Episode20 指輪
アルファのママ視点。
「ママってさ、ほーしょくてんの店長だったよね?」
夕飯をつつきながら突然声をかけてきた息子に、私はウッカリ口に運んでいたチキンを取り落とした。
なにせ今年で11歳になる息子は、今の今まで私の仕事に興味を示したことなど無かったのだ。
「確かに宝飾店をやってるけど、それがどうしたの?」
「ままのほーしょくてんって、ガールフレンドにあげる指輪も売ってる?」
せっかく拾い上げたチキンをまたしても取り落としそうになった私は、食事の続行を諦めナプキンで口と手を拭きつつ、改めて息子に目を向ける。
「ガールフレンドにプレゼントを贈りたい気持ちはわかるけど、指輪はまだはやすぎると思うの」
「ちがうよ! 俺は女になんか興味ないし!」
「あら、てっきり大人ぶってプレゼントでもあげたいのかと思ってたのに」
なんだとがっかりしつつも、私の言葉に肩を怒らせている息子の姿に少しだけほっとする。
さすがにこの年で母親離れされたらちょっと寂しい。
旦那と別れてから一人きりで育ててきた息子は、やんちゃだがまだ可愛い盛りだ。それを取られてしまうのはやはりしのびない。
「指輪が必要なのは俺じゃなくて魔王なの!」
ガールフレンドの名前の代わりに飛び出したのは、息子がよくお世話になっているお向かいの家のお兄さんだ。
商品の仕入れを行う為出張が多い私に代わり、息子の子守をしてくれる彼は非常に親切な好青年で、息子も彼をとても慕っている。
故にこうして食事の度に挙がる名前の一つであるが、彼の恋愛事情についてはあまり聞いたことがなかった。
お向かいの家に住む娘さんとつきあっているというのは本人から聞いたが、いかせん息子はこの手の話をしたがらないし、ご近所さんとの井戸端会議に参加する時間もあまりないので、彼らの交際がどうなっているのか知る術がなかった。
「もしかして、お向かいのお二人結婚するの? でもあそこのお嬢さん、まだ10代じゃなかった?」
「ってか、もう結婚の約束はしてるらしいよ。前に一度指輪もあげたって言ってたし」
爽やかそうに見えたが、意外と手が早いのだろうか。いや、むしろあの女の子の方から迫ったのかもしれない、あのお兄さん押しが弱そうだし。
「ねえ、聞いる?」
「あらごめんなさい、ちょっと色々妄想しちゃって」
「もうそう?」
気にしないでと微笑んで、私はズイと身を乗り出す。
「それで、あのお二人は本当に結婚するの?」
「するとおもうよ。ママはあんまり家にいないから知らないだろうけど、あのふたり朝も昼も夜もすげぇベタベタくっついてるし、昔のママとパパみたいだったもん」
一瞬思い出したくない過去が頭をよぎったが、勿論すぐさまふたをする。
引きつりかけた頬に慌てて穏やかな笑みをはり付け、私は話題の軌道修正をはかることにした。
「それならうちで指輪を見繕ってあげることは出来るけど、でもアルファがこういうお世話を焼くのって初めてね」
「だって、あいつは俺の子分みたいなもんだし」
「年上のお兄さんを子分呼ばわりしないの」
窘めると、息子は少し気まずそうに視線を泳がせている。
親切心から言い出したことかと思っていたが、どうも怪しい。
なにせ息子がこうして落ち着きを無くす時は、大抵私に何か隠し事をしているのだ。
「世話を焼かなきゃいけないようなこと、あんたしたんじゃないでしょうね」
「なっなんだよそれ」
「だってあなた、恋愛の話って大きらいじゃない。それもママとこういう話をするのが一番きらいって前に言ってなかった?」
泳いでいた視線が更に乱れ、最後はテーブルの上のポテトスープに注がれる。どうやら、確実に何かやらかしたようだ。
「やっぱりなにか迷惑かけたんでしょう。ってかまさか、二人の恋路の邪魔でもしたんじゃないでしょうね」
「……してないし」
情けない呟きは肯定も同じだ。
白状しろと無言で睨んで、私は息子の前にあったデザートを引き寄せる。
「白状しないとチョコレートケーキは没収だから」
「横暴だ!」
「人様に迷惑をかける子に、デザートを食べる資格はありません」
