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魔王はハンバーガーがお好き  作者: 28号
魔王を取り巻く人々の章
90/102

AnotherEpisode  呼び出し

【Episode20指輪】の後日談。

師匠視点。

「放課後、校長室までいらっしゃい」

 廊下で校長先生に肩を掴まれたのは、冬休みを間近に控えた12月の事だった。

「あの、私何かしました?」

 成績が良いとは言えないものの、授業も社会奉仕活動も真面目にいそしんできた私に、呼び出しを受ける心当たりはまったくない。

 故に純粋な驚きから聞き返してしまったのだが、校長先生はそれに気分を害したらしく、刺々しい喋り方に似合いの三角眼鏡を押し上げ、私を一瞥する。

 その視線が私はどうも苦手だ。先月病気で退職した校長先生に代わり、やってきた彼女はルールに厳しい人で、常に何かに苛立っているように見える。

 それを心地よく思わないのは私だけではないようで、生徒達の中からは前の先生の方が良かったという声が多く聞かれる。

 そして案の定、続いた台詞と声は生徒に不評な威圧的な物だった。

「前々から良くない噂を聞いていたし、さすがにそれは見逃せないわ」

 それ、と校長先生が指さしたのは私の左手。

 しかしそこにはなにもない。

 最近生徒達の間では手の甲に刺青を入れるのが流行っているが、勿論私の左手は綺麗なままだ。刺青なんて入れたら、「大事な肌になんて事を!」と魔王が卒倒しかねない。

「ともかく、必ずくるように」

 いいですねと念を押して、校長先生はきびきびとした足取りで去っていく。

 そんな先生を呆然と見送っていた私に、私以上に驚いた様子で駆け寄ってきたのはチャーリーだ。

「何かしたの?」

 と言われたが「さあ」と答える他はない。

「良くわかんないけど、あの新しい校長、色々キツイらしいから気を付けろよ」

 気を付けろと言われても、そもそも呼び出された理由もわからないのだ。

「私、何かしたと思う?」

「成績がまた落ちたんじゃないの? この前のテスト、ヤバイって言ってたじゃん」

「数学以外は何とかなったもん」

 と言ってみた物の、良くなかったのは事実だ。

 でもギリギリ平均点を超えていた物もあるし、それが原因とは思えなかったが、念のため勉強に関する言い訳だけは考えておくことにした。

 


