Episode21 本
師匠の口から奇声とも悲鳴ともつかぬ声がこぼれたのは、彼女が私の腕にくるまり、新聞を読んでいるときの事だった。
特段強く抱きしめたわけでもなく、不意打ちのキスをしたわけでもない。
なのにいったい何が師匠を驚かせてしまったのだろうかと思っていると、師匠は新聞を掴んだまま、私の方にくるりと向きを変える。
「見て見て見て! 明日街の書店に、スティーブン=マスクがくるんですって!」
それまでと打って変わり、ひどく興奮した師匠の様子に、私はちょっとだけ混乱した。
「すてぃーぶんますく?」
マスクと言うくらいだからプロレスラーなのかと尋ねると、「そんなんじゃない」と師匠は怒る。
「作家よ作家! 私この人の大ファンなの」
「しかし師匠の本棚で、彼の本を見たことはないぞ」
私が首をかしげるやいなや、師匠は私の腕を飛び出し、猛スピードで2階へと駆けていく。
何事かと慌てたが、それを追う間もなく、師匠はソファーに寝転がっていた私の所へと戻ってきた。
そこで、今度は私が小さな悲鳴を上げてしまった。
駆け戻ってきた師匠の手には本が握られていたのだが、その表紙にはおどろおどろしい殺人鬼と血まみれの美女が描かれていたのだ。
「あんたが怖がるから隠してたのよ。これがスティーブン=マスクの本」
「よければ、それは引き続き隠しておいて貰えると助かる」
「せっかくだから読んでみない? それで、一緒にサイン会いこうよ!」
「サイン会は構わないが、読む方は抵抗がある……」
と言うと、師匠はまた私の腕の中に潜り込んだ。勿論本は持ったままだ。ちょっと怖い。
「音読してあげようか?」
「そっそれは遠慮しておく」
「冗談よ。でも一緒にサイン会来てくれる? 朝早くから並ぶつもりだから、一人じゃ心細くて」
「構わないが、サイン会とは早朝にやる物なのか?」
「違うけど、あのスティーブン=マスクがくるのよ! 行列が出来るに決まってるわ!」
だから朝4時から並ぶという師匠。
むろん彼女をひとりで行かせるわけにはいかないので、私もついて行くことにした。
そしてサイン会の朝、私は魔剣にチビ殿のことを頼むと、師匠と共に街の中心部にある「サウザール書店」へと向かった。
サウザール書店はこの街で唯一本を扱う店で、とても小さいが普段はそれなりに賑わっている書店だ。まあささすがに、朝の4時ともなると人はいないが。
「さすがに早すぎたかしら」
「ちなみに、サイン会は何時からなんだ?」
「午前10時」
確かにちょっと気合いを入れすぎている気もする。
でもワクワクした顔で本を抱えている師匠はひどく愛らしかったので、それを指摘するのはやめておいた。
実際、二人で体を寄せ合って暖を取っていると、時間はあっという間だ。
日が高くなるにつれて通りには人が増え、彼らに「相変わらず仲が良いね」と声をかけられたりするので、それにこたえていると更に時間は過ぎていく。
だが10時まであと30分というところで、私はふと気付いてしまった。
「そういえば、私達の他に並んでいる人がいないな」
「新聞の広告が小さかったから、みんな気付かなかったのかも」
なるほどと頷いていると、そこでようやく、書店の店主とひとりの男が通りの向こうからやってきた。
男は、魔王である私でさえ「風変わりだ」と思う奇抜な格好をしていた。
服は古びたスーツなのに、その顔には目元から鼻までを覆うマスクを付けていいたのだ。
骸骨をかたどったそれは少し恐ろしい造形だったが、スーツがひどくくたびれている所為で、それほど恐怖は感じない。
ちなみに師匠はと言うと「本物だぁ!」となにやら目を潤ませている。
可愛らしいが、正直男に嫉妬しなかったと言えば嘘になる。明日あたり、骸骨のマスクを付けてみようか。
