◇百十五 王都カピタール包囲戦⑦
突き出した大剣の如く、盾の先がカルディナールを襲う。
カルディナールは小さく身を縮めて錐揉み回転。
遠心力を利用して盾を踏みつけ、シャルルの突進をいなす。
「まだだ! ――ウインドカッター!」
衝撃で体勢を崩すも、シャルルは隙無く攻撃を連続させる。
実体の剣とは違い、魔法の刃は太刀筋の予測が発動するまで予測することが出来ない。
さらに超接近状態で刃が抜かれれば躱すことも難しい。
格闘の合間に魔法を妨害するのは、輪をかけて至難の業だ。
「えぇい……!」
カルディナールは法衣の裾と翼の端を切りつけられて、顔筋を立てた。
「ちっ!」
対するシャルルは舌打ちで返す。
雨粒のせいで風の刃の太刀筋が見えたのだ。
視認できたとしても、超人的な身体能力がなければ回避できない攻撃をカルディナールは躱した。
まさに悪魔の如き身のこなしで。
「貴男が処理対象なのも頷けるわ! "あいつ"、よりにもよって面倒なのを取りこぼしたわね……――リジェクト」
愚痴りながらガストンの放った火球を砕くカルディナール。
消えゆく火の粉がシャルルにも降りかかった。
「いいぞ……! 反撃の隙を与えるな!」
ガストンとノエルの間断なき魔法の波状攻撃を妨害することで忙しく、カルディナールは接近したシャルルに攻撃する魔法を放つことが出来ない。
今が好機とばかりにシャルルは盾で殴りつけ、すかさず魔法で斬りつける。
「――リジェクト。本当に小賢しいわ。でも、久々に楽しめそう……」
眉間に引き絞られた苛立ちにニヤリと口角を上げ、不釣り合いな顔のカルディナールが笑った。
一対三の不利な戦況を、カルディナールは圧倒的な魔法妨害と身体能力で均衡させている。
悪魔の体力がどれほどの物かは不明だが、延年とこの状況が続けば人間の方が先に音を上げるだろう。
だが、カルディナールの魔法妨害手段も、詠唱を妨害する"ヴォイド"から発動した魔法を打ち消す"リジェクト"へと変化していっている。
少しずつだが、三人の手数がカルディナールの妨害能力を上回りつつあるのだ。
そして、決定的な転機が訪れた。
「レベッカ、戻りました! 二番隊が援護に回ります!!」
◆
王城の崩壊の様子を外から目撃したアロイスは、魔法による爆撃での建造物の破壊――つまり、敵は相当な炎熱魔法の使い手だと想定していたが、生存者を見てその想像は確信に変わった。
倒れているのは三番隊所属の王国騎士が大半だったが、避難誘導に従って王城内に逃げ込んでいた町民の姿もある。
誰も彼もが皮膚を爛れさせ、眼球を白く沸騰させて死んでいる。
――こりゃあ……、二度と焼き魚は食えねぇな……。
平時に眼にすれば全身の毛穴が粟立つほどの惨たらしい光景に、アロイスは反対に日常的な感想を覚えてしまった。
今は、アロイスの眼には他人の死体は目に入らない。
王城に残した娘の無事を祈って、外壁内を駆けまわる。
「避難場所にいねぇ……てぇと、危険を察知して逃げたのか?」
アロイスは間もなく、生存者を発見する。
生存者と言うにはあまりに凄惨な状態ではあったが、最後に会話をすることが出来た。
「まだ、息があんな!? 俺は一番隊のアロイスだ! 何があった!? 生存者は他にいるか!? 襲撃者はどこに行った!?」
一目で、今にも命が消えようとしているのが分かるほど、生存者の状態は悲惨だった。
アロイスが死体と見間違わなかったのは偶然でしかない。
なんとなく、人間の形をした焼けた肉が異音の混じった息を吐く。
「っぉぉ――。おぅ、くぅぉ……ほぉ……ぇ……」
王宮の方へ。
かろうじてそう聞こえる最期の言葉で、アロイスは王宮へと足を向ける。
「……悪ぃな。あんたが誰だかわかりゃ名を呼んでやることもできたんだが……」
再び走り出す前に、アロイスは目を閉じて短く祈った。
数秒前まで生存者だった者はすでに事切れて、言葉も息も失っていた。
騎士の一人だったことは溶けてへばりついた金属――鎧の名残でわかったが、ほとんどの王国騎士と面識のあるアロイスにも、誰だか分からない程に遺体は損傷していた。
「王宮にいるのは生存者か……襲撃者か……」
異臭を放つ城内を一度抜け、中庭を経て王宮の敷地内へと入る。
途中の中庭は爆心地だったようで、抉れた地面に雨水が溜まって底の見えない泥沼になっていた。
おそらく、泥のそこにも多くの被害者が沈んでいるのだろう。
王宮内は外壁や中庭ほどの激しい損傷は見当たらないが、死者の数と様子は変わりない。
一点変わった所があるとすれば、避難した町民らしき死体が無い、というところだ。
この先にいるとすれば、襲撃者の方だ。
アロイスは、そう見なして覚悟を決める。
「まさに悪魔の所業だぜ……」
アポリーヌは未だに見つかっていない。
