◇百十八 ネイバブール六公会議①
王都カピタールを襲った悪魔軍は一夜にしてその悉くを焼き払い、死の都を築き上げる。
王城に避難した住民は皆殺しにされ、王都の防衛に当たったレイノ王国の誇る魔法隊も全滅し、レイノ王国は事実上滅亡した。
王都を陥落させた後、悪魔軍は他の都市に攻め入ることはせずに王都に常駐して沈黙した。
人間の戦争ならば、攻め落とした国の実権を握るため新政府の設立をするか、他都市にも圧力を掛けるかを行うところだが、それはあくまで人間の尺度で測った場合のことであり、悪魔には当てはまらない。
隣国であるネイバブールは、レイノ王国の王都陥落の報せを受けた時に、その点を不審に思ったが、悪魔の意図が汲めない以上、国境付近の防衛の強化と住民の避難をする意外に取れる手段が無かった。
最大の軍事力であるマクシミリアン候が、この騒動でレイノ王国から帰らなかったのも大きい。
レイノ王国内の他都市は、王都陥落の影響を大きく受け、王国の後ろ盾を悪用し、圧政を強いていた地方領主などは農民に吊るしあげられて殺害され、また多くの住民がネイバブールへと亡命した。
ネイバブールは爵位制のある国ではあるが、国王と言うのは存在せず、六公と呼ばれる六名の公爵によって政治方針が決められる独特の政治体系を持つ。
元々、ネイバブールは六つの民族がぶつかり合う民族紛争の絶えない地域で、悪魔領が隣国であるレイノ王国の間近まで迫った時に、それらの民族が合併して出来た国なのだ。
六名の公爵はそれぞれの民族の代表であり、それを代々引き継いできた者たちである。
そして、レイノ王国の王都、カピタールが陥落して十日が立つ頃、六公会議が開かれた。
会議の地は各民族の治める地域の中心地。
ネイバブールの建国時に建てられた議事堂である。
「諸君らに集まってもらったのは他でもない。……聞き及んでいる者も多いと思うが、レイノ王国の件だ」
六公の最年長であるイワンが重々しく口を開く。
イワンはネイバブール内で最も人口の多い"ユバ族"の代表公爵である。
ユバ族は白銀の髪と白い肌を持つ色素の薄い民族ではあるが、その身体は屈強で、女性も男性も大柄な物が多い。
イワン自身も六十五歳と高齢だが、集まった六公の中では特に巨体の持ち主だった。
眼光は鋭く、彫りの深い顔立ちが威圧感を生んでいる。
「……知っておる。悪魔軍の攻撃を受けて王都が滅んだようじゃな? 融和の使者として、そなたのところのマクシミリアンが赴いていたと聞いたが……死んだか?」
イワンを横目にして、長い服の袖で口元を隠しながら話すのはヴァネサという公爵だ。
ヴァネサは"アラネア族"の代表公爵で六公の中で唯一の女性である。
その上、二十歳と最も若く、彼女が六公入りする際は多くの反発に晒された。
それでも今、こうして六公の一員として顔を連ねているのは、彼女の卓越した民族をまとめ上げる手腕によるものだろう。
「マクシミリアン候は消息が不明のままだ。儂は悪魔軍の攻撃に巻き込まれての戦死、と見ているがユバの民の中にはマクシミリアンの帰還を待っている多い。民衆には帰還が遅れているとしているが、生存は絶望的だろう」
神妙な顔つきで眉間を抑えたイワンが溜め息を混じえて零した。
「マクシミリアン候が戦死? そんなことありえるのでしょうか。侯爵の力は悪魔軍にも引けを取らぬでしょう?」
セルペンス族の公爵、フェルディナントが口を挟む。
青みがかった髪と長身の男が、顔にかかった長い前髪を耳にかけると驚きの表情がそこにあった。
マクシミリアン候はネイバブールの最高の戦力である。
マクシミリアン候はユバ族の出身だが、このことはユバ族以外の民族も認めるところであり、その彼が戦死したとなるとネイバブールの軍事力は大きく削がれたことになる。
現に、マクシミリアン候が戦死したというイワンの考えを聞く前と後では、六公会議の空気は大きく変わっていた。
「あの男の実力は……確かなものだ。……死んだとは……思えん」
ボソリ、ボソリと言葉を紡ぐのは、リノケロス族の代表公爵マテウスだ。
固い灰色の皮膚を持つリノケロス族は、寡黙なことが美徳とされる。
そんな民族の男でも、マクシミリアン候の戦死には疑問を持たざるを得なかった。
「俺んところから捜索隊を出すか? 死んじゃいないにしろ、身動きが取れない状況なのかも知れねぇぜ?」
椅子の上に立膝で座り、頬杖をつくというおよそ会議の場には似つかわしくない態度で提案するのは、セルハンという公爵だった。
ミールウス族という少数派の民族ではあるが、戦の技術に長けた者の多い民族で、特に斥候の様な隠密に長けた部隊を多く持っている。