 そして放課後、私は校長先生の言いつけを守り、チャイムが鳴るとすぐに校長室へと向かった。

 磨りガラス越しに中を覗くと、校長先生とあとひとり来客がいるようだった。

 しかし私の気配に気付いた先生が、「入って」と私を中へと促す。

 来客中なのに良いのだろうかと思いつつ扉を開けて、そして私は思わず絶句した。

「ああ、待っていたぞ」

 と、校長先生の前で穏やかに笑っているのは何と魔王だったのである。

「なっなんで」

「私がお呼びしたんです。それでは、そちらの席にかけて」

 現状は理解できないが、突っ立っている私に先生の機嫌がみるみる悪くなっていくのはわかる。

 仕方なく魔王の隣の椅子に腰を下ろせば、先生と私達は机を挟んで向かい合う形になる。

 そのあり得ない組み合わせに混乱していると、突然先生が机から身を乗り出し、私に左手をつかんだ。

「それではまず、これから説明して頂きましょうか」

 途端に、何故だか魔王が慌てだした。

「ミセスウェンディ、その事はまだ師匠には秘密なのでここではあまり話したくないのだ」

「ミセスではなくミスです」

 と言う会話を聞く限り、彼らは私が来るまでに既に自己紹介を済ませていたらしい。

 魔王がいらぬことを喋っていないかと不安になったが、私が口を挟む間もなく二人の会話は進んでしまう。

「ともかく、これは秘密でお願いしたい」

「秘密も何も本人が指にはめているではないですか」

「いや、本人には見えていないのだ」

「何か誤魔化したいことがあるようですが、意味不明な発言は控えて下さい。私はあなた達の関係についてお聞きしたいのです」

 更に強く左手を握られ、私は思わず痛みに呻く。

 それを見かね、魔王が先生の手から私を奪い返す。途端に先生の視線が冷たくなった。

 そこで私は、ようやく呼び出しを食らった理由を悟った。

 多分校長先生は、どこからか私達の事を聞きつけたに違いない。

 前の校長先生は恋愛に関してうるさくない人だったが、彼女はその手のことに妙に厳しいのだ。

 隠れてキスをしていた生徒が罰せられたとか、廊下で手を繋いでいただけで注意されたという話はいくつも聞いている。

 だから私も学校では魔王のことをあまり口にしていなかったのだが、何処でかぎつけられたのだろう。

「婚前前の男女が、そうやってふれ合うのは感心しませんね」

 先生の言葉にはっと我に返り、私は慌てて魔王の腕から逃れた。魔王は怪訝そうな顔をしていたが、ここで魔王の過度なスキンシップを見せたら状況が悪化するのは目に見えている。

