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レジャンダール  作者: 鴉野来入
1/128

◆一 燃える東雲

 隣接する林から木の実やきのこを採り、獣を狩って食肉や毛皮とし、仕掛け漁で魚も獲る。

 岬にある小さな村だが、豊かな資源に囲まれていて大きな不自由もなく暮らせるオリジャの村。

 危険が全くないわけではなく、林には獣の他に魔物も出没するため村人は自警団を結成し、周辺の魔物が村に近づかないように定期的に罠を仕掛けたり、時には戦ったりもした。




 オリジャの村の朝は早い。

 林での採集や狩猟にしても仕掛け漁の水揚げにしても、村から南に下ったところにある港町ハーフェンに売りに行く分もあるのだ。

 ハーフェンの納品先の開店に間に合わせるため、荷を運ぶ者は朝食もままならず出立する。

 それに合わせて荷を持たせるので、他の村人は朝日が昇ると同時に働き始めるのだ。


「ラータはもうひとつ、奥の罠も確認してきてくれー」


「わかった。ソキウス、そっちは問題なかったか?」


 声を掛け合う二人は、林の中を分け入って魔物用の罠を確認していく。

 ラータとソキウスはオリジャの村の自警団だ。

 自警団の活動は村人の中で最も早く、太陽が昇るよりも前に行われる。

 辺りを照らすのは月明かりだ。


「問題ないぜー。この辺はまだ、ハーフェンへの街道に近いからな。人気を嫌がって近づかないんだ。めったに罠にかかることはないだろー」


 ソキウスの間延びした口調。

 街道に近いとはいえ緊張感の無さに少し呆れつつ、ラータは次の罠を確認する。

 罠と言っても捕まえたり、仕留めたりするようなものではなく、魔物の侵入を知らせるための罠だ。

 魔物や大型の獣が通過すれば、仕掛けていた罠が破損するので、それを自警団が確認して外敵の侵入を察知する仕組みである。


「罠は異常なしだ。けど、賢い魔物っていうのもいるらしいからな。油断は禁物だ」


「そっかー。でっかい獣でもいれば、仕留めてたっぷり肉が食えるんだけどなー」


「そりゃあ。魅力的だがな」


 ソキウスとラータは、自警団の中でも腕に自信があるほうだ。

 自警団内で二人より強い者は、ドルクと言う若者一人だけ。

 しかし、強いと言っても単純な話で、ドルクが最も身体が大きく、腕っ節が強いというだけだ。

 ソキウスはやせ型だが高身長で、目も良く、弓の扱いに長けていて村で一番狩猟が得意だし、ラータは二人に背は劣るが、しなやかな筋肉を持ち、足も速い。

 自警団の多くは村の若者で構成されているため、腕比べと称して木刀で騎士を真似た試合をしたり、腕を組んで力比べをしたりと競い合う様に鍛錬を積んでいる。


「そーいや。ドルク達はもうちょっと西だったよなー」


「そうだな。エルマノも一緒だから、ちょっと時間が掛かるかもな」


 エルマノは最近自警団に入ったばかりで、ソキウスとラータより二回りも年下だ。

 今回の見回りから年長者のドルクがついて、見回りの順番や罠の仕掛け方などを教えているのだろう。


「それじゃー、ラータ。俺らでちょいと手伝いに行って、さっさと帰ろうぜー」


「いいぞ。俺も早く朝飯が食いたい」


 ソキウスは、よっしゃとばかりに微笑むと、ひょいひょいと木々の間をすり抜けて、ドルク達の受け持つ場所に向かう。

 ラータも遅れることなく、木々の間を縫うように移動した。




 二人は林の中の移動も慣れたものだ。

 極小さいの物音のみで獣に見つからないように進む。

 すると、向かう先から――。


「ソキウスさん、ラータさん!」


 エルマノが走ってこっちに向かってきていた。


「どうしたー? エルマノー。随分息切らしてんなー」


「ドルクはどうした? ……はぐれたのか?」


 ぜぇぜぇと、肩で息をしながら、慌てた様子でエルマノが答える。


「魔物です! 魔物が何体も! ――ド、ドルクさんは、まだ様子を見るから、ぼ、僕は先に村に知らせろって!」


 息も絶え絶えながら、エルマノが必死に伝える。


「本当か!? わかった。エルマノはそのまま走って村に伝えろ!」


