第9話
詩鶴の屋敷から左近が向かっていたのは実家の右代家ではなく、城下町の奥にある町民達が住む長屋の隅の、左近が借りている診療所だった。
長屋なので基本の建築いわゆる”うなぎの寝床”の間取りとなっており、左近は正面から見て右に3部屋を借り改装して1つは診療所、2つ目は休憩室、3つ目は左近が開いている医術塾の教室となっていた。
診療所の部屋には大きな看板が掲げられており、『診療所 左近』と焼印で書かれていた。
診療所の扉をあけて、鍵がかかっていないが特に気にすることなく左近は入っていく。
そして核心した声で帰ってきた事を告げる。
「戻りました。」
「先生おかえりなさいです。」
診療所と中で繋がっている”休憩室”の中から看護服に前掛けをし、いそいそと夕飯の準備をしている一人の女の子がいた。
女の子の名前は”草邊 あゆか”といい、年齢は大体15歳ぐらいで、身長は165センチほど。
髪は看護帽にすべて束ねており、うなじのあたりがなめかわしく強調している。
顔はまだ、幼さを残しているのだが、胸がその幼さとはかけ離れており、普通の男性が見れば凝視してしまうことだろうと思われる。
さらに笑顔の似合うかわいらしい顔をしているので、このあたりの町民からは”長屋の天使”と呼ばれていた。
「先生、今日はいい鯖を学生さん達から、いただきましたので、塩焼きにしようかと思っているのです。」
「それはいいですね。あゆかさん、ところでその魚どなたからいただいたのですか?お礼をしなければ。」
「え~と。いつも来る3人組ですよ~。」
「ああ、じゃあ今度着たらでいいので、いつものお茶を差し上げてくださいね。」
「りょう~かいであります。先生、今からお食事のご準備をするですけども大丈夫ですか?」
「ええ。お願いします。」
あゆかの動きは音で表現すると、ぽよ~ん、ぽよ~んとはねるように動きまわるので胸もそれに合わせて動くのだが、それにまったく動じることがない左近はそのまま”休憩室”の中にある自分の部屋へと移動する。
(まったく。先生は女性に対して興味がないのでしょうか?いちよう女性最大の武器でせめているんですけどね~。)
あゆかが、”休憩室”の台所を使い食事の用意をしてくれている間に、作業用の机に向かいながら左近は退魔医術護符と診療機具の手入れを行いながら一息つく。
(ここ数日の間に色々ありすぎました。このままではいけないとはわかってはいるのですが、文献を読むだけでしか今は知識を得られないのがつらいです。)
左近は壁にかけてあった、ジンベイに着替えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「あゆかさんですか?どうぞお入りください。」
「失礼するであります。」
あゆかは扉を開けると上半身裸の左近が立っていることに目を見開き、すぐに顔を下に向ける。
「せ、先生お着替え中でありましたか。申し訳ありません。」
すごい焦った口調のあゆかが深くお辞儀をしながら謝るが、特に不信感を抱くこともなく、笑顔で左近は切り返す。
「いえ。大丈夫ですよ。それより?」
会話中、左近は普通にジンベイの上着を着る動作をするが、下を向いているあゆかはその音が気になって、さらに顔を赤らめる。
「えええ~~~~と。そ、そうです。お食事の準備ができましたので呼びにきたであります。」
「そうですか。ではいきましょう。」
ジンベイを着替え終わった左近があゆかの肩をそっと抱きながら部屋を出る。
その肩に置かれた手のぬくもりがあゆかを気絶させる。
「あゆかさん?」
「きゅ~~~。」
そのまま左近は、あゆかをお姫様抱っこで診療室まで運び、診察ベッドに寝かせると、何事もないように休憩室の茶の間に移動し、出来上がったご飯を食べる。
あゆかと一緒に食べないのはかわいそうだといつも思うのだが、ほぼ毎日左近の行動で気絶するあゆかにご飯が冷めてしまうので先に食べておいてくれと言われているので左近はそれに従っている。
