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レジャンダール  作者: 鴉野来入
10/128

◆十 まほろばの夢

 ただぼんやりと流れる雲を眺めていた。

 耳に入るのは荷馬車の車輪が小石を踏んでカタカタと立てる音だけで、野を通り抜ける風は若々しい匂いを運び、頬をなでつける。

 その全てが心地よく、決して寝心地の良いわけではないゴツゴツとした荷台の上も、羽毛のベッドに寝そべっているような眠気を誘う。


「寝るなよー。丘を越えたら交代だぜー?」


 荷馬車の前を行くソキウスは、器用にも後ろ向きに歩いて荷台に寝そべるラータをからかう。


 港町ハーフェンからオリジャの村への帰路は、まず小高い丘を超える必要がある。

 丘を越えて森に入るまでは、ほぼ危険は無く視界も良好だ。

 ラータとソキウスは護衛という体のため、二人同時にサボるわけにはいかず、ひとりずつ荷台で休むことにしている。

 上り坂の間はラータ、下りに入ったらソキウスが荷台に乗ると言った取り決めだ。


 御者の商人は二人のやり取りをにこやかに眺め、馬の手綱を引いている。

 ラータとソキウスが護衛についているときは、大型の獣と遭遇しても安全であるという安心からか、それとも気の抜けた態度をとっていても周囲の様子を正確に察知して、いざと言う時には的確な行動を起こすであろう二人に対する信頼か、おそらくはその両方から商人はゆったりと腰を据えて、手綱を持たない片方の手でハーフェンで得た金貨や銀貨の入った袋を大事そうに撫でていた。


「眠りやしないさ。おまえこそ、ちゃんと周りを見ていろよ」


「わかってるよー。この辺じゃ出てもキツネ位なもんさー。しっしってやったら終わりだーね」


 ふんと鼻でため息を漏らしたが、確かにこの丘は身を隠すところも少ない。

 道に迷った仔ギツネが出た事はあるが、狼や、ましてや熊などは狩りに向かない地形だとわかっているのだろう、遭遇したことは一度としてなかった。


「小型の魔物は身を隠せるからな。念のためでも抜かりはないようにな。そうしてくれないと、おっさんだってゆっくり休めないだろ?」


 "魔物"と口にして、もやもやしたものが胸に広がったが、ラータはそれが何かわからずに飲み込んだ。


「いやいや。二人に付いてきてもらってるんだ。わたしにとっちゃあこれ以上安全なことはないよ。警戒するのは森に入ってからで十分さ」


 御者台で商人が口ひげを揺らして笑う。

 彼はオリジャの村の特産品を売りつけに行く役目を負った村の代表商人で、名をマルシャンという。

 今は帰路のため荷台には、港町ハーフェンで手に入れた少しの香辛料と寝っ転がった護衛のラータしか載せていないが、往路では村の周辺で採れる木の実や薬草、獣の皮や肉を塩漬けにしたものをいっぱいに載せている姿は熟練の行商人のそれだった。

 街商人よりも行商人に見えるのは、彼がしっかりとした体つきをしていて、筋骨隆々とまでは行かないまでも筋肉があり、農作業で培われたゴツゴツとした手を持っていることからだろう。


 彼はオリジャの村内では、羊飼いをしていて、数週間に一度、村の代表としてこうして商品の売付けに出向くのだ。

 その間、自分の羊達は自警団のドルクが守り、世話をしている。

 それだけではなく、マルシャンは羊達の世話の合間に菜園も持っていてそこで農具を振るうため、初老に差し掛かろうとする年齢にもかかわらず、腕も太くなり足腰もがっしりとしている。

 行商人がそこまで肉体を鍛えることは少ないが、街商人は一日の移動距離も短く、どちらかと言えば帳簿や契約書とにらめっこをして過ごすことが多いため、でっぷりと太ったものが多い。

