◆百二十一 森の神殿待機組②
――世界崩壊まで45日。
ラータは森の神殿の自室で表題の無い本に目を通す日課を行っていた。
「…………くっ……ここまでか……!」
引き剥がすように書き連ねられる文字から目を離し、脂汗の浮いた額を拭って本を閉じる。
始めの頃より多くの文章を読むことが出来るようになっていたが、未だに数頁に渡って読むことは困難を極める。
ただ、ラータはある手応えを感じていた。
それは、この表題の無い本を読むことが出来るのは《権限》を持つ者だけだということだったが、読める量は魔力に依存しているということだ。
この数日、セレッサに魔力の使用方法を教わりつつ技術向上に励んでいたが、その成果が本を読み解く方面にも如実に現れていた。
それもそのはず、魔力は即ち集中力と同義のものらしい。
この本にはどうやら判読する際に集中力を妨害するような仕掛けがしてあるようだが、乱されても乱されてもその度多くの集中力――魔力を注ぎ込めばある程度、妨害に抵抗できるようなのだ。
新たにわかった事は主に魔法に関する知識だ。
魔法は詠唱を必要とする詠唱魔法と、即座に効果を発揮する即効魔法の二種に大別される。
全ての魔法は魔力を使用して現象化されるが、詠唱を必要とするか否かで分けられるのだ。
炎熱魔法、氷雪魔法は魔力を温度の変化に利用する。
その際に魔力は詠唱を通して熱量へと変換され、詠唱と詠唱者の魔力の操作に則した形状を取る。
電雷魔法、旋風魔法は魔力の性質を変化させ、直接的に現象を引き起こす。
詠唱を必要としない分、術者の魔力操作技術が求められる。
実際に書かれていた文は小難しく多くの例を用いた長文で記されていたが、要約するとそういった内容になる。
この内容を読めた時、ラータが疑問に思ったのは神聖魔法と古代魔法についての記述が、魔法の項にさっぱりなかった点だ。
炎熱魔法、氷雪魔法、電雷魔法、旋風魔法と読み解きその後に記述されているものと思っていたが、その次にあったのは魔法の例に関する項だった。
一つの魔法で数頁にも渡る記述があるために、そのまま読み進めることは出来ずラータは本を閉じた。
「神聖魔法や古代魔法についての記述は別扱いか? 《権限》について書いてあるくらいだから……魔法についても未解明部分が記されていてもおかしくないと思ったが……」
思考を整理するために、ブツブツと独り言を呟いてしまう。
アンブローシアも厄介な物を押し付けたものだ、とラータは胸中でため息を吐いた。
だが、この表題のない本は情報源になる。
特に、《権限》どころか魔法にも精通していなかったラータには貴重だ。
「やっほー! 今日は引き篭もって読書の日なの~? わたしとの時間はまだかしら?」
窓から蔦を使って、にょろりと現れたセレッサにラータはビクついた。
「うお!? 窓から入るな! 驚くだろ!」
「うふふ。びっくりさせようと思ったのよ。ラータったらこの所、気配を読むのが上手くなったから、なかなか驚いてくれないんだもの」
そのままにょろにょろと室内に侵入し、椅子に腰掛ける。
あまりにも魔物魔物しい動きにラータは若干精神的な距離を感じたが、そんなことはお構いなしにセレッサは如何にも友好的な口調で話しかける。
セレッサと行動を共にして数日が経ち、魔物と人間という種族の壁を感じなくなってきた所だったが、改めて種族の違いを思い知る。
「その本、内容は読めたの? 《権限》が無いと読めないんだっけ?」
ラータはセレッサには本の存在を話していた。
最初にアンブローシアに刻まれた魔法陣の起動方法を聞いた為、何も教えないわけにはいかなかったのだ。
内容については話していない。
《権限》が無ければ読むことが出来ない妨害が仕掛けられているという点と、《権限》を持ってしても内容を読むのは骨が折れるという二点のみを伝えてあった。
「あぁ。正直、読んでいる間はかなりしんどい。集中力がガリガリ削られていくのが分かるぜ。今日は……魔法の練習は厳しい」
「じゃあ、肉弾戦でヤろう。組んず解れつ経験を積もう」
セレッサの足元から伸びる蔦がワキワキと不穏な動きをとる。
「変な動きをするな。……まぁ、実は試したいこともあるんだ。ちょっと付き合ってくれるか?」
「えぇ! えぇ! いいわよ~!」
ラータはセレッサを伴って森の神殿の外、エッセとの訓練にも使っている正面口の芝地へと向かう。
ラータはセレッサの思いに気が付いている。
最初、セレッサはラータの事を無限に栄養を補給できる餌と認識してると思っていた。
だが、数日を過ごす内にセレッサの感情がそれだけではないことくらいわかるものだ。
わからない方がおかしいほどに、セレッサの態度は軟化している。
明らかに好意を向けられるのは、ラータにとって初めての体験だったが、問題はそんなところにはない。
ラータは人間で、セレッサは魔物だ。
オリジャの村が襲撃を受けた時、ラータは魔物――オーガーを殺した。
セレッサも多くの人間を殺めて生きてきたことだろう。
どうしても種の壁というものは存在する。
セレッサの感情がラータという無限の栄養源を失うまいとする本能からの錯覚ですら無いかとも疑っているのだ。
いつ、セレッサが生存する別の方法が見つかるかもわからない。
それが見つかったとして、悪魔側の勢力のみで賄えるものだとすれば、セレッサは再び敵に回るだろう。
本については知られてしまっているが、多くを語る必要はない。
ラータが考えを巡らせていると、目的の芝地へと辿り着いた。
「さぁ! 模擬戦が終わったら栄養補給させてよね? どこからでもかかってきなさい!」
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
ラータは魔法陣から短刀を取り出す。
本を読むので消耗した集中力の残りを絞り出し、短刀に意識を集中した。
「――サンダークラップ!」
短刀はラータの魔力に感応し、刃から雷を迸らせた。