◇百十四 王都カピタール包囲戦⑥
延々と降る雨によって、足首まで浸かるほど王都は浸水していた。
王城の前に到着したシャルル他三名の一番隊は、足場の悪い王都を駆け回って顔には披露の色が見え始める。
はぁはぁと息を切らしていないのはアロイスだけだ。
「外壁が崩壊している……! 避難した町民は無事か!? 三番隊は!?」
王城の正面門は閉じていて無事だというのに、大半の外壁が瓦礫と化している。
その不自然な状態にシャルルは中の状態を想像し、蒼白となる。
そんなシャルルには目もくれず、アロイスは瓦礫を飛び渡って王城の敷地内へと入っていった。
「シャルル隊長! 門の前の三番隊がいません……!」
アロイスの独断行動を注意する間もなく、ガストンの報告に促されて見た正面門にシャルルは目を奪われた。
シャルル達一番隊が王城を出た時に、三番隊の隊員がいた場所に騎士の姿はなく、代わりに黒い傘を差した女性が佇んでいた。
「彼女は王城の避難区域から? 中の状況を知っているかもしれません」
シャルルが近づくと女性はすぐに気が付き、傘を深く差したまま先手で口を開いた。
「あら? こんにちは。貴男、今シャルルって呼ばれていたかしら?」
「は? あ、ええ……。王国騎士一番隊隊長のシャルルです。ここで何があったか、わかりますか?」
意表を突かれて声がけを先制されたシャルルは、心中とは裏腹に落ち着いて状況を尋ねた。
女性は傘を少し震わせる。
「……はぁ、"あいつ"はツメが甘いわぁ。この分だと他の処分対象も取りこぼしていそうねぇ……」
傘の端から白い溜め息が吐かれる。
シャルルは自分の質問に答えない女性を、少し不審に思った。
「あなたは……?」
「ごめんなさいね。自己紹介が遅れたわ。カルディナールよ。よろくね……」
傘が傾けられ、顕になった女性の顔は青く、深紅の眼球が不気味に光っていた。
「……! 悪魔!! ――ウインド……」
「――ヴォイド。ダメよ。あわてんぼうさんね」
咄嗟に生み出そうとした風の刃は、闇に呑まれて消える。
シャルルが驚いている間に、カルディナールは傘だけを残して彼の視界から消え去った。
「貴男が一番強い魔法使い? 期待はずれね。やっぱり、さっきの娘の方が面白いわ」
シャルルの背から声がする。
風の刃を呑み込んだ闇の残滓に紛れて、後ろに回ったカルディナールは、シャルルの首筋をそっと撫でる。
ひんやりとした感触に肌を粟立たせながらも、シャルルは生唾を呑み込んだ。
旋風魔法の発動速度には自信があった。
魔法使いが相手ならば、どんな魔法でも妨害してみせたし、いくらでも先制攻撃を取れるよう特に力を注いで鍛錬した。
魔法隊一番隊の隊長となるには王都に住む魔法使いの頂点にいなければならない。
それを実現するのに、どれだけの時間と努力が必要だったか。
悪魔とは、こうも次元が違うのか。
「信じられないって顔ね。街を襲ってる有象無象を相手にして、有頂天にでもなっていたのかしら?」
「おまえが……司令塔か……」
シャルルは喉から声を絞り出す。
急速に乾いていく喉が、声をかすれさせた。
「えぇ、そう。今、街を襲っている子達は魔法の使えない悪魔の落ちこぼれよ。この分だと彼らだけでも終わりそうね」
道理で魔法を使わなかったはずだ、とシャルルは納得した。
ならば空で待機を続け、地上に降りてこない者たちこそが、このカルディナールの本隊と言うわけだ。
しかし、第一陣と共に司令塔であるカルディナールが地上に降りてきたのは何のためだろう。
「何が目的だ……」
「何って? 貴方たち人間と同じよ。この都市を貰うわ。貴方たちだって、戦争をして他人の領地を奪うでしょう? 悪魔は、悪魔同士では争わないの。襲うのは人間だけ……」
意図しない解釈に戸惑ったが、会話は続いている。
シャルルは先ほどから、ガストン達が異変に気がつく事を期待して時間を稼いでいた。
ガストン達の位置からは少し離れていて、何を会話しているのかは聞こえないだろう。
しかし、話が長引くはずもないと彼らも分かっているであろうし、何より傘を差していないカルディナールは、悪魔だと気が付かれるはずだ。
カルディナールは、ガストン達に背を向けている為、深紅の眼と青い顔は見えないであろうが、顔の他にも露出した肌はある。
少しでも不審に見えれば、気がつくはずだ。
「もしかして、あっちのお仲間の増援を期待してる? 冴えないわねぇ。時間を稼げば助かるかも知れないとでも思っているのかしら。……貴男たちはもう囲まれているのよ? この都市ごと包囲しているんだから、助かるなんて考えないほうがいいわ」
シャルルの思考を読むような言葉。
王城が襲撃を受けている今、避難した町民の脱出は最優先事項だ。
王都において最も頑強な王城から逃げるとなれば、王都の外になる。
完全な包囲では逃げ場を奪われたも同然だ。
魔法隊はどうあっても悪魔軍を退けなければならない。
「……なら、何故すぐに殺さない。後ろを取っている今、おまえは私を殺せるはずだ」
魔法の発動は、即効魔法でさえ高速で妨害される。
物理的にも背後を取られていては、即座に首を掻き切られてしまうだろう。
「結果が出るまでの暇つぶし……お話相手よ。色男さん。おやすみまで付き合ってあげるわ」
「結果? おまえら悪魔の望む戦争の結果とは、一体何だ! 王都に住む人間の根絶やしか!」
「大声出すのは、いただけないわね」
カルディナールの指に力が入る。
シャルルの喉に爪が食い込み、血が玉になって流れる。
「――ウインド……」
「――ヴォイド」
「――ツイストダッシュ!」
ザザザ!
