第3話
船の到着を待っている間に、左近の手縄が兵士によって解かれる。
まだ船の到着までに時間があり、こんなに早く縄を解く事に少し疑問を感じた左近は、篠老のほうを見た。
「篠様もう私の縄を解いてもよろしいのですか?」
「もうすぐ船が着く。別に気にすることもなかろう?」
確かに船は肉眼で確認できる位置まで来ていたが、はっきりとわかりづらいが、船の挙動がおかしく見える。
「せ、先生。何かいやな予感がいたします。」
「こよりさん。私も船が見え始めてから、いやな気配を感じ始めていました。できるだけ私から離れずに。」
こよりは左近の後ろにつき船の挙動を見守る。
船は少しずつ港に近づいてはいるのだが、波もさほど高くないはずなのに、大きく船体を揺らし始める。
不規則な揺れはやがて何かの爆発音とともに船体に縦揺れを起こす。
まだ距離は約10キロ以上離れているが、左近は邪気のような気配を身近に感じていた。
「大きな邪気を持った”鬼”が来ます。」
こよりはよりいっそう左近に近づき、腰あたりの服の袖を両手で握る。
篠老はその場で何が起こっているのかまだ理解している様子もなく、船の異変だけにおどおどとし始める。
それを見て左近は篠老に警告を促す。
「篠様。大きな”鬼”の気配が、あの船から感じられます。ここはお早くお逃げになってください。私はこれより、”鬼”の”討伐”をいたします。」
「そ、そうか。ではここで私はさがるとしよう。こより、監視の任よろしく頼むぞ。」
左近は篠老の言葉に愛娘を危険に置いていく事に対する疑問を感じたが、この場で、それを問う時間がないこともあり、聞き流すことにした。
「お父様もお気をつけて。」
こよりは左近のすそをしっかり握り締め、篠老の顔も見ずに返事をする。
そこには親である篠老をまったく気にしない冷たさを感じる声色を感じ、こよりにも違和感を感じているが、1秒前より邪気の濃さが、左近の体にこわばりを感じさせる。
「来る。」
左近の言葉と共に防波堤から浪しぶきがあがり、そこから筋肉質の身長160センチぐらいの人間に見えるが、体全体が魚の鱗に覆われ、背中には背びれがあり、顔は魚の頭をしている”鬼”が姿を現す。
その魚の”鬼”の体には、黒いオーラのような陽炎が揺らいでおり、邪気の強さを肉眼で認識できるほどだった。
「邪気が異常に高いですね。何人の人間を捕食しましたか?」
「ぎぎーー!」
気持ち悪い奇声を発し、港で警備している兵士達を値踏みするように睨み付ける。 そのあまりにも異様な”鬼”に兵士達も、恐怖のあまり前に出した刀が小刻みに揺れる。
「オン!」
左近は、両手をあわせ”印”と呼ばれる術を唱えるための動作を行い、その後に気合と、ともに術を唱える。
その気合の入った術の声に、震えていた兵士達の震えがとまり、周りの状況を認識できるようになったようだった。
術はそれだけではなく、魚の”鬼”の動きも止めており、こちらに向かってこようとする体を必死で引きずりながら動こうとしていた。
「私の術はそう長く持ちません。今のうちに、逃げてください。」
「わ、我々は警備兵です。この命に代えてもここを。」
「それはわかっていますが、はっきりいって邪魔なだけです。私が何とかしますから、この港でまだ非難されていない人たちを誘導していただけませんか?」
左近は魚の”鬼”が動き出さないように細心の注意を払いながら、周りの兵士達に指示を出していく。
兵士たちも始めは左近の指示に反発したようだが、優先すべきことを悟ったらしく、逃げ遅れている人間達の誘導を行い始めた。
その場に残ったのは、魚の”鬼”と左近とこよりだけになり、先ほど結んだ”印”を解く。
