Episode25 王子様
『おにいちゃんたすけて』
と書かれた紙をチビ殿から差し出されたのは、今まさに師匠と甘い口づけをしようとしている時だった。
師匠を抱き寄せ、彼女の首筋に手を沿わせたその瞬間、チビ殿が師匠の肩越しにそれを突きつけてきたのだ。
「どうした、怖い夢でも見たか?」
思わず尋ねると、チビ殿より先に師匠が飛び上がる。
彼女は背後のチビ殿に気づき、真っ赤になって私を押しのけた。
少々寂しいが、師匠はチビ殿がいる前での過度なスキンシップを嫌がるのだ。
故にこうして深夜遅くに、人目を忍んでリビングでイチャイチャしていたのだが、どうやらチビ殿は起きていたらしい。
『いちゃいちゃしてるのにごめんね』
謝罪を挟むチビ殿に、師匠が先ほどより更に私と距離を取る。
「ぜ、全然良いわよ! っていうか、いつの間に覚えたのよその単語」
チビ殿らしからぬ単語に師匠が尋ねると、彼はアルファに教えて貰ったのだと私たちに告げた。
それに納得していると、チビ殿がスケッチブックのページをいくつかめくった。
事前に書き記していたらしいその文字は、やはり『たすけて』。
これもまた、チビ殿らしくないなと思い、私と師匠は彼に事情を聞くことにした。
「それで、何をどう助ければ良いのだ?」
尋ねると、チビ殿はまたしてもページを送る。
『あるふぁに、いちゃいちゃをおしえてあげてほしいの』
「いちゃいちゃとは、師匠とするようなイチャイチャで良いのか?」
試しに師匠を抱き寄せると、チビ殿は大きく頷き、師匠には太ももをつねられた。
「しかしなぜイチャイチャなのだ? まさかアルファに彼女でもできたのか?」
それなら私も知っているはずだと首をかしげていると、今度は薄い本のような物を、チビ殿は差し出す。
「これ、劇の台本みたいね。もしかして、この前言ってた発表会の奴?」
師匠の質問に、チビ殿はこくりと頷く。
そういえば、発表会の話は私も聞いていた。
チビ殿の学校では春に「演劇祭」という物があり、チビ殿のクラスも参加するので、それを見に来てほしいと頼まれたのだ。
確か演目は白雪姫で、チビ殿は悪い魔女……ならぬ悪い魔王に選ばれ、毎日張り切ってリンゴを差し出す練習をしている。
ちなみになぜ魔王なのかというと、魔女をやりたがる女子が誰もいなかったからだそうだ。
ならばここは、悪者に慣れた自分が引き受けるのが道理と考え、チビ殿は魔女役に立候補したらしい。
そしてそれに先生がいたく感動し、チビ殿のために魔女を魔王に変えてくれたのだそうだ。
まさに、魔王の鏡である。
「そういえば、チビの役は聞いていたけどアルファのは知らないわね」
ぽつりとこぼした師匠に、私も同じく聞いていないことを思い出す。
実を言うと、『男らしさの授業』の一件で師匠にしこたま絞られてから、アルファは私たちと距離を置きがちだった。
私は気にしていないのだが、あのときは私で遊びすぎたと彼はひどく反省したらしい。
むしろ遊んで貰って構わないのだが、アルファは義を通す男なので私に顔向けができないと思っているようなのだ。
そしてどうやら、それが原因でチビ殿が私にSOSを出したようだ。
『あるふぁ、おうじさまなの』
「おお、準主役ではないか!」
私は手放しで喜んだが、チビ殿の表情は優れない。
『でもあるふぁ、ぜんぜんよろこんでない』
チビ殿曰く、アルファが王子様になったのは先生の指示らしい。
どうやらアルファは、学校で女の子と喧嘩ばかりしているそうなのだ。
それを見かねた先生から「女の子に優しくする事を覚えなさい」と無理矢理王子様役を与えられ、彼は今絶望の淵に立たされているらしい。
そこまでの説明を聞いて、笑い出したのは師匠だった。
「たしかに、アルファって女の子の扱い下手そうね」
