやオグロさんはわかりませんけど……。あっ、オグロさんは"契約"と言っていましたから、何か目的があってのことだと思います」
ラータが考えている間に、エッセは続ける。
オグロはマンテネールが初めて円卓を囲んだ時に、彼女と契約を結んだと言っていた。
目的とはどういうことだろう。
「目的?」
「え? ……ああ、契約を結んだということは、互いに条件を飲んだということ……ですよね? それは、契約を経た先に到達すべき目的があるということになりませんか? マンテネールさんの目的は、オグロさんの協力を得ることなのは明白ですけど、オグロさんの方は明らかになっていません」
驚いた。
ラータはそこまで考えていなかった。
この記憶喪失の少年は、存外に賢しいようだ。
記憶を失う前はそれなりの教育を受けた、例えば貴族の子だったりするのだろうか。
「すみません。話が変わってますね。……僕が戦う理由ですけど……それは、たぶん……嬉しいんだと思います……」
「嬉しい? 何がだ?」
ラータはエッセの言っていることがわからずに聞き返す。
「……ヴァインロートと戦った時、僕は足手まといでした。剣を握ったこともない……はずですし、あんな化物と対峙したこともない……と思います。それでも、ちょっとだけ、役に立てたんです」
自らの経験について話すとき不明瞭な話し方になるのは、自分の記憶が確かなものではないと自覚しているからだろう。
エッセが、ヴァインロートによってヘルトに向かって投げ飛ばされたミスラの身体を受け止めて助けたということは聞いていた。
それを聞いた時ラータは、素直に感心したものだ。
「……戦いの後、褒められました……。他の皆さんはとんでもなく強くて、最初は、僕が手出しをする必要なんて無いように思ってましたけど、僕にも出来ることがあるとわかって、嬉しく思いました」
そういうエッセの顔は、どことなく晴れやかだ。
砂しか無い島で生きていた時は、誰かに褒められる事など無かったろう。
当たり前だが、彼以外に人はいないのだ。
そして、それ以前の記憶は無い。
「……僕が持っている繋がりは、皆さんとだけなんです。マンテネールさんに初めて会った時は、驚いて考えることは出来なかったけど、皆さんがいなかったら、僕はずっと一人で孤島に居続けました。……とても寂しいこと何でしょうけど、そのことも理解できずに……」
エッセは過去の自分を哀れむように、階段に目を落とす。
それから、慌てた様子で口元を抑えて頬を赤くした。
「……あ、ごめんなさい。僕、ずっと話しすぎですね。僕の話……長かったですよね。」
「いや、俺が聞いたんだ。話してくれて、ありがとう」
「……ラータさんは、なんで戦うことにしたんですか?」
当然の質問だった。
同じ質問をラータはしたのだ。
エッセが気になるのも普通のことだ。
だが、戦う理由を失ったばかりのラータは、直ぐには答えられなかった。
一度、空を見上げて考える。
それから、心に湧いた気持ちをそのまま伝えることにする。
「そのまえに、謝らせてくれ。すまない。俺が……話しかけたのは、ただ愚痴を聞いてもらうだけだったんだ」
「えっ……」
驚いたエッセが目を丸くしている。
頬がまだ赤いのは、自分だけペラペラと喋りすぎたことをまだ恥じているのだろう。
「だけど、変わったよ……。俺の目的は、故郷の村に帰って元の生活に戻ることだった。世界の崩壊と聞いてもピンと来てなかった。訳の分からないことに巻き込まれたと思っていた。自分とは関係のないところで解決してくれ、とまで思っていた」
エッセが真剣な表情になって聞く。
「魔物の調査に行ってわかった。元の生活には戻れないこと。どうやら、世界の崩壊は本当らしいこと」
人間が既に滅びている、そう知ったからだ。
「もう俺は帰る場所を失った。何も残っていないなら、俺にとって世界を救う事に協力する意味も無いと思った」
帰るところも、会いたい人もいない世界を救って、その後どうするのだと思った。
「でも、おまえの話を聞いて思ったよ。俺にもまだ繋がりがある」
ラータは、港町ハーフェンに向かう途中、マンテネールとアンブローシアとの間に感じた信頼を思い出す。
「《権限》を扱えない俺でも……、魔物を倒せるほど強くない俺でも……出来ることがある」