 それ故に初めて合う旅人などは、マルシャンのことを行商人と思うものが多いのだ。


「頂上だな。ソキウス、交代だ」


「おーし、下についたら起こしてくれよー」


「なんだ、おまえは寝るのかよ。せめて周りを見渡せるようにはしておけよな」


 荷台の後ろから降りると、ラータの視界には港町ハーフェンの街壁と広がる水平線が映る。

 今は昼を少し過ぎたくらいで、日は高く暖かい日差しが降り注いで海面が銀色にきらめいているのが見えた。

 いつも、護衛の帰りにはこの景色がラータ達を見送ってくれている。


「夕暮れも綺麗だが、この景色も悪くない」


 そうつぶやいたラータに、荷台に登ろうとしているソキウスが首を傾げた。


「いつも夕方には村に着いてるだろー? いつそんなの見たんだ?」


「うん? おまえはいなかったんだったか? いつだったか忘れたが、確かに見たぞ。水平線が朱く染まってな……」


「こっそり抜けだして来てるんじゃないだろうなー? 薬屋の娘に逢いに行ってるんだったら抜け駆けはさせないぜー」


「そんなことするか。……というか、おまえはあの娘に惚れてんのか?」


 薬草の売りつけ先の薬屋の婆さんにはラータやソキウスと同じくらいの歳の孫娘がいて、店の手伝いをしている。

 特別な美人というわけでもないが、村の娘とは違って清楚な雰囲気と、薬を扱うために清潔に保っている格好が魅力的な女性だった。

 婆さんではなく娘が薬草の納品に立ち会うこともあり、その日にあたったらソキウスは、村に帰った後に他の自警団に自慢していた。


「惚れてる惚れてる。可愛い娘にはみんな惚れるぜー」


「そうかい」


 ソキウスが荷台に乗ると、交代の間は止まってくれていた荷馬車が再び動き出す。

 下り坂はそれほど長くないが、ソキウスは陽気に当てられたのか、寝っ転がると直ぐにすやすやと寝息を立て始めた。


 ラータは、ソキウスの自由奔放さにうんざりしたが、本気で嫌になったことはない。

 こんな奴でもラータの唯一無二の相棒なのだ。

 二人で狩りに行けば息もぴったりで、大物を仕留めるのもお手のものだ。

 個々ではなかなか敵わない村一番の狩りの腕を持つドルクだって、二人で狩った熊を見た時には降参の意を示した。


 いつだったか、村の周辺に小型の魔物が巣を作った時も、二人で大きな手柄を立てたことがある。

 命を預けられるほどの信頼と友情がそこには確かにあることを、ラータもソキウスも互いに感じている。


「こいつが寝てる間は、俺が二人分警戒するよ」


 マルシャンは小さく笑って頷いた。




 森への入り口につくと、ラータはソキウスを叩き起こす。

 額を引っ叩いて起こしたことに抗議の声があったが、何度声をかけても起きなかったからだと言い訳をした。

 実際は一度目から引っ叩いたのだが。


 森の中を通ると行っても、生い茂る木々の中を分け入って侵入していくのではなく、踏み固められて土が露出した道が続いている。

 街道とも呼べない狭い道だが、村ではこの道をハーフェンへの街道と呼んでいた。

 道の両側の茂みから、小さな動物が飛び出すのはよくあることなので、それを追って狼などの荷を襲う獣が現れることもある。

 帰り道では多くの食料を積んでいるわけではないので、被害にあってもたかが知れているが、驚いた馬が逃げてしまうことも考えられるため、警戒はしっかりとしておくべきだ。


 緑の茂る木々を見つめながら、ラータは一呼吸ついた。


