夏祭り 2日目
お祭りは2日に渡って行われた。
メインステージのプログラムは、1日目が子供、2日目は大人が出演する演目と分かれていた。
お祭りの最後にはやぐらを囲って盆踊りを踊るので、玲奈は香葉子に浴衣を着せてもらった。藍色にピンクと紫色の朝顔が咲いている。帯は黄色で結んでもらった。
その日も勇人と2人で昼頃まで山で遊び、夕方からステージ周りで遊んでいたが紗知と会うことはなかった。そもそも紗知の家を勇人と玲奈は知らなかったので迎えに行ったりすることも出来なかったのだ。お祭りの途中でまた会えるだろうと安易に考えていた。
しかし、紗知はお祭りの最後まで姿を現すことはなかった。
盆踊りが終わり、おばあちゃん家の大きな部屋で宴会が始まった。豪華な料理が食卓に並んでいたが、玲奈はお祭りでたらふく食べていたので、もうほとんど入らなかった。
しばらくすると子供たちはもう寝なさいと声がかかり、玲奈と勇人も言葉通りに寝室に向かおうと廊下を歩いていた。この家は広いが、借りている部屋までなら迷わず1人で行くことができる。お風呂も済ませていたし、あとはそれぞれの部屋に戻って寝るだけだった。
長い廊下を外を見ながらぼんやりと歩いていると、遠くに人影が見えた。
思わず立ちどまると、後ろをこれまたぼんやり歩いていた勇人が玲奈にぶつかる。
「わっ、れいちゃんいきなり止まんないで……ってどうしたの?」
玲奈は外を凝視していた。勇人はその視線の先にある対象物を探す。
「あ、れ?さっちゃん?」
ぽろっと勇人の口からこぼれた名前に、玲奈はぐるっと振り向いて
「やっぱり紗知だよね!あんなとこで何してるんだろう、行ってみよう!」
有無を言わさず玲奈は勇人の手を掴むと、縁側に散らかっている外用のサンダルに足を入れて人影を追った。
慣れないサンダルに転びそうになりながら2人で走った。
だんだんとシルエットが近づいてくる。あのロングヘアのツインテール、間違えない、紗知だ。
「紗知!!!」
ぴくっと紗知の身体が揺れて、ゆっくりと振り返った。1日振りの紗知を見て安堵する。
「れいちゃん、ゆーと……どうしたの?」
「どうしたじゃねぇよ。さっちゃん、夜中にこんなとこで何してるの?」
言葉はきついが、勇人が紗知の肩をぽん、と優しく叩く。
「お祭りにいなかったから、勇人も私も心配してたんだよ」
玲奈も紗知の視線に合わせるように近づき、その場にしゃがんだ。
2人の問いかけに、紗知は黙り込む。静寂に、木々の揺れる音がやけに耳に響いていた。生ぬるい風が頬を撫ぜる。
「あの……お散歩」
「「え?」」
予想外の返事に、年長者2人は目を丸くした。
「星がきれいだったから、ゆーとに教えてもらった場所行ってみたいなって思って、それで……」
だんだんか細くなっていく声に、玲奈は紗知の小さな手を両手で包んで握った。
「なんだ。だったら誘ってくれたら良いのに」
「え?」
ぱっ、と紗知が顔を上げる。怒られる、と思っていたのだろう、大きな瞳を更に広げて玲奈を見た。紗知の漆黒の瞳に、玲奈の姿が映る。
「そーだよ、俺たち友達だろ?」
「とも……だち?」
照れくさいのか、ぶっきらぼうに友達、という発言をした勇人に紗知は更に驚く。そのあまりにも驚く姿に玲奈は少し戸惑った。友達、ってそんなに特別な言葉なのだろうか。
「紗知と、れいちゃんと、ゆーとっ!友達!!」
満面の笑みでそう言った紗知が嬉しくて、玲奈と勇人はかわりばんこに小さな頭をわしゃわしゃと撫でた。
「そーだよ!ほら、さっちゃん、れいちゃんもお散歩行くぞー!」
「「おー!!」」
子供3人だけで夜のお散歩。玲奈は香葉子に夜出歩くなと言われていたのを思い出したが、先程までお祭りがあった興奮も手伝って、すぐ帰ってくれば良いや、と思っていた。
ところが、夜の山はいつも遊んでいる顔と全く違った。
この間と同じルートを進んでいるつもりだったのに、いつの間にか右も左も分からなくなっていたのだ。そのことに気づいたのはしばらく時間が経ってからだった。
「ねぇ、こんな道この間通ったっけ……?」
「あれ……ここどこ?」
玲奈の言葉に後の2人も周りを見渡す。いつも目印なんか気にしなくても進んでこれたのに、今では目印の木さえも分からなかった。どこかで川の音がする。混乱した頭にはそれがどこから聞こえてきているのか判断が難しかった。
四方はどこを見ても闇だった。
外灯も家の明かりも漏れてこない、本当に山奥のその場所で天空に星だけがきらきらと輝いていた。
時折生暖かい風が周りの木を揺らす。それに同調するように隣にいる紗知の、耳の上で綺麗に束ねられたツインテールが大きくはためき、私の首元に当たった。そのむず痒いような感覚でやっと、1人じゃないと認識出来て少し安心する。
自分が、目を開けているのか分からなくなるような闇の中、この場で最年長なのに考えも巡らせることもできずにただただ立ちすくんでいた。
「れいちゃん、さっちゃん、とりあえず座ろーよ」
