影
散らかったクレヨン
取り上げられた絵日記
泣き叫ぶ私の声
目の前にいる人の顔は逆境でよく見えない
その人の手が上がったかと思うと、
私の顔めがけて思い切り振り落とされた。
どっ。
心臓がいっきに早くなる感覚で一気に目が覚める。呼吸が荒い。額からは大量の汗。目線を横にすると、見慣れたタンスの横に制服がぶら下がっていて、自分の部屋だと再認識する。
懐かしい、嫌な夢を見た。
昨日、家に帰ってから探していたのは正に夢に出てきたはずの絵日記。クローゼットから昔のアルバムや日記を取り出して記憶を遡った。長野に行ったことや勇人と遊んだ日記は見つかったのに、紗知の記録を見つけることが出来なかった。アルバムにも、紗知のものは1枚も見当たらない。
私の記憶違いの可能性も十分に有り得た。昨日、あの歌声を聴くまでは。
あのメロディーが、紗知が実在した人物であることを痛いくらいに私に誇示していた。
この、何かしていないと悪夢に取り憑かれてしまうような焦燥感が、何故か体験したことがあるような気がして、すぐにお母さんが死んだ後のことだと妙に納得する。
先ほどの悪夢を見るのは初めてではない。お母さんの死後、度々見ていたが最近は見ることがなくなっていた。そうやって、自分を苦しめていた映像でさえ、月日が経つと共に風化していたことに気づく。
最初は、聴いた曲を思い出したいだけの興味本位だった。幼馴染が芸能人になっているかもしれない。
けれど、紗知と黒島家と母の死をひとつなぎに思い返したその時から、この歌を通して黒島家のことを思い出せるかもしれない、お母さんの死と繋がる何かを見つけ出せるかもしれない、といった願望にいつの間にか変わっていた。何より、自分の中に渦巻く違和感が、この機会を逃してはいけない、と言っているように感じた。
*****
結局、悪夢で目覚めてから再び眠りにつくことは出来なかった。
頭が重い。私は少し早めに学校に登校して、窓側の自分の席に腰掛ける。
外はきれいな青空。ぽっかりと浮かんだ大きな積乱雲の白が眩しくて、思わず目を伏せる。まだ教室に来ている人はまだらだったので軽く眠ろうかとそのまま瞼を下ろす。
うとうとと夢の世界に入りかけたとき、ぽんと肩を叩かれた。
「おはよ!玲奈どうしたの、元気ないじゃん」
顔を上げると茉莉が顔を傾けて私を覗き込んでいる。いつもは下ろしているセミロングの明るい髪をポニーテールに縛っていた。
「あ、茉莉。おはよー」
何にもない、と言おうとして思いとどまる。茉莉には、言ってしまおうか。
「あのね……」
私は昨日の大型スクリーンから流れてきた曲に聞き覚えがあるけれど思い出せないこと。幼なじみが歌っていた声にそっくりだと言うことを簡単に説明する。
「幼なじみかぁ・・・。てゆうかさ、調べてみれば良いんじゃない?何か分かるかも!」
「え?」
「あれ、何のCMだっけ……」
制服のグレーとグリーンのチェックのスカートからスマホを取り出し弄る茉莉を見て、紗知の記憶を辿ることしか頭になくて、CMから検索するって言われてみれば当たり前のことを思いつかなかったことに気づかされる。
「あったぁ!!謎の新人CM曲に大抜擢……顔出ししてないみたいだね」
「名前は?」
「えーっと……さくら、だって。」
「さくら……」
紗知、ではない知らない人の名前。
その後も調べてみたが露出している情報はあまりにも少なくて、なかなか記憶を手繰り寄せることができなかった。
茉莉はさくらの出ていたCMをYouTubeで探し出し、イヤホンを片方差し出してくれた。ありがとう、とお礼を言って右耳にイヤホンを入れる。
すぐに曲が流れてきた。
綺麗。
改めて聴いて、単純にそう感じた。
最初の一声からさくらの周りの空気が声に共鳴して震えているのが伝わってくる。どこまでも響くようなハイトーン、透明感があるのに芯の通った歌声に、私はもう心を奪われていた。
ふわっと、自分の口から音が零れた。無意識に一緒に口ずさんでいた。
茉莉が驚いたように私を見たが、すぐに素敵な曲だね、と言ってくれた。うん、多分、私が昔から好きだった曲だ。
30秒のCMが終わったタイミングで担任教師が教室に入ってきて、一斉に生徒たちが自分の席に移動をはじめる。私はイヤホンを持ち主に返し、自分の席に座り直した。
やっぱり、この歌声と共に私の脳裏にやって来るのは壮大な山の景色に溶け込む、黒髪の美少女だった。
話し相手が居なくなると、すぐに睡魔が襲ってきた。教師の声も耳に入らなくなり、無抵抗に重たくなった瞼を下ろす。
小学生の私が黄色のクレヨンで星をたくさん描いていた。
星の周りを黒で塗りつぶし、星空が完成する。
星空の下には寝転がる3人の姿。
気づいたら完成したばかりの絵日記は取り上げられていた。
返してもらおうと立ち上がったところでクレヨンの箱が落ちてバラバラになる。
怒鳴り声と
私の泣き叫ぶ声
逆境で顔が見えないその人は
私の頬を思いっきりビンタした。
ごめんなさい
ごめんなさい
私はただ何かに謝っていた
そうして
また相手の手が上がる。
ごめんなさい
もう叩かないで
――――――おかあさん
お母さんがまだ生きていた頃の出来事。
あの歌が運んできた記憶は、良いものとは限らない。