「来る時と変わった様子は無いな。この感じじゃ、また貰った剣の出番も無さそうだ」


 腰にぶら下げた剣の柄を撫でつけようとした手が空を切る。


「貰った剣? 街で調達したのかー?」


 不思議そうに弓を担いだソキウスが尋ねた。


「ん? 確かに神殿で……いや、なんでもない」


「なんだよー、ラータもさっき寝てたんじゃねーのかー?」


 ソキウスに苦笑いで返事をしていると、ぐらりと立ちくらみがラータを襲った。


 甘ったるい蜂蜜のような花の香が鼻孔をくすぐり、ふと茂みを見ると、見たこともない大輪の花が咲いている。

 それは美しく大きくて真っ赤な花弁を持ち、見つめるとぼんやりと視界が白むような不思議な感覚にとらわれた。


「あんな花、この辺にあったか……?」


「花なんてよく見てないなー。この季節だけなんじゃないのか?」


「来た時は見なかったと思うが……。まぁ、俺も普段から花を見ても無視するからな。気が付かなかったんだろう」


 この先、森の中では、獣が出てから武器を構えたのでは遅いため、マルシャンに断りを入れて愛用の短剣を抜いておく。


「それより、森を越えたらようやく帰れるぜー。帰ったらまず飯だ、飯ー!」


 護衛に出た日の帰りは商品を持たせた村人達から、少し豪華な料理が振る舞われる。

 村の広場で商品がうまく売れたことへの祝宴のようなものだ。

 特に今回はそろそろ消費してしまわなければならない塩漬けの肉が、結構あったはずだし、朝の狩りでもドルクが大物を仕留めたと言っていたから、大いに期待できる。


 ソキウスはそれを想像してか、今にもよだれを垂らしそうな、だらしない顔をしている。

 その様子を見て、ラータは呆れて笑った。


「今回はいつもより肉が多く出そうですからな。わたしも楽しみですよ」


 マルシャンの言葉に腹を鳴らして返事をしたソキウスは、この帰り道に獲物を捕まえたら一緒に料理してもらおうと息巻いている。

 しかし、そんな話題をしても、ラータは不思議と少しも食欲が湧いてこなかった。







 不可侵領域を設定した店先に戻ると、マンテネールは目を丸くして立ち止まった。


 動かないようにと、念を押して言いつけたラータの姿がない。

 不可侵領域は一方通行の空間で、外から来るものは全て拒み、内から出るものは自由に出ることが出来る。

 ざぁざぁと雨が降っている中で、不可侵領域内の地面が全く濡れていないのもそれ故だ。


「どこかに向かったんですね。……でも一体どこに?」


 水たまりが流れを作るほどに激しく降る雨に、足跡などは残るはずもなく、ラータの向かった先の痕跡は見当たらない。


「もう今日は《管理権限》も使えませんし……、手当たり次第探すしかありませんね……」


 マンテネールは雨が降ってきたことで、ラータが建物の中に入った可能性もあると考えて、周囲の店から探索をすることにした。

 不可侵領域を解除して、近くの店に入り声をかけて回る。


「ラータ! いますか!?」


 返事は無く、無人の建物はよく声を反響させた。


「まずいですね。今のラータを一人にしたのが間違いでした。早く! 早くみつけないと!」


 生まれて初めて感じる"焦り"という感情は、マンテネールの冷静さを失くすには十分だった。

 周囲の建物にはいないことが分かった後に、裏通りや別の路地にいることも考えてくまなく探しまわったが、フライタクトで上空から探せば良いと気がついたのは、もう既に四、五本の道を探した後だった。


