Episode19 常連客
スティーブ視点。
ハンバーガーダイナー『ルート66』。
闇夜に浮かぶそのネオンサインが前方に見えてくると、俺はいつもほっとする。
あの灯りを見るたびに、俺は愛しの我が家に帰ってきたような、そんな心地になるのだ。
重いハンドルを切って駐車場にトラックを入れれば、もう夜も9時を回っているというのに駐車スペースは殆ど埋まっていた。
そう言えば今日は金曜の夜だったと思い出し、俺は店の裏手にあるトラック用の駐車スペースに車を止めた。
防寒用のジャケットと荷物を掴んで外に出れば、途端に体がぶるりと震える。
気が付けば12月も間近。夜と昼との温度差が厳しい荒野は、日が落ちると同時に気温がぐっと下がるのだ。
中に入って、愛しの歌姫が作るスープでも飲もう。もしくは最近こだわりはじめたという、アホな魔王のコーヒーを飲むのもいい。
そう思いながら店の扉を開ければ、穏やかなカントリーミュージックと温かい空気が俺を包み込む。
「いらっしゃい」
声をかけてきたのは、カウンターで飲み物を作っていた愛しの歌姫ちゃんだ。
「久しぶりじゃない。最近忙しかったの?」
そう聞きながら彼女が案内してくれるのは、入り口から一番遠いカウンター席。
もう10年以上この店に通い続けた結果、そこはいつしか俺の特等席となっている。
「俺もそろそろ真面目にならなきゃと、汗水流して頑張ってたのよ」
嘘くさい、と人の台詞を鼻で笑う歌姫ちゃんにコーヒーをオーダーし、俺は店内をぐるりと見回す。
しばらく来ないうちに、ここもずいぶんと賑わうようになった物だ。
あと客層も少し変わった気がする。それもちょっと面白い方向に。
俺達のようなトラック野郎は勿論、奥のボックス席には少々柄の悪い少年達の姿があるかと思えば、その手前には自称勇者をきどる爺さんとその連れが座っている。彼らの間には大した距離はないが、緊張感は勿論萎縮しあっている様子もない。
またそれより更に手前の席には小学生とおぼしき少年達が座っており、彼らもまた周りを気にすることなく大皿の盛られたポテトをがっついている。
そして極めつけは、俺の横の席の珍客だ。
カウンター席に座り、うとうとと船を漕いでいるのはもはや人間ではない。七面鳥である。
「その子うちの新顔なの。大人しいし、魔王の魔法で綺麗にしてあるから安心して」
と笑う歌姫ちゃんに、俺は何のためらいもなく「なるほど」と頷き七面鳥の頭を指で撫でてやった。
それから今更のように、そもそも何で七面鳥がと思ったが、次の瞬間にはそんなことを考えるのが馬鹿らしくなった。
何せこの店には七面鳥以上におかしな、「魔王」という男がいるのだ。奴が起こす騒動に比べたら、鳥とトラック野郎と不良と老人とガキンチョが同じ空間でワイワイ騒いでいる事など些細なことだ。
唯一不思議なことと言えば、むしろこれだけ客層がカオスなのに、落ち着いた雰囲気は以前と変わっていないことだ。
昔と比べれば客層も違うしにぎわいもあるのに、やっぱりここは俺にとってほっとする空間で、居心地の良さはまったく損なわれていない。
「とりあえず、ダブルチーズバーガーをセットで。コールスローをスープに変えてポテト大盛りで」
コーヒーを運んできた歌姫ちゃんにオーダーを告げると、彼女は笑顔で伝票にペンを走らせる。
「久しぶりだから、チーズ3枚にしてあげるね」
そう言う歌姫ちゃんがあんまり可愛いから、俺はついついいつもの調子でふざけてしまう。
「あんまり優しくされると、おじさん勘違いしちゃうかもよ」
「相変わらずねぇ、そう言うところ」
「魔王みたいな美形もいいけど、たまにはこういうおじさんに口説かれるのも悪くないだろ?」
「スティーブには小学生の時から口説かれてるのよ。今更ときめかないって」
たしかに、初めて店に来た時も似たようなことを俺は言った。
父の手伝いでコーヒーを運んできた歌姫ちゃんに「可愛いねぇ、俺のお嫁さんにならない?」とウインクまでして、どん引きされたのは良い思い出だ。
「言っておくけど、俺はロリコンじゃないぜ」
「でもスティーブ未だに結婚しないよね」
伝票をカウンターの奥にいるらしい魔王に渡しながら、歌姫ちゃんはしみじみとそんなことを言う。
「俺は歌姫ちゃん一筋だから」
「そのアホみたいな台詞、いろんな所で言ってるんでしょう」
否定はしない。
「そろそろいい歳なんだから、奥さん見つけなよ」