大人ぶっているがまだ子供。デザートを押さえればあとはこちらの物である。
「……ちょっとからかっただけだよ」
「隠さずに、話しなさい」
僅かな怒りを言葉に込めれば、息子はようやく白状する。
「魔王ってさ、いつもヘラヘラしてて全然怒らない奴じゃん。だからあいつでも怒ることあるのかなって思って、ちょっとからかってたんだよね……」
確かにあの穏やかな好青年が怒っているところを見たことはない。
うちの息子はやんちゃ盛りで相当迷惑をかけているとは思うのだが、お世辞ではなく「むしろこちらが世話になっている」と微笑んでくれる、そんな優しいお向かいさんが彼なのだ。
そんな彼に一体何をしているのかと呆れたが、どうやら息子がやらかした問題はまだあるらしい。
「最初は『ばーか』とか『アホー』とか言って煽ったんだけど、あいつ全然こたえなくてさ。それでなんかムキになっちゃって、ついつい言い過ぎちゃってさ」
「……何を言ったの?」
「お前の作るハンバーガーはまずいみたいなこと……。そしたら怒るどころがすげぇ凹んじゃって、魔王じゃなくて姉ちゃんにめっちゃおこられた」
お仕置きとして店まで手伝わされたと青い顔をする息子に、私は呆れるほかない。
「一応謝ったけど、嘘だって事がいまいち伝わらなくてさ。『ハンバーガーもロクに作れない私が師匠の夫になれるわけがない!』ってまだ凹んでんだよね、今も」
どうやら、あのお兄さんは少し思いこみが激しいたちのようだ。
子供の言葉を本気で取り合うところが息子達のような幼い子供にはうけているのかもしれないが、きっと今頃お向かいの娘さんは相当気を揉んでいることだろう。
「だからさ、全部嘘だから自信持てよって言いたいんだ。でもあいつ馬鹿だから言葉だけじゃ足りないし、『これを渡せばふさわしくなる』って言える指輪を詫びに渡してやりたいわけ」
それで私の宝飾店の話題が出たのかと、ようやく話が繋がった。しかし少々安直すぎる考えであることは否めない。
「あのね、まずママのお店の指輪はどれも高いし、あんたがほいっと買えるもんじゃないの」
「家族割引とかないの?」
「あるわけないでしょ。うちのはね、全部海外からしいれてる一点物なの!」
と言ってみたが息子が理解した様子はない。確かにこれはちょっと難しすぎるか。
「あとね、恋人に送る指輪って、自分で買わなきゃ意味無いのよ」
「でもさぁ。あいつ馬鹿だから『これがあれば姉ちゃんにふさわしい!』って物が具体的にないと絶対立ち直らないと思うんだよ」
子供に馬鹿呼ばわりされるお兄さんが少し哀れだが、話の流れやお兄さんの纏う雰囲気を考えると、否定出来ないのが辛いところだ。
「なぁ、出世払いでなんとかなんない? 俺もギャング団のボスとして、色々けじめ付けたいんだよ」
台詞だけは一丁前だが、やっぱり何もわかっていない。
だがこのまま突っぱねるのも親としてどうかと思うし、なにより息子がかけた迷惑は私が責任を持ねばなるまい。
「じゃあお兄さんに、明日ママのお店に来るように言ってくれる?」
そしたらママが何とかするからと言うと、息子は自分で解決出来ないことが少し不本意そうだったが、最後は小さく頷いた。
そして翌日、お兄さんが現れたのは夕方のことだった。
息子とともに現れた彼は、確かにいつもより覇気がない。
「アルファから、ママさんが凄く素敵な物を売っていると聞いてきたのだが」
「ええ。なんかうちの息子が酷くご迷惑をかけたみたいなので、今日は恩返しが出来ないかと思いまして」
と招き入れた店内で、私は早速イタリアで買い付けてきたとっておきの婚約指輪を差し出す。
「ただって訳には行かないんですけど、ご結婚を考えていらっしゃるとお聞きしたので、その手助けが出来ないかなと」
「嬉しい申し出だが、結婚はまだ先になりそうなのだ。私にはその、結婚の資格がないようなのでな」
そう言って視線を下げるお兄さんは、まるで捨てられた子犬のような哀れな顔をしていた。
子供の言うことでそこまで凹まなくてもと思う一方、この顔を見たら放ってはおけない。