「外にはいないようですが……。まさか……海に……」


 海に落ちるなら、大通りを真っ直ぐ抜けて船着場を通るはずだ。

 すれ違っていれば流石に気がつくだろうから、その可能性はないと考えていい。


「……街の外に行ったということも考えられますね……」


 降り注ぐ水滴を弾く勢いで滑空し、木の枝で羽を休める鳥のように街壁の上に止まった。


「オリジャの村に戻る道……には、いないようですね」


 街道の続く丘を眺めて呟く。

 ラータと離れた時間はそれほど長くない。

 別れてから直ぐに外に向かったとしても丘を越えて行く事は不可能だ。


「この時間で行けるところをシラミ潰しで見るしか無さそうですね……」


 ぴょんと街壁から飛び降りると、マンテネールは魔法を一つ発動させた。


「――ソニックムーブ」









 オリジャの村の広場に着くと、荷馬車を倉庫にしまうために家に向かうマルシャンと別れた。

 ソキウスは森の中でウサギを仕留めたので、それを晩餐に加えてもらおうと給仕をしている村の女性達の輪の中に入っていった。


 もうすぐ村の商品が売れたことに対するささやかな祝宴が行われる。

 ラータは広場に出された丸太の椅子に腰掛けて、おとなしく料理ができあがるのを待つことにした。

 焚き火にはドルクが獲ってきた熊の肉が串に刺されて焼かれていて、いかにも旨そうな匂いが漂っている。


「さ、もう出来るわよ。マルシャンさんが戻ったら始めましょ」


 エプロンをつけた娘が、チーズを加えて木の実炒った料理をいっぱいに盛り付けた木皿を抱えてやってきた。


「ラータもお疲れ様」


 そう言って、木皿を台に置き、ラータの隣に腰掛ける。

 清楚に結った長い金髪がサラリと揺れ、ラータの鼻孔を甘い香りがくすぐる。

 この匂いは頭につけた大輪の花飾りのものだろうか。


「特に道中変わったことは無かった?」


 覗きこむように首を傾げる仕草で尋ねる娘に、ぼんやりと夢見心地の気分になる。


「あ、ああ。いつも通り……何も……」


「そう、よかった」


 次々と料理の盛られた木皿を持った村の女性達が広場に現れて、焚き火を取り囲む。焚き火を挟んで反対側に座ったドルクが自慢気に言った。


「この熊の肉は俺が仕留めたやつだぜ! ありがたく頂くんだな。そりゃあでかい熊だったから、いくらでもおかわりしていいぜ」


 じゅうじゅうと肉汁を落としながら焼ける熊の肉は、そろそろ食べごろの塩梅だ。


「お前ら二人じゃ、心配するだけ無駄ってもんだが、無事に戻って何よりだ。ラータがいない間はいつもセレッサが上の空でいけねぇからな!」


 ガハハと豪快に笑って、ドルクは杯を取る。


「もう! 言わないでって言ったのに!」


 ラータの隣りに座る金髪の娘が、赤くなった頬を膨らませて抗議する。彼女が身体を揺らすたびに立つ甘い香りが、懐かしさの中にある一点の曇りを消していく。


「心配するな。ソキウスとならどんな所からだって、無事に戻れるさ」


「まったく! ラータはわたしよりソキウスの方にご執心ね!」


 ぷいっと視線を外して拗ね続けるセレッサに、おかしさが込み上げて口元が緩む。


「ハハハ、あいつは唯一無二の相棒だからな。ところでソキウスはまだウサギの解体か?」


「あいつなら、さっさと解体を終えて、女の尻を追いかけてったぜ」


 答えたのはドルクだ。

 ソキウスに対してため息を一つこぼす。


 すると、荷馬車を戻して来たマルシャンがエルマノに案内されて、調度広場に現れたところだった。


「みなさん、お待たせしてすみません。わたしたちが最後ですかな?」


「おう、始めようぜー」


 いつの間にか両手に花の状態になったソキウスが、欲張りにも杯を二つ持っている。

 顔は赤みがかかっており、どうやら既に少し飲んでしまっているようだ。


「それじゃあ、乾杯はドルクがやってくれるかい?」


 エルマノに薦められて、立ち上がったドルクは皆に杯が行き渡っているのを確認すると、張りのある大きな声で乾杯の音頭をとった。









 マンテネールは高速移動の魔法で、港町ハーフェンを縦横無尽に駆け回った。

 上空から見えづらい小さな路地も、建物の中もくまなく探したが、ラータの姿は何処にも見当たらなかった。

 街の外に出たというならば、探す範囲は広大になる。

 マンテネールは逡巡してハーフェンの入り口に降りた。


 そこには全身ずぶ濡れになったアンブローシアが立っている。


「どういうことかしら? マンテネール」


「すみません。ラータがいなくなりました」


 アンブローシアは苛ついた様子でマントの裾を絞る。

 ぼたぼたと水滴が落ち水たまりに消えていく。