「んじゃー、俺らはドルクの援護だねー」


 エルマノは頷いて、再び走りだす。

 ソキウスとラータは、まだ走り去るその背中が近いうちから、エルマノが走ってきた方へ駆け出した。









「見たこともねー魔物だな」


 ドルクは森のなかを進み、樹上に身を隠して離れた魔物たちを眺める。

 魔物の身長は、林の木々の半分くらいまである巨躯で、村の小さな家ならば一体でスッポリといっぱいになってしまう程だ。

 薄桃色の肌に血管が蜘蛛の巣のように走り、風船のように膨れた腹、丸太のような太い腕、三本生えた指に、黒々と光る分厚い爪がまるでめり込むように生えている。

 大きく開けた口からは、呼吸のたびに白い湯気が立ち上る。

 顔は肉埋もれていて、まぶたが膨れ上がり、目はほとんど見えていないように見える。

 そんな醜悪な怪物が、五体、六体と――――まだ後ろにもいるようだ。


「こいつぁ。まともに相手できねーぞ。エルマノを先に逃して正解だった」


 エルマノは案外すばしっこい。

 村まで休まず走っていけば、程なく危険を知らせられるだろう。


「ドルク。ここに隠れてたか」


 背後から、ラータが声をかけると、ドルクは音を立てずに振り返る。


「ラータか。エルマノに会ったな? ソキウスは一緒か?」


「ああ。ソキウスはあっちの木だ」


 ラータの指の先に、ニヤついた口元のソキウスを載せた木がある。


「珍しいな。あいつ、目が笑ってねーぞ」


 ドルクが、冗談めかして小声でつぶやく。


「あんな魔物、見たこと無いぞ。ドルク、どうする?」


「流石に俺でも、あの巨体はお手上げだ。エルマノには村のみんなに逃げるようにと、伝言を頼んだ」


「俺達が殿になればいいってことだな。道は悪いが、東の海岸沿いにハーフェンに向かえば、迂回できる避難路がある。そっちに行かせないように誘導すればいいわけだ」


「理解が早くて助かる」


 可能な限り押し殺した声での相談を終えると、ラータはハンドサインでそのまま様子を見続けることをソキウスに伝える。

 すぐに了解のハンドサインが返ってくる。




 村の方へ向かう魔物の群れを監視しながら、音を立てずに、左側にドルクとラータ、右側にソキウスの配置で進む。

 林の険しさが幸いし、巨躯の魔物は歩みが遅い。


 エルマノと自警団のみんなが迅速に避難を促せば、村人に被害が及ぶことは無さそうだ。

 群れが東に向かわなければ、または三人が見つからなければ、問題は無い。

 村の塀や建物は壊され、食料は荒らされるだろうが、死者がでなければ村は立て直せる。


 しかし、三人にかかる精神的な重圧は、過去にないほどだった。


 狩りで獣を相手に息を殺すのとは違う。

 狩りならば、気づかれて逃げられてもまた獲物を見つければいい。


 今まで出会った魔物とも違う。

 オリジャの村の周辺に今まで現れたことのある魔物は小型の魔物ばかりだ。

 見つかって仕留め損ねても、村に戻って自警団総出で包囲網を敷けば駆除できた。


 今は、見つかったら死ぬ。


 薄桃色の腕が木の幹を掠めてみしみしと軋む。

 あの丸太みたいな腕を叩きつけられたら、ひとたまりもなく潰れて死ぬだろう。

 ぽっかりと開いた口に食いつかれたら、胴を丸呑みにされ、その顎で食いちぎられるだろう。

 ズシン、ズシンと踏みつける巨大な足の下敷きにでもされたら――そう思うと、ぞっとした。


 射る寸前の弓の弦のように緊張が張り詰める。

 身にまとう空気がチクチクと痛い。

 ラータも、ドルクも、ソキウスも、自分が見つからないように気配を殺すので精一杯だった。


 精一杯すぎて気がつくことが出来なかった。

 気がついていても、どれだけのことができたかわからないが。


 先頭を進んでいる魔物の動きが止まり、何かに注視し始めた。

 後ろに続く魔物たちも動揺に視線を注ぐ。

 膨れ上がったまぶたの内側がもぞもぞと動き、中で芋虫がうごめいているようだ。


 その視線の先には、別の自警団員が二人。


「まずい! 他の自警団だ! 気づかれた!」


「離れるぞ!」