「はやいねぇ、今お店開けるから待っててね」
と、私達に声をかけたのは店主。
そこで男もこちらに気付き、何故だか「ぎくり」という擬音が聞こえそうなほど、慌てた様子で不自然に体を傾けた。
だが師匠は男の挙動を気にもとめていないらしく、「スティーブン=マスクさんですか!」と相変わらず目を輝かせている。
「そうだけど、君たちは……」
「ファンなんです! サインを貰うために朝の4時から並びました!」
そこでスティーブンは私達の後ろに誰もいないことを確認し、それからもう一度師匠に目を向ける。
「なんか、無駄に頑張らせちゃったみたいだな」
「無駄なんかじゃありません! 本当に大ファンですから!」
興奮する師匠に、どこか緊張していたスティーブンの雰囲気が幾分和らぐ。
怖いマスクを付けているが、悪い人ではないようだ。
むしろ穏やかに微笑む口元を見ていると、妙な親近感さえわく。
無精髭が生えている口元は決して清潔感があるとはいえないが、どうもその笑い方を見ているとほっとしてしまうのだ。
「じゃあ今日は君たちのためだけに、サインを書かせて貰うよ」
そういうスティーブンと共に店の中に入り、レジカウンターを挟んでサイン会は慎ましやかに始まった。
スティーブンはとても気さくな作家で、サインを書くだけでなく、師匠が矢継ぎ早に繰り出す質問にも丁寧に答えていた。
まあ質問の内容は、モンスターの殺し方をどうやって思いつくのかとか、殺人鬼の武器はどうやって決めているのかとか、非常に物騒な内容だったが……。
そして師匠がスティーブンとの会話に興奮していく中、私はあることが気になりだした。
師匠と喋るスティーブンの様子には、どうも既視感があるのだ。
前にどこかで見た、と言うレベルではない。むしろ二人の会話を頻繁に見ている気がしてならない。
何故そんなことを思うのだろうかと考えていると、ふとスティーブンと目が合った。
彼のブラウンの瞳に見つめられた途端、私の中で何かが閃く。と同時に体が無意識に動き、気がつけば私は、スティーブンのマスクに手をかけていた。
それが失礼なことだと気付いたのは、彼のマスクを取りさったあとだった。
だがそれを詫びるよりも、自分の考えが当たっていたことに、私はうっかり喜んでしまう。
「やっぱり、前に会ったことがあると思っていたのだ」
そういった直後、師匠が何て事をするんだと私に掴みかかった。
けれど彼女もまた、マスクの下の素顔に「あっ」と声を上げる。
「ええぇっ、スティーブじゃない!」
と絶叫する師匠の前の男は、店の常連客「スティーブ」だった。
今更だが、スティーブとスティーブンでは名前もそっくりである。
「声でもっと早くばれると思ったんだけどな」
と肩をすくめるその仕草も、スティーブそのもの。というか、本人で間違いなさそうだ。
「えっ? スティーブが、スティーブンなの?」
混乱する師匠に、スティーブは大きく頷いた。
それから彼は私の手の中のマスクを奪い、それをもう一度付ける。
店主は店の奥に引っ込んだままだし、他に客はいないのであまり意味はない気もするが、どうやらスティーブは、正体がばれて恥ずかしいらしい。
「でもスティーブ、トラック運転手だって言ってたじゃない! それにウィキペディアで見たけど、スティーブンはそれなりにいい大学も出てるし、離婚歴もあるって……」
師匠の言葉は、確かに今までスティーブ自身が口にしていたプロフィールとはまるで違う。
「ウィキペディアが正しいんだよ。なんつーか、俺も色々苦労しててさぁ……。歌姫ちゃんの前でくらい見栄を張りたかったんだよ」
それからスティーブは、作家になった経緯や、本が売れずに苦労した話を訥々と語ってくれた。