「結婚するのに資格などいりませんよ。私の昔の旦那なんて、そりゃあもう何も出来ない駄目な男でしたけど、こんな美人と結婚しましたし」
「でも別れたのではないか?」
まあそうなんだけどと呟いてから、私は息子の目を盗みお兄さんの耳に口を近付けた。
「息子には内緒だけど、実は私、まだ前の旦那が好きなんです。色々不幸が重なって、喧嘩も沢山したし今は別々に暮らしてるんですけどね」
「つまり、まだ愛していると言うことか?」
「相手を愛する気持ちは、どんな欠点も隠してしまうものなんですよ。でもウチの場合は、その欠点が少し大きすぎたんです。だから旦那と話し合って、欠点がもう少し小さくなったらもう一度暮らそうって約束して別れたんですよ」
「じゃあいつかまた一緒に暮らすのか?」
「私はそのつもりですけどね」
思わず苦笑してから、私はお兄さんの不思議な色の瞳を見つめる。
「でもうちのと比べたらあなたはまだまだ大丈夫です。恋人のことを、ちゃんと愛していらっしゃるのでしょ?」
私が笑うと、お兄さんは僅かに表情を明るくした。
「好きだという気持は、誰にも負けないつもりだ」
「ならそれを証にするべきです。証にすれば思いは強くなるし、証が資格になることだってあると思いますよ」
だから是非見ていって下さいと指輪のケースを差し出せば、お兄さんはようやくそれをのぞき込んでくれた。
「ちなみに、ここの指は普通の指輪か?」
「いえ、イタリア製の一点物のみを置いてあります」
「いってんもの?」
この人の宝飾品に対する理解度も息子とどっこいどっこいなんだなと、なんだかちょっとおかしくなった。
「世界に一つしかないと言うことです。そしてすべて手作りで、今お出ししているのはイタリアのフィレンツェで買い付けてきた物なんですよ」
「世界に一つしかないというのは良いな」
「でしょ? こっちのは、あの有名なヴェッキオ橋の上にある宝飾店から仕入れた物で、フィレンツェ一の職人が作った物なんです」
そう言って指しだした指輪をお兄さんはお気に召したようだった。
「このキラキラ光っている石はなんだ?」
「ダイヤモンドです。大きさはあまりないですが、彫り物と調和が取れていて素敵ですよね」
素晴らしいと言いながら、お兄さんは指輪を手にとり眺めている。
しかし彼は、指輪についている値段を見て僅かに眉をしかめた。
「とても素敵だが、高いな」
「やはりダイヤですし、一点物はなかなか値がはってしまうんです」
もちろんついている値段よりはおやすくしますと言ったが、彼は唸ったままだ。
しかしさすがにただであげるわけにはいかないしと思っていた時、私はふとお兄さんが首に書けているネックレスに目がとまる。
「……あの、その首の物、少し拝見しても良いですか?」
もちろんだと、お兄さんは快くネックレスを外してくれる。
そして私は驚いた。一見すると龍をかたどった何の変哲もないネックレスだが、その目の部分にはまっているのはそれは見事なブルーダイヤモンドだったのだ。
「胸元の開いた服を着る時は付けるべきだと友に言われてな、城に余っていたものを持ってきたのだ」
「し、城!?」
思わずネックレスとお兄さんを交互に見てしまった。
「あの、お兄さんはお城をお持ちなのですか?」
「ああ、魔王だからな」
魔王っていうのは愛称か何かなのかとおもっていたが、どうやら違うらしい。
「王ってことは、王様なんですか?」
「今は引退した。しかし城の物は私の自由にして良いことになっているのだ」
「そっそれじゃあ指輪一個くらい些細な買い物なのでは?」
むしろ、このネックレスについたダイヤの方が指輪の物より大きいくらいなのだ。
「たしかにこの手の宝飾品は無駄にあるのだが、ドルがないのだ」
「じゃあ、宝石を換金してはいかがですか? むしろ私に売ってくれませんか? このデザインは凄く斬新だし、絶対売れると思うんです!」
「そんなことが出来るのか?」
勿論ですと言った瞬間、お兄さんは「じゃあこれも」と私の手の上に大量のアクセサリーをのせる。
まるで手品のように現れたそれに驚いていると、お兄さんはさらにもう一山アクセサリーの山をカウンターの上に作った。