魚の”鬼”は左近がかけた術に身動きがとれずにいたが”印”を解かれ、その動きを活発かさせる。
「ギョギーーー!」
術をかけられて怒りをあらわにしたのか、先ほどの奇声より大きく叫び、左近に対して真正面から突っ込んできた。
「”鬼”退治は本来、私の分野じゃないんですけどね。」
怒りに狂っているかのように、左近に向かってくる魚の”鬼”。
スピードはかなり速く手を伸ばしつかみかかってくるが、左近はそれ以上の動きで横によけながら、自分のポケットから一枚の紙を取り出し、右手の中指と人差し指で紙を挟みながら両手で先ほどと違う”印”を結びながら、術を唱える。
「サンカンマダランオキリキリマイ。」
術を唱え終わると紙が鳩のような鳥へと変化する。
左近は変化した鳥にさらに術をかけ、鳥は炎に包まれ、そのまま魚の”鬼”に向かって突進する。
普通の人間がその速度を認識するには異常に早く目で見て追うのがやっとなのだが、魚の”鬼”は突っ込んでくる火の鳥に対応して、両腕を交差させ防御の体制に入る。
防御の体制でもお構いなしに炎の鳥はそのまま魚の”鬼”の胸の辺りに突っ込んでいき、ぶつかって火の鳥が防御していた腕に当たるはずだったのだがそのまま火の鳥は何事もなかったように魚の”鬼”の体を透き通るようにすりぬけ、後ろの防波堤を超えたあたりで大きく火の粉を出し、燃え尽きた。
魚の化け物は何事もなかったことが不思議そうに体を見渡し、無事を確認すると左近をにらみつけ再び突進を開始する。
突進を開始した瞬間に魚の化け物の口から火が上がり、体の内側から噴出し、魚の”鬼”の全身を火で包み込んでしまった。
「ふう・・。久々に陰陽術を使ったので少し疲れました。」
その状況を見て、これで終わったと確信した左近が大きく息を吐き、警戒態勢を解こうとしたときに魚の化け物が両腕をぎゅっと抱きしめて、顔を上にあげて吼える。
「ギョーーーーゲーーーーー!」
魚の化け物が吼えた時に発生した超音波に、左近とこよりは耳をふさぎ、ひざを地面につけ左近は、こよりの体を自分で覆い音から体を守るように体を丸める。
約3秒ほど吼えた魚の化け物の体は火が消えており、ところどころ焼け爛れており体もふらついている状態だったが立っていた。
超音波のせいで数秒間動けなかった左近たちはかなり危険な状況に陥っていたが、魚の”鬼”もすぐに動ける状態ではなく、口をパクパクさせ何かを取り込んでいる様子だった。
左近達がようやく超音波からの少し回復し、左近は魚の”鬼”の様子を確認する。
「空気中の邪気を口から取り込んでいるのか・・。」
まるで沖に上げられた魚のように口をパクパクさせる魚の”鬼”に気持ち悪いという感想しかなく、早く動けるように左近はふらつく体を必死で覚醒させようとしていた。
魚の”鬼”が口から邪気を吸い始めて、ほんのわずかな時間で体のやけどが回復し始める。
「しかし、魚鬼が現れるなんて・・。」
魚鬼と呼ばれた”鬼”は、普通には出現することはほとんどない。
海の上で邪気が溜まることがないからである。
人間が生活している場所に出現するのが一般的であり、魚鬼は数年に一度現れるかどうかである。
そんな確立の低い状況で魚鬼が左近たちの目の前に現れ不運だといえるだろうか
どう見ても、誰かが出現させた状況のほうがつじつまが合うと左近は考えていた。 であるならば、あの魚鬼は人間だった可能性が非常に高くなる。
魚鬼から感じる邪気の濃さから考えて、普通の人間を魚鬼にしたのではなく、ごく稀に普通の町民の中にも、異質な力をまだ発揮できず、体内で力がくすぶっている人間を使ったに違いないと考えた。
「しくじりました。もう少し念入りに奴を診察すべきでした。」
