◆百二十六 闘神ミトラはかく猛りき④
城門を崩したミトラは全ての天使を従えて、廃都の王城を突き進んだ。
しかし、王城内を通りぬけ、更に奥にある王宮跡に至ってもナーダの姿は見つけられなかった。
ミトラと天使達の通った後には並々ならぬ量の悪魔の死体の山が築かれて、どこをどう通ったか誰が見ても一目瞭然な程だ。
死屍累々のその先で、ミトラは拳を叩きつける。
「ちぃっ! ここを本拠地としていたんじゃあないのか!」
この王宮にまだ人間の王が住んでいた頃に使っていたらしい寝台が、振り下ろされた拳に吹き飛ばされて砕け散った。
「こっちの動きがバレているっていう可能性もあるのか……アンブローシアめ。ミトラの方にもきっちり《知覚権限》を向けていたな……!? ――インビジブル・フォース!」
苛立ちの声とともに隠密用の天使を使役し、廃都の周辺を探らせる。
王宮の中から飛び出したインビジブル・フォースは壁も何もかもを突き壊して外に出て円を広げるようにナーダの行方を捜索する。
「相手は"フライタクト"で空を飛べる……足跡なんか残すわけがないから探すのもいちいち面倒だ。しかもこっちが探していることはアンブローシアにはバレちゃうわけだし……」
天使に捜索を任せながらも、これが有効な手ではないと自覚するミトラだが、今はそれ以外に取れる行動がない。
苛立ちを覚えたミトラが平静を取り戻したのは、複数ある耳が足音を捉えたからだ。
「神体を取り戻したのよね。おめでとう。今はミトラって呼んだほうがいいのかしら?」
背後からの聞こえた覚えのある女の声へと振り向く。
「魔女アンブローシア。よくのこのこ出てこれたね。ナーダはどこだい? 教えてくれたら見逃してもいいよ。五体満足とは限らないけれどね!」
ミトラは完全な敵意を放ってアンブローシアを見据えた。
「喧嘩の売り買いをしに来たんじゃないわ。ナーダの居場所を教える代わりにやって貰いたいことがあるの。聞いてくれるわよね?」
「交換条件かい。立場が分かってないのかな? こっちはいつでも君を捻り潰せるんだ」
「結構よ。あんたらの慕う創造主様のお陰でミンチにされても死ねないの。殺してくれるんなら、そんなにありがたい事はないわ」
「……口が減らないね。……それで、一体ミトラは何をすればいいんだい?」
ミトラは押し問答を諦めて、素直に交換条件を呑む気になった。
創造主の名を出されては弱い。
何せ、魔女アンブローシアは数多くいる人間の中から創造主自らが選定した《権限保有者》なのだ。
「……ナーダは今、十八熾将カルディナールと行動を共にしているわ。あたしはそのカルディナールに用があるの。ナーダの居場所は教えるから、彼をカルディナールから引き離してくれないかしら?」
何が目的かは分からないが、これはミトラにとって有益な取引だ。
行方の知れないナーダの居場所を知れるだけでなく、共にいるカルディナールを一度引き離せば、そちらを引き受けてくれると言っていいだろう。
「いいよ。その代わりミトラがナーダを始末する間、カルディナールに邪魔させないでくれるかな」
「もちろん、そのつもりよ」
アンブローシアの即答。
何を企んでいるかは依然として不明なまま、しかしミトラの思考は《権限》で読まれるという不公平な話し合いが続く。
「――疑っているみたいね? 当然だと思うわ」
ナーダとカルディナールの居場所、襲撃の時宜、それらを打ち合わせた後にアンブローシアが粛々と地面に焼いた地図をかき消した。
「悪趣味が過ぎるんじゃないかい? そっちは便利な《権限》でミトラの考えが読めるんだ。それをわざわざ口に出す必要はない。それに"みたい"じゃないさ。態度を誤魔化しているつもりもない」
言葉の通り、ミトラは剥き出しの敵意を眼前の魔女にぶつける。
王宮内を駆け抜ける刺すような空気に呼応するように、天使達がアンブローシアを取り囲む。
トルーパーは抜剣した切っ先を魔女に向け、ガーディアンは拳を突きつけて構え、インビジブル・フォースは不可視の形態で魔女を取り囲む。
「ここまで嫌ってくれるといっそ清々しいわ。あんたとは損得勘定だけで話ができるもの」
フン、と一息し周囲を睥睨するアンブローシアは、不可視のインビジブル・フォースの位置も把握しているのだろうか。
一体一体数えるように、自分を取り囲む天使の位置で視線を止めつつ続ける。