「申し訳ありません」

 とりあえずここは謝ろう。適当に流して退却しよう。

 そう思ったのは、不用意に長引かせれば魔王が要らぬ事を言い、事態をこじらせるに決まっているからだ。

 なにせ魔王に空気を読むというスキルはない。下手に私への愛などを語り始めて、校長先生を激怒させるのがオチだ。

「それで、そろそろお話を聞かせて貰っても?」

 眼鏡をクイと持ち上げて、校長先生は私達を見つめる。

「こっこの人は私の遠い親戚です」

 魔王のことを誤魔化す時の常套句を口にして、私は顔に笑顔をはり付ける。

 店で覚えた営業用の笑顔だが、こちらの印象を良くするにはもってこいのはずだ。

 だが普通ならここで多少なりとも相手の雰囲気や表情が軟化するはずなのに、どうも様子がおかしい。

 先生の目は相変わらず鋭く、続いた言葉もやはりとげとげしい物だった。

「じゃあ、その指輪は何ですか?」

「は?」

 思わず怪訝な声を出すと、またしても魔王が慌てる。

「だからミスウェンディ。その事は彼女に秘密なのだ」

「秘密と言うことは、送り主はあなたですね」

「可能なら、それも秘密でお願いしたい」

 だからいったい何の話をしている! と怒鳴りたいのをこらえて魔王を見れば、彼は情けない顔で肩を落とす。

「……しかたない、サプライズは取りやめにしよう」

 といって、あろう事か魔王は私の左手を取り、その指先にキスを落とした。

 よりにもよって何故ここでと慌てる私。

 もちろん校長先生は、怒りに顔を真っ赤に染めている。

「ばっばか!」

 と慌てて腕を取り戻し、そして私は絶句した。

 思わず振り上げた左手の、それも薬指に、あり得ない物がはまっている事に私は気付いたのだ。

 これは何だと魔王を睨むと、彼は「婚約指輪はまだ早かったか?」とビクついている。

 婚約指輪という言葉に、先生は刺すような視線を私に向けている。

 だが無理もない。薬指に突然現れたその指輪は、高校生がつけるような安物の指輪ではないのだ。

 一見するとシンプルにも見えるが、はめ込まれたダイヤモンドは明らかに高価な物だし、彫り物も非常に繊細だ。

 これは明らかに高い。そしてこんな物を指に付けていれば、目だって付けられる。

「これ、どうしたのよ!」

「愛の証だ」

 愛という単語に先生が机に拳を叩き付けたのは見なかったふりをして、私は魔王に質問を重ねるのをやめた。このままじゃ、墓穴を掘るだけだ。

 それに落ち込む魔王を見れば奴の考えは大体わかる。

 多分彼は今夜あたり「薬指に違和感はないか?」なんて言いながらこの指輪のことを発表する予定だったのだろう。

「実はもう、ずっと付けていたんだぞ。驚いただろう」なんて甘い声音で囁く魔王の姿が目に浮かぶ。

 実際前にも一度、これと同じ事をやられたことがあるのだ。

 あのときは近所で拾ってきた綺麗な石で作ったブローチだったので、何の問題も無く「すごーい」と喜んでしまったが、多分魔王はそれに味をしめたに違いない。

 あのときあんなに喜ばなければ良かったと、過去の自分を殴り飛ばしたい気分だ。

「それで、説明をして頂けますか?」

 怒りにわなわな震える校長先生に、私は左手を隠しつつどう答えるべきか頭を悩ませる。

 もうごまかしはきかないだろう。

 しかしこの人に「実は去年、荒野で彼を拾いまして」と説明しても絶対に信じて貰える気がしない。

 むしろ「嘘おっしゃい!」と更に機嫌を損ねるに違いない。

 仕方なく、私は彼が「魔王」であることなどを伏せ、リアリティーを感じさせる嘘を交えつつ彼と交際していることを先生に告げた。

 その過程で、魔王もようやく先生が私達の交際に怒っていること、そして真実を告げたらまずいことを理解したようだ。おかげでお馬鹿な相づちはなく、先生の怒りの炎に、それ以上油を注ぐことはなかった。

「つまり、遠い親戚である彼があなたの後継人として現れたと?」

「はい」

「そして一緒に暮らしていると」

「そうです」

「そしていつしか、お互いを愛し合うようになったというのね?」

「間違いないです」

 頷くと、先生はようやく冷静な顔に戻った。

 それにほっとしたが、やはり先生は甘くない。

 ようやく笑顔を浮かべたと思いきや、先生はぴしゃりと言い放つ。

「別れなさい」

 その直後、身を乗り出したのは魔王だった。

「なぜ別れねばならないのだ? 愛し合う二人が共にあることは普通のことではないか」

 私が止めるのも聞かず、彼は毅然とした態度で先生に対抗する。

「ですがあなたはいい大人でしょう。親戚の、それもティーンエイジャーの子を丸め込むなんてはしたない!」

「師匠を丸めたりこねたりしたことはない」

 そう言って魔王が先生の方に更に身を乗り出すと、間近に迫った顔に先生が一瞬たじろぐ。

 ついでに頬も赤く染まったような気がしたが、眼鏡を押し上げる仕草でそれを隠すと、彼女は魔王から急いで顔を背けた。

「見たところ教養も無いようですね。その顔です、どうせ女に食わせてもらっていたのでしょう」

「たしかに、私の頭が悪いのは事実だ。それに、師匠にご飯も作って貰っている」

 そこを認めてどうするんだと内心突っ込んだが、もう後の祭りである。

 先生は「最低です!」とブチ切れ、私は頭を抱え、魔王は相変わらず全く引かない。まさに地獄絵図だ。

「今すぐ婚約を解消なさい! そして、あなたは彼女の家を出て行くべきです!」

「だからその理由がわからない。愛し合う男女は共に暮らし、愛を育み、子をなす物ではないのか?」

「まさか、子供も出来たんですか!」

 違いますと叫んだ私の言葉は、完全に無視された。

 気がつけば先生VS魔王の構図となっており、私の入る隙は無かった。

「未成年をはらませるなんて、あなたは本当に大人ですか!」

「大人かどうかは自信がないな。日頃から、皆には師匠の子供のようだと言われている」

 だから、変なところで認めるのはやめろと言いたいが、これもやっぱり手遅れである。

 これはもうダメだと頭を抱え、私は神に祈った。日曜日のミサにもロクに行かない私の願いを聞いてくれるとは思わないが、とにかくこれ以上状況が悪化しないようにと私は祈った。