逃げの手ではあったが、幽香のセレッサから逃げ切った策を思いついたのはラータだ。
「何もかも失ったと思っていたけどな……、まだ頑張ってみるさ」
エッセはゆっくりと頷く。
神殿に帰ってから塞ぎがちだったラータも、その目を見て笑うことが出来た。
◆
神殿の正面口の階段を登りきると大きな扉がある。
それは、今開いているが、その両脇には柱が二本そびえていた。
ラータとエッセはその柱に背を向けて話している。
柱の影に隠れているアンブローシアには、彼らの会話が聞こえていた。
「砂の城を作って遊んでいた……?」
エッセが神殿に来る前の話をしている時、アンブローシアはいくつか不思議に思うところがあった。
砂以外なにも存在しない島で、城や人形を作って遊んでいたというエッセの言葉が引っかかる。
人形は、まだいい。水面に映る自分の姿を見れば人間の形は分かる。
頭と胴に手足をつけた物、そうやって記号的に作った物でも人形と呼べるだろう。
しかし、城はどうだ。
砂しかない島には、もちろん城は無い。
ならば記憶を失う前の知識で城を知っていたということだ。
城と呼べるほど大きな建造物は大きな国家の首都か、または悪魔領にしかないはずだ。
そして、悪魔の城は、それこそヴァインロートの居城のように力のある悪魔や十八熾将の所有物であることが多い。
アンブローシアには疑念があった。
それは、マンテネールによって集められた《権限》の保有者が、多すぎることだ。
アンブローシアの《権限》は直接、創造主によって与えられた。
お告げのようなものを聞いたその時に、彼女は創造主といくつか会話をしている。
その中で、他の《権限》について少しだけだが聞いていた。
彼女の知る《権限》は七つ。
アンブローシア自身の持つ《知覚権限》。
マンテネールの持つ《管理権限》。
ミスラの持つ《統治権限》。
神の創った聖器物が持つ《抵抗権限》。
そして悪魔の手に落ちたという《権限》が二つ。
最後に創造主の持つ《創造権限》だ。
その中で、聖器物が持つ《抵抗権限》は、生命のない物質に込められているため、《権限》の移動は起こらない。
物質が破壊されたら話は違うであろうが、聖器物は創造主自身が創りだしたものだ。
創造主の世界の中で、それが破壊されるという事はありえない。
初め、マンテネールに《権限保有者》として召集されるべき人数は五人であるはずだと、彼女は思っていた。
創造主はこの世界の内側にはいない為、マンテネールが呼ぶことは出来ない。
その意味もない。
創造主は世界の外側から自分の世界に干渉が出来るのだ。
それを踏まえての五人だ。
《知覚権限》、《管理権限》、《統治権限》と彼女が名を知らない《権限》ふたつ分に値する人数である。
だが、実際に顔を合わせると神殿に集められたのは、七人もいた。
人数を確認した時、アンブローシアは、自分が創造主から話を聞いた後で、新たな権限が創られて与えられたのだと思った。
しかし、その考えは円卓での会議が終わった後には無くなっていた。
《権限保有者》であると自覚をしているものが、少なすぎるのだ。
オグロ、ラータ、ヘルト、エッセの四人は、権限の自覚が無いと主張している。
悪魔の手に落ちたという《権限》の一つを持っているのはオグロだろう。
オグロは《権限》を持つ自覚が無いと言う。本当の事を言っているか、彼女には判断がつかないが彼が悪魔である以上、そうだと確信していた。
オグロは何か目的があって、自らの《権限》を隠しているのではないか。
アンブローシアはそう疑っていた。
ラータについては、何らかの事故で《権限》の移動が起こってしまったと考えている。
元々《権限》持っていた何者が窮地に陥り、《権限》の移動のみを試みた。
そして偶然、漂流中のラータが《権限》を受け取る事になった、という推察だ。
会議の前にラータと部屋で話した時、全力の《知覚権限》で彼の"声”と接触したが、間違いなく自分が《権限保有者》であるという自覚は無かった。
同様にヘルトの"声"も読み取ったが、彼は素直に何も知らないようだ。
彼はいかつい鎧を着た大男だが、変なところで臆病なようで、他の者に話しかけようとして、何を話していいかわからず、内心ではおどおどしていた。
わかったのはそれくらいだ。
エッセについては、わからないことが多すぎる。