勇人がどさっと大袈裟に音を立てて地面に腰を下ろす。紗知が「うん!」と言ってそこに座った。
3人で円になるように場所を選んで腰を下ろした。
「なんか変な場所に来ちゃったな。どこなんだろ、ここ」時折雲から顔を出す月明かりを頼りにお互いの表情を探るように勇人が言った。
「ごめんね。私がしっかりしてれば……」
自分の情けなさに泣きたくなる。
「れいちゃんのせいじゃないでしょ!」
ぽんっと勇人に肩を叩かれ、そーだよ、れいちゃん考えすぎだよーって紗知もくすくす笑う。
「大丈夫だって。とりあえず明るくなるまで待ったら帰れるよ。ばーちゃんの山のどっかには変わりないし」
「うん……」
お母さんに勝手に外に出たらダメと散々言われていたのに、案の定迷子になってしまった。少しだけのつもりで、すぐ戻るはずだったのに。昼の山とは全く違う。
♪~
ふ、と心地よいメロディーが流れる。紗知の歌だ。
つられて、私も勇人も一緒に口ずさむ。
この曲、好きだなと思った。
迷子の状況は変わらないのに、3人で口ずさむだけでなんだか元気になれる。
「わあ!!!」
突如、右隣にいる紗知がごろんと寝転がったかと思えば声をあげた。
「見てみて!!ゆーとっ、れいちゃん!!」
バタバタと足と上下させながら紗知が寝転がるように促す。寝転がって上をみて、思わず息を飲んだ。
「すげーーー!!!真っ暗だから星がめっちゃみえる!!」
「わぁー!!星が落っこちてきそう!!」
勇人と私がほぼ同時に叫び、紗知が笑った。
一面に光る星。東京の家でも星は見えるが、数の桁が違う。こんなに星があるなんて知らなかった。こんなキラキラしているものが空に沢山浮かんでいられるのが信じられなかった。なんで落ちてこないんだろう。東京で見たときは、星はどこに隠れていたんだろう。
ひとしきりはしゃいだ後、一時の沈黙が起こると、眠気が襲ってきた。
「ねぇ、ゆーととれいちゃん、起きてる?」
「・・・うん。」
紗知の問いかけに、かろうじて私は返答したが勇人は黙ったままだ。おそらく寝ているんだろう。
「ゆーと寝ちゃったかぁ。全く、男の子なのにね!!」紗知が笑った。
「ねぇ、れいちゃん、明日東京に帰っちゃうんだよね?」
「うん……」
「また、遊ぼうね」
「もちろん!」
約束だよってお互い笑って、そのまま、私は意識を手放した。
「玲奈!!玲奈!!!」
身体を揺すられて目が覚める。目を開けると泣きはらしたかのようなお母さんの姿があった。朝靄が濃い中、大人たちが居なくなった3人に気づいて探しに来たのだろう。
「良かった、無事で……!!良かった……!!」
お母さんに抱きしめられ、ごめんなさい、と呟く。
寝ぼけた視界の中、少し離れたところに勇人も大人たちに囲まれていた。紗知は先に戻ったのかな、とぼんやり考えているとお母さんに手を引かれ、そのままおばあちゃん家へ戻った。
帰ってもまだ早朝だったが、荷物をまとめるように言われ、顔を洗って洋服に着替える。
「お母さん、出るのお昼くらいじゃなかったっけ」
「新幹線の時間が早まったの。時間がないから早く用意しなさい」
「私、ゆーとと紗知に最後に会ってきていい?」
玲奈の問いかけに、香葉子は荷物を忙しなくまとめるばかりで返事をしない。玲奈は、夜抜け出したことをまだ怒っているんだろう、と思っていた。時間がないのは本当みたいだし、自分は着替えが終わったので勇人と紗知を探しに行った。
縁側から、昨日のお祭りの名残がまだ広場に残っているのが見える。おばあちゃん家は広いから、大人たちは宴会のあとほとんどの人がこのまま泊まっているのを知っていた。勇人もここに泊まっているはずなのだ。
居間に行ったところで、勇人と簡単に出会うことが出来た。
どうやら玲奈たちが朝出発すると聞いて待っていてくれたらしい。
「良かった、会えて!急に早く帰ることになっちゃって」
「いやぁ、お父さんとお母さんにめっちゃ怒られたー」
にしし、と勇人が笑うので玲奈も釣られて笑った。
「うちなんてお母さんあんまり目も合わせてくれないんだよ。後でゲンコツかもー」
頭を抱えるふりをして、ぺろっと赤い舌を出した玲奈に勇人は笑いながら肘で小突いた。
「あ、ねぇゆーと、紗知知らない?最後に会いたいんだけど……」
勇人はふっと会話を切って目線をずらした。部屋で周りにいる大人たちを見渡し、玲奈に向き直る。
「いや、俺は見てない」
「そっかぁ」
「れいちゃん、元気でな。また会おうな」
勇人が手を差し出してくれた。玲奈はつい頬が緩んで、そして目の前の、小さいけれど男の子の手をしっかりと握り返した。
「うん。勇人も元気でね。毎年遊んでくれてありがとう」
そこで勇人と別れ、香葉子に呼ばれるまで玲奈は紗知を探した。広場にも出てみたが、どこに行っても紗知は居なかった。
香葉子と玲奈は、挨拶もそこそこに呼んでおいたタクシーに乗り込んだ。
来年も見ることになるだろうと窓から見た山の景色は、この後、しばらく見納めになる。
次の夏を迎える前に、母親である香葉子が遺体で発見されたのだ。