カウンターに肘をつきながら、呆れ顔で言う歌姫ちゃん。彼女の表情に一瞬ひとりの女の顔が浮かんだが、俺はそれを悟られないよう大仰に天を仰ぐ。
「誰かひとりの物になったら、俺のファンが泣くからさ」
「いろんな街に彼女がいるんでしょ。もうそれ200回くらい聞いた」
「そう言うお前さんはどうなのさ。魔王とは上手くやってんの?」
とたんに、頬を赤く染める歌姫ちゃん。この表情も、猛烈に可愛い。
「魔王はあんたと違って誠実だからね」
「愛されてますねぇ」
「まあ、問題も沢山あるけど」
と歌姫ちゃんがため息をこぼした時、ふらりと現れたのは話題の魔王である。
いつもは無駄に明るい魔王だが、今日は何故か表情が暗い。思わず歌姫ちゃんと顔を見合わせれば、彼の後ろからひとりの少年が顔を出した。
見覚えのあるその顔に、俺はさり気なく持っていた雑誌で顔を隠す。
しかしそんなことをせずとも少年は俺の事なんてちっとも眼中にないらしい。俺をちらりと見てすぐ、彼は歌姫ちゃんに視線を移した。
「姉ちゃん悪い……ちょっと魔王いじめすぎた」
「いじめって、あんた何したのよ?」
と呆れる歌姫ちゃんはまるで母親のようで、俺はうっかり苦笑してしまう。
昔は叱られる方だったのにと、懐かしい頃を思い出したからだ。
「魔王のことをさ、ちょ~っと怒らせてみたいなぁなんて思ってさ……」
「思って、何?」
「色々悪口言ってたら、なんか物凄い凹んじゃったみたいで……」
とこぼす少年の後ろで、魔王はいい歳をしてがっくりと項垂れている。
「アルファから聞いたのだ。師匠が、私のハンバーガーの味が落ちたと言っていたと」
「あんた、まさかそれを本気にしたの?」
「改めて食べてみたら、確かに師匠のと比べて美味しくない気がしたのだ。言われてみると、最近はあまり修行らしい修行もしていなかったし、腕が落ちたのも頷ける」
確実に落ちていると両の手のひらを見つめ、魔王は項垂れた。
「こんな腕では、師匠の弟子失格だ。いや、師匠の恋人としても失格だ」
と凹んでいる魔王に、俺はうっかりコーヒーを吹き出しかけた。
何せ魔王は、これを本気で言っているのだ。
真っ青な顔はまるで死を宣告された病人のようだが、その原因はわずか10歳の少年の他愛ない一言なのである。
あまりにもアホすぎる。むしろアホすぎる奴の頭が心配なくらいだ。
「そんなに凹まなくて大丈夫よ! あんたのハンバーガーはちゃんと美味しいから!」
「お世辞は良いんだ。自分の落ち度はちゃんとわかっている」
気を使わせて済まないという魔王を見ていたらふと、奴がこの店に来たばかりのことを思いだした。
魔王がここに来た時、俺もああして奴を無駄に凹ませたりからかったりして遊んだものだ。
異世界から来たらしい魔王は本当に無知で、人を疑うことを知らず、言われたことを一から百まで全て信じ込んでいたのである。
「女の子は首筋を嘗められると喜ぶ」と俺が教えたばっかりに、歌姫ちゃんにそれを実行してお盆で叩かれていたのは良い思い出だ。
そしてそんな脳天気なところは、どうやらまだまだ健在らしい。
「素直なのは良いけど、もうちょっと成長なさい! ほら、オーダーたまってるでしょ!」
「しかし……」
「しかしじゃない! ってかあんた、私が影であんたの悪口言ったとか本気で思っているの!」
「いや、師匠がそんなことをするはずが無いのはわかっている。だが腕が落ちているのは確かなのだ、パテの焼き具合が、私は全然なっていないのだ!」
「ならちゃんと出来てるかどうか見てあげるから、ほら、厨房入って!」
魔王を無理矢理厨房まで引きずっていく歌姫ちゃんは、完全に魔王のお母ちゃんである。
その上彼女は、成り行きを見守っていた少年のフードをむんずと掴む。
「ほら、アルファも罰として手伝いなさい!」
「えぇぇ! なんで俺!」
「あんたの所為で、魔王が使い物にならなくなっちゃったんでしょ!」
抗議する少年をも捕獲し、歌姫ちゃんは厨房へと向かう。
それに思わず吹き出しながら雑誌を降ろせば、俺だけでなく店中の客達がそのやり取りを笑顔で眺めているのがわかる。
みなとても楽しそうで、どうやら彼らも俺同様、この騒がしさを愛おしく思っているらしい。
たぶんここにいる奴らはみんな、ハンバーガーやポテトだけでなく、この騒がしさを味わう為にここにいるのだろう。