「ともかく、あなたは今すぐ彼女と別れなさい。ほら、あなたもそんな指輪外して!」

「指輪を外すかどうかは師匠の意志だ。あなたが決める物ではない」

「私が決める物です。こんな若い子に恋愛の分別があるとは思いません!」

「あなたは教師なのに師匠のことを何もわかっていない。彼女は、誰よりも大人でしっかりした女性だ」

 むしろ私よりもと言う言葉に先生は怒り、そこでようやく私に目を向けた。

 言葉を挟むなら今しか無い。そう思ったものの、繰り出そうとした誤魔化しの言葉はどれも喉から出てこなかった。

 状況が悪化しているのはわかっていた。

 でも校長先生に意見してくれる魔王が、多分私は嬉しかったのだ。

 故に私は、魔王の言葉を否定して、場をおさめる気分にはなれなくなっていた。

 先生からしてみれば私のような生徒が危なっかしく見えるのも、注意したい気持ちもわかる。

 でもそれを容易く受け入れて、嘘でも「別れます」なんて言えなかった。

 だってここには魔王もいる。例え嘘でも、孤独を恐れる彼が私の一言に深く傷つくのは目に見えていた。

 だから私も覚悟を決めねばと、意を決して息を吸う。状況はもうすでに最悪なのだ。それならばもう、意味の無い嘘をつくのはやめよう。

「先生。もし彼との交際が問題なら、好きなように罰してください」

「退学になっても構わないと言うこと? あと半年で卒業なのに、気は確かなの!」

「たしかも何も、先生が言ったんじゃないですか」

「別れるなら、何も問題はないのよ! それにここで学校を辞めて、大学はどうするつもり?」

 行くつもりはないと素直に答えると、先生は私を厳しく睨んだ。

「なら、将来はどうするつもりなんですか!」

「父の残したダイナーで、生計を立てていくつもりです」

「お店をやっているのは知っていますが、あまり客はいないと聞きましたよ」

 最近はそうでもないと店の売り上げを告げると先生は少し勢いを失った。

 しかし勿論ここで諦める先生ではない。

「でも、これからも良いという保証はないのでしょ? そんなときの為に、大学には行くべきでしょう」

 元の勢いをすぐさま取り戻した先生は、そこで魔王をきつく睨む。

「どうせ、二人で店をやろうと彼に言われて魔が差しただけなのでしょ? それならばやめておきなさい、絶対に後悔します」

 そう言う先生はとてつもなく険しい顔だった。けれど不思議と、私はそれを怖いと思わなかった。

「彼に言われたからって訳じゃないです。自分で考えて、あといろんな人に相談もしました」

 ケリーや店のお客さん達大人は勿論、チャーリーなど学校の友達にも色々話を聞いて、決めたのが今の答えだ。

 だからだろう、私の意志とあまりにかけ離れた先生の言い分を、私はすぐに否定することが出来た。

 先生にいくら問いつめられても、不思議と不安もなかった。

 私ひとりの考えなら折れていたかもしれないが、私の話を真剣に聞き、アドバイスをしてくれたみんなの顔を思えば、先生の言葉に臆する理由はない。

「大学に未練がない訳じゃないけど、急がなくても良いって思ってるんです。先生が言うように少し前まではお客さんもあまりいなかったから貯金も少ないし、まずはお店をちゃんと軌道に乗せたいなって」

「でっでも奨学金もあるし……」

「今、お店と大学二つは私には無理です」

 それに子育てもあるしとチビのことを考えたが、これは言わずにおいた。

「全部一度にやるのは無理だって思ってて、その中で一番の優先事項は私にとってはあの店なんです。父が残してくれた物だし、ひとりぼっちになってからはずっと、私にとっては店のお客さん達が唯一の家族みたいなものだったから」

「それは理解します。ですがそれならば彼は」

「彼は私と、私のお店に必要な人です。先生はヒモだと思っているようですが、むしろ頼ってるのは私なんです。私個人はもちろん店長としても、支えてもらっている部分が沢山あるんです」

 今思えば、魔王が来るまでの私はどこか惰性で店を開けていたところがあった気がする。

 父がいた頃の生活を忘れたくなくて、ただズルズルと店をあけ、ハンバーガーを焼き続けていたのだ。

 そこにお客のためという考えはなく、ハンバーガーを焼くのも、結局は自分の為だった。

 そしてたぶん、そんな気持ちが父が集めてくれた大切な客を減らしてしまったのだろう。だが私はそれを気にもとめたなかった。むしろ今度は「学生」である事を言い訳にして「学業との両立に丁度良い」と改善すらしなかったのだ。

