エピローグ
月光が愛に目覚めてから約一ヶ月後。
太陽の明るい昼日中。
「それで、やはりダメですか」
「ええ、嫌です」
「どうしても?」
「何がなんでも」
それは、奇妙な光景だった。
よくある木製の机に紅茶の入ったカップが二つ。
女と少年が相対する形で座っている。
かたやスーツに一纏めにされた髪、理知的なメガネの、冷たい印象を与えるキャリアウーマン。
かたや黒髪黒目の中性的かつ幼い顔立ちの少年、ちなみにまだ六歳。
スーツの女は少年に哀願の視線を向け、しかし少年はそれを困ったように、気遣うように苦笑を浮かべ拒絶する。
女は呆れと疲れを含ませた声を少年にかけた。
「……ハァ、どうして断るのです? 言ってしまえば億万長者ですよ? 人生薔薇色ですよ?」
「じゃあ明美さんが社長やればいいじゃないですか。それに伯父の会社の八割を回していたのは明美さんでしょう?」
明美と呼ばれた女は理論的に目の前の少年、丹生 月光を諭しにかかる。
「いいですか? 確かに私は能力的には凄まじく、現役研究者兼前社長兼故・会長であり、貴方の伯父であるあの方より遥かに有能です」
「じゃあいいじゃないですか」
「駄目なのです。私では駄目なのです」
「何故?」
「私はいわゆる秘書かつ黒幕ポジなのです……というのは冗談ですが……何でしょう、“器”が足りないのです」
小首を傾げて説明する姿はその冷たい印象からのギャップも合間って妙に可愛らしい。
「“器”?」
「はい“器”です。世界最大最強の軍需会社『ウロボロス』を継ぐにはふさわしい“器”であり“格”が必要なのです」
「……えーっとですね、ふつうそれを6歳の子供に求めますか?」
この壮大な話に何度目かの苦笑を浮かべる月光。
「求めません、本来なら」
それを一刀両断する明美。
「もしかしてそれは伯父の遺言ですか?」
それらしい理由を聞けば、
「いいえ私の意思です」
否と返ってくる。
「はぁ」
事態を飲み込めない月光に明美は畳み込むように喋る。
「貴方の伯父であるあの方は、要塞ごと自爆する前に仰いました。『とりま全資金避難出来たな? ぶっ壊されて不良債権化した工場は誰ぞに擦り付けたな? おk、じゃ全資金の六割お前の退職金、四割はドラコにまわせ……これで世界が良くなるなんて妄想してる勇者に、現実を見せてやるぜ』……と」
「70歳行ってたけど元気な人だったよね」
「ええ、老いてますます盛んな方でした……ポッ」
「明美さん、無表情でポッて言われても……」
そのツッコミ通り、彼女は頬に手を添えてはいるが赤くなってないどころか表情も変えていない。
「こほん……そしてあの方の希望通り、世界はより酷くなりました。世界最大最強の軍需会社が潰れた影響は凄まじく、大量の失業者が溢れ返り、ドミノの如く傘下や取引先の中小企業が倒産し、数多の世界経済が破綻寸前、果ては世界界経済にまで影響を与える始末。さらに我々の握る汚職情報の二割を勇者の手柄として密告、さらに混乱加速、ドラコ率いる民間軍事会社(PMC)が戦争紛争革命の火種を辺り構わずばら蒔く……結果、勇者召喚した世界はバッシングに曝され、世界界中で争いが爆発、勇者は全世界の憎悪のもと処刑……鎮魂歌にしては上出来ですねフフフフフフフフフフフフ」
「あ、明美さん? 明美さーん?」
「だいたい生意気なんですよ、こちとらキッチリ金払って新兵器実験場として国ひとつ買い取ったのに、わざわざ無能をその世界の代表政府の長まで引き上げてやったのに、なんですか? 亡国の皇女? そう言えば権力争いでプチッと潰した国がありましたね。あの世界最大の国だったそうですが。勇者召喚? 他力本願いいですね! 私たちの自然豊かな美しい世界を守って? 自然しか自慢がない田舎世界の分際で!!」
「明美さん!? 聞いてますか?!」
「何でしょう月光様、ああ召喚した世界ならケチがついて値が暴落したので丸ごと買い締め上げてやりました。土地、利権、人権その他何もかも。そう言えば月光様はもうすぐ誕生日でしたね」
「明美さん! 明美さんってば! 目のハイライト消えてます!! 落ち着いて! あとそんな手に余るプレゼント要らないよ!!!」
