◇百五 急雷 対 霆狼
散った蜘蛛の子には何の感慨もない。
わざわざ追って潰すなど、足労する理由もない。
「儂に喧嘩を売った責任は……敵軍の大将にとって貰おうか」
マクシミリアンはアンジェロ軍の魔法隊が左右に割れて行く中を、ゆうゆうと歩いて縦断した。
魔法隊の包囲を抜ければ、アンジェロ軍の本隊が見える。
馬に乗り、背中を小さく丸めて怯えたような、はたまた姑息そうな目でマクシミリアンを伺う身なりのいい男。
奇襲故に軍旗こそ立っていないが、馬の鞍にはレイノ王国アンジェロ伯領と刺繍が見える。
マクシミリアンはこの時に、初めて自分を襲撃した軍の長がアンジェロという伯爵だと知った。
「伯爵……? 伯爵風情が……? 儂と戦を構える? ネイバブールも馬鹿にされたものだな」
ごつい毛皮のマントを翻し、マクシミリアンは如何にも戦場に映える厳つい老将の顔でアンジェロを睨みつけた。
「近いっ! 近いぞ! 敵が近い! ジョゼ、ジョゼジョゼ! まだ策はあるんだろう!?」
アンジェロはマクシミリアンの睨みに負けて目を背け、ジョゼに泣き言を言ってすがる。
だが、ジョゼの返事は芳しくないものだった。
「すみませぬ。後は総力戦ですじゃ」
マクシミリアンが予定外の時期に現れたとはいえ、実のところジョゼには他にも策はあった。
例とするならば、設置型の電雷魔法がマクシミリアンの向かう予定だったネイバブールの街道に仕掛けてある。
他にはマクシミリアンが現れたという報せの直後に、王都に使いを出して、過激派と同盟派の双方に別の内容で助力を要請してもいる。
前者はマクシミリアンとの交戦が、早めに始まってしまったために場所を誤り。
後者はすぐに効果が出るものではないというところだ。
それに、確実に助力を頼りに出来るという確信もない。
「に、逃げるか? 逃げるか、ジョゼ?」
「マクシミリアンは敵将を討ち漏らしたことはありませぬ。なかなかに難しい課題でありましょう」
「逃げられんのか……」
はぁ、とアンジェロは深い溜息をつく。
「ならよい、降参を…………駄目そうだな」
アンジェロはちらりとマクシミリアンの表情を遠目に読み取ったのだろう。
つかつかと歩み寄ってくるネイバブールの将軍は、まさに鬼気迫る形相で怒りを露わにしている。
「そうですな。繰り返すことになりますが、マクシミリアンは敵将を討ち漏らしたりはしませぬ。それは無事に投降出来たものもいないと言う意味ですじゃ」
「とんでもないことを言うな」
また、一際大きな溜め息がアンジェロから漏れた。
「しかし、アンジェロ様。わしも一時は名を馳せた魔法使い。マクシミリアンなどまだ齢50半ばのひよっこですじゃ。アンジェロ様の退路くらいは切り開いて見せましょう」
「……ジョゼ?」
ジョゼが懐から一冊の本を取り出して渡すので、アンジェロは目を丸くした。
これはジョゼが長年解読しようと試みてきた本だ。
「流石に少々荒くなりますので、預かっていてくだされ」
パシン! と馬に鞭を打ってジョゼはマクシミリアンへと突撃する。
同時にアンジェロはジョゼとは反対方向へと他の騎士に誘導された。
「ジョゼ様がマクシミリアンを抑えている間に……!」
無骨な顔の王国騎士はアンジェロ伯領からジョゼとともに付いてきた側近だ。
事前にジョゼから逃走経路を聞き及んでいるらしい。
「雨に濡れるといけません。本はしまっておいて下さい。ジョゼ様が戻られた時、ずぶ濡れでは嘆きます」
側近の言葉を聞いて、受け取った本を懐にしまうと、アンジェロは何度も振り返りながら本陣を後にした。
◆
「待たせて悪かったのう。若造」
「若造扱いをされるのは、久方ぶり過ぎてまるで初めての心地だ」
天候による稲光がマクシミリアンの顔を照らす。
対峙するジョゼはしっかりと距離を置き、マクシミリアンの横に控える霆狼の一跳躍では辿りつけない位置を取る。
「"急雷のジョゼ"とお見受けする。年寄り風ではなく臆病風に吹かれたようではないか? いくぶん離れすぎているぞ」
「若造はおしゃべりが好きじゃな。ほれ、さっさと始めるぞ。"霆狼のマクシミリアン"」
先制攻撃はマクシミリアンだった。
小手調べ、といった調子で展開していた霆狼を二匹解き放つ。
「魔法使いの基礎の基礎。電雷魔法には電雷魔法じゃ――スパークリングネット」
投網の要領で繰り出された電網が二匹の霆狼をまとめて捕らえる。
網に絡まった霆狼は地面に接した部分へとその魔力を逃されて消滅する。
「流石は"急雷のジョゼ"だ。スパークリングネットの範囲も規模も一般のそれとは違う」
「いちいちうんちくを垂れるのか? 時間を使ってくれるのは好都合なんじゃが、わしも歳でのう。この雨の中で長話は勘弁願いたいところよ」
「新旧の四大魔法使いが刃を交えるのだ。儂にも感慨というものがある。だが、案ずるな。決着はすぐにつく」
四大魔法使いとはレイノ王国ではあまり使われない呼称だが、炎熱、氷雪、旋風、電雷の四大属性に置いて当代最強の魔法使いがそう呼ばれる。
炎熱魔法は"石火のモルガン"が亡くなって空席。
氷雪魔法は"蛇のトビアス"。
旋風魔法は"禍風のヴラスタ"。
そして電雷魔法は"霆狼のマクシミリアン"だ。
マクシミリアンが四大魔法使いに名を連ねるようになる前は、"急雷のジョゼ"が電雷魔法の四大魔法使いとして数えられていた。
「そんな呼び名にこだわっておるのか。やはり、おぬしはまだまだ若い。四大魔法使いと呼ばれれば、わしを超えたと思い上がる所がなおさら、のう?」
マクシミリアンはジョゼの言葉には耳を傾けず、ずらりと並ぶ霆狼に何やら指示を出す仕草をする。
「電雷魔法による受け流しは、より強い電雷魔法で穿てば役目を果たせぬ。さて次は群れの全てで掛からせて貰うぞ」
腰から短剣を抜き、指揮官の身振りで切っ先をジョゼに向けるマクシミリアン。
その動きに呼応して一斉に霆狼が前足で地面を蹴った。