「そちらは何かありましたか?」


「"静月のガラノス"だったかしら。十八熾将を名乗るやつを殺しておいたわよ」


「十八熾将!? 殺してしまったんですか!? それも……お一人で!?」


 ジロリと横目で睨みつけられ、マンテネールは一歩たじろぐ。


「ええ。ちょっと苛ついていたのよね。態度も悪かったし、構わないわよね?」


「…………ミスラ様たちがヴァインロートを生け捕りにできていたら……問題はありませんね」


「それより、あなたの失態のほうが問題じゃなくて? もう街の中にはいないみたいなのでしょ?」


「はい。おそらく外に出たのかと……」


 ひときわ大きなため息をついて、アンブローシアは目を閉じた。


「あんまり、使いたくはないんだけど……《知覚権限》を起動するわ。近くにいたら、封印をしたままでも大丈夫でしょう」


 《知覚権限》を開放したアンブローシアは目を閉じたまま、周囲の生物を探索し始める。

 すぐに見つかったようで、結果は素早くもたらされた。


「あら、近いわね。街から北の海岸沿い……岩場? 洞窟かしら?」


「ラータは無事なんですね?」


「無事……なのかしら、何かが側にいるわね……戦っている様子じゃないけれど……彼の意識がぼんやりとしていて"声"までは聞こえないわ」


「行きましょう」


「当然よ。あなたこそ、置いていかれないように気をつけなさい。――ソニックムーブ。――フライタクト」


 連続で魔法を発動させたアンブローシアは、一気に空へと上昇すると、北へ向かって飛んで行く。

 マンテネールも見失わないように全速力でその後を追った。









 宴もたけなわといった様子で、広場に用意された料理は食べ残しばかり、焚き火で温まった土の上に眠りこける者も出始めた頃、ラータは広場から出て、町外れの岬に向かった。

 日はとうに暮れて、透き通るような夜風が気持ちいい。空腹感がなく、食事にはほとんど手がつけられなかったが、それでも村の仲間達との宴は、ただただ楽しかった。


「一人でどこに行くのかと思ったわ」


 後ろから声をかけられて、ラータは振り向く。

 そこには星明かりで照らされた、長い金髪の――セレッサの姿があった。


「ああ、なに、ちょっと涼みにね」


「そんなに飲んでないでしょう? 料理もほとんど手を付けてないみたいだったし……。ドルクが、俺の獲ってきた肉が食えねーのかーって怒ってたわよ?」


 なんとなく居心地が悪いような気がして、ラータは頬をかきながら苦笑いで返した。


「帰ってきてから、様子が変よ? ハーフェンでなにかあったの?」


「いや、なにもないさ……いつも通り、毛皮と薬草を納品しただけだ……なにも、変わったことは…………」


 ずしりと頭のなかが重たくなったような感覚がする。

 本当に何もなかったのだろうか。


「そう、ならいいけど」


 セレッサが近づいて、ラータの隣に立つ。

 風に揺れる赤い花飾りが夜の闇の中でも妙に印象的だ。

 重くのしかかるような頭痛は、セレッサの顔を見ていると和らいでいく。


「……ねぇ、ラータ。村の外ってラータにとってどう?」


「どうって……なんだよ。漠然としてるな」


「……ん~と、この村よりいいところかな? って」


 髪の花飾りに手をやり、伏し目がちになりながらセレッサが尋ねる。


「まぁ、悪いところではないな。俺だってそんなに遠くに行ったことはないが、少なくともハーフェンは活気があっていい街だ」


「……そう」


「なんだよ、聞いたくせに反応が悪いな」


 訝しげにセレッサの横顔を見ると、視線に気づいた彼女はラータの方に向き直る。


「……ラータもいつかは村の外に出ちゃうのかなって思って…………」


 村の男の一部は、港町ハーフェンに出て働くようになるものも少なくはない。

 さらに一握りのものは首都ウルブスまで言って商業を学んだり、職人になったりするものもいる。

 少し前にはラータと同じ年になる頃に、ウルブスの警備隊になったものもいたのだ。


 それに比べて村の女は殆どの者が生涯を村の中で終える。

 ちょうどのよい年代の男とくっつき、子をなして育て、男の帰りを待つ。そうやって村は続いてきた。


「俺は……どうかな。いまのところ、この村よりいい場所は無いからな」


「いいところが見つかれば、いなくなっちゃうの?」


 どきりと心臓がはねた。

 引き止めるようなセレッサの眼差しが突き刺さる。


「なら、わたしはもうラータに街に行ってほしくないな……。いつか、気に入った場所を見つけて……いなくなっちゃいそうだから」


 セレッサはラータの手をとりぎゅっと掴む。