 でも魔王に出会って、ハンバーガーを褒めて貰って、一緒に店をやるうちに私は気付いたのだ。

 彼が美味しい美味しいとハンバーガーを食べてくれる姿と笑顔が、自分は大好きなのだと。

 魔王だけでなく、たくさんの人の「おいしい」笑顔を見ることこそ、私の本当の生きがいなのだと。

 だから私は、今度こそダイナーの仕事を真面目にやりたい。今度こそ中途半端はいやなのだという想いを先生に告げると、彼女はようやく黙った。

「そして私が全力を出すには、彼がいないとダメなんです」

 良いながらちらりと魔王を見ると、彼は嬉しそうに微笑んでいた。

 その笑顔と私の言葉に、先生は悔しそうに呻く。

「だとしても結婚は……」

 そこで魔王が、すっと私の手を取った。

「私は師匠の負担になる為に結婚をするわけではない。結婚をすれば、病める時も健やかな時も共にあることができるのだろう? だから私は結婚をしたいのだ。良い時も悪い時も彼女の側で、彼女を支えられるように」

「けれど、やはりダメです! ティーンエイジャーの結婚はロクなことになりません!」

「ならば、結婚をしなければ立派になれるのか?」

 魔王のまっすぐな疑問に、先生はうっと言葉を詰まらせる。

 しかし先生も負けない。半ば意地で勢いを取り戻したた先生は、「もちろんです」と胸を張る。

「私は学生時代も今も恋愛には縁がありませんが、35という若さでこうして校長にもなれました。その結果は、恋などと言う半端な気持にうつつを抜かさず、こうして勉学と仕事に励んできたからこその物です」