あゆかが目を覚ますと左近が水が入ったコップを持って待っていた。
「先生。ずっと待っていてくれたんでありますか?」
「いえ、そろそろ目が覚める頃だろうと今、さっきここに着たばかりですよ。」
左近の手からコップを受け取り、水を飲み干すと、すまなそうにあゆかは顔を下に向けた。
「どうかされましたか?」
「いつも先生にはご迷惑ばかりおかけしてるであります。」
「迷惑の意味がよくわかりませんが、色々気にしすぎなのではないでしょうか?私は迷惑だなんて思ってませんよ。私こそ色々ご迷惑ばかりで。」
左近が今度は悲しそうな顔をするので、あゆかはびっくりした顔ですぐに否定する。
「そ、そんなことありませんです。先生は、私が左代家出身でしかも、一番駄目な退魔医学生だったにのに拾ってくださったばかりか、家から追い出された私に、この診療所の一部をお貸し頂き、泊めてくださっているであります。」
「左代家とか右代家とか関係なく、私達は退魔医術を学ぶもの。助け合っていくべきだと思いますし、あたなは自分が思っているほど無能ではありません。どちらかというと有能なほうだと思いますよ。」
左近の顔にうそを言っている雰囲気はなく、その柔らかな表情に安らぎを覚えたせいなのか、あゆかの目には涙が流れていた。
「先生はずるいであります。そんな優しい顔で私の心に簡単に入ってきてしまうであります。」
涙を見せまいと下を向きながら最後のほうは小さいな声でいったので、左近が不思議そうな顔で聞き返す。
「よく聞こえなかったのですが、何がずるいんですか?」
「い、いえなんでもありませんであります。」
「さ、これで涙を。」
左近が差し出した手ぬぐいを受け取りながら、あゆかはずっとこの優しい方のそばにいたいと思っていた。
「ああーーー!あゆちん。ずっるーーーーい。」
診療所の扉を勢いよく開ける少女の後に10数人の少女達も診療所に押しかけてきて、先頭に立っていた少女が抗議の声を上げる。
「なんか甘~い雰囲気がむんむんしておりますね。」
「あゆか~~~。抜け駆けはだめだぞ。」
少女達の勢いにあゆかは、何か弁解の声をあげながら、その場を何とかしのごうとする。
「こ、これは違うのであります。ちょっと先生に昔話を聞いてもらっていただけでありまして。」
「うき~~~。左近先生はみんなの先生なんだからね~。」
先頭に立っていた少女の言葉に大きく何度もうなずきながら、笑顔でごまかす。
「わかったであります。先生はみんなの先生であります。えへへへ。」
「わかればいいのよ。」
その様子を見ていた左近は何のことだかさっぱりわからないといった風に席を立ち、今来た少女達に声をかける。
「もう、そんな時間でしたか。みなさんこんばんわ。」
「「こんばんわ。先生、今日もご指導よろしくお願いいたします。」」
一斉にいい声で少女達が挨拶を返し、左近の笑顔に何人かふらふらと腰を落とすがいつものことなので、そのままスルーされる。
「はい。では隣の教室のほうへ移動しますので、一旦診療所を閉めます。皆さん外で待っていてください。」
「は~~い。」
少女達を診療所から退出させると扉のカギを閉め、立て札を”本日の診療は終わりました”に変更する。
教室の扉を開け中に少女達を案内する。
整列された長机に少女達は数人ずつ綺麗に座っていく。
日ノ正では男子の退魔医術士の数は極端に少なく、左近が開く退魔医術学の授業には男子は誰も着ていなかった。
それにも理由があり、男の医術学生は左代家で開かれている退魔医術学の授業に出ることになっており、その授業に出ないと、迫害を受けることもあるらしいと噂が流れているらしかった。
男子が左家での授業をする事は、帝の指示で行っているのではなく、左代家の陰謀でそのような流れになっている。
左近としてはそんな現状は間違っていると思っていたが、若輩者の左近が声をあげるにはまだ、政治的な地位が確立しきれていなかった。