「セルハン公。心遣いに感謝するが、儂も黙ってマクシミリアン候の帰りを待っていたわけではない。迎えの部隊を組んで捜索に当てたが、王都に近づけずに手詰まりの状態なのだ。セルハン公の持つ部隊であればあるいは……とは思うのだが、如何せん悪魔軍の警戒が強すぎる」
とイワンは眉間の皺をさらに深くして答える。
「臆病よのう。これでは我らが民族を一つにしている意味が無いではないか。イワンよ。そなたはこう言っておるのじゃぞ? 相手の守りが固いので期を待とう、と。相手は悪魔じゃぞ? 先手を取られてはレイノ王国と同じ目に合いはせんか?」
ヴァネサの挑発するような物言いにイワンは返す言葉も無く押し黙る。
その様子を一瞥してヴァネサは続ける。
「いいか? そなたのところはマクシミリアン候を失って戦力が大幅に下がっておる。何のために我らが集まっておるのじゃ。セルハン公の言う様に捜索隊でもなんでも組ませて様子を見てきて貰うが良かろう。こちらから全軍で叩き潰してやっても良いな。相手は悪魔じゃ、宣戦布告は要らぬ」
ヴァネサは隠した口元でくすくすと笑う。
「軽率な事は言わないで下さい。ヴァネサ女史。相手はマクシミリアン候を相手にできる悪魔達なのです。安易に攻めては痛手を受ける可能性があります」
とフェルディナントが窘める。
それを聞いたヴァネサは片眉を釣り上げた。
「フェルディナント。次に妾を"女史"と呼べばその首を落とす。ヴァネサ公と呼べ、阿呆が」
六公会議は突如として殺気に溢れる。
ヴァネサ公は公爵の位を継ぐ時に、女であることで反発を受けた。
今でこそネイバブールでヴァネサ公の事を性別を理由に侮るものはいないが、それ以来ヴァネサ公は女扱いされることを極端に嫌う。
そして、魔法使いでもあるヴァネサ公の言葉は脅しではなく、実際にこの場でフェルディナント公の首を落とすことは容易だ。
「まぁまぁ、抑えろや。今狙うのはフェル公の首じゃねぇだろ。悪魔軍の大将の首だ。――それより、どうすんだイワン公。悪魔軍は王都を落とした後、ずっとだんまりしたまんまなんだろ? 何が目的かは知らねぇが、動けないにしろ動きたくないにしろ、今が絶好の機会だと思うぜ?」
ヴァネサ公とフェルディナント公の会話を割って、再びセルハン公が発言した。
最年長ゆえ、議長を務めるイワン公へと視線が集まる。
「全員の一致ならば、全軍で先手を取るのも一つの策だ。だが、全軍での攻撃は期ではないだろう。相手の戦力もわからぬ上に、こちらはマクシミリアン候を欠いている。慎重に動かねばなるまい。他に意見のある者はいるか?」
イワン公は自分以外の六公、五名の顔を見渡した。
その中で、この会議が始まってから一言も発言していない男で視線が止まる。
エベヌム族の代表公爵、ボニファースだ。
エベヌム族は濃い褐色の肌と長い腕を持つ民族で、ボニファースもその特徴に漏れず、腕を伸ばすと膝まで届いてしまうために腕を組んで席に座っている。
彼らは神木と呼ぶ巨大な黒檀を祀っており、その肌の色が神木に近ければ近いほど位が高いとされている。
民族内で代表公爵に選ばれる程のボニファースは、それはそれは美しい黒壇の肌をしていた。
イワン公が自分を見て視線を止めた事に気がついたボニファースは、ゆっくりと口を開く。
「我からは案は特段無い。どんな形であれ悪魔軍に戦いを挑むならば、我らエベヌムが先陣を切らせてもらう。それだけだ」
ボニファースはそう言うと、卓の一点を見つめる様に動かなくなり、口を開く前からしていたであろう瞑想に戻る。
エベヌム族はあまり社交的ではなく、ネイバブールが一つにまとまる時にも、他の民族に引っ張られるようにして参加した民族である。
元々の民族紛争時代にも積極的に他の民族に攻めこむことはしなかったが、自らの領土が侵略され、一度戦が始まれば猛烈な勢いで攻め返した。
今回の件もエベヌム族にとっては同じことなのだろう。
悪魔軍との戦いが始まれば、先陣を切って戦に臨む。
そんな気概のある一言だった。
「へっへっへ。そう言うと思ってたぜ。いいじゃねぇか。俺らミールウスが敵情視察。開戦ならボニファースがエベヌムの指揮を取って突っ込む。全軍の配備はヴァネサに任せて、防衛はマテウスとイワンが適任だろ。後はフェル公をどうするかだな」
「私も全軍の配備に回りましょう。ヴァネサ公だけでは少々不安ですゆえ……」
「そなたの出番はありはせぬ。せいぜい、後ろで小さくなっとれ」
ヴァネサ公とフェルディナント公が視線をぶつけ合うが、他の六公はそれが平常だと言わんばかりに話を進める。
「各々の得意とする所で考えれば、そうなるな。異論がなければその方向で詰めていこうと思うが、どうだ? ――――うむ。では異論も無いようなので、煮詰めよう」
イワン公の取り仕切りで六公会議は進む。