 どうりでこんな堅物になってしまったわけだと思っていると、まるで私の内面を代弁するように魔王がポツリとこぼす。

「どうりで……」

 それもなぜか、酷く悲しそうな顔で。

「どっどういう意味ですかそれは!」

「先ほどから思っていたのだ。あなたの言葉は酷く偏っていて岩のようにかたい。そしてあなたの心もまた、酷く冷たいようだと」

「馬鹿にしているんですか!」

「いや、悲しいと思っただけだ」

 言うなり、魔王は身を乗り出した先生の手のひらをそっと取る。彼らしい優しげな手つきに先生は「あっ」と情けない声を上げ、近づいてきた魔王の顔に釘付けになっている。

 意外な展開に、もはや怒っていいのか呆れて良いのかわからない。

 しかし言いたいことはさっき全部言ったのだ。あとは成り行きと、魔王の型にはまらない行動が状況を少しでも良くすることに賭けるしかない。

「あなたは、寂しい人なんだな」

「……やっやはり馬鹿にして」

「それは違う。恋人がいないつらさを私も知っているのだ。誰にも愛されず、孤独に生きるのはさぞ辛かったであろう」

 先生は慌てて魔王から自分の手を取り戻したが、私はバッチリ見てしまった。

 胸を押さえながら息を整える彼女はまるで、恋する乙女のように頬を赤らめていたのだ。

 もし先生が自分で言うとおり、この年まで恋愛も何もしてこなかったなら、魔王のこの行為は反則だろう。

 それに言っちゃ悪いが先生は私より絶対にモテない。そんな人が魔王のあの眼差しを真っ向から受けて無事でいられるわけがない。

 私だってああして見つめられて何度ぐっときたことか。

「さっ寂しい事なんてありません! 私は仕事があります! 生徒達によき未来に示すという、尊い仕事が」

「だがあなたの未来は暗そうだ」

 だまりなさいと先生は怒ったが、魔王がそんなことで折れるわけがな。

「いいやだまらない、これはあなたの為でもあるのだ」

 めげない魔王はもう一度先生に近づくと、動揺に揺れる彼女をなだめるように、彼女の顔を両の手のひらではさむ。

 ちょっと距離が近すぎるぞとムッとしないこともないが、反論は左手の指輪が押し止めた。

 魔王のあれは天然だし、それにむしろこれはチャンスかもしれない。

 魔王の甘い顔と台詞の破壊力は誰よりも私が知っているのだ。

 だからここはぐっと我慢して、先生がどうなるかを見届けようと私は決めた。

「はっ放して……ください……」

「あなたがちゃんと聞くまでこうしている」

「きっ聞きますから!」

 だが結局魔王は先生を放さず、かわりに先生が負けを認めた。

「……たしかに、私の将来が完璧だと100パーセント断言は出来ません」

「そうだろう? だってあなたはこんなにも美しいのに、人ではなく仕事ばかりを愛している。それはおかしいし、とてももったいない」

「うっ美…しい?」

「何故疑問系なのだ? あなたのブラウンの瞳はとてもチャーミングし、黒い髪はとても滑らかだ。そのそばかすも愛らしいし、美しくないわけがないだろう」

「でっでも……今まで出会ってきた男達は不細工だって……」

「それはその男達に見る目がなかったのだ。あなたは十分美しい」

 落ちたな、と他人事のように感じた瞬間、先生はまたしても乙女のように顔を赤らめた。

「そんなこと、初めて言われました」

「ほら、やはりあなたは寂しい人ではないか。己の美しさを認めてくれる人にも出会えず、孤独に生きてきたのだろう?」

 否定はしませんと魔王を見上げる顔に、もはや恋に厳しい校長先生の面影はない。

 やはり魔王の甘い言葉は伊達ではないと、驚きを通り越して感心していると、先生は少女のような仕草で顔を伏せた。

「たしかに、寂しいことも多い人生でした……」

「そんなあなたが、愛や未来を語れるはずがない」

 まずあなたが愛を知らねばと、魔王は先生のずれた眼鏡を、優しくなおしてやる。

 これで、先生の目には魔王が3割り増しイケメンに見えるに違いない。

「もしあなたが愛と出会い、その愛と私達の愛を比べて何か間違いがあるなら話を聞こう。だが闇雲に私達の愛を疑うのはやはり違うと思うのだ」

「ですがそんな簡単に……」

「あなたならすぐに見つけられる。こんなにも美しいし、教師なのだから高い知性もお持ちなのだろう? 少々感情的になる面もあるが、自分を前面に出す女性は素敵だと思う」

 そこで先生から身を引き、魔王は私の手を取る。

「だから私達を否定するのは、まずあなたが愛を学んでからにして欲しい」

 先ほどの勢いは何処へやら、魔王の甘い台詞に完全に惚けてしまった校長先生は、もはや魔王の言いなりだった。正直、魔王がちょっとおそろしい。

「……わかりました。私も少し頭を冷やします」

「では、今日は帰ってもいいか? これから店の準備があるんだ」

 魔王の言葉にこれ幸いと、私も一緒に立ち上がる。

 それに先生はようやく我に返ったようだが、文句を言うより早く、魔王がとっておきの笑顔を彼女に向けた。

「そうだ! 良ければ是非ダイナーにハンバーガーを食べに来てくれ。ハンバーガーには愛情を沢山注いでいるから、あなたの寂しさを癒やしてあげられるかもしれない」

 ここでさり気なく、私はダイナーのクーポンを机に置く。

「良かったら来て下さい。私達の交際が不純かどうかも、店に来て頂ければわかると思いますので」

