Episode17 ハロウィン
師匠視点
よりにもよって何故今日なのか。
悔しさとむなしさを胸にベッドの中で鼻を啜っていると、「大丈夫か?」と心配そうな顔で魔王が声をかけてきた。
同時に、魔王の横からチビもぴょこんと顔を出す。
いつもながらの無表情ではあるが、どこか愁いを帯びたようにも見えるチビの顔に、私は慌てて身を起こしつつ「ごめん」と掠れた声で謝罪する。
「謝ることはない。それよりほら、しっかりと毛布をかけるのだ」
私の体をさり気なくベッドに倒し、毛布を引き上げてくれる魔王の口から長い牙がちらりとのぞく。
それにちょっとだけどきっとして、私は改めていつもと雰囲気の違う魔王をじっと見つめた。
雰囲気が違うのは当たり前だ。なにせ今日は10月31日。つまりハロウィンなのである。
故にチビは殺人鬼ジェイソンの格好を、魔王はドラキュラの格好をしているのだが、私だけがいつものパジャマ姿のままだ。
そしてその原因は、この酷い鼻水とそれを引き起こしている風邪菌である。
「私も仮装したかったなぁ。張り切って衣装自作したのに……」
「たしかにあの魔女服は可愛らしいが、あんな薄着では熱がさらに上がってしまうだろう」
「ううぅ、なんでこんな日に風邪なんてひいちゃったんだ」
毛布に顔を埋めれば、今度はチビが諫めるように私の体をぽんと叩く。
「一緒にハロウィンしてあげられなくてごめんね」
「チビ殿も気にするなと言っている。それより、はやく師匠に元気になって欲しいのだそうだ」
チビらしい無言の主張にありがとうと微笑んで、それから私は魔王に目を戻す。
「じゃあチビのことお願いね。あと、魔剣さんに子供が来た時のお菓子はキッチンの流しの横にまとめてあるって伝えて」
「心得ている。だから師匠はゆっくり休むとよい」
穏やかな笑顔とキスを一つ置いて、魔王はチビと一緒に部屋を出て行く。
その背中を見ると、一年の間で魔王も大人になったなとしみじみ思ってしまう。
自分の彼氏にこういう事を思うのは変だが、なにせ去年の魔王は道行く子供達の仮装に戦々恐々で、私の腕を片時も離さなかったのだ。
それが今はチビの手を引いているなんて、なんだか感慨深い。
まあ家を出た途端悲鳴を上げながらチビに縋り付く可能性もなきにしもあらずだが、アルファとチャーリーも途中で合流すると言うし、多分大丈夫だろう。多分……。
「それにしても、私も運が悪いなぁ」
思わずこぼれた独り言とともに額に手を当ててみると、酷く熱を持っているのがわかる。
そこまで体が弱いわけではないのだが、季節変わりになると体調を崩しがちになるのが私の悪い癖だ。
昔は自分ひとりで何とかするしかなかったから、不調の兆しがあればあまり無理をしなかったのだが、魔王が来てからは「いざとなれば彼がいるし」とついつい不調を見逃しがちになっている。
むしろ早い時点で彼に甘えて無理をしなければいいのだが、どうにもそのタイミングがつかめないのだ。
そしてその結果がこれである。本当に不甲斐ない。
だがぐだぐだと後悔していても風邪は治らないし、長引かせれば魔王が心配するのは明白だ。
ここは潔く諦めて来年を待とう。
窓越しに聞こえてくる子供達の歓声にうらやましさを感じつつも、ここはぐっと堪え、私は布団を頭までかぶった。
寝る前に飲んだ薬の効果か、気が付けば深い眠りに落ちていた。
一体どれくらい寝ていたのかと、まどろみを越えて意識を覚醒させれば、時計の針はずいぶんと進んでいる。
「目がさめたか?」
声に釣られて視線を横に移せば、ベッドサイドには魔王がいた。
リビングから持ってきたらしい椅子に腰をかけた魔王は、私の額に手を当て、それから小さく頷く。
「熱は下がってきたようだな」
「ずっと側にいてくれたの?」
「先ほどまでチビ殿もいたのだが、はしゃぎ疲れて寝てしまったのだ。お菓子を山のように貰って、酷く喜んでいたぞ」
「ってことは、無事帰ってこれたみたいね」
わざとらしくにやりと笑えば、魔王は何か怖い物でも思い出した顔で、情けないうなり声を上げる。
「何度か生命の危機を感じたがな」
「ジェイソンいっぱいいた?」
「心なし去年より増えていた」
顔に似合わぬ情けないぼやきに思わず吹き出すと、笑い事ではないと魔王は拗ねる。