店では自由気ままで軽い男を演じているが、どうやら普段の彼は、相当な苦労人のようだ。
「小さい頃から怖い話が好きで、念願叶ってホラー作家になったのは良いけど、このとおり人気が出なくてね……。本も全っ然売れなくて、おかげで女房は子供と一緒に出てくし、本だけじゃ食べていけないからトラック運転手になって、そのついでに各地でこうしてサイン会とかしてるわけ。……まあ、殆ど人来ねぇけど」
「ちょっとまって、じゃあやっぱりスティーブ結婚してたの! 色んな街に恋人がいるってのも嘘?」
師匠が驚くと、スティーブは笑う。
「恋人もいないし、女房にも逃げられた哀れな男が俺さ」
「あとさっき、子供がどうとか言ってたわよね?」
「子供には時々会ってる。あっちはオレのこと、親父って気付いてねぇけど」
本当に苦労してるのねとしみじみという師匠に、スティーブはマスクの下で目を伏せる。
「いい加減、ちゃんとした仕事しろって周りからは言われる。……けど歌姫ちゃんみたいなファンが時々来てくれてさ、『新刊楽しみにしてます!』とか言われちゃうとなんか辞められなくてさ」
「うん。正直苦労はわかるけど、スティーブの新刊がなかったら絶対やだ」
言い切る師匠に、スティーブは嬉しそうに笑った。
「だからまあ、いい歳して作家を気取ってるわけ。前の女房にも、何があっても書くのは辞めるなっていわれてるしな」
どこか遠い目をするスティーブ。
その切なげな表情に、私は思わず彼の前に積まれていた本を手に取った。
「ならば私も応援しよう。少し怖いが、是非私を読者の一人に加えて欲しい!」
「嬉しいけど、俺の小説はお前さんには刺激が強すぎると思うぞ」
私が怖い物を不得手とすることを知っているスティーブは、やんわり本を取り上げようとする。
しかし私は応援すると決めたのだ。
例え恐ろしい絵柄の表紙に震えが止まらなくても、頑張って読みたい。
「これを買う。最近はお金も稼いでいるし、むしろ出ている本は全部欲しい」
「別に良いって。何だったら、歌姫ちゃんが持ってる奴を読ませてもらえばいいだろ?」
「でも少しでも売上げに貢献したいのだ! 私がこの世界に着たばかりの頃からずっと、スティーブはとても良くしてくれた……。だから私は、その恩を今こそ返したいのだ!」
だから買うというと、スティーブは苦笑しつつも、私に本を渡してくれた。
「そこまで言うなら気持は受け取る。だけどとりあえず一冊で良い。お前さんのことだから、これ1冊で1ヶ月は夜ひとりでトイレに行けなくなる気がするしな」
スティーブの言葉に「ありえる」と同意したのは師匠だ。
どうやら、スティーブの本は相当怖いらしい。
「ちなみに、これはどんな内容なんだ?」
「言って良いのか?」
「いやいい。いまここで失神したら、師匠が困る」
賢明だと笑うスティーブに、師匠も頷いている。
「でも頑張って読むぞ」
「頑張るのは良いが、なんだか俺の方が心が痛いな」
こんな事なら魔王向けの刺激が弱い奴を書いておくんだったと言うスティーブ。
すると師匠が、思慮を巡らす表情で腕を組む。
「ふと思ったんだけど、本気で路線変更して、魔王にも読めそうな刺激が弱いお話書いてみたらどう?」
「でも、スプラッターが俺の売りだぞ」
「だけど前々から思ってたの。出てくるキャラの心理描写も上手いし、『悪魔の血みどろハンバーガー』にでてきた、ケヴィンとステイシーのカップルとか凄い素敵で、恋愛要素がもう少しあってもいいのにって思ってたのよね」
「そうか?」
「そうよ! 最近は、若い女の子達の間でモンスターが出てくる恋愛物が流行ってるじゃない。だから1回くらいああいうのを書いてみたら? 勿論スプラッターの新作も読みたいけど」
ティーンズラブは俺の趣味じゃないとスティーブはこぼすが、正直私としては恋愛があった方がありがたい。