 ラータとドルクは声を掛け合い、樹上から樹上へ見つかった自警団員の方へ跳び去る。


「ゴォォォ――――!」


 自警団員に気がついた魔物たちは、唸り声を上げて走りだした。

 巨体ゆえに一歩が大きく、力任せに木々を薙ぎながら一直線に進む。

 動きの鈍そうな外見とは裏腹に素早い。


「ジュモー! ゲミニ! 逃げろ!」


 名前を呼ばれた、自警団の二人は魔物の姿を捉えると、一瞬硬直した後で、踵を返して走りだす。


「ラータ! 俺らも完全に見つかっちまってる!」


 ドルクがラータに追いついて叫ぶ。


「ソキウスは来てるか!?」


「置いていくなよー。あれは本気でヤバイぜー?」


 ソキウスも合流し、三人は先を行くジュモーとゲミニの背中を追って走る。


「でっけー図体のクセに、はえーぞ。あれ」


「このままだと早くに村まで着いちまう。ドルク、なにか案はあるか?」


 険しく眉間にしわをよせたドルクが答える。


「少しでも数を減らしたいが……」


 小さな木なら押し倒して進んでしまうような魔物を仕留めるのは、現実的ではない。

 ラータは覚悟を決めて言う。


「わかった。ドルクは前のジュモーとゲミニを頼む」


「おっ。じゃー俺とラータは、いっちょ死ににいくかい!」


「死なないさ。囮になって分断するだけだ」


 魔物のうち数体でも、村へ一直線に向かう道筋から外れてくれればいい、そう考えての案だった。


「すまん……」


 ドルクの謝罪を肯定と受け取ると、ラータは横に跳び、ソキウスは走ったまま弓を構えた。


「なるべく西に誘導するぞ!」


「まー。任せなって!」


 ソキウスが引き絞った弓を放つと、ヒュンッと風を切って飛び出した矢が、魔物の目に突き刺さる。


「ゴォア!」


 悲鳴のような唸り声が上がり、怯んだところにラータが飛びかかる。


 ラータの右手には、腰から抜いたナイフがきらめく。

 そのまま叩きつけるように、力任せに魔物の顔を切りつけ、蹴り飛ばして離れる。

 一瞬遅れて、腐った魚のような腐臭とともに赤黒い血液が吹き出した。


「よし! 引くぞ!」


 身を翻して走るラータに続いて、ソキウスも後を追う。


「いーね。ちゃんと着いてきたなー」


 後ろを振り返りながらソキウスが言う。

 攻撃に憤っているのか、半数はラータたちに着いてきているようだ。

 上手く注意を引けている。


「余裕はないぞ。全力で切りつけたはずだが、仕留めてきれてないだろ?」


「げっ、タフだなー。ありゃ」


 ラータもチラリと魔物を様子を伺うが、追ってきている魔物の中に、顔が血液で濡れた個体がいる。


「奴らの後ろからもまだ来ているはずだ。止まって囲まれたら本当に死ぬぞ」


「どーにかして、いったん撒けないかねー?」


「さぁな。とにかく今は走るぞ!」


 魔物に、それもあんな怪物に見つかった以上、無事ではすむはずはない。それは本能的にラータにもわかっていた。

 ソキウスが「死ににいく」と言ったのも、その危険性を理解してのことだ。

 それでも、無防備な村のみんなが少しでも助かるなら、被害が抑えれるなら、と二人は決死の囮となった。









 まだ、日が昇るには幾ばくか時間がある。

 林の薄暗さに助けられ、身を隠すことができた。


 茂みの向こうには、獲物を探している魔物の薄桃色の頭が見える。

 魔物に気が付かれないよう、ラータとソキウスは小声で話す。


「ドルク達は無事だろうか」


「どーだろね。向こうにも、こっちと同じくらいの数が追っていったろーけど」


 魔物の方を覗いてみると、目視出来るだけで五体。

 手負いにした個体を見かけないので、最低でもあと一体はいるはずだ。


「このままやり過ごして、村の様子が見れるところまで向かおう」


「名案だね―。早くここから離れたいよ」


「ロープはあるか?」


「はいよ」


 ラータは受け取ったロープの端を近くの枝に結ぶ。

 そのロープのもう一端を持って、ロープがギリギリの長さになるまで離れた。


 グッと枝がしなる。

 その状態のままで、手に持ったロープの端を、今度は太い幹に括りつけた。