「せ、先生。あの魚鬼は人間なのですか?」
隣でようやく、超音波の効果が切れた、こよりが左近に助けられながら、体を起こす。
「そうですね。あの魚鬼は、邪気がかなり体に馴染んでいるので始めは、人間だとは思いませんでした。ここ数年魚鬼から人間へ人間から魚鬼へ体を繰り返し変身させていたのでしょう。」
「しかし、なぜまだ日の高いうちに私達の前に現れたのでしょうか?確か鬼は夜行性で特に魚鬼は日光に弱かったはずでは?」
鬼は基本、夜行性であり満月の夜は力を増す。
満月の日に鬼と戦うと能力の高い陰陽師であっても、下手をすれば命を落としかけない。
昼間だと逆に鬼達は力が弱まり、その能力を十分に発揮できないのである。
こよりはそれを指摘したのだが。
「よほど私を殺したいのか?それとも今でないと魚鬼を呼び出せなかったのか。どちらにせよこのままほっておくことはできませんね。彼を人間に戻す治療ができるかわかりませんが最悪、殺してあげるのがせめてもの治療になるのか・・・。」
魚鬼が人間が変身した”鬼”だと考えた左近は、殺してしまうほうが得策なのか、まだ人間に戻すよちが残されている状況なのかわからず、迷っていた。
魚鬼の邪気が、人間だったときの理性を上回っているのであれば、人間に戻すことはほぼ、不可能であるから。
今までの例から、治療を施したとしても、そのまま魚鬼となり人間に戻ることはなかった。
漁鬼は姿を人間に戻すことが可能で、村に潜み、夜になると魚鬼の本性を現し人間を襲う可能性が高い。
今までそれで人間の姿をした魚鬼を見つけ出すのに時間がかかり、多くの村が襲われたと報告もあった。
今、目の前の魚鬼を倒すことが、今後の港周辺の治安に大きく影響が出る。
殺してしまうほうが処理としては正しいのかもしれないが、左近の医者としてのプライドがそれを許すはずもなく、治療できる患者は一人でも多く助けたいと考えている。
「あの魚鬼はまだ助けられる可能性があります。可能性は低いかもしれませんが、最善を尽くしてみたいと思います。」
「それでこそ左近先生だと思います。微力ながら私もお手伝いさせていただきます。」
「こよりさんが?」
「これでも巫女になるための勉強している身なので少しは、左近先生の力になれると思います。」
「わかりました。しかし無理はなさらぬように。では魚鬼を人間に戻す治療をする前にやつが回復できないぐらいまでのダメージを与えますので”退魔術式術装”を使います。」
二人は立ち上がり、体の調子を確認すると、左近は着物の袖から先に使った紙よりもつややかな新しい紙を取り出し術を口にする。
「バサラクダラヒャクジュツ。」
紙が複数に分かれたと思うと宙を舞い、左近を囲み体全体を覆うように周り始めるとそのまま体に張り付き、別の衣装へと変化させる。
「退魔術式術装 ”クジャク”」
青を基調とした衣装に身を包み、新しい紙をもう一枚取り出しならが構えを取る
”退魔術式術装”とは鬼が発する邪気を直接体に触れさせないように退魔師が自らの術で作り出した鎧のようなものであり、これを着ること術者の能力も開放され本来の力を出すことが可能になる。
その分体の負担が大きく、短時間で決着をつけなければならないが。
「左近先生、退魔術式術装の効果を長く持たせるための術を、私がおかけしますのでそのままで。クオンクジャラシャン。」
こよりの術により左近の退魔術式術装の稼動時間を伸ばす術を口にする。
すると左近の退魔術式術装の色がより濃くなる。
「これは、確かに力が無駄に発散されない感じがしますね。すごいです。こよりさん。」
「私は左近先生のサポートを行いますのでお早く。」