 こういうのは観察も必要でしょと付け足せば、先生はようやく自分の中の折り合いを見つけたようだ。

「確かに、私も勢いで言い過ぎたところはあるかもしれないわ」

「なら是非ダイナーにお越し下さい」

「ああ、是非来て欲しい。あなただけの為に、ハンバーガーを焼くから」

「私だけの……」

 と赤くなる先生。魔王が私の彼であることを完全に忘れていそうだが、仲を引き裂くことに躍起になるよりはマシだろう。

「わかりました。ではあなた方のことはひとまず保留にします」

 ただし学校にその指輪はしてこないようにと言う先生に頷いて、私は魔王と共に校長室をあとにする。

 扉を閉め、出口に向かって歩き出すと、さすがに疲れがどっと押し寄せた。

 本当に心臓に悪い時間だったと私はクタクタだが、隣を並び歩く魔王はいつもの調子でニコニコしている。

「退学にならなくて良かったな」

 と魔王はのほほんとしているが、そもそもの発端は魔王なので私は呆れた。

 ここはポカリと一発殴っておくかと思ったが、ふと目にはいった指輪に腕がとまる。

「色々誤魔化さなきゃいけないから、こういうのは普通に渡してね」

 殴る代わりに左手を差し出すと、魔王はぱぁっと顔を輝かせる。

「喜んでくれるか?」

「話聞いてる?」

「それより私の話を聞いて欲しい!」

 これはアルファの母君から買ったのだと、子供のような顔で得意げに話し出す魔王。仕方なくそれを聞きながら、私達は駐車場まで向かう。

「素敵な箱も貰ったから、あとで師匠に渡すな」

「勝手に指輪をはめた上に、箱が素敵とか初めて言われた」

「もっもしかして、先に箱を褒めるべきだったか? 指輪より箱が先だったか?」

 トンチンカンな所で慌てている魔王に、別に今のままで良いと告げて、私はもう一度指輪を見る。

 改めてみると、本当に素敵な指輪だ。だが一方で、その経緯を聞くとちょっとだけ不安もある。

「でも宝飾店かぁ。また虫が付きそうだなぁ」

「殺虫剤ならまだあるぞ」

 そう言う意味じゃないと言いながら、私はふと校長先生のことを思い出す、

 同時に先生への過度なスキンシップを思い出し、一瞬だけイラッとしてしまった。

「魔王」

「何だ師匠」

「手、繋いで」

 途端に、背後から抱きつかれた。

「手っていったでしょ!」

 まだ校舎内なんだからやめてよと言ったが、魔王は聞いていないようだった。

「師匠からスキンシップをねだられるとは思わなくて、感激しているのだ」

「ねだるわよ。ってか、ねだって良いって事でしょこれ?」

 そう言って指輪を突き出せば、彼は私の手のひらごとそれを長い指で優しく包み込む。

「ありがとう。渡し方はあれだけど、凄く嬉しい」

「師匠への愛を証にしたかったのだ。結婚の約束も、そろそろ形にせねばと思っていたし」

「そういえば、なんか色々そのままになってたね」

 と言いつつ、ほんの少し申し訳なくもなる。

「あのね……結婚のことなんだけど」

 中途半端でごめんと言おうとすると、魔王が人差し指で私の唇を塞ぐ。

「指輪を贈ったのは、師匠を焦らせるためではない。店を一番に考えたいという気持ちもわかっているし、今すぐ何かしたいわけではないのだ」

 ただ純粋に、約束を渡したかったのだと魔王は言う。

「ケリー達にも言われているしな。すべては師匠が高校を卒業してからにしろと」

「なんかごめんね」

「気にするなと言っている。それに、結婚したら『恋人』ではいられなくなるのだろう?」

 それは勿体ないという魔王に、私もうっかり笑ってしまう。

「だからもう少し恋人でいよう。そのあとで、夫婦になって、あと子供も作ろう」

 私は赤ん坊のおむつを取り替えてみたいのだという魔王に思わず吹き出して、そして私はそんな彼が見たいと心の底から思った。

「でも今は、まだ恋人でいたい。おむつはもう少し先で良い」

「じゃあ、繋いでくれる?」

「ついでにキスはいらないか?」

「それはあとで」

「あととはどれくらいか? 一分後でも良いか?」

 と聞く魔王に、車に乗ってからだと伝えれて、私は魔王と手を繋いだ。恋人らしく指も絡めれば、魔王が幸せだと微笑んでくれた。



 ちなみに二人で手を繋いで校舎を歩いたことは、その日の夜のうちに校長先生の耳に入った。

 何せ校長先生は、その晩さっそく店にやってきたのだ。

「廊下で手を繋いじゃいけません!」

 と怒りながら現れたのでてっきりお説教をされるかと思ったが、本当の目的が別である事はすぐにわかった。

 何せ魔王が姿を現したとたん、先生の顔はまたしても恋する乙女のそれに変わったのだ。

 お説教は店に来る為の口実だったらしく、魔王が「来て頂けて光栄だ」と笑顔で応接したとたん、先生は骨抜きにされ、手を繋いだことは勿論私達の関係はうやむやになった。

 そしてその日を境に、先生は毎日のようにダイナーへ来るようになり、1週間もすると彼女と同じく魔王目当てで店に来て女子生徒達と意気投合するまでになった。

 取っつきにくい所はまだあるが、生徒達に「すっぴんありえなーい」とからかわれながら今更のように化粧を教わったり、スティーブが横流しした魔王のお宝写真の交換をする先生は意外と可愛らしく、それを眺めるのが、私の最近の楽しみだったりする。

【お題元】

特になし(前回からの続きなので)


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