「村に行くにも、あいつらの向こう側だ。見つからないように行かなきゃな」


 そう言うとラータはソキウスを伴って、再びその場から離れる。

 ピンと張ったロープがまだ視界に入るくらいの距離で止まるとソキウスに声をかけた。


「あのロープ。弓で狙えるか?」


「問題ないさー。なーるほどね」


 ソキウスがキリキリと弓を構えて、ロープを狙う。


「ロープを切って、枝を揺らして囮にするわけねー」


 音もなく矢を撃ち出すと、ロープが切れた反動で枝が激しく揺れ出す。

 ガサガサという音に反応して、魔物たちは揺れた枝へ向かって突進した。


「今のうちだ。身を隠してすり抜けるぞ」


 ラータとソキウスは、魔物の突進の音と茂みに紛れて、一気に駆け抜けた。





 脆くも崩れた村の柵が見えてきたところで、ラータは思わず声に出した。


「ひどい有様だ。みんなは無事か?」


 遠巻きに燃え上がる炎が見えた時からわかっていた。

 村には火が放たれ、家屋は薙ぎ倒されている。


 既に村は襲われてしまっている。


「大丈夫だ、ラータ。死体が見当たらない。逃げてくれてるはずだ」


 いつになく真剣な口調でソキウスが言う。

 確かに周囲には村人の死体はない。怪我人が残っている様子も無さそうだ。


 エルマノが早く到着して、避難を促したのだろう。

 空っぽになった村に魔物が入って火をつけた、というところか。

 その魔物の姿もこの村の入口では見かけなかった。


「そうだな。……念のため、逃げ遅れがいないか見てくる。ソキウスは避難路の方に魔物が向かっていないか確認を頼む」


「はいよ」


 村の入口で二手に分かれ、ラータは村の西側を通って北の居住区へ。

 ソキウスは中央広場を通って東側にある避難路の入口へ向かうことにした。


 オリジャの村は、北向きに突き出した岬の中腹に位置している。

 避難路は東側の絶壁をロープで下るものだ。

 一度降りれば昇るのは簡単ではない。


「下まで見に行ったら、戻れないぜー? ラータは大丈夫か?」


「すぐ戻れるさ。見てくるだけだ。逃げ遅れがいないことを祈ってろ」


 少し格好をつけてラータが言うと、口元に笑みを戻してソキウスが頷いた。


「んじゃ。先行くぜー」


 小走りで村の中央に向かうソキウスを見送ると、ラータも西の居住区へ向かって駆けた。





 西の居住区も、村の入口と同じく火の手が上がり荒らされてはいたが、何処にも村人の姿はみえなかった。

 ラータは北の居住区の見回りも済ませたところだ。

 やはり、何処にも逃げ遅れた者はいないように見える。


「これは、不幸中の幸いだな」


 村の物的被害はとんでもない規模だが、おそらく村人は無事だ。

 そう思ってラータの肩から少し力が抜けた。


 その時――。


「ガァァ――!」


 あの魔物の唸り声だ。

 ラータは戦慄し、声がした方を振り返る。


 三体の魔物が、薄桃色の肌を炎の明かりで紅く染めて走り寄る。

 その内の一体は、顔を赤黒く染めて目から矢が飛び出していた。


「追ってきたのか!」


 ラータは踵を返して逃げ出す。

 しかし、逃げる先は岬の先端だ。


 三体の魔物はそれぞれ、三方向から走ってくるため、ラータは自由に退路を選ぶことができない。

 チッと舌を打ち、岬の先端に向かって逃げる。


 走り通しだった膝がガクガクと震えて思うように力が入らない。

 不格好にバランスを取りながら、転ばないように走る。


 岬の先端までなら逃げられる。

 しかし、その後はどうするか案はなかった。


「飛び降りるか? いや、無理だ」


 岬の崖は、ねずみ返しになっていて、落ちれば登ることはできない。

 何より高さがありすぎた。


 落ちた先が都合よく水面だったとしても、深さは村の誰も知らない。

 落ちて戻ってきたものがいないからだ。


「あの怪物を正面から突破するしかないのか!」


 岬の先端まであと少しの距離。

 ラータは足を止め、ナイフを抜いて怪物に向き直る。


 もう夜が明けようとしている。

 火の手の明かりもあって、襲い来る魔物の姿もよく見える。


