じゅぅに 食卓
更新が遅い。遅すぎる…
「「「いただきます!」」」
東関東の静かな港町「涼ヶ丘」を一望出来る小高い丘の上、今は亡き佐伯俊夫邸の居間に、二人の男と四人の少女の声が響いた。
「飯!飯だ!!」
クーの女の子にあるまじき汚い言葉遣いも、空腹の前にはさほど気にならない。
「ちょっと材料と時間が無かったけど、美味しく出来てると思いますよ」
エプロンに身を包みながらアシュレイが微笑んだ。
俺が隣町のショッピングモールにクー達の服やその他の日用品を買出しに言っている間、アシュレイが先に飯の支度をしていてくれていたらしい。
居間のテーブルにはハンバーグやソーセージ、ジョガイモ料理など、いかにもドイツ人らしい夕飯が並んでいた。
「日本人であるユキさんの口に合うか分かりませんけど…」
アシュレイが少し心配げに向かいに座っている俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、ありがたいよ。いつもコンビニの弁当で済ませてたから」
男ならもっと堂々としろ!といらぬ注文をつけたくなったが空腹であったことと食事を用意してくれた恩からその言葉は引っ込めておくことにした。
もっとも、俺の家(正しくはじいちゃんの家だが今は俺の家だ)に住ませてやるんだから、これぐらいはしておいて然るべきかもしれないが…
「む!美味い!!」
俺が感想を言う前に、クー達が先に口を開いた。
子供だけあって食事に手をつけるのが早い。
「…結構いけるわね」
「おいひいほぉ」
まだ年端もいかない(生まれてから60年以上経ってはいるが)小さな少女達のかざりっけの無い純粋な誉め言葉に、アシュレイも頬を緩ませていた。
その光景を見て、自分が誉め言葉を掛けた時にでも、あんな笑顔を見せるだろうかと不思議な考えが頭をよぎった。
答えは、きっとNOだろう。
大人の(それも男の)俺が言ってもそうはならない。やはり子供というのは、人間の感情の深いところに直接訴えかけてくるような魅力を持っているわけだ。
もちろん、それは人間兵器として加工された彼女達とて例外ではない。
「ちょっとクー!あんたジャガイモ取りすぎよ!」
「アン、サバンナの草原では力ある者のみに食する権利が与えられるのだ…日本の食卓とて例外ではいない!!」
テーブルの互い向かいに座るアンとクーが、卓上の中央に添えられたベーコンを乗せたジャガイモ料理の取り分をめぐっていがみ合っていた。
なんとも子供らしい。
傍から見ていてなかなかに微笑ましい光景だ。
だが、こんなおどけない少女たちも、歴史が一歩、いや半歩違っていたならば殺人兵器として一生を終えていたかもしれない。
60年以上前、ヨーロッパで苦しい戦いを強いられていたナチス・ドイツが、戦局挽回のために開発したのが彼女達だった。
クー達は幼い外見とは裏腹に、強靭な肉体とすさまじい暴力(これは昨日我が家の壁を粉砕したことで確認した)、さらに極限まで高められた学習能力を併せ持っている。
それも全て戦争遂行の道具として作られた結果だ。
60年経っても外見にほぼ老化が見られないのも、子供であったほうが敵を欺きやすいためだろう。
そんな生い立ちを知れば、彼女達の綺麗なサラサラした黄金色の髪も、白い柔肌も、兵器としての凶暴性を隠しぬく為に羽織られたオブラートのように見えてならない。
しかし、
「ちょっとサン!なに人のご飯食べようとしてんのよ!!」
「だってご飯少ないだもぉん…」
しかしそれでも、こんな子供っぽい姿を見てしまうと、彼女達と、毎日家の前を通る近所の鬼ごっこが好きな子供達の間に、なんら相違点など存在しないと思ってしまう。
「だぁーから人のを取るなって言ってんでしょーー!!!」
やはり彼女達も子供なのだ。
その横顔を見ていると、穢れのない純真さに心が透き通される気がして、どことなく彼女達の笑顔を永遠に記憶しておきたくなる。
かつてのナチスの軍人、つまり彼女達を作り上げた人々、アシュレイの祖父達が、彼女達を日本に脱出させるという選択を取ったのも、このような心理が働いていたのだろうとどうしても思ってしまう。
彼らのうちの誰かが、彼女達を戦場に送ることに躊躇したのではないか、彼女達に戦争兵器ではなく、ただの少女として60年前のあの時代を生き抜いて欲しかったのではないか。
これは単なる願望に似た推測だ。事実とは異なるだろう。ナチスの戦争遂行者達が情に流されて行動することはあるまい。
しかし、どことなく、そんな気がしてならないのだ。
彼女達の綺麗で純真な横顔を見ていると、心が揺さぶられるような気がして───
「───て、おい」
悠久の歴史、半世紀以上前の軍人達の世界から食卓に視線を戻すと、俺の皿に怜が箸を伸ばしていた。
「…怜、人のものに勝手に手をつけるな…」
怜が少し悪い考えに身を任せてしまったのだろと思い、躾のためにもちょっと凄みを加えた口調で注意した。
が、次の瞬間に、コレが怜のいたずら心からしでかしたことではないのが分かった。
怜の料理を盛り付けた皿が、盛大にひっくり返されていたのだ。
具が悲惨なまでに飛び散っていた。
つまり自分の分が台無しになったので俺の分に手をつけようとした、と…
もちろん、俺が次の瞬間頭に浮かべた疑問というのは
「おい、それどうして───」
その言葉は途中で、甲高い金切り声によって遮られた。
「ちょっとクー!!!アンタいい加減遠慮しなさいよ!!!ちょっとは遠慮しなさい!!!全部一人で平らげるつもり!!?半分よこせっつーの!!!」
「ムー!!ほほふぁる!!!(断る!!!)ははいほのふぁひふぁ!!!(早いもの勝ちだ!!!)」
「この大食い野郎!!!アンタの光速消費に間に合うワケないでしょ!!ノド笛掻っ切ってやるわよ!!!」
飯をめぐるクーとアンとのいさかいが、卓上を舞台にした紛争に発展していた。
怒鳴り散らすアンと飯を片っ端からほおばるクー、二人の喧嘩のとばっちりを受けて皿をひっくり返された怜に、時々アンが振り回す腕に頭をぶつけておろおろするサン、喧嘩するクーとアンをなだめようとまったく拘束力の無い呼びかけを続けるアシュレイ。
もはやテーブルは飛び散ったおかずで悲惨なことになっていた。
ぐちゃぐちゃになった自分のおかずを前に、どうにかして欲しい、とどことない感情のこもった瞳でこちらを眺める怜がかわいそうでならない。
クーとアンの二人は依然としてお互いの箸をぶつけ合って格闘していた。
「…うん、そろそろ怒ったほうがいいな…」
そうつぶやいた次の瞬間、クーの皿に盛り付けられたハンバーグを射止めようと放たれたアンの箸を、クーが見事に捌いた。んが、その衝撃で側に置いていたハンバーグソースが盛大に吹っ飛び、俺の顔に茶色のソースがたっぷりぶちまけられた。
ちょっと酸味のきいた甘辛いソースが、肌を潤す。
俺が、その次の瞬間に張り上げた怒号のすさまじさは、翌朝、ご近所さんの井戸端会議の主題になるのに十分だった。