「恋の話しなら、恐がりな私でも読める気がする」
「まあ、要素として強めに入れるくらいならいいけど……」
「ならば是非書いてくれ! そうしたら10冊でも20冊でも買うぞ!」
というと、スティーブは私の顔を見上げてふと考え込む。
「そこまで言うなら、せっかくだし書いてみるか」
「本当か!」
「ただし、一つ条件がある」
それは何だと首をかしげていると、スティーブは私の顔を見てにやりと笑った。
「前々から、お前をモデルにしたいと思ってたんだ。悪魔のような角と翼を持つ美しい男が、女の内臓を引きちぎりながら喰らうシーンとか、一度書いてみたくてな」
「私はそんなことしない」
「だからモデルだよ。お前をそのまんまだしたら、売れるものも売れなくなりそうだし」
少々失礼な事を言われたが、書きたいと言ってくれた気持を拒絶するのも忍びない。
「わかった、モデルになろう」
「ちなみにヒロインは歌姫ちゃんをモデルにする予定だ。本の中では、もう少しまともな恋愛ができるようにしてやるよ」
そこで師匠が、スティーブンの本に出れるなんて夢みたいだと嬉しい悲鳴を上げる。
「そんな凄いことじゃないって。つーかむしろ、実は最後に生き残る女子の殆どは、歌姫ちゃんがモデルだぞ」
「えっ? じゃあキャシーもリリーもルースも私だったの?」
「俺の中では、歌姫ちゃんはタフな女の代名詞だからな」
そこで更に喜ぶ師匠。そんな彼女を見ていると、モデルにされるのも悪くないと思えてくる。
「新作、師匠と共に心待ちにしているぞ」
「ああ。それまでに、その本を読み終えられると良いな」
「そんなに怖いのか?」
「歌姫ちゃんが大喜びしてるくらいだぞ」
確かに怖そうだと思いつつも、絶対に読むと私は決意した。
だが結局、スティーブの新作ができあがる前に、私が本を読み終えることはなかった。
スティーブは物凄く筆が速いので、わずか2週間足らずで作品を書き上げてしまったのだ。
ちなみに私はまだ10ページ目で止まっている。
殺人鬼すら出てきていないが、いつ出てくるとも知れぬその存在に怯え、ヒロインが高校のカフェでランチを食べているシーンからなかなか進んでいないのだ。
そして順調とは言えない私の読書ペースとは反対に、スティーブの執筆と売り込みは好調で、既に出版の話も来ているらしい。
「世話になってる出版社に持っていったら凄いウケてさ! 来月にも発売出来そうなんだ!」
ティーンズラブ扱いではあるんだけど、と不服そうな部分もあったが、それでも満更ではないらしい。
それに既に作品を読んだ人たちからの評価も上々らしく、未だかつて無い規模で広告も打ってくれるらしいのだ。
「やっぱり、お前をモデルにして正解だったな」
とスティーブは言うが多分それは違う。
だって私は何もしていない。むしろ、彼のために頑張るのはこれからだ。
「私はスティーブのファンとしてもまだ未熟なのだ、本もまだ読み終えていないしな」
「ゆっくりで良いさ」
「いやダメだ。何とか読み終えて、発売日には完璧なファンとして、胸を張って書店に行きたいのだ」
絶対師匠と一緒に朝の4時から並びに行くのだと繰りかえせば、スティーブは「じゃあまたサインをかいてやるよ」と約束してくれた。
サインを貰えれば師匠もきっと喜ぶだろう。これは何としてでも、殺人鬼の恐怖に打ち勝たなければなるまい。
「ちなみにお前がこの前買った本だけど。俺の作品の中でも一番怖いって評判の奴だからな」
それでも屈せずに頑張ろう。ぜったいに読み切ろう。
……と思ったが結局私は自力で読めず、その夜から毎晩、師匠に読み聞かせをして貰う羽目になった。
【お題元】
書籍化記念と、間際らしい活動報告のタイトルより作成。