「ハッ!…………失礼しました。少々取り乱しました」
「う、うん。疲れてるんですよ」
「話を戻しますが、実はこれ、ほぼ我々の独断です。あの方が作られた火種にガソリンスタンドとTNT火薬工場とナパームミサイル束にして突っ込んだのは我々の独断なのです。それは何故か」
言葉を切った明美に月光ははっきり断言した。
「愛してたんでしょう? 伯父さんを」
「はい、愛しておりました。そしてそれが“器”なのです」
明美は続けた、いつかの日を懐かしみながら。
「はっきり言ってあの方は非才な方でした。しかし他者を喰い物にする才能と誰かの全てを受け入れる度量が飛び抜けておりました。私とドラコはそこに惚れ込みあの方の部下になったのです。あの方は我々の予想を容易く越える容赦ない発想と、懐の深さで次々に企業を飲み込み発展、たった一代で『ウロボロス』を完成させました」
「それを僕に期待していると?」
「はい、それが“器”なのです」
「と言われましても……仲良くして酷いことを考えればいいんですか? でも仲良くするのはともかく、酷いことを考えるのは自信ないです……」
「……そうですか。ところで月光様、そのイス、中々のご趣味で」
この言葉に月光は花が咲いたようにパッと笑った。
「でしょうでしょう! 特にこの飾り、母の形見なんです! ちょっと迷ったけど欲しがってたのでこの子を飾るのに使いました! まだありますしね!」
「月光様はその事をどう考えてます? その子をどう思っているかでもいいですが」
「どう考えているか、ですか? “誰かを愛するのは素晴らしい”と考えてます! それにどう思っているかなら“大好き絶対逃がさない”ですね!」
この台詞でイスがびくりと震えたが、明美はさらに続けた。
「失礼ながら貴方に監視をつけていました。本当に殺されそうになったら拉t……こほん、救出するために。その監視をどうしました?」
この話に月光は猛烈に落ち込み、かなり悲しそうに言った。
「……死んでしまいました」
「何故?」
「コソコソ僕を探ってたからストーカーかと思って、ならしっかり愛し合い、理解し合いたいと捕まえて48時間連続でクチュクチュしたらいつの間にか死んでいました……まだシたいことたくさんあったのにな……」
「あぁやはりあの塊はソレでしたか(プロの偵察兵をどうやって……)」
ちらりと赤黒い塊に目を向け、しかしすぐに興味をなくす明美。
「ではあそこで発情した犬か猿のように自慰を行っている少年は?」
「眠いって言ってたからよく眠れるように母のノートを参考に作ったクスリを打ち込んだらああなりました。まぁ幸せそうだからいいでしょ?」
そう言えば上の家庭菜園に混ぜれば初めて毒薬にも麻薬にもなる植物が大量に育ててあったなと明美は思い出す。
「あそこのぼろ雑巾は?」
「イライラするのは運動不足だからです! だから毎日一時間ほど取っ組み合いしてストレスを解消させてるのです!」
「その抱き枕は?」
「この子だけは僕を無視してましたからね、まずは僕のことを認識してほしくてゆっくりゆっくり、抱き締めてるんです」
そう、月光は“抱き枕”に力を込めていく。
明らかに骨が砕けていく異音と絶叫が響くが明美は特に気にせず質問を続けた。
「このキャンドルは?」
「え? 空気はちゃんと循環してますよ」
「いえ、そうではなく何故泣いてるのです?」
「あぁ、聞きます?」
ぐいっと“キャンドル”がつけていたヘッドホンを取り、月光は明美に渡した。
『月光くん大好き!』『ツッキー一緒に遊ぼうぜ!』『つきひくん楽しいね!』『月光くん!』『つきひ!』『また遊ぼ!』『あはははは!』『え? 誰それ?』『なんだろ、聞いたことある気がするけど忘れちゃった』『私も覚えてないわ』『そんなことよりかくれんぼしよ!』『月光くん行こ!』『ツッキー!』『キャハ『はははは』『ハハハハ』『アハハハハハハ』!!!!!!』
「なんですかコレ?」
「僕の友達との会話の録音です♪」
「なら何故泣くのです?」
「さぁ……きっと懐かしい友だちの声が聞けて嬉しいんですよ!」
「ふむ……その磔の女は?」
「シスターにも主の愛を理解してほしくて! 無意識に愛を実践していたシスターならきっとその域に到達するはずです!!」