 手前に手負いが一体、後ろに二体。岬の幅は狭く、魔物の巨体が二体並ぶとほとんど塞がってしまう。


 ラータは大きく息を吸い込み深呼吸をすると、威嚇するように雄叫びを上げる。

 獲物の様子が変わったことに驚いたのか、魔物はピクリと身体を反応させる。


 ラータはその一瞬の隙をついて、先頭の魔物に飛びかかった。


 右手のナイフで手負いの顔を更に切りつけ、身体をよじって目に刺さった矢を、左手で素早く引き抜く。

 ――そのまま、一回転。


 遠心力で左手の矢を振り回し、もう一度突き刺す。

 勢い良く飛び出す血しぶきで視界が狭まる。


「くたばってくれよ!」


 先頭の魔物がバランスを崩した、次の瞬間――。


 骨を砕かれるような衝撃を受け、ラータの身体が宙を舞った。


「―――ッ!?」


 視界に入ったのは、後ろの魔物の振りぬかれた腕。

 空中に大きな弧を描くように、ラータの身体は投げ出される。

 意識が飛びそうになるのを堪え、次に来る衝撃に備えて見を縮める。


 ――が、その衝撃は訪れなかった。




 地面がない。


 崖を飛び出したラータは、着地することなく落下する。




 落ちる先は海面だろうか。

 切りつけた魔物は仕留められただろうか。

 ソキウスやドルクは無事だろうか。

 他の村人は――。


 落ちている間は、様々な思考ができた。

 それだけの高所から落ちているのだ。


 目に入るのは炎で朱く染まった空と朝焼けに照らされた雲だけだった。




 海面に叩きつけられる衝撃と轟音。

 海水で視界も奪われ、同時に襲う全身の痛みで、ラータはすぐに意識を失った。









 ――湿った砂の感触。

 

 遠く聞こえていた波音が、近づいた。




 胃から込み上げていた生臭さを吐き出すと、生暖かい海水が頬に広がる。

 ジャリっとした砂の感覚で、ラータは自分の体が横たわっているのに気がついた。

 立ち上がろうと膝を立て――ずぶ濡れになった服の重みが、邪魔をする。

 うすぼんやりとした意識のまま、自分がどこにいるか考えて辺りを見回すと、正面には腰の高さほどの茂みがあり、左右に広がる白い砂浜は地平線の果てまで続いている。


「助かった……のか」


 人気の無さに、思わずボソリとつぶやく。




 あれだけの高さから海に落ちて、無事だった自分の体の頑丈さに呆れる。

 村の仲間が心配だが、帰るにしてもどうやって帰ればいいかが問題だ。


 正面の茂みを見ると、そこを越えたら少し開けた場所に出るようだ。


 ラータは、海水を吸って重くなった服の裾を引きずりながら、茂みをかき分けた。

 しなる枝を抑えて茂みの中に、身体をすすめる。




「お目覚めですね――」


 声をかけられてビクリとした拍子に、抑えていた枝を離してしまい、頬をかすめる。


「うわっ!? なんだ。誰だ!?」


 声のする方を見ると、茂みを越えた先――踝ほどの高さの短い草が覆った原っぱに、一人の女性が立っていた。


「あなたをお連れに来たのですが、目を覚まさないので、起きるのを待っていました」


 その女性は目の前まで近づいて、報告するように告げる。


「あんたは?」


「ワタシは、マンテネールと申します」


 抑揚のない声だ。


 年齢は同じか、少し上だろう。

 青灰色の髪が胸の辺りで切りそろえられている。

 神官の類なのだろうか、薄紫の光沢のある法衣のような服装をしている。

 だとすると高位の神官だろう。法衣にはシミひとつ無い。


 お連れするっていうのはどういう用件だろうか。

 ここは何処か知っているのか。村に帰るにはどうすればいいか。

 近くに人はいないのか。


 多くの疑問があるが、彼女の持つ落ち着いた雰囲気と綺麗な身なりに気後れしているのか、探り探りの質問になる。


「マンテネール……さんは、一人でここに?」


「はい」


「ここはどこなんだ? 人が見当たらなかったが――」


 突然、マンテネールは手を伸ばして、


「失礼します」


 ラータのずぶ濡れの服に手のひらを当てると、服の中を一気に風が吹き抜けた。




 ――ビュウウッ!