「あと、今年はゾンビが多かったのだ。それもみなとても怖い顔をしていて、側を歩くのはとても怖かった」
「ドラマとかも流行ってるし、最近は素人でも特殊メイクが出来るキットもあるからね」
魔王は恐ろしがっているが、正直そこまで怖がる理由がわからない。
ゾンビが溢れる街を歩くなんて今日くらいしかできないのに、貴重だとは思わないのだろうか。
「ずいぶん悔しそうな顔をしているな」
「だってゾンビよゾンビ」
「だっての意味がそもそもわからないのだが」
呆れ顔を隠しもしない魔王に、あんたはゾンビの良さをもっと理解すべきだと思わず力んでしまう。
だがゾンビトークをはじめるより早く、魔王がなだめる手つきで私の頭をなでた。
「あまり興奮すると熱がまた上がるぞ」
「だって……」
「それに、師匠がそう言うと思って、ちゃんとお土産を持ってきたのだ」
お土産という言葉に思わず魔王を見上げれば、いつしか彼の手には私のデジタルカメラが握られている。
「師匠はモンスターの仮装を見るのが好きだろう? だから沢山写真を撮ってきたのだ」
「魔王が撮ってきてくれたの?」
思わず聞き返せば、腕の震えを押さえるのが大変だったと魔王は笑う。
「だからあまり期待はしないでくれ。きっとブレている写真の方が多い」
手渡されたカメラの履歴をチェックして、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
勿論これは嬉しい悲鳴だ。
「凄く綺麗に取れてる! それにこんなに沢山!」
「喜んでくれるか?」
喜ばないわけがない。
だってカメラには、ハロウィンの仮装をした街の人たちの写真が、何枚も何枚もおさめられていたのだ。ゾンビの写真も凄く多いし、思わず顔がにやけてしまう。
「もちろんよ! この幽霊の格好してるのはケリー?」
「うむ。そしてその横でミイラの仮装をしているのが勇者殿だ」
「ミイラって言うか、ただトイレットペーパー巻いただけに見えるんだけど」
「ケリー曰く、衣装代が勿体ないので安くすませたらしい」
代わりに聖剣殿にはとても可愛らしい妖精の衣装を着せていたと笑う魔王。
それも撮ったのかと尋ねれば、魔王は椅子から立ち上がり、カメラに腕を飛ばす。
その体勢が少し窮屈そうだったので、せっかくならいっしょに見ようと私は魔王をベッドに招き入れた。
すると彼は私を腕に抱くように座り、あいている方の手でカメラのボタンを何度か押す。
昔はこの手の機械製品すらまともに扱えなかったのにと、ここでもまたうっかり感動していると「考えが顔に出ているぞ」と拗ねられた。
「ほら、これが聖剣殿だ」
魔王が差し出すカメラの画面に写っていたのは、ティンカーベルの姿で微笑む聖剣ちゃんと彼女の横で項垂れている魔剣さんの姿である。
「ってかこれ、魔剣さんなんで緑のタイツはいてるの?」
「ティンカーベルに似合いの衣装といえば、ピーターパンだろう」
言われてみるとピーターパンだが、外見がダンディーすぎるので一瞬気付かなかった。
「でも魔剣さん、仮装はしないって言ってなかった?」
「私が魔法で無理矢理服を代えたのだ。この方が、二人の仲も更に近づくと思って」
しかしこの苦悶の表情から察するに、ありがた迷惑だったに違いない。
そもそもこの年でピーターパンはさすがにキツイだろう。聖剣ちゃんは嬉しそうだが、魔剣さんの心情を思うと少しだけ心が痛い。
「でも結局、すぐに服を戻してしまったのだ。だからこれしか写真がない」
「むしろこれ1枚撮っただけ凄いわよ」
凄いと褒めつつ、今後何かあればこれをネタに強請れるなと、うっかり悪いことも考えてしまった。もちろん脅迫は聖剣ちゃんに関することしかしないつもりだけど。
「あんた写真の才能あるかもね」
「本当か!」
勿論とうなずき、私は魔王が撮った写真を更に眺めた。
ジェイソンの仮装写真だけは少しブレ気味だったが、どの写真も良く撮れている。
「私の腕ではなく被写体が良いのだ。どの人も、師匠の為に写真を撮りたいというと快くポーズを決めてくれるし、大変撮りやすかった」
だが逆に、外見にあわせて怖い表情や仕草をする者もいて、悲鳴をこらえるのが大変だったらしい。
「親切でやってくれるのだが、あれは本当に怖い」