「笑い事ではないぞ師匠。下手だからこそ、アルファに王子様は酷だろう」
チビ殿が渡してくれた台本を見る限り、王子の台詞はアルファが嫌うタイプの物ばかりだ。
つまり、私が師匠に囁く愛の台詞や褒め言葉である。
「最近機嫌が悪そうだったのは、きっと慣れない愛の告白に苦心していたからだろう」
その上先の一件を恥じて私たちに相談もできず、悶々としていたに違いない
『いっしょにれんしゅうしたけど、ぼくじゃだめだった。だから、おにいちゃんにたすけてほしい』
お願いしますとチビ殿に頼まれて、もちろん断れるわけもない。
それにここで役に立てば、またアルファに遊んでもらえるかもしれない。
「いいだろう、早速明日、私がイチャイチャと告白のやり方を教えよう」
快諾すると、チビ殿は嬉しそうに私に抱きついた。
翌日、私と師匠はガレージをのぞきに行った。
人前だと練習がはかどらないので、二人はいつもここで劇の練習をしているそうなのだ。
「もうっ、こんな台詞言えるかよ!!」
そして案の定、中を覗けばアルファが台本を地面にたたきつけている。
これはそうとうに苦労しているようだ。やはりここは友として、手助けせねばなるまい。
「そう怒るなアルファ、愛の告白なら私はプロだぞ」
胸を張ってガレージに入ると、アルファは顔を真っ赤にして飛び上がった。
「なっ、なんでここに」
「チビ殿からSOSを受け取ったのだ」
事情を説明すると、アルファはひどく不満げな顔でチビ殿を小突く。
「よりにもよって、何でこいつに言うんだよ」
『おにいちゃんならいえるのにって、あるふぁがきのういった』
「あれは愚痴だし……!」
怒鳴り声に覇気が無い所を見ると、アルファの方も私に助けを求める事を考えていたのだろう。
「でもなんで、魔王はともかくなんで姉ちゃんまでくんだよ」
「冷やかし」
とにこやかに言い放つ師匠に、アルファはもちろん怒り出す。
「ごめんごめん冗談よ。ほら、お姫様役がいると思ってさ」
笑いながら、地面に横たえられたお姫様代わりのバービー人形を指さす師匠。
「お姫様ってキャラじゃないくせに」
「失礼ね。こう見えて、小学校の時は劇でシンデレラ役やったんだから」
アルファは信じられないという顔をするが、私は妥当だと思う。
「師匠は幼い頃から可愛かったからな。魔法のドレスやガラスの靴も、よく似合っただろう」
いつものクセで抱き寄せながら褒めると、師匠は赤くなり、チビ殿は感激した顔で手を叩く。
『すごく、おうじさまっぽかった』
スケッチブックまで差し出されると、さすがに照れる。
「たしかに、王子様っぽいけどさ」
「今ので良いなら、何回でもできるぞ」
「いやいい、恥ずかしくて見てられない」
だから代わりにここを読んでくれと、アルファが差し出したのは台本だ。
何度も読んだのか、はたまた先ほどのように地面にたたきつけすぎたのか、台本はだいぶ汚れていた。
「このキスする前後の所。ここがもの凄くクサすぎて、全然できないんだよ……」
たしかに、書かれた台詞はアルファの性格ではなかなか難しそうだ。
なので早速、私は師匠をお姫様役にして、台本を片手に読んでみる。
「なよっとしすぎてるのは嫌だから、できるだけかっこいい感じで頼む」
『あといつもより、3ばいくらいあまめで』
二人の言葉に頷いた私は、さっそく地面に横たわる師匠の側にかしずき、まずは彼女の手を取った。
「おお、なんと美しい姫だ。今すぐ抱き寄せ、口づけを落とし、その白い肌に赤き愛の刻印を散らしたい」
「ってちょっと待て!!!」
ここで、なぜか師匠が声を張り上げる。
毒リンゴで寝ている役だぞとたしなめたが、師匠は聞いてはいなかった。
「なんか、ちょっと台詞がやばくない?」
「やばいとは?」
「小学生の劇の割に、表現が大人向きすぎる気がするんだけど」