「これで足りるだろうか?」
「いやあの、むしろ多すぎます」
「しかしこんな素敵な指輪なのだ。これでは安いだろう」
「いやいやいや、本当に多すぎます! むしろあの、こっちの指輪一つの方が高いくらいですよ」
ってかむしろこれを上げたらどうだろうかと言ったが、お兄さんは首を横に振った。
「やはり指輪は自分で買った物を上げたいのだ。まあ、城の物で交換するのも、本当は少し不本意なのだが」
と言いつつ、お兄さんは今度は1ドル札の山を出現させる。やっぱり手品みたいだ。
「とりあえずこれが私の全財産だ。600ドルくらいはあると思うのだが、足りない分はひとまず宝石を売った金で払わせてくれ」
そして残りはまた払いに来るとお兄さんは言う。
「いやいやいや、それじゃあ買い取ったことにはなりませんし!」
「しかし自分で働いた金で買いたいのだ。ただ全て払い終わるにはまだまだかかるだろうし、その利子として受け取って欲しい」
利子で一体どれだけ儲けさせてくれるつもりなのだと唖然としたが、お兄さんは譲る様子がない。
するとそこで、今まで黙っていた息子がカウンターにひょいと飛び乗った。
「じゃあさ、このアクセサリーはひとまず全部貰っちゃえよ」
「なに言ってるの! そんなことできるわけないでしょ!」
「でもそれじゃあ魔王も納得しないじゃん。だからさ、とりあえずこれ貰って、儲けさせてもらっちゃいなよ。そんでさ、そのお金で魔王を雇ってあげれば良いと思うんだけど、どう?」
「やっ雇う?」
「ダイナーがあるから毎日は無理だろうけど、この顔が店に立ったらお客さん絶対増えると思うんだよ」
確かにお兄さんは、いい歳をしたおばさんの私でも、思わず引き込まれてしまいそうな美しい顔をしている。
そしてもし彼が店に立てば、釣られてくれる女性客は多そうだ。
「アルバイトが足りてないってママ前に言ってただろ?」
でもご迷惑ではと尋ねるよりはやく、お兄さんが私の手を取った。
「今後の為にダイナー以外の仕事も探さねばと思っていたところなのだ。良ければ是非、私を雇って欲しい」
「あのでも、それにしたってこの量は……」
「じゃあ魔王が店にいるときは俺もここにくるからさ。アルバイト代プラス子守代って事で時給高くしてやればいいよ」
いつもは子供扱いを嫌がる息子が真剣な顔でそんなことを言うので、私はうっかり頷いてしまう。
「じゃあ、それでお願いします」
そう言って握手を交わし、それから私はお兄さんの為に先ほどの指輪を箱にいれた。
ラッピング代はいくらだというお兄さんには勿論「いらない」と即答すえば、何て気前のいい人なんだと大層感動された。
むしろ気前が良すぎるのはあなただと言い返したが、お兄さんはちっともわかっていない。
やっぱり王様というのは金銭感覚が人と少しずれているのかもしれない。それに物を知らないのも、もしかしたら家臣の人たちに大切に育てられたからなのかもしれない。
そうすれば、息子と同じレベルではしゃいでいるのも理解出来る。
「よかったな魔王。これで、姉ちゃんの恋人に戻れるぞ」
「そうだな。しかしどうやってプレゼントしよう。やっぱりサプライズがいいだろうか」
「あれだ、ハンバーガーの中に埋め込んで食べた時にポロッと落ちるのはどう?」
と言う息子の口を、私が慌てて塞いだのは言うまでもない。
「サプライズは、程々が良いと思いますよ」
「そうか? でもハンバーガーの案は素敵だと思うのだが」
「いや、絶対ダメです。私はケーキの中に入れられた事がありますが、何も知らずに口に入れて前歯を折りました」
経験者の忠告には、さすがのお兄さんも考えを改めたらしい。
「サプライズは、怪我のない物にする」
前歯が折れたら大変だというお兄さんに、私は賢明な判断だと頷いた。
【お題元】
『次に贈る指輪は呪いつきじゃないですよね?』
『今度はちゃんとした指輪を師匠に贈ってあげてください』
『そういえば、アルファってパパいるの?』
などの質問や要望より作成。
オーダーと質問、本当にありがとうございました!