「えっ!? おわ――」


 理解が追いつかず、おかしな声を上げてしまう。

 瞬く間にずぶ濡れだった服は乾いていた。


「炎熱魔法と旋風魔法の応用です。濡れたままだと煩わしいかと思いましたので」


 触れていた手のひらを戻しながら、やはり抑揚のない声で説明した。


「魔法使いか」


「似たようなものかもしれませんね」


 魔法使いなら、ラータの知識にもあった。

 村から少し離れた大きな街には、何人も魔法使いと呼ばれる人間がいたはずだ。

 村に立ち寄った魔法使いもいる。


 しかし、実際に魔法を使っているところを見るのは初めてだった。


「では、すぐに参りたいところなのですが、こちらにお迎えに上がるのに、少々力を行使しすぎてしまったようなので、出発は明朝に致します」


 聞きたいことが聞けていないまま、話が進んでいく。


「ちょ、ちょっと、待ってくれ! 俺は全く現状が理解できていないんだ。連れて行くってのは何なんだ? ここは、何処なんだ? 村はどうなった!?」


 混乱した思考のまま、次々に疑問をぶつける。


「かしこまりました。お連れしてからご説明をしようと考えていたのですが、明朝まで時間もありますので、お話しましょう」


 ラータの狼狽ぶりには全く感心がないように、マンテネールは淡々と話す。


「では、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」


「……ラータだ。オリジャって村からきた。まず、俺の話を聞いてくれ」


「ええ、かまいません」


 草の生えた中に少しだけ土が出ている箇所があった。

 マンテネールは、ラータをそこへ促すと、手をかざして風を操り、薪を集め、聞き取れないような小声で何かを呟くと、そこに火をつけた。


「魔法って言うのは、もっと殺伐とした事に使うのかと思ってたが、違うんだな。こいつは便利なものだ」


「この程度でしたら、容易いものです」


 火が着いたばかりで、パチッパチッと音を立てる焚き火を挟んで、ラータは話し始める。


「ひとまず礼を言わせてくれ。助けてくれたんだろう? 感謝してる」


「いえ、ワタシが到着した時には、もう目を覚ます様子でしたので、特に何もしておりません」


「そうか。まぁ、なんだ。目を覚ました時に誰もいないわけじゃなくて、助かったよ。こうして自分の状況も確認できる」


 表情も変えずにしれっと言われ、空振りしたような気持ちになりながらも、ラータは続ける。 


「俺はオリジャの村の出身なんだが。場所はわかるか?」


「いえ、存じ上げません」


「そうか……。岬にある村なんだが。村が魔物の襲撃にあってな。俺は村の自警団をしてたんだが、村のみんなを逃した後に逃げ遅れちまって……。まぁ、海に落ちたわけだ」


 特に頷いて話を聞いているわけでもないマンテネールに向かって、つらつらと話していく。


「海に落ちた後はすぐに意識を無くしたみたいで……気がついたらもう、そこの砂浜にいたわけだ。村には他にも自警団の連中が残っているはずだから、そいつらの安否も気になるし、逃した村人や村の状態が気になる」