「それでは退魔医術学の授業を始めます。」
左近が教壇に立ち、基礎と応用、左近が研究している新しい医術式の説明、そして実践形式の模擬医術を行い、女子生徒たちはそれを紙にメモを取っていく。
この時代紙は非常に貴重なものだが、左近にツテがあり優先してもらって買い取っている。
左近の授業は若いながらしっかりしており、授業は厳しいだけでなく笑いあり、閉めるところは閉め、有意義な授業を行っていく。
いくら医術を学んでいるとはいえ、ずっと張り詰めた空気では生徒がもたないと左近は色々工夫していた。
それが女子生徒たちには受け、授業を開始した時に比べ、かなりの生徒を呼んでいた。
生徒の中には医術以外の恋の勉強を学びたいと思っているものも何人かいるようではあったが。
「では今日の授業はこの辺で終了いたします。みなさん、お疲れ様でした。」
「島津先生、お疲れ様でした。」
教室を出て行く生徒をみながら、帰りに気をつけるようにと声をかけながら左近は最後に教室のカギを閉め後にする。
「先生お疲れ様でした。」
外ではあゆかと3人の女生徒が待っていた。
「これは、かなこさんと、うつみさん、しみやさん。さっきいただきました鯖、おいしくいただきましたよ。ありがとうございます。」
「いえ、お気に召していただけたのなら。」
かなこと呼ばれた少女がほほを赤らめながら返事を返す。
「しかし、早く帰らないと夜も更けてますので、篠様がご心配されるかと。」
「父上は私のことなど気にしておられません。愛情などというものを持って接していただいたことなんてございませんから。」
「私は、親になったことがないので、わかりませんが愛情はもっておられると思いますよ。」
「先生は知らないだけです。私はあの方の手ごまの一つだと。」
小声のかなこの言葉が聞き取れなかった左近は不安そうに返事を待つ。
「先生が気になされることはございませんわ。それより、大事な話があります。」
「大事な話?」
首をかしげる左近に、かなこはどう話そうか迷っている様子だったが、顔を上げて少し興奮した声で話を続ける。
「ぐ、偶然聞いてしまったのですが、右近様がこの都に帰ってきています!」
「え?!ど、どういうことですか?!」
かなこの話に驚いた左近は、無意識でかなこの肩を強く握り締めていた。
「せ、先生痛いです。」
「あ、申し訳ございません。」
かなこの言葉に我に返った左近は手を離す。
左近のその様子も、余裕のなさから取った行動なのだが、今まで誰もそんな左近を見たことがなかったようで、少し驚いていた。
「左代家の医学所の前をとおりすぎると小声で話声が聞こえまして、失礼かとは思いましたけど、右近様のお名前が出たのでつい聞き耳を立ててしまって。」
「それで、兄上、いえ右近様はどこに?左代家なのですか?」
「いえ、それが違うようなのです。どうもよく聞き取れにくかったのですが”研究所”という声が聞こえまして。」
「”研究所”ですか。なぜ、そんなところに。しかも兄は自力では動けないはずです。」
「先生お心あたりがあるのですか?」
「ええ。ちょっと。」
「右近様の移動に関して、結界を何重にもとか言っていたような気がします。」
左近は言葉を失った。
自力で動けない右近を無理やり移送させるなんて正気とは思えなかった。
”オロチの毒”で体が弱りきっている状態のはず。
そんな状態で都までの距離を移動させるなんて、体に負担がかかるのはわかっているはず。
最悪の場合、死ぬこともありえるのだ。
しかも結界を何重にも張ったところで、”オロチの毒”を抑えられるものなのか
色々な疑念が浮かび、左近は顔をしかめ少女達の顔を見渡す。
「あゆみさん。うそか本当かはわかりませんが私が確かめてきます。お話ありがとうございました。みなさん、すみません。私は今から右代家に行って来ます。」
左近は言うや、すごい勢いで右代家へと走り出した。