でもこれは台本通りだというと、アルファが何とも複雑な顔でため息をつく。
「それうちの先生が書いた台本なんだ。……でも先生、ハーレークイーンが大好きでさ」
『まいにちよんでるよね』
「それで、自分がきゅんときた台詞とか表現を台本にしちゃうんだよ」
つまり、表現が少々大人向けなのはその先生の趣味らしい。
「でも、毎年これがお母さん達に受けてるんだよな。良い迷惑だけど」
「……そういうことなら、まあいいけど」
台本通りならしかたがないと、師匠もようやく納得する。
そして彼女がようやく演技に戻ったので、私は続きを読むことにした。
「愛しき我が姫、どうか今すぐ目を覚ましておくれ。その美しき瞳で私をみつめ、甘く可愛らしい声で私の名をよんでおくれ」
言いながら師匠の顎に手をかけ、私はついばむように師匠の唇を奪う。
しかし、師匠は目を覚まさなかった。それどころか先ほどよりきつく目を閉じていた。
「おい姉ちゃん、そこは起きるところだぞ」
「……無理。何かめっちゃくちゃ恥ずかしくて無理!」
「それじゃあ練習になんないだろう!」
「だって、こんなこっぱずかしいこと言われた後で目とか見れない!」
「いつも言われてんじゃん!」
「い、いつもはもうちょっとばかっぽいって言うか、犬っぽいから平気だけど、露骨にイケメンオーラ出されると心臓が保たないんだもん!」
真っ赤な顔で目を閉じる師匠は愛らしかったが、このままだと次の台詞が読めない。
なので仕方なく、ひとまず目覚めたと仮定し、私は師匠を抱き上げる。
「美しい姫、これからは永遠に私の側にいてくれ。白き肌も、薔薇の唇も、これからは私だけの物に」
そしてもう一度キスをした瞬間、師匠が恐る恐る目を開ける。
「ようやく私を見てくれたな。このまま目を開けなかったら、もう一度口づけをせねばと思っていた」
「い、今のも台詞?」
「いや、違う」
ただ口を突いて出ただけだと告げて、もう一度キスをしようとした瞬間、師匠の手のひらが私を押しのけた。
「やっやっぱりお姫様は恐れ多かったみたい……あとはバービーでやって……!」
転がるように私の手から逃れ、師匠は逃げるようにガレージを去ってしまう。
何か悪いことを言っただろうかと思わずへこんだが、チビ殿はなぜか褒めるように拍手してくれた。
『あるふぁも、こんなかんじでやったらいいとおもう』
「いや、これは俺には無理だって……」
そんなやり取りを眺めながら、私は逃げてしまった師匠に代わり、バービー人形を取り上げる。
でもやっぱり雰囲気が出ない。お姫様役は師匠がいい。
「もしかして、師匠は私の王子様が気に入らなかったのだろうか」
やはり魔王が王子様などおこがましかったのだろうかとこぼすと、アルファが気にするなと私の背中を叩いた。
「むしろ、はまり役過ぎたんだよ」
「じゃあ、アルファの参考にはなったか?」
「……まあ、一応」
でもやっぱり難しいというアルファのために、私はバービーを姫様役に、このあと10回ほど王子様の台詞を繰り返した。
そして次の週末。アルファは見事王子様に変身し、発表会では無事に役をやり遂げた。
またそれ以来、彼の元には毎日のようにラブレターが来るようになったらしく、彼は鼻高々だった。
だが何より嬉しかったのは、彼が私とも遊んでくれるようになったことだ。
「なあ魔王、なんか女の子が喜ぶ台詞を教えてくれよ」
と相談までされるようになり、私は劇の練習に付き合ってよかったと心の底から思った。
【お題元】
「魔王にお姫様扱いされる師匠が見たいです」
「魔王なのに王子さまみたいなカッコいいシーンをみてみたいです」
などの質問やオーダーより作成。(微妙にかっこよくなくてすみません…)
オーダー本当にありがとうございました!