「ねぇ、ずっとこの村で暮らそう? わたしはラータと一緒なら……村から出れなくたって幸せよ」


 手を掴んだままラータの胸元に顔を寄せる。

 けして背の高くないセレッサは、ラータの胸に顔をうずめると表情が隠れて見えなくなった。


 ラータの目の前には赤い大輪の花飾りが咲き、今もなお妖艶な香りを漂わせる。


「……ああ、そうだな。無理に探すことはない。この村は俺の故郷で……最高の場所だ」


 浅い夢を見ているような浮遊感の中、顔を上げ、目をつむったセレッサの唇が近づく。

 その唇に釘付けになったラータは、触れると柔らかいであろうその感触を確かめようとする抗いがたい衝動に任せて、目を閉じた。


「――ちょっと!! なによ! その女!!」


 雷のような激しい怒気を孕んだ声にビクリとして、ラータはセレッサの肩を持って身を離す。

 声のした方を見ると、そこにはびしょ濡れの黒い三角帽を被った紺碧の髪を揺らす美女が立っていた。


「アンブローシア!?」


「アニーでしょ!!」


 即座に訂正されて、言い直す。


「アニー……。なんで、ここに!?」


「あたしを誰だと思ってるのよ! 《知覚権限》で居場所なんかすぐわかるわ! それよりその娘は誰!」


 ラータは自分の目の前にいる、金髪の娘を見て名を告げようとする。


「あ、ああ。この娘は……村の…………」


 続いて言葉が出なかった。


 ラータの故郷であるオリジャの村には、金髪の女性はいない。

 それに、村はオーガーの襲撃で誰もいなくなっているではないか。


「誰……だ?」


 その呟きを聞いて、セレッサは片眉を釣り上げて、一際大きな息を吐いた。


「はぁ……。もうちょっとだったのに、無粋な女ね」


「な、なんですって!」


 ラータはぎょっとした。

 手をおいていたセレッサの肩が、新芽のような薄緑色に変わっている。

 これは、人間の肌の色ではない。それどころか、先程まで来ていた村娘の服は消滅し、小さな葉の茂った植物のようになっていた。

 セレッサの姿だけではなく、今この場所も夜の岬ではなく、ゴツゴツとした岩場の洞窟だ。


「おまえ! 何者だ!」


 憐れむような視線をラータにくれた後、セレッサから植物のつるが伸び、ラータの腕を取った。


「わたしは……セレッサよ? 村で一緒に暮らす約束をした、可愛い村娘。そうじゃなくて?」


「ぐっ! 違うな! セレッサなんて奴は、村にはいない!」


 つるに巻き付かれた左腕が締め上げられ、痛みが走る。


「完全に魔法が解けちゃったみたいね。あーあ、久しぶりの人間のオスだったのに……残念だわ」


「魔物か!」


「いやねぇ。そんな下等な呼び方しないでよ。わたしはこれでも十八熾将なんだから、ね?」


 腰にぶら下げたエッテタンゲを抜こうとして、右腕が空を切る。


「あはは! 剣なんて持たせておくわけ無いでしょ! そっちの魔女のお嬢さんも、下手な真似すると……わかるわよね?」


 左腕を高々と持ち上げられ、ラータの身体がぶら下がる。


「十八熾将"幽香のセレッサ"、性格の悪い女ね」


「あなたも、似たような感じですよ……」


 歯を食いしばるアンブローシアの影から、マンテネールが顔を出した。


「もう一人いたの? ま、同じことね。近づいたら、この男を殺すわ。魔法を使ってもダメよ。詠唱したら直ぐに殺すし、無詠唱でも発動がわかったら直ぐに殺すわ」


 マンテネールはアンブローシアにチラリと視線を送る。


「わかってるわよ。あたしは手出ししないわ。流石にガラノスを倒した直後だもの、疲れてるし。それに、これはあなたの責任だしね」


 バツの悪そうにマンテネールは頷く。


「ラータ、脱出は任せましたよ。エッテタンゲを使えば簡単です」


 その言葉にピンときたラータは、出発前にマンテネールから教わった剣に宿っている魔法を思い出す。


「次からは相談をしても殺すわ。気をつけて話しなさい?」


 セレッサがそう言い終わると同時に、マンテネールはその懐に飛び込んだ。


「なっ! 既に魔法が発動済みですって!?」


 フライタクトとソニックムーブによって、姿勢を変えずに滑り込んだマンテネールは、完全にセレッサの虚を突いた。

 計算外だったのはラータの虚もついてしまい、脱出が遅れたことだろうか。


 咄嗟にラータを盾にしようとしたセレッサによって、つるが引き戻されラータの身体は乱暴に振り回される。


「ぐお!」


 思い切り引っ張られたラータの左腕に激痛が走る。

 空中でバランスを崩しセレッサとマンテネールの間に引っ張りこまれた。


「くっそ! ――コール!」


 なんとか伸ばした右腕に向かって、岩の隙間から剣が飛び出した。