人種も年齢も職業も違う人間達を繋ぎ、この穏やかな空気を作り出しているのはきっと、歌姫ちゃんや魔王のあの笑えるやり取りに違いない。
店に流れるカントリーミュージックを聴きながら、俺はぼんやりとそんなことを思いつつ、タバコに火を付ける。
すると突然、乱暴な手つきで俺の前にスープが差し出された。
「おい、スープ!」
そんなことみりゃわかるよ。と言いたいのをこらえて、俺はカウンターに背伸びをしながらカップを差し出す少年を見下ろす。
「スプーンは?」
「そのまま飲めよ!」
俺はネコ舌なのだが、言ったところで持ってきてくれる雰囲気はない。
どうやら、歌姫ちゃんにこき使われてご機嫌が斜めらしい。
立ちのぼる不機嫌オーラにうっかり吹き出すと、それを見咎めたのか、少年は更に機嫌を悪くしたようだ。
これはさすがにフォローでもした方が良さそうだと気付いた俺は、スープを受け取りながら、不機嫌な少年へと視線を投げかける。
「魔王は、一度凹むとなかなか浮上しねぇぞ」
俺の言葉に、少年に明らかな動揺が走った。
「……まじで?」
「ああ、経験者は語るって奴だ」
俺の言葉に、カウンターから小さな顔がひょっこり顔を出す。どうやら頑張って背伸びをしているらしい。
「どうすればいい?」
小声で尋ねられ、俺は顎の不精ヒゲをなぞりながら、考え込むポーズを取る。
「とはいえあいつは単純だ。歌姫ちゃんが褒めれば、そのうち回復するさ」
「そっそのうちっていつ?」
不安が溢れる声に思わず笑いたくなるのをこらえ、俺は言葉を繋げる。
「早く元通りにしたいなら、お前さんも協力したらいい」
「協力?」
「あいつは人の言うことならなんでもホイホイ聞くからな。恋のアドバイスでもしてやれば、それを勝手に実行して、あとは勝手にラブラブに戻るさ」
「でも俺、恋のアドバイスは……」
「別に何でも良いんだよ。花を上げろとか、ラブレターをかけとかそんなので」
歌姫ちゃんのことだ、魔王からの贈り物なら手放しに喜び、奴を褒めちぎるに違いない。
凹んだ魔王にとって、一番の薬は歌姫ちゃんが煽てることだろうし、そもそも凹んだきっかけが馬鹿馬鹿しいことを考えれば、元に戻るきっかけなど些細なことで良いのだ。
「ただしあいつは変なところで自分に自信がない。だからお前からアドバイスしてやった方が良いぞ、人の言葉は鵜呑みにするからな」
と念を押せば、俺を見上げる目はみるみる輝いていく。
「わかった、アドバイスする!」
「おう、頑張れ少年」
俺が笑うと、早速彼は「何が良いかな」と笑顔で駆け出した。
それを眺めつつ、俺はスープの入ったカップを取り上げる。魔王もそうだが、あいつもなかなか素直に育ったもんだとぼんやり考えていると、突然銀色の物体が俺に前へと放られた。
「特別に、スプーンを付けてやる!」
特別も何も普通はつくもんだがと思いつつ、俺は投げられた物に目をやった。
しかし、彼の親切には穴があった。
「少年、これはスプーンじゃなくてフォークだ」
言ってはみたものの、彼には聞こえていないらしい。
軽い気持でアドバイスをと言ったが、この抜けっぷりから察するに、またもう一波乱くらいありそうだ。
「まあ、最後は歌姫ちゃんが何とかするか」
フォークでスープをかき混ぜながら、俺は彼らの今後を予想して、思わずにやりと笑った。
これは是非、今度来た時その後のオチを聞かねばなるまい。
きっと面白おかしい話が飛び出して、俺をしこたま笑わせてくれるのは確実だ。
穏やかな時間は勿論笑いも提供してくれる、そんな店だからこそ、俺はここに来るのをやめられないのだろう。
そしてそれは他の客も同じらしく、魔王と歌姫ちゃんがどうなるのかと、みな口々に話し合っていた。
そんな会話を聞きながら飲むスープは、まだ少し熱かったが格別にうまかった。
【お題元】
『アルファたちギャング団が、「魔王を怒らせてみたい」と画策した末にハンバーガーを馬鹿にしたところ、魔王どころか師匠の怒りまで買ってしまい、大人げない仕打ちを受けてしまう話』
(こちらのオーダーの前半部分を使わせて頂きました。後半部分は他のお話と絡めたい関係で控えめにさせて頂きました)
『お店の様子がわかるお話が読んでみたいです』
『そういえば、スティーブ生きてますか?』
などのオーダーから作成致しました。
オーダーと質問、本当にありがとうございました!
11/29 誤字修正致しました(ご指摘ありがとうございました)