キラキラした目で周りを見渡す月光。
己の為した愛を眺め満足げだ。
その様子を見て本心で言っていると確信した明美はしかし、どうしてもわからないことがあった。
「しかし……ここにいる行方不明者達は貴方をいじめ、虐待していたでしょう? そんな彼らを何故愛していると?」
この疑問に月光は首をかしげる。
彼にとってはあまりにも当たり前なことを聞かれたからだ。
故に月光は答えた。
「わかりません」
「は?」
困惑する明美に月光は続けた。
「えっとですね、貴女が仰ってるのはまるで“どうやって息をしているの?”と聞いてるようなものなのです」
「……息をするように他者を愛すると?」
「えぇ、例え殺されようと僕は彼らを愛し続けます。だから、話を戻しますがそんな僕だから―――僕は誰かを愛せても酷いことなんてできませんよ」
そう、ちょっとだけ誇らしげに月光は笑った。
しばらく何かを考えていた明美は、ポムと手を打ち提案した。
「……わかりました。では言い方を変えましょう。月光様、貴方は我々の全てを肯定し受け入れてください。そして我々はそれだけで十分ですので私のお願いする相手を愛することを考えて頂けませんか?」
「んー、貴女達の全てを肯定し受け入れるのはいいですが、あいにく僕は自由恋愛推奨派なので……」
噛み合っているようで微妙に噛み合っていない会話がこの後も続いたが、明美の提案を月光はのらりくらりとかわす。
一時間ほど交渉は続いたが結局明美は保留という形に持っていくので精一杯だった。
「ハァ……わかりました、三顧の礼とも言いますからね。気長に説得させてもらいます」
「ふふふ、またお待ちしております」
「えぇ、我々が新たに立ち上げた投資ファンド『ヒュドラ』は、いつまでも月光様の御越しをお待ちしておりますから」
「説得なんか気にしないで、疲れたらいつだって休みに来てください。お茶を出して、愚痴くらいなら聞きますから!」
ニッコリ笑った月光に、無表情な元秘書ははじめて柔らかく微笑んだ。
月光に見送られ地下室から出てきた明美は、そのまま礼拝堂から出た。その扉の脇に寄りかかって立っていた男が明美に声をかける。
短く刈り込んだ金髪に鋭い碧眼、引き締まった筋肉と高い身長。これだけ聞くと異性にモテそうな条件が揃っているように聞こえるが、黒いシャツと迷彩服のズボンというゲリラのような格好と、その全身から立ち上る野獣の如き暴力のオーラが遠巻きにすることすら許さない。
首から下げたドッグタグには英語表記で『ドラコ』とだけ刻印されている。
「……どうだった?」
しかしそんな野獣を通り越して魔獣のような男に、明美は機械よりも冷たい眼を向ける。
「ドラコですか。なぜここに?」
「ん、俺もあの人の甥っ子に興味があってな。ちっとヘリ飛ばした」
「貴方には仕事を、行方不明者の隠蔽を任せたでしょう?」
「部下に押しつけたさ……で? 結論は?」
明美の眼はすこし咎める光を宿していたが言っても無駄なのはわかっているので、さっさと質問に答えた。
「まったく……結論は黒です、もう真っ黒ですよ」
それを聞いたドラコはニヤリと野獣のような顔を凶悪に歪めた。
「やはり月光様は“魔王の器”をお持ちです」
「クックックッ……ならまた“勇者”と戦争か」
「ええ、“魔王の器”は故・会長のように我々に巨万の富をもたらします。今度こそ“勇者”に殺されないように守りきり、恒久的に我々に益をもたらしてもらいましょう」
クイッと眼鏡を上げて冷ややかに告げる明美、それに『しかたねぇなあ』みたいな表情でドラコはツッコむ。
「……素直じゃねぇなぁ、フツーに大切で心配だから殺されないように守りたいですって言やいいのに。知ってるぜ? 日本じゃツンデレって言うんだろ?」
「もぎますよドラコ」
「へいへい。じゃ、仕事だ。作戦通り動くから、株の売買は頼むぜ」
「任せなさい、勇者も魔王もいない今、我々はただの一企業。とくにイベントもなくこの作戦は成功するでしょう」
そう言って明美は黒塗りのクルマに、ドラコはヘリに乗り込み教会を後にした。
二人が去った後、風に乗ってちぐはぐで適当な鼻歌が辺りに聞こえたそうな。