「でも頑張って撮ってくれたんだ」
「怖い方が、師匠も喜ぶと思ったのだ」
気に入ってくれただろうかと窺う魔王に、私は大きく頷いた。
「凄く凄く嬉しい。こんな素敵なお土産、貰えるなんて思ってなかったの」
もう一度お礼の言葉を重ねようと魔王を見上げれば、何故か彼は少し慌てた様子で感謝はまだ早いと私の口を塞ぐ。
「喜ぶのはこれからだ。師匠が喜ぶものをもう一つ用意している」
カメラを私に預け、魔王はベッドから立ち上がる。
「ただちょっと心の準備がいるので、待っていてくれるか?」
「心の準備?」
「あ、師匠はしなくて大丈夫だぞ。準備が必要なのは私なのだ」
と言って、魔王はぎこちない足取りで出て行く。
一体何があるんだと首をかしげつつ待つこと5分。
魔王にしては少し大きな足音と共に、それは現れた。
「この姿なら、師匠もハロウィン気分を味わえるだろう?」
声は魔王だが、現れたのはなんとあのジェイソン。勿論驚いたのは言うまでもない。
「どうしたのそれ!」
「写真だけでは物足りないと思ったから、頑張って変身したのだ」
胸を張るだけあり、彼の変身は完璧だった。
前に一度、彼がジェイソンに変身したのを見たことはあったが、そのときよりも今日の方がさらに本物っぽい。
それを指摘すればジェイソン……いや魔王は、照れたように頭をかく。
「師匠が寝ている間に、頑張ってビデオを見て研究したのだがどうだろう? 師匠の理想のジェイソンになれているだろうか?」
「凄く素敵! この服の感じは、パート2のジェイソンでしょ?」
「よっ…よくわかるな……」
「モンスターの目利きには自信あるもん。それより抱きついて良い? 良い?」
と言うやいなや抱きつけば、魔王はいつもより少し大きな手で私を抱きとめてくれる。
「あまり動くと熱が上がるぞ」
興奮するなと魔王は窘めるが、そんなの無理に決まっている。
「前の時はあんまり堪能出来なかったから、凄く嬉しい!」
「ならば好きなだけ堪能してくれ。だが可能ならマスクはとらないで欲しい。本物に近付けすぎて、見るのが怖いのだ」
「わかった」
「あと他にも、フランケンシュタインと狼男とレザーフェイスになれるがどうする?」
「それも勉強してくれたの?」
「ビデオを一時停止して、頑張った」
でもさすがにそれ以上は無理だったとジェイソンのまましょげる姿に思わず笑い、私は彼のホッケーマスクにキスをした。
すると魔王は、何故だか少し残念そうに肩をすくめる。
「やっぱりマスクは邪魔だな。せっかくキスを貰っても、これでは物足りない」
「でも、ジェイソンの顔にしちゃっていいの?」
僅かな間の後、魔王は私の言葉の意味に気付いたようだ。
「……ご褒美は、一通り変身したあとに欲しい」
「そうね。あんまりキスしすぎると風邪もうつしちゃいそうだし」
「あ、それならば問題ない」
こんなに良くしてくれた魔王を寝込ませるのは申し訳ないと言ったのに、何故だか彼は大丈夫だと豪語する。
「たぶん明日は、風邪とは関係なしに昼まで寝込む気がするしな」
具合が悪いのかと慌てると、魔王は違うと首を横に振る。
「たくさんのモンスターや殺人鬼をみたし、今夜は悪夢で酷くうなされると思うのだ」
そしてそのまま寝込む気がすると断言する魔王に、私はふと去年のことを思い出す。
「言われてみると、去年もハロウィンの次の日は昼まで唸ってたわよね」
「うむ。そして今年も全く同じ事になる予感がするのだ」
どうやら魔王は、心に過度のストレスを抱えると寝込む質らしいのだ。
何だかんだ言って恐がりなのは相変わらずかと思ったが、それでもここまでしてくれた彼を馬鹿にすることは出来ない。
「じゃあ、悪夢を見ないように魔王が寝るまで頭撫でてあげようか?」
とたんに、魔王は病人の手を煩わせるわけにはいかないと慌てたが、結局最後は私の提案を承諾した。やっぱり悪夢は嫌らしい。
「じゃあ、朝まで撫でて貰う」
そう言ってジェイソンの姿でしょげる魔王は無性に可愛くて、思わず胸がほっこりした。
私の為に色々頑張ってくれる魔王はとても素敵だけど、やっぱり少し情けない魔王の方が私は好きらしい。
【お題元】
特になし(2012年10月31日記念)
※11/2誤字修正致しました(ご報告ありがとうございます)