水しぶきが舞い上がり、シャルルの身体は半回転しながらカルディナールから離れた。
風の刃は即座に霧散し無効化されたが、それを囮に加速魔法を押し通す。
シャルルは仲間の下へと身を翻しつつ、背中のカイトシールドを構えた。
「ウフフ。思ってたより、大胆なことするのねぇ……」
爪についた血を舐めとって、カルディナールは微笑んだ。
「隊長!?」
「あの女が悪魔軍の司令塔だ! ここで仕留める! ノエルは氷雪で足を止めろ! レベッカ、おまえは離脱して応援の要請! ガストンは弾幕を頼む! 奴は魔法の妨害に特化している。常に魔法を放ち続けろ!」
「――! 承知しました」
「は、はい!」
「了解」
優秀なシャルルの部下は、即座に出された指示に対応する速度も早い。
それぞれが速やかに指示を行動に移し、ノエルとガストンは詠唱を開始する。
レベッカは旋風魔法"ツイストダッシュ"で起こした風に乗って駆け出した。
「――ファイアボール!」
ガストンの力強い詠唱が、開戦の合図になる。
最初の魔法はなるべく派手で閃光を伴うものがいい。
特に今日のような薄暗い雨の日には、相手の目を潰す有効な先制手段になる。
ガストンがとびきり魔力を注入して作り出した火球は、威力、速度よりも発熱と発光を優先した照明弾だ。
「――コールドスプレッド」
静かなノエルの詠唱が冷気の奔流を創り出す。
氷雪魔法に浸水した地面は都合がよく、敵の機動力を削ぐ最適の方法だ。
冷気が吹き付ける側から水面は凍てついて、その氷面は、獲物を狙って地を這う蛇の如くうねって進む。
「身体を動かして暇をつぶすのも、嫌いじゃないわ」
カルディナールの黒い法衣の背中が裂け、コウモリのような翼が開かれる。
そのままバサリと空気を一掻きし、水面の氷結を回避。
次に、火球に向かって手を伸ばす。
「眩しいのは苦手なの。――リジェクト」
火球は何かに揺さぶられ、膨らんだ風船が破裂するように内から弾けた。
「障壁でもないのに発動した魔法を阻害しただと!?」
ガストンは唖然と火の粉になったファイアボールを見た。
「ガストン! 効果は期待するな! 続けて放てぇ!」
シャルルが叫ぶ。
滅多に怒鳴る事のないシャルルが声を枯らしているのは、それだけ悪魔の司令塔が強敵だと言うことだ。
ガストンは気を引き締め直して次の詠唱にかかる。
「――イグニート……」
「――ヴォイド」
「――ブレイズ……」
「――ヴォイド」
「今だ! ノエル!」
ガストンの魔法が悉く消滅せしめられるが、全ては連携の一部だ。
シャルルの合図でノエルがたっぷりと時間を掛けて練った魔法の詠唱を終える。
「――スノーバイパー。これなら空中でも避けられまい……」
「追尾攻撃ね。やだわぁ。しつこい男は嫌われるわよ」
うんざりとした表情で、カルディナールは自分に向かって襲いかかる白銀の蛇に掌を向けた。
「――ファイアボール! 手数が多ければ消せなくなるだろう!」
ガストンの炎熱魔法が、妨害されること無く発動した。
火球はスノーバイパーと挟撃の形を取ってカルディナールに迫る。
「とりあえずは蛇さんを――リジェクト。火球は……」
雲散霧消。
白銀の蛇は掻き消えて、その破片の舞う中、カルディナールは翼を畳んで急落し、紙一重の回避行動をやってのけた。
「消さずに躱した! 行ける!」
飛び交う魔法の間を縫って接近したシャルルが、尖った盾の先を構えて突っ込んだ。