「この廃都の東には街道が伸びているわ。石床はボロボロで見つけづらいかもしれないけれど、ほぼ真っすぐ東向きね。ナーダとカルディナールはそこを歩いて移動中よ」
全ての天使の位置を確認した。
そう言わんばかりにアンブローシアは目を閉じて一つため息を吐く。
そういった所作の一つ一つが余裕に溢れ、数で勝るミトラに攻撃を躊躇わせる。
「うさん臭いね。奴らは飛べるだろう? 何故わざわざ街道を行く必要がある? 罠にでも誘い込むつもりかい?」
ミトラは脅しをかけるのを無駄と悟り、天使達の臨戦態勢を解除する。
ただ、敵意や疑いが失くなったわけではない。
「ナーダは負傷中よ。神殿遺跡で無茶苦茶したばかりだもの、当然よね。魔力も贅沢に使ったから無駄に使いたくないんでしょ。……罠だと思うならやめてもいいわよ。このお話はお終い。アタシが自力で何とかするわ」
ミトラは考える。
アンブローシアは"損得勘定"で話していると言った。
この取引にのってのアンブローシアの得とはなんだろうか。
カルディナールと差しの状況になる事が本当に目的だとしたら、それが彼女に取っての得となる。
では、彼女が味方するナーダがミトラに討たれる事は、損にはならないのだろうか。
この話が罠の場合、ナーダとカルディナールはミトラを誘い込んで殺すに違いない。
敵対勢力の戦力を削るという事は、紛れもない得になるだろう。
しかし、それならば今、ここで仕掛けても良いはずだ。
現にミトラはアンブローシアの接近に気が付かず、こうして話をするに至った。
この場にナーダとカルディナール、アンブローシアの三名が待ち伏せし、《知覚権限》の支援を活かしつつ戦えば、流石のミトラも厳しい戦いを強いられる。
それをしないのは何故か。
ナーダの負傷が思いのほか酷く、敵前に姿を表すことを躊躇っていることもありうる。
そこまで考えて、ミトラは一つ疑問に思った。
「ナーダが負傷しているなら、なんで君は最初から自分で実行しない? ナーダが手負いなら、追い払ってカルディナールと二人きりになることはそう難しくないんじゃないか? ……いや――――」
疑問を口にしつつ、ミトラは一つの答えに至る。
ナーダは神殿遺跡で無茶苦茶をして負傷したと聞いた。
だが、神殿遺跡で大立ち回りをしたのは何もナーダだけではない。
「……君もだいぶ消耗しているってわけだ」
ミトラがアンブローシアを見る目は、完全に狩人のそれだ。
現状、ミトラはその真偽は置いておいて、ナーダの居場所を既に聞いている。
言うなれば取引の報酬を先に受け取っているのだ。
ならばわざわざアンブローシアの取引に応じてやる必要もない。
「そう考えると思ったわ」
冷たいアンブローシアの声が王宮に響き渡る。
その次の瞬間には、ガーディアンがアンブローシアのいた位置を巨大な拳で押しつぶしていた。
砕かれた床の石片が飛び散り、砂塵が舞う。
「――チッ。考えるよりも先に動けたと思ったんだけどねぇ……」
ミトラの悪態は空振りに終わった攻撃に向けてのものだった。
アンブローシアは一瞬にしてガーディアンでの攻撃を読み、上空へと飛翔していた。
ミトラの頭の上から、彼女の声が降ってくる。
「残念。《知覚権限》は感情も機微も逃さないわ。爆発的に殺気が膨張したのがまるわかりだったわよ。――まっ、予めソニックムーブを使っていなかったら危なかった……かしらね?」
口の端に笑みを浮かべて、アンブローシアはふわふわと宙に浮いている。
下から見上げる形になって、ミトラは初めて気がついた。
アンブローシアの両足はものの見事に骨が砕け、まるで獣の革を干しているかのように宙ぶらりんになっている。
「それじゃ、ナーダの件は任せたわよ。あんたが乗ってくれないと、アタシの手間が増えるんだから」
そのままくるりと方向転換し、アンブローシアは王宮から姿を消した。
「なるほどね。あの魔女にとってはミトラが取引に乗るか乗らないかなんて、元々どっちでも良かったわけだ」
ナーダの居場所を教え、それによってミトラが何らかの行動を起こすにせよ、教えた場所を確認することになる。
もし、ミトラが天使を使って確認を行えば、居場所が嘘だった場合すぐにばれてしまう。
ならば、おそらくはナーダとカルディナールが街道にいるというのは本当だろう。
戦闘を挑むには天使達だけで戦うわけにはいかず、ミトラは街道へと向かう事になる。
罠が張ってある可能性があっても向かわざるを得ない。
「……つくづく厄介な手合だね」