 やはり、マンテネールは何も反応は見せない。


「せめて、首都ウルブスか港町のハーフェンまで行ければ帰れるんだ。行き方を教えてもらえるか?」


「申し訳ございません。そういった町は存じ上げません」


「な――」


 マンテネールの即答に、ラータは愕然とした。


 ハーフェンはまだしも、首都ウルブスは近隣国家に住むものなら知らないほうがおかしいような大都市だ。

 しかし、ここが遠方の田舎か孤島なら、知らないこともおかしくはない。

 そんなに遠くまで流されてしまっていたのか。


「……ここは、どこだ?」


 単純な疑問を置き去りにしていたことに気づいて、いまさらながら確認する。


「ここは、メリディエスと呼ばれているところで、世界の最南端。つまりは此岸の果てとも言われる場所です」


「此岸の果て……」


 ラータの知る地図の中には、メリディエスという地名はなかった。

 故郷のオリジャの村は東北の岬にある。

 港町ハーフェンはそのまま海沿いに少し南下したところにあり、そこから内陸へ向かって伸びる街道を西に進むと首都ウルブスだ。

 ウルブスから南へはまた別の街道が通っていて、いくつか町を超えると山脈にぶつかる。

 山脈を超えると森林が広がっているそうだ。その森林の先は地図には載っていなかった。


 やはり、とんでもない距離を流されたようだ。

 よく生きて流れ着いたな、と身震いをする。


「なんてこった。村に戻るのは絶望的か……」


「そうかもしれませんね。では、ワタシの用件をご説明しましょうか?」


 随分と簡単にひとの話を切り捨てやがるな、とラータは悪態をつきたくなるが、気になっていたところだ。


「あー。そうだな。聞くだけまずは聞こう」


 話している間に日は暮れかけて、空は朱く染まって来ていた。


「ラータさん。あなたには世界を救って頂きます。まず――」


「なに!?」


 突拍子もないことを平然と伝えられて、思わず口を挟む。

 しかし、マンテネールは、意にも介さず説明を続ける。


「ええ。まずは明朝、ワタシと共に他の皆様が集まっている神殿に転移して頂き、そこで現状を確認する会合を開きます」


 説明に思考が追いつかず、ラータは頭をかきながら質問する。


「なんだなんだ。全然話についていけてないが。他にもいるのか」


「はい。ラータさんとワタシを含めて反応が確認できた者が、七名です。すでに神殿には、五名の方に集まって頂いています」


「反応?」


「ワタシが世界の全域に渡って、《権限》を持つ者の探索をかけた際に感知できた者たちです」


 また、よくわからない単語だ。


「その……《権限》って言うのが、俺にあるってんだな。なんなんだ? それは」


「《権限》は、世界に影響を与えることのできる力を持ち、それ行使することができる能力のことを指します」


 いまいち、ピンとくるものがなく、ラータが黙っていると、理解したと思ったのかマンテネールは続ける。


「例えば、ワタシは《管理権限》を持っています」


「《管理権限》? 何ができるんだ?」


「主に指定空間内での探知、空間への干渉が可能です。《権限》の保持者を探知したのも、ワタシがここに来た方法も、そしてこれからラータさんを連れて行う転移も《権限》の行使です」


「なんだか。すげぇ魔法を使える……って感じか?」


「根本の原理は違いますが、そう考えてもらっていても支障はないかと思います」


「俺にはそんな能力はないぞ。それに魔法だって使えないんだ」


 何かの間違いで感知したんだろう。

 今までの人生を考えても、縁のない話だ。


「それはありえません。ラータさんが目覚める前に、あなたから明らかな《権限》の力を感知できましたから。……ただ、申し訳ないのですが、現在はワタシが《権限》を行使しすぎたせいで、探知も転移も出来なくなっています。それで、能力の回復を待っての明朝の出発ということで、お願いを致します」


「待て待て。俺は村に帰りたいんだ。はい、そうですかと連れて行かれるわけにも行かないぞ」


「そうでしたね。では、神殿で会合を終えた後なら、ワタシの探知能力で、あなたの村を探せるかもしれません。いかがでしょうか?」


「交換条件とはな。まぁ、しかたない。ここにいても帰り方がわからないんだ。行ってやるよ」


「ありがとうございます」


 礼を言いながら、マンテネールは頭を下げる。

 たったそれだけだったが、ラータはようやく感情らしきものを垣間見た気がした。


「でも、期待はするなよ。マンテネールさん。あんたが言う《権限》ってのは、俺にはさっぱりだ」


「ワタシの事は、マンテとお呼びください。同士となったのですから、呼び名は短いほうがよいでしょう」


 あんまり他人の話は聞かないんだな、と思いながらラータはため息をつく。


 世界を救うという胡散臭い名目は一度忘れることにした。

 機嫌を損ねて、こんな人気のない場所に置き去りにされても困る。


「あぁ、よろしくな。マンテ」


「はい。よろしくお願いします。ラータ」


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