もしかすると、誰だか分からない遺体の中で、既に再会していたのかもしれない。
どうしようもない不安がちらつき、同時に燃え立つような感情が込み上げる。
そんな時、覚束ない足取りで歩く人影がアロイスの目に映った。
「……! 他にも生存者が? いや……」
遠目でも人影が負傷しているのがわかる。
だが、その足取りは助けを求めて彷徨うというより、獲物を探す狩人のそれだった。
「襲撃した悪魔か……!」
腰を落として剣の柄を握り、素早く足音を殺して忍び寄るアロイス。
出会い頭で斬り捨てる。
何故、王都を襲うのか、なんて野暮なことは聞くまい。
悪魔は悪魔だ。
人間と敵対する全く別の文化を持つ生命。
彼らに人間を襲う理由などいくらでもあるのだろう。
それこそ、ほぼ無条件に人間が悪魔を忌避するのと同じように。
アロイスは、猛剣の名に恥じぬ電光石火の速度で接近と抜剣をこなす。
火花が散るほどの高速で引きぬかれた鋼の剣は、悪魔の首を正確に捕らえて斬撃を解き放つ。
「――うらぁ!!」
雄叫びを上げたのはアロイスの癖でもある。
が、この時ばかりは完全なる不意打ちに引け目があったのかも知れない。
対象を襲撃者だと断定したのはアロイスの主観でしか無く、それは余りにも不合理な予想だ。
その事にアロイスの潜在意識が反発し、裂帛の気合を口に出させた。
「――…………」
突如、アロイスの前に炎の壁が出現し、切っ先が弾かれる。
炎は実体の無い現象ではあるが、燃え上がる勢いがアロイスの剣を鈍らせた。
「魔法を……! 無詠唱か!?」
炎の壁を作り出した人影は、くるりとアロイスの方を振り返っておずおずと手を伸ばす。
殺気の感じられないすがるような動きだったが、アロイスは伸ばされた手に嫌な予感を感じて後ずさる。
「おおっと! 何をするつもりか知らねぇが、触られるのは不味そうだ!」
ヒュンヒュンろと軽快に剣で牽制をしながらの後転。
アロイスは着地でようやく相手の顔を見た。
「……悪魔、じゃねぇのか?」
唇と歯のない顔は負傷しているのだろうか。
固まった血が仮面の様に貼り付いて、ひび割れている。
顎の付近からは、ヒビ割れの隙間から血が滲み、ポタポタと王宮の床を濡らしていた。
金髪。
焦げ付いた部分も見て取れるが、肩で切りそろえた髪型には見覚えがある。
「……お、おおおおおまえ。まさか――」
アポリーヌだ。
娘の顔を見間違うはずもない。
アロイスは全身の関節がガクガクと震えるのを感じた。
あまりの出来事に感情が整理出来ずに、思考を蝕んで硬直する。
「……シュー……シュー……」
囁くような呼吸音がアポリーヌの口から漏れる。
「なんてこった……アポリーヌ、すぐに治療を……そうだ。王都には神聖魔法の研究施設がある! そこに行けば――」
「――…………」
震えるアロイスを差し置いて、アポリーヌの傍らにこぶし大の火球が浮かび上がった。
「アポリー……くっ! 俺がわかんねぇのか!?」
火球は躊躇なく放たれて、アロイスの肩を掠め、後方の壁を破壊した。
前転で回避行動を取ったアロイスは立ち上がると同時にアポリーヌと目が合う。
視線は交差したのだろうか。
アポリーヌの目は白く濁り、何も移してはいないようだ。
「目が……アポリーヌ! 聞こえるか! 俺だ! アロイスだ! 父さんの事、分かるか!?」
「――…………」
火球が破裂して飛び散った火の粉が、羽虫の大群と化してアロイスの背に迫る。
アロイスは剣を素早く回転させてそれを払いのけた。
「ダメか! 耳も聞こえてねぇ……! くっそ! なんでこんなことに!!」
アロイスを敵とみなしたアポリーヌは容赦なく炎熱魔法を連発するが、アロイスは人並み外れた剣技で悉くそれを捌く。
しかし、アポリーヌは何度魔法を弾かれても、次々と魔法を繰り出して攻撃を続ける。
それからのアロイスは防戦一方だ。
火球が創られれば射出する前に切り飛ばし、火炎放射は身を翻して躱し、火の粉をけしかけられれば剣圧で払う。
ひたすらに炎熱魔法を防ぎ続ける。
次第にアポリーヌは相手に攻撃の意志が無いことを理解したのか、手数を減らして動きを止めていく。
最後の火球を切り捨てた時、アポリーヌは完全に停止して、ふらつきもせずに立ち尽くした。
「……アポリーヌ!」
歩み寄る機会を得たアロイスは、剣を収めて娘に駆け寄る。
そして、しっかりと抱きとめた。
「分かってくれたのか!? こんな姿になっちまって……! 急いで治療をしねぇと! 今すぐ、魔法研究会の支部に……」
アロイスはアポリーヌを抱え上げようと、手を背中に回す。
「――…………」
アロイスの掌が、アポリーヌの鎧の背に触れたその途端、ジュウゥゥ! と肉の焼ける音がした。
「……! ぐおぉぉっ……!」
嗄れた声が喉から出ると同時に、アロイスはアポリーヌを突き飛ばし、その直後に王宮を爆発が襲った。