 あるべきところに納まるように瞬時に柄が握りこまれる。


「近くにあって助かったぜ! どらぁ!」


 左腕の自由を奪っているつたを切り裂いて、ラータの身体は落下する。

 次の瞬間、尻もちをついた頭上を一陣の風が吹き抜けた。


「――ウインドカッター」


 魔法の発動者はマンテネールだ。

 鋭い風の刃でセレッサの身体は上下に二分され、上半身が宙に浮く。


「続いて、いきますよ。――ブラストスキン」


 ソニックムーブで引き上げられた速度のまま、マンテネールは体当たりを仕掛ける。

 地面から切り離されたセレッサはその衝撃で、マンテネールもろとも後方にふっとんだ。


 きりもみ状に回転しながら宙を舞う二人の身体は、マンテネールがしっかりと組み付いていて離れず、そのまま対面の岩壁に激突する。

 ガンと鈍い音を立てて、ぶつかった岩肌が削れ、直後に絶叫が反響した。


「ぎぃぃぃっ!?」


 ガリガリと岩肌を削る音が響き続け、セレッサの身体から透明な体液が飛び散った。

 アンブローシアはあっけにとられているラータの手を取って、立ち上がらせる。


「あれは、旋風魔法ブラストスキンよ。発動者に小さな風の鎧を纏わせて、触れる相手を斬りつけるの。体当たりなんてされちゃ、たまったもんじゃないわね」


 ゴクリと生唾を飲み込んで、組み合う二人の様子を見守る。

 岩壁をも斬りつける風の刃の立てる音とセレッサの絶叫が、洞窟に木霊する。


「いい加減にしなっ……さいよ! くそアマァァ!」


 セレッサは甲高い怒声を上げるとマンテネールを突き飛ばした。

 新たにつたを発生させて、力任せに追い払ったのだろう、繰り出されたばかりのつたはズタズタに切り裂かれて、そのまま崩れ落ちていく。


「あったまに来たわ。十八熾将の名において、縊り殺してあげる……」


 潰された虫のように岩肌に張り付いたセレッサは、その下半身の切り口からぼそぼそと根を伸ばし、背中からは新緑色の新たなつたが茂っていく。

 瞬く間にそれは洞窟内の岩という岩にまとわりつき、びっしりと隙間なく埋め尽くした。

 ゴツゴツとした壁面ばかりだった洞窟はうっそうと緑の茂る空間へと変わる。


「入り口も塞がれちゃったわね。どうしようかしら?」


 まだ余裕のありそうな声色でアンブローシアが首を捻るが、ラータは劣勢を感じ取っていた。


「これじゃあ、奴の本体もどこにいるか、わからんぞ」


「ええ。……アンブローシア。炎熱魔法で一気に焼き払おうなんて考えないでくださいね。ワタシたちも蒸し焼きになってしまいます」


 いつの間にか、戻ってきていたマンテネールが釘を刺すと、アンブローシアは少し考えた後、それもそうねと引き下がった。


「大掛かりな魔法だと、洞窟が崩れる心配があるわね――――あっ!」


 アンブローシアが何かに反応して、飛び退る。


「危ないわ。四方八方からつたが伸びてくるわよ!」


 たった今までアンブローシアがいた場所に、毒々しい棘を纏った植物のつたが生えている。


「ウフフ。よく避けたわね。ぴょんぴょん飛んで逃げるといいわ。……いつかは捕まっちゃうから、楽しませてね?」


 洞窟内のどこから聞こえてくるのか、セレッサの声は反響し、発信源が分からない。


「まずいわね。行動範囲がどんどん狭くなるわ」


 壁からは植物が次々と押し寄せてくる。

 時折その中から、棘付きの鞭のようなつたが飛び出してはラータ達を襲う。

 その度に身を翻したり、跳んで躱したりを繰り返して、段々と三人は一箇所に固められていく。


「すみません。ワタシが仕留めきれなかったばかりに……」


 もう身体が密着するほどに押し込められたマンテネールが、ラータに息のかかる距離で謝る。


「俺が捕まったのが悪い。すまん」


「それもワタシの責任です。あなたを一人にしたのは失態でした。……ごめんなさい」


 マンテネールは責任を感じているのか、心なしかしょんぼりしたように目を伏せた。


「いーから、打開策を考えるわよ! このままじゃトゲトゲに刺されるか、窒息のどっちかよ!」


 ラータの身体を挟んでマンテネールと反対側、つまり背中でアンブローシアが叫ぶ。

 そうしている間もつたが伸び続け、ついに足元が動かなくなった。


「つ~かまえた」


 クスクスと笑うセレッサの声がどこからとも無く聞こえてくる。


「ゆっくり首を締めようかしら? それとも、鞭打ちにでもしようかしら? そうねぇ、少しずつ、少しずぅ~つ棘で皮膚を削っていくのもいいわね~」


 嗜虐的な笑みを想像させるねっとりとした声が、密林と化した空間を支配した。


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