記憶が無いために《知覚権限》で感情を読み取っても、そこから何かを隠しているような様子は伺えなかった。
記憶が無いことに対する、不安なども特に感じていないようではある。
創造主が、世界の保持のために役割を与え、同時に《権限》を与えたのだとしたら、当事者は自分が《権限保有者》であることを知っていなければならない。
そうでなくては、役割が果たせない。
では何故、アンブローシアの考察よりも人数が二人も多いのか。彼女はその理由をこう考えた。
七人の中に、世界の崩壊に加担しているものが紛れている、と。
「エッセは一体、何者なのかしら……」
考えている間に、声に出てしまっていた。
慌てて口をつぐむが、幸い聞き耳を立てていることには気づかれていないようだ。
途中、何度か聞き取りづらいところもあり、その上に考え事をしながらであったため、エッセとラータの会話を断片的にしか聞けなかったが、おおよその内容は理解できた。
彼らは、自分たちが戦う理由について話している。
そして、互いの話をするうちに、結果的にエッセがラータを勇気づける形になったようだ。
話を終えたエッセが、神殿の中に戻ろうとして、歩いてくるのが見えた。
アンブローシアは、柱の陰に身を隠すと、エッセをやり過ごす。
それから、一呼吸おいて、ラータに声をかけた。
本来の彼女の目的はこちらのほうだ。
盗み聞きは、偶然だった。
「……ちょっと、聞いちゃった。ごめんね、ラータ。……もう、大丈夫なの?」
突然にアンブローシアが現れたように感じたラータは、驚いて返事をする。
「……!? お、おう。アニーか、びっくりさせるな」
ラータの顔色は大分良くなってきていた。それを見て、アンブローシアは安心する。
セレッサとの戦闘の最中から、ラータの様子は酷いものだった。
顔色は青ざめ、口数も少なくなり、目が虚ろだった。
おそらく、港町ハーフェンでマンテネールと話した時からそうだったのだろう。
残酷な真実を聞いて、彼はショックを受けた。
アンブローシアは、ラータがセレッサの催眠にかかっただけでなく、マンテネールが伝えた真実が、彼にとって重すぎたせいもあると思った。
「そうだ、アニー。……聞きたいことがある」
ラータはアンブローシアの様子を伺うように、じっと目を見る。
アンブローシアは、何を聞かれるのか、感づいていた。
黙って頷いて先を促す。
「……マンテネールから、俺が聞いたこと……知ってるよな?」
アンブローシアはまた、ただ頷く。
「俺の村の人間が、誰も生き残っていないこと……それも、知ってたな?」
聞かれる内容はわかっていたが、それでもビクリと身体が反応した。
責められているような感覚になり、アンブローシアは胸の痛みをこらえる。
正直に答えるつもりだったが、なかなか返事ができない。
「……悪い。泣かせるつもりはなかった」
ラータに言われて、アンブローシアは自分の頬を涙が伝っていくのに気がついた。
「……ごめんなさい。あたし、知っていて黙ってた。……隠そうとした」
絞り出した声は震えていた。
「怒ってるわけじゃない……ただ、知っておきたかっただけだ。……だから、泣くな」
「怒ってない? なんで?」
涙を拭いながら、アンブローシアは不思議に思う。
彼女が隠した内容は、ラータの故郷の村人は、もう誰も生き残ってはいないということ。
彼女の《知覚権限》では、魔物に全滅させられたかどうかまでは分からないが、ラータの知っている地域に人間が生きているという可能性はほぼ無かった。
人間が滅びているという事も、知っていた。
「俺を気遣ったんだろ。わかるさ。それくらい」
哀しげに笑うラータを見て、アンブローシアはまた泣いた。
二人ともなにも話さないまま、しばらく時間が過ぎた。
沈黙を破ったのはアンブローシアからだった。
「……ラータは凄いのね。あたしは立ち直るのに、もっと時間がかかったわ」
「アニーも、何かあったんだな」
誰にも話すつもりの無い話だったが、アンブローシアはラータになら話してもいいと思っていた。
それは、彼女が《権限》を得た後の話。
そして、今この戦いに参加している理由だ。彼女には世界の崩壊を止める以外に目的がある。
時々、しゃくりあげながらアンブローシアは辿々しく話し始める。
ラータは、彼女の話を黙って聞いた。